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ブレイク  作者: シトラチネ
番外編
12/15

12. Break is over ―復帰―  休憩はもうおしまい

::: 1 ::: break into a grin...突然ニヤリと笑う



「君は五歳で死ぬ運命なのだ」

「えー、やだ。なんで?」

 カタカタカタカタ、とピンクのピンヒールが小刻みに大理石を打っている。タイジ少年はそのヒールが自分を踏みつけるのではないかという生々しい予感、いや既視感に近いものを察知して、また一歩後ろに下がった。

 ここは集合的無意識界に設立された悩み事相談所ブレイク日本支店、支店長室。ジャングルの小道を抜けると忽然と現れる大理石の床に、巨大な天蓋つきベッド。その脇で、お嬢とタイジはにらみ合っていた。

「あたしが九十年あげるって言ったのに、君が断ったんだからね」

「バッカじゃないのー」

「だから断ったのは君だってば!」

「そんなの、しらないもん」

 この何日か不毛に繰り返された会話に、タイジ少年はすっかり嫌気が差していた。死にたくなければ働けと言われても、命の期限が迫っている実感など爪の先ほどもない。しかも近付くなりタイジをひと飲みにした白いワニを散歩させろ、ときた。少年にとっては、死にたくなければ死にに行けと理不尽を言われているのと同じである。

 ぶーと頬をふくらますタイジの向かいで、お嬢はああもう、とふわふわ茶髪の豊かな頭を振った。

「下僕になるって約束したでしょー!」

「やっぱやめとく」

「やめらんないの。やめる権利はないのー!」

 問、五歳児が不満を募らせるとどうなるか。答、走って逃げ出す。タイジはくるりと背を向けると、秘書室のドアめがけてダッシュをかけた。

「もうやだ、かえるーっ!」

「タイジのわからずやーっ!」



 と逃げ出してみたはいいものの、タイジ少年は家に帰る方法を知らなかった。この数日、気が付くとここへ来ていて、気が付くと家の布団にいるのだ。どうにか家に帰ろうと周囲にいる人間に「みどりようちえん、どっちですか」「くりつこうえん、しってる?」などと聞いてみても、いつも「ここにはないんだよ」と諭されるばかりである。

 仕方なく秘書室でブラブラする羽目になる。しかし話し声と足音が近付くのを耳にして、タイジは急いでカウチの下に潜り込んだ。そう、理由は不明だが、なぜかタイジ少年に底なしの恐怖を抱かせる竹定規。その使い手である外人が、丸眼鏡少年を伴ってやって来たのだ。

「もうすぐエリトさんがいらっしゃる時間ですね」

「えー、監査役室の威張った人? ボク、あの人苦手です。何の用なんですかー」

「もちろん、タイジさんの件ですよ」

 自分の名前が出て、幼い潜伏者はピクリとする。

「このままじゃまずいですよね。働く気になる前にタイジさんの寿命が来てしまったら、シャレになりませんよー」

 かと言って安易にタイジさんに寿命を与えたら、ブレイカーの反感を買ってしまう。貸し付けても、寿命が残り少ないとわかっていないタイジさんは働かない。これまた社内に言い訳がきかない。しかし働く気になるのを待っていたら、寿命が来てしまうかもしれない――と話がふりだしに戻るのを、タイジは床に這いつくばりつつ聞いていた。

「お嬢さんもすっかり不安定です。社員の間ではノーモア・ママチャリ、と銘打った署名運動が起きているとか。もしまたブレイクが消失したら、今度はラッタッタにしましょう」

「不評だったのは自転車じゃなくて、交通安全ってでっかく書かれた白ヘルですよね?」

 カウチの下で身を縮めるタイジの目の前で、磨かれた革靴が歩みを止めた。

「前回はタイジさんが一応働いていましたから、無茶な下僕契約でもまだお目こぼししてもらえました。けれど今回は分が悪いようです。この採用は規定違反だ、責任を取って支店長を辞めろとか、エリトさんはハッスルして下さるでしょう」

「うえー」

 五歳児タイジには、ファイの発言を完全には理解できなかった。それでも話の流れとカイのいかにも嫌そうな口調から、自分が困った事態を引き起こしているらしいことはうすうす感じられた。

 わるいことしてないのに、またおこられるのかな――タイジがそう考えた瞬間、すぐ近くにあった大きな革靴の爪先が、ついと驚いたようにタイジの方へ向き直った。

 しまった、みつかっちゃったかな。息を詰めるタイジ。

「どうかしたんですか、ファイさん」

「いえ、何でもありません」

 答える革靴の主の声は、急に楽しげになったように聞こえた。





::: 2 ::: break him into fits...散々やっつける



「相変わらずだな、ここは。蒸し暑い、騒がしい。この非建設的な環境は、社員の士気に悪影響を及ぼすんじゃないのかね」

 お嬢様は仮眠してらっしゃいます。というカイの言葉を聞いた途端に、エリトの嫌味が始まった。もっとも、「追い返しちゃいなさーい、M型ハゲがシラ子にうつる!」などと秘書室中に響き渡る大声で居留守を使われれば、嫌味の一つも言いたくなるというものだ。

 オールバックのエリトがそのMの山すそをピクピク震わせているのを、タイジはそっと覗き見た。

「お言葉ですがエリトさん、日本支社の成績は世界中でも指折りの――ふんぬっ」

 不服を申し立てようとしたカイの爪先に、竹定規が沈んだ。目と鼻の先でそれを目撃してしまったタイジは、その痛みを実体験したことがあるような激しい同情を覚える。

「いえいえ、おっしゃる通りです。ええ本当にチョベリバな労働環境でまいっちんぐ。やる気ナッシング。わたしはもう、モーレツにデューダしたくて仕方ないのです」

 あれ、とタイジは意外な展開にぱちくりした。竹定規で神様、すなわちお嬢への忠誠を誓わせたファイが、お嬢を裏切るようなことを口にしているのだ。

「ほう、君はやっと自分の愚かさを自覚したようだな。秘書室長に愛想を尽かされるとは、いやはや、日本支店長も落ちたものだ」

 エリトも驚いたようだったが、味方登場が嬉しいらしい。ソファにどっかと腰を据え、得意気に高く脚を組んでいる。

「お聞き及びでしょうがお嬢さんは以前にモーションをかけていた、タイジというとっちゃん坊やを再雇用なさいました。下僕の意味も知らない彼を、口約束で拘束しています。彼には就労の意志など、抜け落ちた髪の毛一本ほどもありま――おっと失礼、これっぽっちもありません」

 髪、というところで、エリトの眉がピクリと反応している。その不機嫌指数が急上昇していくのは、少年タイジにもありありとうかがえた。

「日本支店長としての責任を監査役会にかけねばなるまい。非生産的な熱帯雨林。公私混同で社員の士気を乱すズサンな経営。暴言、傲慢、職務怠慢!」

 拳を振り上げてエリトが熱く語っている。

「五年前に日本支店消失の失態を犯した時点で、クビにすべきだったのだ。くだらん男一人に惑わされて、大勢の社員を死なせるところだったんだからな!」

「もちのろんです。あのアベックはアバンチュールに大フィーバーで、わたしなどてんてこまいでmk5でした」

「ぬ……ぬぬ……」

 カイの足先が継続してウリウリされているのを、タイジはじっと見つめていた。小さな拳がぎゅうと握られる。

「まったく非常識もはなはだしい! 子供のお遊びで経営されては困る。君たちはよくも、あの馬鹿娘につきあえたものだ。安心したまえ、私が日本支店長になった暁には、最先端の経営理論に即した合理的手法で利益を追求――」

「なんだよーハゲ!」



 カウチの下から飛び出したタイジは、その勢いのままエリトにタックルをかました。

「このハゲハゲハゲハゲはげちゃびん! おじょうのわるくちはゆるさない! おじょうは、なまえくれたんだから。かみは、このよでいちばんだいじなんだっ」

「なっ、何だ君は、離したまえっ。それに髪のことを言うのはやめんかっ」

 タイジはお嬢を神様だと誤解させられている。エリトがそう知る由もない。

「ゲボクくらい、しってるもん! おじょうをいじめるな! なんだよー、おじょうが、お嬢がどれだけ頑張って支店長やってきたか、知りもしねえでくっちゃべりやがって」

 少年らしからぬ気迫で、タイジはエリトのネクタイを締め上げる。ぐええ、と鶏の断末魔のような悲鳴が上がった。

「ああ、お嬢はアホよ。それも救いようのないアホだ。だけどな、それを俺以外のヤツに言われるとムカつくんだわ。軽くシメ殺したくなるね。あぁでも無意識界じゃ死ぬこたねえから、安心して死んでくれ」

「ぐ……ぐううう」

 エリトの顔が赤黒くむくれていく。だがじたばたと苦しげに振り回される手足は、タイジ少年を捕まえることができずに宙をかく。息苦しさと恐怖でエリトが涙目でも、頭に血が昇りきって戻ってこないタイジは容赦しなかった。

「カイ、バリカン持って来い。罪滅ぼしにつるっぱげになっちまおうよ、エリトさんよ。そしたら二度と髪のことなんぞ気にする必要ないわけよ。んー親切だな、俺」

「ぐう! ぐぐっぐうーっ」

「おいカイ、早く持って来い。違反者狩り用の鎌でもいい……」

 バリカンの不着にイラついて、タイジは後ろを振り返る。そこには喉の奥まで見渡せるほどパッカリ口を開いたカイと、にこにこしているファイ。

「……ん?」

「ぐぐぐぐっ……ぐ」

「……んん?」

 首を傾げるタイジに、ファイがひらひらと手を振った。

「おかえりんご、瞬間湯沸かし器・タイジさん」





::: 3 ::: break is over...休憩はもうおしまい



「クビだっ! おまえのような暴力不良少年は、今すぐ! この場で! ただちにクビだ!」

 襟元にくっきりついた赤いあざをさすりながら、エリトが吠える。唾が降ってきそうな至近距離だ。神経質に上ずったかすれ声で怒鳴られて、タイジは面倒そうに耳へ小指を突っ込む。

「俺、明日にでもポックリかもしれねーんだけど、いいの? いたいけな少年の前途を絶っちゃっても」

「どのツラ下げていたいけなんだ!」

「このツラ」

 べー、と舌を出すタイジ。エリトは血走った目でギラギラとタイジを見下ろした。

「会議にかけてやる。おまえも支店長もクビにしてやる。後で泣きついても知らんぞ!」

「アハ。それって、今泣きついたら許してくれるってこと?」

 がふがふ、とエリトが空気を噛むのを、タイジ少年は完全に馬鹿にした顔で見返す。

「許さん。断じて許さんっ」

 フンッと鼻から息を吹き出すと、エリトは足音高く出て行った。けったくそ悪い、とぶつくさ言いながらタイジはカウチにふんぞり返った。

「あいつまだ支店長になるの、諦めてなかったのか。五年も監査役室にいる時点で昇進コースから外されてるって気づけよ、哀れだわな。カイ、塩だ塩。たっぷりまいとけ……なにヨロめいてんのよ」

「……どこから見ても五歳児の少年から出てくるスレた発言に、三半規管を攻撃されてて……」

「まあまあ」

 ぽんぽん、とファイがなだめるようにカイの肩を叩く。

「もっと驚いてくれる方が残っているじゃあーりませんか?」

 薫風のように爽やかなファイの視線を追って、カイの目は支店長室にたどり着く。カイはぱっと丸眼鏡を輝かせた。

「そうですね、タイジさんの記憶が戻ったこと、お嬢様に早速お知らせ……」

 駆け出そうとしたカイだったが、その場で派手にもんどり打った。ファイの竹定規がさりげなく進路を妨害したようだ。

「こんな楽しいイベントを、みすみすおシャカにしないで下さい」

 口調こそ丁寧だが、カイを見下ろすドライアイスな碧眼からは「余計なことすんじゃねーぞ」のスモークがあふれ出している。タイジは怯えきった同志・カイを、五歳児の非力ながら引っ張り起こしてやった。

「やっぱおまえが影の番長だわ……」

「何をおっしゃるウサギさん。感動の再会を演出してさしあげようという、涙チョチョ切れる親心ですのに」

「ファイー、タイジに寿命貸すことにしたから。今は無理。話がわかる年齢になったら、また迎えに……何やってんのー?」

 いきなり支店長室からお嬢が出てきて、タイジはファイの長い脚に蹴り倒された。ソファの背でお嬢からは見えない場所に、足先でねじ込まれる。タイジは革靴の先でぐいぐいと顔を変形させられながら、顔と足とでこうも人格が違うやつもそういるまいと思う。

「エリトさんにはお帰り願っておきました。タイジさんの借金の手続きはお任せ下さい」

「サンクス。カイ、バス回して。だいじょぶー? 何かフラフラしてなーい? ちょっと散歩でもしてきたら」

「そう言って地雷原を歩かされたのを、ボクは一生忘れません……」

 タイジが留守している間に、カイがお嬢の暇つぶしにされていたらしい。タイジはこのままソファに埋もれていた方が幸せなんだろうか、と悩んでみたりする。

「カイをいじめても楽しくないんですよ、タイジさん。カイは屈辱に歪んだ顔をしてくれませんからね」

 ぺろん、とタイジの頬から靴底を引きはがして、ファイは涼やかに笑った。



「おい。本気なのかこれ」」

「当たり前田のクラッカーです」

 お嬢とカイが仕事に出かけ、秘書室にはファイとタイジ少年ふたりきり。ファイが差し出した寿命借用書に、タイジの目が皿になる。

「貸出寿命年数、百年。利率、十日で一割って……そんなバナナっ。十日ごとに借金が十年増える計算だぞ! 過労死したって払えるか!」

「無意識界では過労死できませんので、ご安心を。ああそれからお間違いなく、単利ではありません。十日後の借金残高は百十年に。二十日後にはその百十年の一割が加算されるので、百二十年でなく百二十一年どぇーす」

「余計悪いわ!」

 ビシ。と鋭い音がした。額を竹定規で打ち据えられて、タイジは声もなく痛みにのたうつ。

「エリトさんは本気で、お嬢様とタイジさんをクビにしにかかってきますよ。あれでも監査役ですからね、我々は劣勢です。生き残るには、これしかありません。よくご覧下さい」

 遠ざかろうとする意識を無理矢理たぐり寄せて、タイジは借用書にボケた焦点を合わせる。反応が遅れれば第二弾が繰り出されるのは、たとえ意識が遠ざかっていても体が覚えている。

『ブレイク日本支店長は自身の寿命残高から、タイジに寿命百年を貸し付ける。利率は十日に一割とし、利息は全額、寿命基金に寄付するものとする。ブレイク日本支店長はタイジがこれを完済するまで、タイジのブレイク日本支店での就労を義務付ける』

「お嬢じゃなくて、ブレイク日本支店長ってしつこく書いてあるのは何でよ」

「ブレイク日本支店長との契約なので、仮にお嬢様がクビになってもこの契約は有効なんですよ。タイジさんがクビにされることはありません」

 就労を義務付ける、という部分をなぞりながらファイが解説した。

「でも、お嬢のクビは危ないままじゃん」

「エリトさんは寿命を稼ぎに来ているブレイカーではなくて、雇われ管理職なんですよ。給料は歩合でなく定額制、寿命残高は十年もないでしょうね。エリトさんが支店長になってもタイジさんに百年を貸し付けるのは不可能なので、こちらは契約不履行で支店長責任を追及できます」

 竹定規が自身の寿命残高から貸し付ける、という文を示した。

「エリトさんがどうにか借金で百年をかき集めて契約不履行を免れても、タイジさんから支払われる利息は一秒たりともエリトさんには渡りません。エリトさんは自分の借金とその利息の支払いに追われることになります。あのタカビーな性格ではブレイカー業務を始めても、稼げるとは思えませんね」

 それから、とファイは文面の続きへ定規を滑らせる。

『タイジは、ブレイク日本支店長自身の寿命残高が三百年を越えないうちは、債権放棄を要求できない。また財産保護のため、ブレイク日本支店長側から債権放棄を提案することはない』

「つまりエリトさんから債権放棄して契約を打ち切り、タイジさんをクビにしようとしてもできないのです。タイジさんから債権放棄を要求させるには、エリトさんは三百年を用意しなければなりません。恐らく不可能でしょう。ですがお嬢さんなら寿命富豪ですから、ダイジョーV」

「そうか、お嬢なら三百年の残高があるんだな」

 一見ただの借用書が実は、お嬢とタイジの解雇およびエリト日本支店長就任を阻止する強力な材料になるのだ。さすがブレイクを体を張って守った男、やっぱりファイは頼りになるわ――タイジは感心して呻いた。

「さ、エリトさんが監査会議の召集などかけないうちに、サクッとサインしてちょんまげ」

「あいよっ合点承知の介!」

 タイジは元気良くサインする。それを受け取り、ファイはにっこりした。非常に満足げに、にっこり――タイジの胸に不安を呼び起こすほど、にっこり。

「……エリトが支店長にならなかったら、それはお嬢と俺との契約になるんだったな?」

 借金をネタにありとあらゆるヨゴレ仕事をさせられた記憶が、タイジの脳裏に押し寄せてきた。エリト危機を脱したらすぐに契約破棄してもらわねば、俺の待遇は今まで以下――タイジはガシッとファイにすがりついた。

「お嬢の寿命残高は三百年、あるんだよな?」

「ん~どうでしょう?」

 ノオオオオオオ、という絶叫がジャングルに響き渡った。



 タイジ、現在五歳。借金、百年。利息、複利で十日に一割。彼の債権放棄要求が受け入れられる日は来るのか。はたまた、完済できる日は来るのだろうか――。


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