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ブレイク  作者: シトラチネ
番外編
13/15

13. Break sweat ―冷汗―  罪と汗は魅惑の香り

::: 1 ::: break a law...犯罪的行為をする



 タリッタリ~タリ~タリッタリッタリッ、タリッタリ~ラリラリン。

 タイジの頭蓋骨は、ピンクパンサーのテーマソングのコンサート会場と化していた。お嬢の留守に支店長室に忍び込んだタイジ少年は、バナナの幹の裏から無人を確かめる。部屋ではお嬢のペットであるピンクパンサー・カメレオン、カレンがのんびり枝を揺らしているだけである。

「許せお嬢。残高を確かめたいだけなんだっ。三百年あるか知りたいだけよっ」

 本人に届かぬ言い訳は、罪悪感軽減の試みにすぎない。それを呪文のように呟きながら、がさごそとベッド脇のサイドボードや籐のチェストを探る。

 タイジの考えはこうだ。

 お嬢の寿命通帳に三百年以上あれば、タイジはすぐに債権放棄を要求できる。だがなければ、寿命借金百年を十日に一割の超暴利で返済しなければならなくなる。

 タイジが寿命を稼ぐために駆けずり回る無様な姿を見ては、腹を抱えて笑っていたお嬢だ。ついさっきファイが代行して締結した借金契約の内容を知ったら、寿命残高が三百年を越えないようにやりくりしてしまうに違いない。

 だから契約内容を知られる前に、契約破棄の書類に何とか言いくるめてサインさせてしまおうという算段だ。

 しかし通帳は見つからない。うーむと悩んでから、ふと思いつく。女は下着の奥に秘密のブツを隠すことが多いらしいではないか。タイジはウキウキとクローゼットを開けた。

「何だこりゃ、ピンクのフリフリだらけじゃねーか。パタリ○かアンタ」

 見た目がほとんど変わらぬ服を、ずらり何十着もそろえている国王。そっくりだわ。

 だ~れが殺した、と今度はパタリ○音頭を脳内で踊りながら捜索を続行するタイジ。不意に下着をかきわけていた手が、あまり表面積のない一枚を発見した。

「おい、このキワどいぱんつは何よ。殿下……じゃない、お嬢のヤツ、これはいてケツ出して寝たりしてたんじゃねえだろうなっ。カイはもう立派に発情期だぞ。誘ってるも同然――はっ」

 タイジの背中を、冷たい汗がタリ~ンと流れる。

 まさか。まさかお嬢のヤツ、俺がいない五年間にカイで欲求不満を解消してたりしないだろうな。暇つぶしの相手だけじゃなくて、もしや夜の相手までさせてないだろうな――タイジが青くなって棒立ちになっていると、がちゃりとドアの開く音がした。

「救援信号がここから発信されてたんですか?」

「カイも見たでしょー。なんか、借金苦で泥棒に入った先で恋人が寝取られてるのを目撃しちゃったみたいな、不幸の匂いプンプンな信号だったじゃなーい?」

「目が輝いてます、お嬢様」

 お嬢とカイだ。話し声が近付いてくる。タイジは棒から少年に戻り、慌ててクローゼットを閉め、ベッドの下にスライディングした。

「あふ。誰もいなーい」

 間一髪、至極残念そうなお嬢の声。タイジはほっとして、持っていた布で額の汗を拭いた。持っていた布で――お嬢のキワどいぱんつで。





::: 2 ::: break into a cold sweat...冷や汗をかく



 五歳児の少年が、盗んだぱんつを汗で濡らし、ベッドの下に潜んでいる。

 まずい、これはまずいぞ俺。お嬢に変態扱いされる。申し開きしようにも、通帳を探してたなんて口が裂けても言えない。記憶が戻ってるのがバレたら、さらにヤバい。何で黙ってたのよー、とワニ園にブラジリアンキックで蹴り落とされるのは間違いない。頼む、頼むから出てってくれ――タイジは念力が飛びそうな必死さで祈る。

「お戻りでしたか、お嬢さん。少し休憩なさっては? お茶をお持ちしますが」

「ありがとー、ファイ」

 タイジの意図とは逆に、念力でファイを呼んでしまったらしい。いやきっと蚊が汗に寄るように、ファイはタイジの冷や汗をかぎつけてくるのだ。そして甘美な他人の不幸を、ブランデーグラスを揺らすような優雅さで味わうのだ。

 タイジは音のない舌打ちをする。ファイは近くにいる人間の思考を聞くことが出来る。カウチの下に潜んでいたのを、その力で見抜かれてしまったばかりなのだ。

 逆に言えば、何も考えなければ見つからない。よし、無我の境地だ、俺。心を空にしろ。何も考えるな何も考えるな何も考えるな……って、何も考えるなって考えてる時点で無の境地じゃねーよー。タイジは泣きたくなってきた。

 今だけは見逃して、許してちゃぶ台。助けてポパイ。もうしません、絶対です、命賭けます。鳥肌を震わせつつ、タイジは死語連発でお願いしてみる。

「はい。何も考えず、ゆっくりなさって下さい」

 含み笑いしているのが見えるようなファイの台詞は、明らかにお嬢とカイでなく、タイジに向けられていた。

 サンキューベロマッチョ……とタイジが強制一方通行の思念を飛ばすと、ファイの足音が去っていった。

 ほっと息をついたタイジだが、その時、目線上にカメレオン・カレンがいることに気づいた。大理石の床を、おぼつかない足取りでまっすぐ向かってくる。まっすぐ、体を見事な婚姻色に染めて、つまり発情しつつ――タイジの手にするピンクのぱんつを目指して。

 一難去ってまた一難。

 違う、違うんだカレン、これはピンクパンサーカメレオンじゃない、ピンクぱんつだ。似てるけど違う。発情するな、ぱんつに発情するのは人間だけでいいのよ。

 カレンはぐりぐりよく動く目を、不信そうにタイジへと向けた。

 えっ、俺? いや俺は発情してないぞ、今は。今はな。コラ、いそいそと近づくな。俺が見つかっちまうだろうが――カメレオンと低俗なアイコンタクトを続けるタイジ。

 目力で押し返そうとにらんでも、ふーふーしてみても、またしてもタイジの意図とは逆にスピードアップして寄ってくるカレン。もう距離がない。タイジには本気で、カレンにファイが乗り移っているのではないかと思えた。

 ダメだ終わった、俺の新しい人生は痴漢と嘘つきの汚名で幕が明けるのだ――タイジが絶望しかけた時、お嬢ののんきな声がした。

「カレンちゃん、枝はこっちー」

 タイジの鼻先から、お嬢の手がカレンをさらっていった。気づかれずに済んだらしい。タイジは安堵に脱力し、ついついまたお嬢のぱんつで額を拭う。そこへ、今度はカイの不思議そうな声。

「お嬢様、どうしたんですか? 顔が赤いで……す」

「カイ……」

「おじょっ……」

 ノオオオオオッ。タイジはベッドの下でムンク「叫び」の顔になる。

 そうだ、発情したカレンに触ると、お嬢は発情をうつされるんだった。間違いなく今、ソノ気になっている。

 二難去ってまた一難。

 お年頃カイと二人きり。恋人の長い不在。開放的ムード満点の、南国リゾートの天蓋つきベッド。上司と部下禁断の、だからこそ魅惑的な恋の香り――



「お嬢さん、お茶が入りましたよ。カイもどうぞ」

 おおっファイ、ありが十匹。ぎりぎりセーフよ。お嬢とカイがニャンニャンしちまうところだったわ――タイジがベッドの下から飛び出しかけたところへ、ファイが戻ってきた。

「あっありがとうございますぅ」

 妙に甲高く上ずったカイの声。スケベなこと考えたな、後でシメてやる。タイジはぎりぎりと奥歯を噛む。

「……タイジは?」

 ぽつん、とお嬢が呟いた。ベッドの下から見えるピンクのピンヒールは、爪先でぶらぶらと揺らされている。

「姿は見えませんね」

 絶妙に危ないことを言うファイ。

「ふうん」

 はうっ。興味なさげな返事を装うお嬢がいじらしくて、タイジは吐息だけでジタバタする。

「どうしたものでしょうね。お嬢さんの涙で枕がカビたというのに」

 なにっ――タイジの耳がダンボになる。

「カビてないもーん」

 泣いたことは否定しなかったぞ。あああお嬢泣いたのか、寂しくて泣いたのか。

「言い寄ってきたハンサムボーイをひっぱたいて、あたしは可愛くない子が好きなのってタンカ切ってましたね」

「ひっぱたいたんじゃなくて、足蹴にしたんだもーん」

 アホウめ、お嬢に言い寄ったりしたら、命がいくつあっても足りない……って俺もか。可愛くない子が好きなのって、さすがワニやカメレオンを愛する変わり者……って俺か、可愛くない子って。子って何よ、そりゃ今は五歳児だけど。

 いやいや大事なのは、お嬢が浮気しなかったってことだ。俺ってば五年もいなかったのに。五年あったら二万千九百回、ホテルでご休憩できちゃうんだぞ。ウルトラマンを八十七万六千回呼べるんだぞ。

「お嬢様っ」

 ガタンと椅子が大きな音を立てる。いきなりカイが思いつめたように叫んだ。

「タイジさんはもう……あぢぢぢぢぢぢぢーっ」

「およよ、すんまそーん、手が滑ってしまいました」

 ばしゃー、と派手な音がして紅茶の雨が降っている。見かねてタイジの記憶回復を白状しようとしたカイに、ファイの強制的口封じが執行されたようだ。

「あはは、熱そうな感じ出てたー」

「熱いんです!」

 笑ってるよ。楽しそうだよ。やっぱ下僕は、債務者の立場はいかん。何をさせられるかわかったもんじゃないわ。ウンウンと頷いていると、ファイのおっとり穏やかな声がした。

「いいんですよ、お嬢さん。そのハンカチは、カイの紅茶を拭くためにあるんじゃありません」

「え」

「枕にキノコまで生えたら困りますからね」





::: 3 ::: break a spell...正気に戻る



「タイジ?」

 ずりずりとほふく前進でベッドの下から這い出したタイジに、お嬢はあんぐりと口を開けた。

「えっと」

 タイジはモジモジ正座してうつむく。

 俺ってば、お嬢が五年も待っててくれたのに何やってんだ。借金契約で頭がいっぱいになって、こそこそ隠れたりして。二人がクビにならないためだと説明すりゃ、お嬢だってわかってくれる。エリト危機が去ったら、すぐに債権放棄してくれる。それを疑ってんだ俺。情けない――タイジは唇を噛む。

 記憶が戻ってるって、ビシッと話そう。好きだ、一緒にブレイク守ろうって言おう。ファイやカイとも協力して、エリトの魔手からこのオアシスを死守するんだ。俺たちなら出来る。

「ごめんね、魔が差しました」

「ふうん……」

 お嬢がゆっくり足と腕を組む。良くない兆候だ。と思いつつ、タイジはお嬢の滑らかな腿とスカートの隙間のなまめかしい競演を盗み見たりしてみる。

「潔く自供しに出てきたのは、認めてあげてもいーかな」

 あぁ、大津波が来る前に潮が引くのは、こんな感じなんだろうな。タイジにはやけに静かなお嬢の口調が、地獄の門が開く音に聞こえた。

「でもよりによって、そのぱんつは許せなーい。タイジ帰ってきたらはこうと思って、お取り置きしてあるのに。他のだったら、雷一発で許してあげたかもねー」

「えっ?」

 お嬢の冷たい視線を追ってみると、終点はタイジの手の中のピンクぱんつであった。タイジはそこでようやく自供というのが記憶回復の隠蔽でなく、ぱんつ窃盗で誤解されていることに思い当たる。お嬢はタイジの記憶が戻っていることに気づいていないのだ。

 レンデンレンデンレンデンレンデン、とジョーズ接近中の効果音とタイジの鼓動が同調しだす。

「これは……これは違う」

 すーっと、お嬢の目が半分の細さになった。おもむろに立ち上がって、雷雲を呼ぶ人差し指を立てる。その姿はまさに、天上天下唯我独尊。無意識界の神様が判決を言い渡した。

「ギルティ」

「ほんとに違っ……」



「あなたっ。タイジが白目剥いてますよっ」

「なにっ、引きつけか? 寝ていて気絶するなんて」

「ここ数日、おかしな夢ばかり見るらしいんですよ。ジャングルの神様の奴隷にされたとか。幼稚園でいじめられてるのかしら」

 叩き起こされたタイジ少年はその夜、なぜか眠ることを断固拒否したという。



 タイジ、現在五歳。借金、百年。利息、複利で十日に一割。彼の債権放棄要求が受け入れられる日は来るのか。はたまた、完済できる日は来るのだろうか――。


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