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ブレイク  作者: シトラチネ
本編
8/15

8. Break story ―口火―  火蓋は切って落とされていた

::: 1 ::: break a taboo...タブーを犯す



「なあ、ファイ。お嬢ってほんとは何歳? 何でブレイカーやってんのか知ってる?」

 カレン――ピンクパンサー・カメレオンのメス――のくるくると巻いた尻尾に沿って、タイジは「の」の字を書いていた。だらしなくカウチに寝そべり上の空でそんなことを呟く部下の顔を、出勤してきた前支店長秘書は可愛い弟を見守る目で覗き込む。

「タイジさん」

「んにゃ……」

 恋の下僕はカレンの尻尾をぼんやりと見つめたままである。

「火葬、土葬、鳥葬、どちらがお好みですか? この集合的無意識界で死ぬことはありませんから、いずれにせよ生きたままということになりますが」

「あー……どれがいいかな……」

 寝ぼけた子供がトイレを探すような虚ろさで、超低速思考の中を漂うタイジ。その視界には至近距離にあるファイの思案顔が、白金と小麦色の染み程度にしか映っていない。その染みが首を振る。

「重症ですね。心得破りの仕置きと気づきもしないとは、まいっちんぐ」

「仕置き……」

 その言葉に、タイジの表情が急に曇った。

「最近さ、お嬢おかしいのよ。寝てるとこに入ってくと、えっちーとか叫んで仕置きされんのよ。今まではさ、堂々とケツ出して寝てたくせに……俺、何かした? 胸もんだのはだいぶ前の話だしなあ……」

 はー、と肺の容量いっぱいの吐息が押し出される。

「やっぱあれなの? 身分違い? 下僕なんか箸にも棒にも? 借金あるしな。ウザがられてんだわ。仕置き、えらい気合入っちゃってんだもん。雷なんかもうキョーレツでビリビリしちゃってこう、血湧き肉踊るみたいな」

「用法が間違っております。さて」

 仰向けの腹の上に載せていたカレンをひょいと取り上げらると、それがスイッチだったみたいにタイジは飛び起きた。

「丁重に扱えっ、身重なんだぞカレンはっ!」

「そのカレンさんとベビーさんたちのスウィートホームが危険に晒されているとなったら、どうします?」

 怪獣襲来の急報を受けた正義の味方みたいな衝撃顔をするタイジ。

「逃亡犯狩り演習の折、タイジさんはニシキヘビに飲まれてましたね。C地区を根城にしているはずのニシキヘビがなぜかF地区にいたから、不覚をとったとおっしゃってましたが」

 東京が怪獣によって焼け野原にされた、と報告を受けた正義の味方みたいな沈痛顔をするタイジ。

「そうなのよ、近頃ジャングルの治安が乱れてんだわ。そうだ、ヘビもカメレオンの天敵だったな。あいつらがでかい顔して歩き回ったら、カレンたちの身に危険が及ぶ」

「蛇足ですがヘビは歩き回りません。それで、タイジさん。原因を調べて対策を施して、カレンさんに安心して育児に励んで頂こうじゃあーりませんか」

 地球の未来は君の双肩にかかっている、と上司に肩ポムされた正義の味方みたいな精悍顔をするタイジ。

「俺にできることはないの、隊長」

「ジャングルの全面積を測量してきてちょ。ヘビたちが移動するような原因があるはずです」

「アイアイサー! 隊長はここでカレンを守ってやってくれ」

 覚悟を決めて出動の構えを取る正義の味方みたいな緊張顔をするタイジ。

「頼まれたとしてもそんな泥仕事には同行しませんから、ご安心を」

「行ってくる。俺を信じて待ってろ、カレン!」

 ぐおっ、という擬音が当てられそうな勢いで走り出すタイジの背中に、ファイの感心したような声が追いかけてきた。

「ノリノリですよ。なんて扱いやすい人なんでしょうねえ、二代目代償・カレンさん。お嬢さんの気持ちがわかります。タイジさん相手には思考を読む力など、宿命と感じなくなります」



 第九代支店長秘書イオタ、および第十九代タウが作成したジャングル地図と比較した。結果、タウ時代には拡張さえ見せていたジャングルが、現在は四分の一も消失していることが判明する。

「そうか、それで縄張りが乱れて治安が悪くなってんだな」

 正義の味方は疲れを知らない。五日間ぶっ続けの測量を終えて帰還し休みもせずに、熱心に地図に顔を寄せている。

「ジャングルが消えた原因は何だ?」

「……タイジさんがそれを聞きますか」

 へっ、と間の抜けた答えをしたタイジは、ファイの緊迫した目線にぶつかって戸惑う。いつものらりくらりと笑顔で処理するファイだけに、タイジはそれが想像以上の重大問題であることを感じ取った。

「下僕さん、心得その三は」

「お嬢の心を乱さないこと」

 一秒でも遅れれば竹定規が唸る。タイジは即答して胸を張った。が、ファイには満足していないように肩をすくめられてしまう。

「ブレイクやジャングルが集合的無意識界に物質的に存在できる理由は?」

「支店長であるお嬢の思い込みの強さ」

「よってお嬢さんの心が乱れると?」

「ブレイクは崩壊して、ブレイカーは寿命の短い者から死んでいく……」

 敵と思って倒したのが実は裏切った仲間だった、と告げられた正義の味方のような愕然顔をするタイジ。

「これはその予兆だっての?」

「もっと根源的なところに気づいて頂きたいものです。すなわち、お嬢さんがなぜ心を乱されているのか」

 タイジさんがそれを聞きますか。ファイの言葉がタイジの脳裏をぐるぐると走り回った。

「俺……俺? 俺がお嬢を……困らせてんの? 惚れたりしたから?」

 すべておまえが発端なんだ、怪獣を呼び寄せたのも、あいつが裏切ったのも、と上司に指摘された正義の味方のような絶望顔をするタイジ。

「お嬢さんが困っているかはさておき、可能性が一番高いのはタイジさんの存在でしょう。倍率ドン、さらに倍してもいいです」

 どさりと音を立てて、タイジはカウチに腰を落とす。

「タイジさん。言いづらいことですが、秘書室長としてはっきりお伝えしておきます」

 ファイはタイジの視界に回りこむ。怯えたような切れ長のタイジの目を、ファイの碧眼は逃がさなかった。

「わたしは選択を突きつけられれば、タイジさんよりお嬢さんを。お嬢さんよりブレイクを選びます。あなたとお嬢さんにどんなに恨まれることになろうとも、です」





::: 2 ::: break in sunder...バラバラに壊す



 要するにあれだ。気の迷いってやつだ。

 全部俺の勝手な勘違いだ。お嬢はアホだ。スケープゴートなんて演じちゃいない。宿命を自分で背負っておきながら手に余らせてる、ただのバカなガキだ。

 暇なもんだから余興を探してたとこに現れたのが俺だった、ってだけだ。命が危ういことにつけこんで、詐欺まがいなやり口で下僕にしたんだ。寿命を餌に好き勝手に振り回しちゃ、這いずり回る俺を笑ってただけなんだ。

 命が何より大切みたいなことを偉そうに語るくせに、俺に対しては人間どころか、生き物としての尊厳さえ認めようとしないし。俺が身を削って何かを成し遂げても、屁とも思ってやしないし。ふっかけてきた利息だって暴利もいいとこだ、その支払いに手間取ったせいで俺が生まれられなくなったら、なんて考えてもいないし。外道よ外道。

 ブレイクを存続させることができる力を持っているからって、わがまますぎだろ。カイを泣かせた時だって、謝りもしなかった。そうそう、そうだ、客だった俺を平気で轢いたり踏んだり、あの時だってこれっぽっちも悪いなんて思ってなかったに違いないわ。

 それにきっとあれは見かけを偽ってるぞ、ブレイカーは十八歳以上が基本だからな。十年ブレイカーをやってんだから、少なくとも二十八。なのに十六歳の顔を装ってるなんて痛すぎるだろ。ほんとはブスで胸もないんだろ。どんなに溜まってても自分の右手の方がマシなくらいなんだ、絶対そうだ。

 そら、もうお嬢なんて何とも思わない。横暴な上司、ぼったくりの債権者、それだけだ。嫌いこそすれ、好きになる理由なんて一切ない。

 お嬢には二度と触ったりするか。それが下僕の心得だからな。流し込んじまったら困らせるような感情があるわけじゃない、単にそれが決まりだからだ――タイジは、そう結論付けた。





::: 3 ::: break a story...口火を切る



「お嬢、これ借金の払い。三年分」

 月末。タイジから小切手を渡されると、お嬢はじーっとそれを見つめた。

「なーんか最近、やけにマメマメしくブレイカーやってるみたいじゃなーい? 滅多に秘書室でも見かけないくらい。どうかしちゃったのー?」

「別に。さっさと返済ししようって決めただけ」

「ふぅん」

 探るような目つきから視線を逸らし、タイジはそのまま支店長室を去ろうとした。

「あ、そうそう。カレンちゃんが産卵したみたい。見るでしょー?」

 タイジとお嬢の眼前で交尾していたカレンとレオン。タイジには、それがはるか昔のことに思えた。タイジはこの一ヶ月以上、集合的無意識界にいる間は昼夜を問わずひたすらブレイカー業務に打ち込んでいたのだ。正直、タイジはカレンが卵を持っていることなどすっかり忘れていた。

「興味ねーわ」

 半身だけ振り返ってタイジが言い捨てる。お嬢の唇から笑みが逃げ去った。

「……タイジ?」

「俺、仕事あるから」

 背中を注視されているのを知っていながら出て行く時は、どうしてこんなに足が重いんだ。足だけじゃない、重力が二倍になったみたいに空気がのしかかってくる。早くここから出なけりゃ、押しつぶされそうだ――タイジは気力で秘書室へのドアを目指す。

「覚えなくていいって言ったのに」

 からかってるようなお嬢の口調は本心なのか、心配を隠す演技なのか。判断できないし、判別しようとしちゃいけない。お嬢のことは考えちゃいけない、とタイジは自分に言い聞かせる。

「良心に背くような相談に、痛みを感じずにいられるタイプじゃないってわかってるんだから。ブレイカーには向いてないんだから。下僕してればいいのに」

 ひとつゆっくりと深呼吸する。タイジは念入りに笑顔を作って振り向いた。

「そお? 俺、けっこう才能あると思うんだわ。十八年後にはまたここに舞い戻ってブレイカーするんだし、場数踏んでおかないとな」

「踏んだって生まれる時に全部忘れちゃうじゃなーい、おばか」

 お嬢は呆れている。タイジが頬に刻んだ苦笑は本物だった。その苦味は口内だけに留まらず、タイジの胸まで侵食する。

「それもそうだな」

 身を転じ、まとわりつく重力を振り切って、タイジは支店長室を出た。



「ジャングルの消失に歯止めがかかりません。山田かつてないほど縮小しています」

 二回目の測量が行なわれた。前回の測量結果とつきあわせながら、ファイがかすかに眉を寄せる。タイジが、そうか、と返すとしばらく気まずい空気が漂った。

「俺以外の原因ってことは?」

「ないとは言い切れませんが、他の要素が見つからないのです」

 ファイは黙って、竹定規で自分の肩をとんとんと叩いている。ジャングル縮小が発覚して以来、それがタイジに振るわれたことは一度もない。下僕は下僕の分をわきまえていたし、何よりブレイカー業務に没頭していてヘマをやらかす時間的余裕さえなかったのだ。

「とにかく俺は借金返済に集中するわ。早いとこおふくろの腹に戻って、分娩の準備体操でもしとかないと。俺が消えりゃ、これ以上お嬢を困らせることもないんだろうし」

「そうですね。お嬢さんの方から債権放棄して、タイジさんを自由にすることはできませんから」

「なんでよ」

 やれやれ、と言いたげに肩がすくめられた。

「タイジさんがそう教えたのではありませんか。お嬢さんは愛しい者が去る後姿を見るくらいなら、自分から背を向けてきました。お嬢さんの病気の治療法が発見されない限り、お嬢さんはここに縛られ続けるからです」

 病気……だと? ファイがお嬢の実生活をバラしてる。心得破りには容赦ない罰を与えてきたはずのこいつが――タイジは体罰である竹定規での殴打より、よほど強烈な打撃をくらった気がした。

「お嬢さんは本当に十六歳です。六歳で自分が現代医学では治しようのない病気であることを知り、ブレイクに相談しにいらしたんです。そして前代の支店長に、今のカイと似たような待遇で雇われました」

 だから。だから社内の不満があろうと、監査室に文句を言われようと、お嬢は秘書や下僕を独断で採用したりするのか。自分がそうやって拾われたから。タイジはお嬢に貸し出された自分の掌を凝視する。

「前支店長は、お嬢さんに類まれな才能があることを見いだしました。夢想がちな思春期の少女が、オカルト的な超常現象を引き起こすほどの精神力を発揮することはよく知られていますね」

 不治の病床に伏す少女は想像の中でしか、遊ぶことも恋することも、生きることさえも許されなかったのです、とファイは続けた。

「それまでのブレイクにはジャングルなどなく、簡素な社屋があるだけだったそうです。ブレイカーに安定した安息の地を、という前支店長の説得で本社は十歳のお嬢さんを支店長に据え、今の広大な日本支社が生まれました。その頃から、お嬢さんの体は昏睡状態が続いているそうです」

 棒立ちになっているタイジを眺め、ファイはうっすらとした表面的な笑みを浮かべている。

「本社の人事取締役から直々のリークです。お口にチャックですよ」

「なんで……いまさらグラスノスチ」

 死語での抗議が決まらないことは重々承知ながら、タイジは低く唸った。お嬢を忘れようとしているのを知っているくせに、残り火に薪をつぎ足すような真似を――タイジの目が虫眼鏡なら、ファイの眉間は点火しているだろう。そんな勢いでにらまれても、ファイは平然とタイジを見返した。

「わかりませんか、タイジさん。あなたはお嬢さんに対するブレイカー業務をチョンボしているんです」

 これまた埋葬済みな死語を掘り起こしてきたな。さすがは死語のゾンビ使い。意味は失敗だったっけか……失敗? え、とタイジは間の抜けた声を漏らす。

「タイジさんがお嬢さんにホの字なのが、お嬢さんの心を乱しているのではありません。ジャングルがいまだに消えていっているのが証拠です。あなたは原因をつきとめ、何としてもお嬢さんの心を落ち着けねばなりません」

 すっと息を吸い込むと、ファイは冴えた碧眼でタイジを射抜いた。同時に周囲を圧倒するオーラが場を支配し、その威容にタイジは思わず息をのむ。

「本社からブレイク日本支社の存続安定化の全権を任されている者として、命じます。お嬢さんに対するブレイカー業務成功に全力を尽くすこと」

 わたしが知らないとでも思っているのか。君がさっきまで会っていたのが、本社の人事担当取締役だということを。君こそ何か企んでいるんじゃないのか――いつだかの、次期支店長を狙う監査役室エリトの言葉がタイジの脳裏に蘇る。

 おポンチなあなたの道は、わたしなどには関係アチャコです。

 そういえばファイさん、どうして本社の取締役なんかに会ってたんですか?

 お嬢さんの代理ぞな。

 あの頃、ジャングル消失がまだ明らかになっていなかったあの頃から、ファイはすでにお嬢の異変を感じ取っていたのか。本社と連絡を取り、この事態に備えていたのか――タイジは知らない者でも見るかの目でファイを呆然と眺め回した。

「報酬は十二年――タイジさんの残りの寿命借金、全額です」



 タイジ、現在七ヶ月。借金、十八年七ヶ月。返済、もろもろ三年+ブレイカー業務による三年。彼はノルマを達成して、生まれてくることが出来るのか――。


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