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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
おでかけ
9/30

決着

 血を吸われた少女は、まもなくして息を引き取った。食堂を満たすのは、すすり泣く声だけだった。空気は鬱々として、更に重みを増していった。

 冬夜の隣で西浦も泣いていた。何でこんなことに、と西浦は小さく零す。冬夜は何も言えなかった。

「これから一体どうなるんだよ……」

 一人の男子が呟いた。その一言が、一瞬で食堂内に広がる。恐怖の伝播は早った。騒ぎは徐々に大きくなってゆく。このままでは収集がつかなくなると感じた冬夜は、先手を打つ。

「耳を塞いでてくれ」

 西浦や聞こえる範囲に冬夜は言った。意味が分からないと視線を向けられるも、西浦や数人が冬夜の指示通り耳を塞いだ。

 冬夜は大きく息を吸う。一寸だけ息を止めて、次の瞬間、音と共に全て吐ききった。

「黙れ!!」

 僅かに声が掠れた。それでも食堂に響きわたった冬夜の声は、充分なボリュームだった。

「焦ったって仕方ないだろ。落ち着け」

「人が死んでるのに、落ち着けるわけないだろ」

「だったら、ずっと取り乱して判断を誤って死ね」

 生きたいなら、黙って考えろ、と冬夜は最後に付け加えた。それで充分だったのか、食堂内は幾分か静かになった。

「お前らは、じっとしてろ」

 それだけ言い残して、冬夜は食堂を後にした。もはや教師の制止は無かった。

 武器が必要だ。冬夜はあちこちを回って武器になりそうな物を探した。まずは先ほど吸血鬼と対峙した場所に戻り、天井に刺さった刃を見つめた。近くにあった棒を拝借し、冬夜は跳ねながら、刃を叩いた。あまり深く刺さっていなかったため、三回ほど叩くと落ちてきた。それを受け止めて、とりあえずは安堵の息を漏らす。

 しかし一本だけでは、あまりに心細い。他に無いかと冬夜は本館を抜けて、倉庫に向かった。中にはマリンスポーツの用具があり、海水独特の臭いが充満していた。櫂がいくらも並んでいた。重量はそこそこあるものの、一撃必殺にはなりにくい、と判断し、冬夜は手放した。

 更に奥に進むも、これと言って目を引く武器は無かった。

 倉庫を出て、冬夜は本館に戻った。絶対に何かあるはずだ。冬夜は本館にある物置部屋などを探した。一階のフロアを回って、それらしき部屋を見つける。許可を取る必要も無いだろう、緊急事態なのだから。冬夜は迷うことなく扉を開けた。

 バケツ、モップなどの掃除用具が目についた。それらを蹴って、更に奥へと進む。草刈りの鎌があった。錆びているものの、殺傷性は高い方だろう、と冬夜は手に取った。そこで更に別の物が視界に飛び込んだ。冬夜は一瞬固まり、それを見つめた。まるで隠された勇者の剣を見つけた時のような高揚が冬夜の中で渦巻いた。

 冬夜はそれを手に取る。鉈だった。刃渡りは三十センチ無い。しかし今まで冬夜が使ってきた刃とは比べるまでもない。鉄独特の光沢があり、錆びはなかった。片手で扱うには少し重い。他の武器と組み合わせることはできないだろう。冬夜は錆びた鎌を放り捨てた。

 鉈を手に、冬夜はしばらく物色を続けた。しかし、それ以上は武器になりそうな物を見つけることができなかった。

 鉈があれば充分だろう――冬夜は部屋を出て、食堂に戻った。扉を開くと、時間が止まり、同級生の視線が注がれる。僅かに悲鳴も聞き取れた。

 それを無視して、冬夜は自分の席に向かった。そこに腰を下ろして、目を瞑る。鉈は椅子に立てかけておいた。

 瞼の裏に浮かび上がったのは、赤くてらてらと光る吸血鬼の姿だった。勝ち誇ったかのような笑い声まで脳内再生される。夢見が悪くなりそうだった。


*


 トイレ以外に勝手な行動を取ることは許されなかった。また、トイレに行く際も集団で向かうことになった。

 残った教師陣は、辛うじて繋がる携帯電話で本土と連絡を取ったらしい。一時間後には数名の警官がやってくるそうだ。しかし、吸血鬼、化け物と説明しても警官は鼻で笑った。教師は怒り狂い、携帯に向かって怒鳴っていた。

 その声に反応して、一度だけ冬夜は目覚めた。俊敏な動きで鉈を握り、周囲を見渡すも、赤い姿はどこにもなかった。隣の西浦に「落ち着いて」と涙声で言われて、冬夜はようやく鉈を下ろした。

「警察が来てくれるんだって」

 少し希望が見えたのか、西浦の声は明るい。食堂に広がる喧噪も幾分か軽くなっていた。しかし冬夜は不機嫌そうに舌打ちを漏らす。敵め、と憎々しげに呟いた。

 吸血鬼も敵、警官も敵――何だか敵だらけだった。

 それからの一時間は非常に長かった。何度時計を見ても、針は進んでいない。あの時計は止まっているのではないかと疑った瞬間、分針が僅かに動いた。

 先生が引率して、数名がトイレに向かった。しばらくして無事に帰ってくるのを、冬夜は横目で見ていた。

 あと五十分――隣の西浦が呟いた。どうやら一時間をカウントしているらしい。

「そんな時間ジャストに来ないぞ」と言ったら、西浦は不機嫌そうに頬を膨らませた。フォローのために「早いかもしれない」と告げると、西浦は少し安心したように口元を弛めた。

 二十分が過ぎて、再びトイレに行く者が現れた。他にいないか、と教師が呼びかけると、何人かが立ち上がった。緊張のせいか、ほぼ十分置きに、誰かがトイレに行きたい、と手を挙げた。

 三十分が過ぎた。この時も、やはりトイレに向かう者が現れた。その隊列を横目で見やり、冬夜は小さくため息をついた。

 このまま警官の到着を待っていれば、問題は解決するのだろうか。冬夜の中で疑問が渦巻く。冬夜は、拳銃を撃ち慣れない日本の警官と吸血鬼の対戦を想像する――吸血鬼の圧勝だった。

 やはり自分で何とかするべきだ――結論にたどり着いたと同時に、何回目か分からない悲鳴が響きわたった。それに反応して、冬夜は立ち上がる。

「南雲くん!」

 西浦は冬夜の服を引っ張った。服の裾を掴んでいる手が僅かに震えている。

「退治してくる」

「で、でも!」

 西浦は不安そうに冬夜を見つめる。冬夜はやんわりと微笑んで、西浦の頭を撫でた。

「俺を信じろ」

 西浦は何か言いたげに口を動かすも、冬夜の裾を離した。それと同時に冬夜は駆け出す。右手には鉈が握られていた。

 勝手な行動をするな、と教師の言葉が響く。それを無視して、冬夜は食堂を出た。血の臭いが酷かった。今までにない濃度の臭いに、冬夜の脳髄が痺れる。瞳に凶悪な光が宿り、口角がつり上がった。

 角を折れ、すぐにトイレが見える。その前に一人が倒れていた。それを飛び越えて、冬夜はトイレに飛び込んだ。トイレの床一面に血が広がっていた。そこの中央に三人の男子が沈んでいる。首には、ぱっくりと赤い口が開いていた。

 恐らく吸う手間を省くために、切り裂いたのだろう。しかしトイレの中に気配は無い。僅かに痙攣している男子がいるだけだった。あれは助からない、と割り切って、冬夜はトイレを出た。

 隣の女子トイレも覗くと、ここも死体が転がっているだけで吸血鬼の気配は無い。

「おかしい」と呟き、冬夜は上下左右を見やった。しかし、そこに赤い姿はどこにも無い。

 冬夜は集団で行動していれば安全だと考えていた自分を呪った。吸血鬼の戦闘力を把握しておきながら、何故そんな楽観的に考えることができたのだろうか――歯を食いしばって、壁に手を叩き込んだ。その音が静かな廊下に響いた。

 しかし連続して悲鳴が上がる。食堂の方だった。まさか、と冬夜は駆け出すも、血に濡れたスニーカーが滑り、出遅れた。食堂の方から漏れてくる騒ぎは酷い。もし吸血鬼による大虐殺が行われていたら、と思うと、冬夜はぞっとした。恐らく理性など一瞬で吹っ飛ぶような光景になっているだろう。

 冬夜は扉を蹴るようにして食堂に飛び込んだ。しかし悲鳴は既に止み、すすり泣く声が響いていた。ぱっと見て、人が減っているようには見えない。冬夜は僅かに息を吐いた。

「な、南雲……」

 クラスメイトの女子が泣き崩れながら、冬夜にすがりついた。どうした、と冬夜は尋ねる。

「かなみと彩香が……」

 連れ去られた――彼女は、そう言った。


*


 僅かに時を遡る。

 悲鳴の後、冬夜が食堂を出たのを見計らったかのように、赤い影が舞い降りた。食堂のど真ん中に降り立った赤い異形を見て、誰もが首を傾げた。ただ、吸血鬼の姿を目撃している数名だけが悲鳴を上げて、椅子から転げ落ちた。

 その悲鳴を聞いて、ようやく空気が動き出す。次々と悲鳴が上がり、吸血鬼から少しでも離れようと足を動かした。しかし例外も存在した。

 吸血鬼が着地した机に座っていた四名だ。西浦を含め、すべて冬夜のクラスメイトだった。あまりにも唐突に現れた吸血鬼に対し、恐怖を抱くよりも驚いてしまった四名は、ただ呆然と吸血鬼を見上げている。

 やがて吸血鬼が一人の少女に手を伸ばした。彼女の名は橘 彩香――クラスだけでなく、学年で有名で綺麗な少女だった。

 吸血鬼の腕が橘の首に伸びてゆく。そこで、ようやく橘は動いた。しかし後ろ向きに派手に転んだ。それでも必死に床を這い、吸血鬼から距離を取ろうとする。

「い、や」

 吸血鬼の手が橘の襟を掴んだ。ひょいと引っ張って、橘を脇に抱える。その瞬間、橘の悲鳴が食堂内に響きわたった。

「待って」

 そんな吸血鬼から距離を取ろうとせず、西浦は言った。

「その子、置いていって」

 私が代わるから――西浦は青い顔で、ガタガタと震えながらも言いきった。

「ふうん……変わり者が多いんだね」

 鬼っぽいのもいるし、と吸血鬼は小さく零した。

「左手、まだ空いてるからさ」

 西浦をひょいと持ち上げ、脇に抱える。結局、二人とも捕まった。そして、そのまま吸血鬼は疾走した。本館を抜け、森を走り抜けていく。西浦と橘の二人を抱えて走るにしては速すぎる――かなみは過ぎゆく景色と遠ざかる光を見つめながら思った。

「……凄い」

「え?」

「いや、私たちを抱えて、こんなに速く走れるんですね、吸血鬼って」

 いつしか、西浦の声から震えは消え去っていた。

「あの……君さ、僕に連れ去られているんだけど」

「あ、そうでしたね」

 吸血鬼の常識的な突っ込みに、西浦は頬を赤くして笑った。

「雰囲気が南雲くんと似てるからかなぁ、何だか変な感じなんです」

「そんな変わった人の子がいるのかい?」

 吸血鬼は冬夜の名前を知らない。そのため、人の子も変わったのが増えたんだな、と純粋に思った。

「うん、かなりの変わり者なんですよ。それに、とても強いんです」

「強い?」

 まさか、と吸血鬼は思う。

「ハサミを分解したような武器を使う子?」

「あ、そうです。知ってるんですか?」

 吸血鬼は頷いた。その瞳が鋭い光を宿す。それを見て、西浦はぞっとした。

「……同類だと思ったのに」

「え?」

 何でもない、と吸血鬼は首を横に振った。ふと横に視線を向けると、彩香が泡を吹いて気絶していた。

「あの」

 西浦は尋ねる。

「私たちを殺すんですか?」

「……いずれは、そうなると思う」

 ただ、と吸血鬼は続けて言う。

「君らは保存食だ。しばらくは生きれると思うよ」

 保存食、と復唱し、西浦は顔を引きつらせた。

「共存できればいいんだけどね。生憎、この島は食料が豊富じゃない。だから加減して血を吸っても、だんだん弱って死んじゃうんだ」

 聞くんじゃなかった、と西浦は後悔した。しかし死がすぐ待ち構えているわけではないので、少し安心した。

 しばらく走り続けると吸血鬼は速度を緩めた。僅かに息が荒れているものの、二人を抱えた状態での凄まじい運動量に感服する。絶対に逃げられそうにないなぁ、と西浦は苦笑を漏らした。

 やがて木々の合間に建造物の姿を捉えた。もっと近づくと、それが神社であることが分かった。小さいながらも鳥居があったのだ。更に近づくと、神社は今にも崩れそうなほど、ボロボロであることも分かった。

「悪いけど、ここにいてもらうよ」

 廃墟の中に似つかわしくない分厚い鉄の扉があった。西浦と橘は、そっと置かれた。紳士だなぁ、と西浦は連れ去られているのに場違いな感想を抱く。

「じゃあね」

「え、ちょ――」

 ばたん、と扉が閉まった。一切、光が入ってこない空間は、自分の手すら見えないほど闇は濃い。どことなく、すえた臭いが鼻をつき、西浦は顔をしかめた。

 急に不安になり、西浦は手探りで近くにいるはずの橘の身体を求めた。やがて橘の身体が見つかり、手をぎゅっと握った。真っ暗闇の中、確かに伝わる命の温もりが、何とか西浦の精神を保った。


*


 鉈を手に冬夜は森を駆けていた。目は血走り、行く手を邪魔する枝葉を一瞬で切り払った。

 吸血鬼の行く先なんて分からなかったし、今更追いかけたところで連れ去られた二人が無事である保証もない。それでも冬夜は走り続けた。肩で息をして、苦悶で顔を歪めても、足だけは止めなかった。

 何故こんなにも必死になっているのだろうか――自問しても答えは出なかった。既に酸欠になっているため、脳が働かなかったのだ。

 ただ、冬夜は明確な答えを求めているわけではなかった。二人が連れ去られたと聞いて、冬夜の身体は自然と動いていた。きっと思ったように行動したのだろう。だから、冬夜は苦しくても、自らの選択に従って走り続けた。

 やがて遠くから、何かの音が聞こえた。がたん、と不自然な音に反応し、冬夜は足を止めた。音の方角を目指し、足音を消しながら進んだ。

 しばらくして森を抜ける。廃墟の前までやってきて、冬夜は立ち止まった。血の臭いと何かの気配がする――冬夜は鉈を構えた。

「案外、早かったね」

 冬夜は声の主を探す。廃墟の上に人影があった。

「二人は?」

 冬夜は短く尋ねた。

「彼女たちは保存食だからね。まだ生きてるよ」

「怪我は?」

「無い。自分で鮮度を落としても仕方ないじゃないか」

 吸血鬼は笑いながら、屋根から飛び降りた。ゆったりとした足取りで冬夜に迫る。

「血は充分に補充した、遅れは取らないよ」

 吸血鬼は切り落とされたはずの腕を見せしめるように伸ばした。冬夜は軽く舌打ちを漏らすも、一瞬で切り替える。

「再生できないよう、微塵切りにしてやる」

「できるものなら」

 二人が交錯する。銀の閃光が二本走った。そして低く唸るような声が響きわたった。

「鉈に気を取られすぎだ」

 冬夜は左手の刃をくるくると回しながら、呆れたようにため息をついた。刃の先は赤く染まっていた。

「お前、身体能力は凄いけどさ、素人だろ?」

「うるさい、黙れ!」

 吸血鬼は右目を押さえたまま吠える。それを見て、冬夜は刃をポケットにしまった。

「片目の世界って遠近感が狂うよな。昔、片目を瞑って、机の上に置いてある物に手を伸ばしたことがあったんだ。一発では掴めなかったよ」

 くすくすと冬夜は楽しそうに微笑む。戦闘中とは思えない、何かに陶酔したような笑みだった。

「ここからは、これだけで充分だ」

 鉈を振り、冬夜は吸血鬼に迫る。鉈を持ち、微笑んで駆けてくる人の子を見て、吸血鬼は恐怖を覚えた。反射的に下がるも、やはり遠近感が掴めないのか、冬夜の鉈が吸血鬼の身体に食い込んだ。

 鋭く息を吐きながら冬夜は鉈を振り抜く。吸血鬼の右腕が再び宙を舞った。血しぶきが冬夜の目に跳ねた。しかし気に留めることもなく、続けざまに鉈を振るう。

 今度は左膝に鉈が食い込んだ。鉈の重みと勢いを利用して、強引に振り抜く。ごりごりと関節を砕く感触が鉈越しに伝わった。左足が跳ね、転がってゆく。吸血鬼はバランスを崩し、地を這うことになった。

「良い切れ味だ」

 冬夜は鉈についた血を指で払い、倒れたままの吸血鬼に迫る。

 馬鹿げている――こんな雑魚に何故あれほど手こずったのか、冬夜には分からなかった。戦闘において完全な素人の吸血鬼の背中を踏みつけ、押さえつける。

「本当に奇襲しか能が無いんだな」

 そして冬夜は鉈を振りかぶった。狙うは頭――冬夜は容赦なく鉈を振り下ろした。頭蓋骨が割れ、脳漿が僅かに飛んだ。しかし、まだ吸血鬼は何か言っている。

「……まだ生きてるんだな」

 冬夜は満面の笑みを浮かべて、今度は左腕を断った。いつしか右腕が肘まで生えてきていた。

「まだまだ壊せる」

 続いて右足を断った。その頃には、割れた頭蓋骨の中に見える脳が再生し、頭蓋骨の割れ目も閉じようとしてた。

「凄いな、これが血液を補充した吸血鬼の再生力か」

 ようやく吸血鬼は、はっきりと言葉を発する――もう、やめて、と。

「まだまだ試したいことがあるんだ、付き合えよ」

 再び吸血鬼の頭に鉈が突き刺さった。再び脳漿をまき散らし、吸血鬼の意識は飛ぶ。少し時間を置いて脳が再生すると、吸血鬼は「ごめんなさい」と何度も呟いた。それを遮るように、冬夜の振り下ろした鉈が肺を突き破る。血を吹き、空気が抜けてゆく苦しみが断続的に吸血鬼を襲う。そこで吸血鬼は、ようやく理解した――彼が本物の鬼であることを。

 生えてくる四肢を細めに切断する。切断された箇所が蒸発しなければ、今頃吸血鬼の輪切りが、あちこちに転がっていただろう。

 ぶつぶつと呟く吸血鬼の頭に再び鉈を叩き込んだ。言葉が止まる。脳漿が跳ね、黒いパーカーにへばりついた。もはや返り血を浴びすぎて、冬夜の肌も赤く染まりつつあった。血走った眼だけが、ぎょろりと動く。

 何度、壊しただろうか――冬夜は額から流れてきた汗を拭い、小さく息を吐いた。吸血鬼の両腕、両足は、もう再生してこない。これ以上の攻撃は殺してしまうだろう、と冬夜は休憩を取り、吸血鬼の様子を伺った。

「まだ生きてるか?」

 冬夜の問いかけに対し、吸血鬼は小声で何かを呟いていた。冬夜が耳を澄ますと、「ごめんなさい」と何度も繰り返し呟いていることが分かった。少しやりすぎたかな、と冬夜は苦笑を漏らした。

「ごめんなさい、痛いのは嫌です、暗いのも嫌です、ちゃんとしますから、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 冬夜は首を傾げる。吸血鬼のくせに暗いのが怖いのか、と尋ねた。しかし、まともな返答は無かった。ただ、ごめんなさいと連呼するだけだった。

「ん、そろそろ来そうだな」

 冬夜は空を見上げて、僅かに微笑んだ。そして吸血鬼の耳元でささやく。

「大丈夫だ、もうすぐ明るくなるぞ――ほら」

 雲の合間から太陽が顔を覗かせた。久しぶりの日光に冬夜は気持ちよさそうに背伸びした。

「どうだ、明るいだろ。これが最後の実験……って、あら」

 吸血鬼の身体から煙が上がる。あまりにも予想通りの結末に、冬夜は少し落胆した。このまま消滅するのかな、と思い、最後まで見守る。やがて煙を吐ききったミイラのような物が、その場に残った。

 それを拾い上げて、まじまじと観察する。まだ、ごめんなさい、と呟いているのが聞こえた。

「凄いな……まだ生きてるのか」

 冬夜は嬉しそうに吸血鬼のミイラを振り回しながら、神社に踏み込んだ。日陰に入ったせいか、ミイラの声が少しだけ大きくなった。

「お、あれが良さそう」

 冬夜は大きな鉄の扉を見つけ、そこに歩み寄った。閂を外し、手前に引っ張る。中に人の気配があった。

「誰かいるのか?」

 冬夜が尋ねると、闇の中で二つの影が動いた。

「な、南雲くん?」

「西浦か、無事だったんだな」

 ほっと胸を撫で下ろしながらも、冬夜は優先すべき作業を遂行する。

「外で待っててくれ」

「え……うん」

 西浦は、もう一人を引っ張って、扉の方へと向かう。冬夜は西浦とすれ違って、暗闇の奥に進んだ。やがてコンクリートの壁にぶつかって、冬夜は足を止めた。湿気が酷く、すえた臭いが酷かった。

「それじゃ、お別れだな」

 ミイラを壁に押しつけて、冬夜は微笑む。空いている手でポケットから刃を取り出し、それを握る。それをミイラに突き立てた。小さな悲鳴が漏れ、ミイラは再び「ごめんなさい」と連呼し始めた。

「一生、謝ってろ」

 冬夜はミイラから手を離した。刃で壁に縫い止められても、ミイラはずっと謝り続ける。冬夜は完全に興味を無くして、ミイラに背を向けた。扉の外で西浦ともう一人の少女の姿を確認してから、鉄の扉を閉める。そして閂をかけて、神社を出た。

「さぁ帰ろう」

 冬夜は橘を背負い、西浦と並んで下山した。暗闇に一人残されたミイラは、呪詛のように謝罪の言葉をつぶやき続けた。

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