14. Break free ―自由― 少年よ、愛を抱け
::: 1 ::: Break it up, will you?...それくらいにしたら?
タイジは愛しい肩に腕を回して囁いた。
「俺たちの未来と希望は、あの太陽より輝いてる」
相手は醒めた、というよりむしろ無感情な目を向けてきたが、タイジは気にしない。気にしちゃいけない。ズバッと太陽を指差して、元気に叫ぶ。
「さあ、あそこへ向かって、二人で全力前進だ!」
ズルーッ、ズルーッ、ズルーッ、ズルーッ……。
「タイジさんが、またシラ子を代償にしてる」
アルビノ・アリゲーターと歩幅を合わせて地を這うタイジに、背後から哀れみに満ちたカイの声が降り注いだ。
「昇華の方が正しいのではないでしょうか? びんびんの青少年が、煩悩のエネルギーをスポーツに振り向けて充足させるのと同じ行動です。これもまた青春の蹉跌」
応えるファイは馬鹿な子ほど可愛くてしょうがないといった、微笑ましさにじむ口調である。
「あー、溜まってるんだ。それにしたって、あの沈みかけた弱々しい太陽より輝いてるって言われても、希望が迷惑しますよねえ」
「ふふっ。微かに残ってる希望ほど、残酷なものはないんですよ」
「ボク、時々ファイさんが怖い……」
ほふく前進体形、つまりシェーの形で止まっていたタイジは、キッと二人を振り返ってにらんだ。
「おまえらに俺の気持ちがわかるか! お嬢にはエロガキ呼ばわりされるわ、ほんとのこと言うタイミングは逃すわっ」
しかもさっき、お嬢がケツ丸出しで寝てるのを目撃してしまった。体は五歳児、性欲はオトナ。頑張りたくても物理的に無理、秘密的に無理。有名アニメの某名探偵コナ○も、きっとこんな切ない悩みを抱えているに違いない――と、タイジは下世話な同情をしてみる。
「昇華活動はそれくらいにして、泥だらけの服を何とかしてちょ。お呼びがかかってますよ、タイジさん」
「へ? 呼んでるって、お嬢?」
いいえ。と首を振りながらファイは、心待ちにしていたショーの幕開けを迎えたような笑顔をした。
「タイジさんとお嬢さんの下僕契約に関する監査会議です。事情聴取で我らがエリトさんがお待ちぞな」
::: 2 ::: break a siege...包囲攻撃網を破る
議長と名乗った本社監査室長は、大手フライドチキン・チェーンの店先で微笑む好々爺そっくりの老人だった。クリスマス前になると膝まで股上があるサンタコスプレをさせられる、アレである。
タイジの実態が大人であることを知っているのは、ファイとカイのみ。他の人間にはタイジはただの、少々生意気そうな五歳児に映っている。お守りにどうぞとファイに渡されたカレンを肩に乗せたタイジに、カーネル似の老人は孫を見るような優しい顔つきをした。
「おや、それは君のペットかね。名前は?」
「……カレン」
ほお、とにこにこするカーネルの隣にタイジの天敵はいた。エリトは既に勝ち誇ったように鼻の穴を広げている。飛び散る目線の火花。もしこの部屋にガスが充満していたら、間違いなく大爆発だ。
触るな危険の二人に気付かぬ様子で、さて、とカーネルがゆったり切り出す。
「タイジ君。君は自分がどうしてこの会社にいるのか、分かっているのかね?」
来た来た――タイジは普段は猫背気味の背筋をビシッと伸ばした。
「はいっ。下僕としてお嬢様に仕え、大好きな人達のために一日でも長生きしたいからです!」
高校球児の選手宣誓もかくやといった、元気と清潔さ。ぐーたら下僕の対極ともいえる爽やかな返答に、エリトの顎がガックンと落ちた。エセ球児はしてやったりとほくそ笑む。
タイジの狙いは、下僕を正しく認識していることを伝えた上で、働く意志を見せること。お嬢もタイジも追放されるべき存在ではないとカーネルに印象づければ、すべては丸く収まると踏んだのだ。
それに――タイジはポケットの上から、ファイが代理締結したお嬢との寿命借金契約書を押さえる。それに、ファイの助力は有難いが、お嬢を守るのはまず俺でありたい。これぞ男の意地。
カーネルはでっぷりとした首の肉に顎を埋めて頷いた。
「では下僕とはどういうものか、知っているのかね?」
「はいっ。滅私奉公、心身ともにお嬢様に捧げ尽くす使用人です。下僕の心得その一、お嬢様には決して触れないこと。心得その二、お嬢様には決して逆らわないこと。心得その三……」
淀まずに心得を列挙する五歳児に、カーネル以下監査会議員たちは感心しきりである。一人エリトだけが呆気に取られ、続いて慌てだした。その青筋が立った額を、タイジは悠然と眺め返してやった。
どうだ見たかエリト、俺の超頭脳プレイを――タイジのにやり笑いが、エリトを刺激したらしい。
「違う! 皆さん、騙されてはいけない。このタイジは少年のフリをして中身はワニより凶悪凶暴、先日もわたしに馬乗りになって首を締め上げたのだ! ほら、ほら、ほうら!」
ぐいぐい、と襟をねじ開けて、エリトはまだあざの残る首筋を晒して見せた。
「この男は支店長とグルになって、わたしを排除しようとしている。そうだ、あの馬鹿娘に入れ知恵されたんだ。そうに違いない」
馬鹿娘、でタイジのこめかみがピクリと痙攣する。それを見つけたか、エリトの表情に余裕が舞い戻った。立ち上がり、冷笑しながら演説をぶち始める。
「そうです――この少年もまた被害者。無知をいいことにこうして自分の都合の良いように教育し、我々を欺こうとする、その首謀者はまさしくあの浅はかで狡猾な日本支店長。子供を使えば我々の目をごまかせると思ったのでしょう、そうはいきません」
ざわりと議員達がどよめきだす。監査役であるエリトに居留守を使って追い返す、法外な寿命を要求するなどなど、お嬢の素行が宜しくないのも事実だ。エリトの言葉を信じる者がいてもおかしくない。
今度はタイジが焦る番だった。ぐるぐる見回し、議員達がエリトの意見にも一理あると口々に唱えるのを聞いて肝が冷え出す。
「広告というものが、子供と動物を出しておけば好印象だというのは常識です。この少年の証言はあてになりませんな。もっと客観的な立場の意見を聞くべきです。さあ、君は下がりたまえ!」
高らかに命令して、エリトは胸を張った。しっしっと手まで振られたタイジのポケットで、寿命借金契約書がカサリと音を立てる。これを出すべきか。これだけの借金を背負っても、おまえに支店長を乗っ取る気概があるってのか――タイジは奥歯を噛み締めた。
「……頼むっ!」
タイジは床に手をついた。それから額をすりつけた。土下座してカーネルに頭を下げた。
「お嬢を支店長でいさせてやってくれ。お嬢は人の下でうまくやれるタイプじゃない。だってまだ小っさな時に病気で倒れて、社会のことなんて何も知らねんだ。お嬢はここでしか、支店長としてしか生きて来られなかったんだ。……あ」
タイジの前方で、カレンが無様にひっくり返っている。土下座の弾みに肩から転がり落ちたらしい。
落ち際に受身を取った気がするが、まさかな、目の錯覚だよな――と視界の隅に映った光景を振り切るタイジ。カメレオンらしからぬ迫力で睨んでくるカレンを慌てて拾って肩に乗せなおす。カレンはガジガジとタイジの耳たぶに噛み付いてきた。
噛み付かせておいて、タイジは懇願を再開する。
「エリト、アンタに何が分かる? 雇われ経営者で、寿命に絶望も希望も実感したことのないアンタに何が分かるよ? 確かにお嬢のやり方は無茶苦茶だ。だがお嬢はあんなアホ面して誰より寿命の重さを知ってるし、だからこそ皆にチャンスを与えようとしてる。お嬢が支店長でなかったら、少なくとも俺は今ここに生きてないね」
間違いなく、救われることなく妊娠三ヶ月で死んでいた――タイジは真っ直ぐにエリトを見据えた。
「俺を生かしてくれたのは、お嬢なんだわ。なら、そのお嬢に俺が尽くすのは当たり前じゃねえの? アンタらには不当すぎる下僕契約に見えるだろ。だけどそう見えるのは、下僕待遇に引き換えてもいいくらい寿命が重いことを、アンタらが実感してないからだ」
俺も、うっかり忘れかけてたけどな――タイジが呟くと、会議室はしんと静まり返った。
エリトとの間にばちばちと散っていた火花は、もうない。あ、う、と声にならない声を絞りながら、エリトは答に詰まっている。
「あの支店長室を追い出されたら、お嬢はどこでケツ出して寝りゃいいんだ? どこでワニ飼って、どこで横暴振りまいて、どこで能天気に生きりゃいいんだ? お嬢の場所が守れるんなら、俺は下僕でいる。アンタらに待遇を心配される必要はない」
「タイジ君、君は一体……? 随分と、年齢にそぐわない発言をしているようだが……」
ぱちくりするカーネル。
「俺の中身は、無知で入れ知恵された五歳児なんかじゃない。俺は俺の意志で下僕を選ぶ。今までだってそうだったし、これからだって変わらない」
もう一度ずりっと床に掌を押し付けて、タイジはうなだれた。
「お嬢は権利欲や我侭で支店長してるんじゃねえんだ。生きてるだけなんだ。唯一生きられる場所で、ただ必死に生きてるだけなんだ。その場所を取り上げないでくれ……お願いします」
「どうだね、エリト君。もう、日本支店長の交替を主張するつもりはないのかな」
カーネルがおっとりと、諭すような口調でエリトに問う。
「い、いえ……そうは言っても……そうは言っても、ですね……」
もう勝敗はついていた。和やかに書類を片付け始めた議員達に狼狽の視線を走らせながら、エリトは口ごもっている。
「合理的な利益追求という君の理想は、その程度のものだったのかな。これだけの騒ぎにしておいて、気が変わりましたで済ますのかね」
「いえ、それは……」
タイジは、エリトが事態の責任を負わされようとしていることに気付いた。ざまぁ味噌漬け――とファイ風に言いたいところだが、必死にMの生え際を押さえながら言い繕おうとしているエリトを見ると、タイジにも哀れみの情が湧いてくる。
ひょっとしたら、エリトもエリトなりにブレイクの将来を考えての行動だったのかもしれないのに――そう気付いてもどうかばってやればいいのか、タイジには思いつけない。
エリトとタイジが揃って窮していたその時、背後から規則正しい革靴の音が近付いてきた。
「失礼します、議長」
「おお、ファイ君か。先日は世話になったな」
おいおい監査会議の議長と知り合いか、ファイの野郎。知り合いどころか、世話になったとまで言われてるぞ。アンタほんとに油断ならない男だわ――颯爽と現れた白金髪碧眼を、タイジは呆れて眺めた。
「大変申し上げにくいのですが、エリト氏には日本支店長就任は諦めて頂かなくてはなりません。これを」
そう言ってファイが差し出したのは、タイジのポケットから引き抜いた寿命借金契約書。カーネルは太い指でそれを広げて、ふむふむと覗き込んだ。
「うーむ……エリト君、さすがの君でも百年の持ち合わせはあるまいな?」
「ひゃっ……百年? とんでもない……」
目を剥くエリトに、ファイは憂い満面で首を振る。
「この契約書がある限り、エリト氏が日本支店長になるには個人的に百年の負債を負わなければならなくなります。日本支社のために、そんな十字架を背負わすわけにはいきません……そうではありませんか、議長?」
「うむ」
首に埋もれかけた顎を撫でるカーネル。エリトは息を呑んで立ち尽くしている。タイジもガジガジと耳を噛み続けているカレンをイヤリングのようにぶらさげたまま、ぽかんとファイを見上げていた。
「君も不本意だろうが、エリト君――ここは涙を飲んでくれまいか。この契約では、仕方あるまい」
ぼん、とカーネルの太い腕に背を叩かれて、エリトは咳き込んだ。
「さ、会議はお開きだ。美味いと噂の、日本支店の食堂にでも繰り出そうではないか、諸君」
朗らかに、カーネルは監査会議の終了を告げた。それはまたお嬢の支店長責任を問わないということであり、タイジの下僕契約承認の宣言でもあった。
::: 3 ::: breakthrough deal...現状打開の取引
「……ファイ、その借金契約ってまさか最初から、引っ込みがつかなくなったエリトの体面を守ってやるつもりで……?」
議員達が引き揚げ、ファイとタイジとカレンだけになった会議室。土下座の名残で膝立ちのままだったタイジは、ファイに助け起こされる。
ファイはきらりと星の飛びそうなウィンクを寄越した。
「言ったではありませんか、タイジさん。選択を突きつけられれば、わたしはタイジさんよりお嬢さんを。お嬢さんよりブレイクを選ぶ、と。わたしが望むのは、ブレイクの円滑な運営なんですよ」
ファイの嗜好品である哀れな不幸と無様な騒ぎ。それを巻き起こしてくれるエリトを確保しておきたいだけじゃないのか。貸しを作って、言いなりにしたいんじゃないのか――ついそう疑ったタイジの尻に竹定規が炸裂した。
「どああっ! 幼児虐待反対っ……」
「その姿のどこが、幼児なんですか?」
「どこって、どこもかしこも……あら?」
見下ろすと長い指、大きな手。いつの間にかファイに近くなった目線。流れ落ちる長髪、ボタンがろくろく留まってやしないシャツ。お嬢が与えた、懐かしの十八歳仕様のタイジ。
タイジは自分でこの姿に調整することは出来ない。それが可能なのはただ一人――お嬢。
どこかにお嬢が……? 見回したタイジの目に入ったのは、足許で仁王立ちの――背はあまりに低いが精一杯ふんぞり返ったその姿からするに、明らかに仁王立ちのつもりらしいピンクパンサー・カメレオン、カレン。
「まさか……」
「……タイジがいじめられるんじゃないかと心配して、化けてついて来てみれば……っ!」
ぼわわん。カレンの姿は一瞬にしてお嬢になった。組んだ腕も、噛み締めた唇も、急角度の眉もぶるぶる震えている。タイジは額から一気に血が急降下していくのを感じた。記憶が戻っていることがバレたのだ。
「あっ。ど、どうもー申し遅れまして、不肖タイジ、戻って参りましたっ」
エヘッ……とタイジは笑いかけてみたが、対するお嬢は言葉もなく睨み返してくる。
「あっ。そうだ、お取り置きのピンクぱんつはいて来いよ、お嬢。どうせすぐ脱がすけどな、ははは……は」
作戦変更。と色目で迫ってみても、お嬢の眉の角度が一層きつくなっただけだった。
駄目だこれは駄目だわ。もうワニ園じゃ済まされない、間違いなくもれなく怒りの感電死行き。タイジは雷対策に、急いで金属のバックルのついたベルトを外し出す。
「……なぁに調子コイて脱いでんの、この嘘つきエロ下僕……」
地を這って足を凍りつかせる、低い低いお嬢の声。タイジの膝が笑い始めた。
「あっ。これは脱いでるんじゃなないのよ、お嬢。か、雷避けにと思って……!」
「……それで、会議室は跡形もなく焼失したんですか。タイジさんも相変わらず馬鹿だなー」
秘書室のカウチで、カイは呆れきって肩をすくめた。その向かいで、ファイは嘆かわしそうに眉間を揉む。
「巻き添えで、寿命借金契約書が燃えてしまって……今さら次郎ですが回収しておかなかったとはこのファイ、一生の不覚です。とほほ」
「こんなに悔しがってるファイさん、初めて見ました……」
そこへ、のしのしと大らかな足取りで、カーネルが姿を現した。
「やあやあ。日本支店のスシは噂通りのうまさだねえ。あの食堂を安定運営できるなら、やはり日本支店長はお嬢さんに任せておきたいものだ。……で、帰る前に挨拶をと思ってね、お邪魔するよ」
「あ、今はその……がっ!」
あたふたと止めに入ろうとしたカイの延髄に、竹定規の一撃がクリーンヒットした。立ったまま意識の飛んだカイに気付きもせず、カーネルは支店長室に入っていった。
しばしの静寂、やがて複数の入り乱れた叫び声。
そして勢い良く転がり出してきたカーネルの頬は、タイジと同じサイズの足の裏形で真っ赤に染まっていた。肉厚の掌で頬を押さえながら、老人はファイの足許に膝でにじり寄る。
「ななななっ何だ、あの狐目の男は誰だ! お嬢さんに長々言葉責めした挙句、激しいラブメイキングを……!」
ほう。と、ファイは眉を上げて好々爺、改め好色爺を見下ろした。
「長々デバガメしてらしたようで。残念ですねえ、覗きの噂が広まったりすればあなたの威厳はおじゃん、窓際族決定です」
腫れた頬をさすっていたカーネルはファイの涼やか過ぎる言葉に飛び上がり、その膝に抱きついた。
「ほ、本社には報告しないでくれ。そうだ、権限を強化してあげよう。日本支店長の下僕枠拡大でどうかね?」
「ノンノン。わたしを買収するおつもりとは……」
腕組みをし、憂い顔で人差し指を振るファイ。
「分かった、秘書にも寿命争奪イベント開催権を与えよう」
「まったく、情けなくて涙が出てくらぁ――」
「この先、日本支店長が何をしようが見逃すから! 本社の監査役として、君の望みは何でも融通しよう!」
その瞬間に日本支店の影の番長からブレイク本社の闇の総番にのし上がったファイは、高原を渡る風のように爽やかに穏やかに微笑んだ。
「取引成立です。おやおや、そんな恨みがましい視線は心外ですね。わたしはただ清く正しく美しく、ブレイクの平和と発展を――」
タイジ、五歳。精神年齢は遥か上。恋人お嬢、二十一歳。不治の病で昏睡状態。それでも彼らは自我を超えた無意識の世界で結ばれている。どんな状況下であっても、人は安寧の地を見出すことができる――それを夢物語と笑うか奇跡とするか、それは、その人次第。
::: 番外編 the end :::