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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
おでかけ
7/30

行き先は孤島

 結局、文化祭は多少のごたごたがあったものの、大きな問題はなく終えることができた――そういうことになった。それを聞いて冬夜は胸を撫で下ろしたくもあり、また平和ボケしすぎだろう、と教師を笑い飛ばしたくもなった。

 冬夜の目撃情報はいくらかあったのだが、噂程度で落ち着いたらしい。学校側としても生徒が問題を起こしたことにしたくないのか、必要以上に詮索することもなかった。

 それから一ヶ月ほど経った。中間テストを終えて、時は六月――梅雨入りして湿った空気の持つ独特な臭いにも慣れつつあった。

 今は幸いなことに雨は降っていない。しかし空を見上げると、今にも泣き出しそうな空模様だった。黒い雲が一面に広がり、日が遮られているせいか、やや肌寒い。

 船を操縦する船員は、「一雨来るな」と呟いた。冬夜はそれを聞き逃さなかった。むしろ聞き流していた方が良かったかもしれない。これからのことを考えると憂鬱になった。

 冬夜はため息をついた。もう今日で何回目になるか分からない。それほど鬱々とした気持ちで、船に揺られていた。結果、島に着く頃には船酔いの症状が現れた。気分が悪く、地面がゆらゆらと上下に揺れているような感覚が続く。冬夜は何度も地面を強く踏み締めるも、更に気分が悪くなるだけだった。

 そのうち治るさ、と船員は笑った。本当に短い渡航時間だったので、酔った冬夜を随分と珍しそうに見ていた。

 あんたらは三半規管が馬鹿になってるんだよ――冬夜は小さく呟いて、船に背を向けた。しかし帰る時に再び乗ることに気づくと、心底嫌そうに顔を歪めた。

「大丈夫?」

 そんな冬夜の背中を手を添えながら、西浦は言った。大丈夫だ、と短く返して、冬夜は自分の荷物を背負った。

「……やっぱり、来るんじゃなかった」

 西浦の執拗な勧誘により、冬夜は渋々ながらも課外学習に顔を出した。しかし出鼻を挫かれ、早くもギブアップ宣言の一歩手前まで駒を進めていた。

 全員が船から降りると、島の広場まで歩く。そこで点呼を行った。三百五十以上の同級生が、島の広場を埋め尽くす。船酔いと密集地の二重攻めで冬夜の吐き気は堪え難いものになりつつあった。

 しかし無情にも生徒代表が施設の方々に挨拶を始める。それに続いて施設の代表者が話し始めた。もちろん聞いている余裕がない冬夜は、終始空を見上げて吐き気を堪えていた。

 それを終えると、今度は教師がマイクを手に取った。冬夜はいい加減にしろ、と立ち上がった。教師の制止も振り切って、トイレの看板に向かって駆けてゆく。

 逃亡生活中でも、ここまで速く走れたことがあっただろうか、と冬夜は考えながら、胃の中の物すべてを和式のトイレにぶちまけた。

 吐き終えると、冬夜はふらりとトイレを抜けて蛇口を求めた。口に水を含み、胃液の酸味と一緒に吐き出す。それを何度か繰り返して、冬夜は顔を上げた。正面にある鏡に青い顔が映った。

「本当に……先が思いやられるよ」

 冬夜にしては珍しく弱々しい声で呟いた。

 一日目の昼から夕方にかけて、本来はマリンスポーツを体験する予定だった。しかし冬夜は「健康上の都合で」と教師に告げて、コテージで寝て過ごした。実際に体調が悪かったので、西浦の嘘宣言もなかった。

 静かなコテージの中で冬夜は「やってられん」と呟いた。やがて意識は闇に呑まれていく。冬夜はそれに抗うつもりもなかった。眠った方が楽になれるはずだ。眠気に身を委ねて冬夜は静かに目を閉じた。


*


 しばらくして冬夜は目を覚ました。見慣れない天井と周囲を満たす喧騒に、冬夜は眉をひそめる。少し考えて、課外学習に訪れていることを思い出した。ゆっくりと身を起こすと、コテージで一緒に泊まる十人のクラスメイトが着替えているところだった。

「あ、悪い。起こしたか?」

 一人が冬夜が起きていることに気づいて、言った。

「いや、勝手に目覚めた」

 冬夜はゆるゆると頭を横に振って状態を確かめる。揺れは治まり、吐き気も随分とマシになっていた。

「大丈夫か?」

 クラスメイトの言葉に冬夜は頷き、ベッドから抜け出た。

「これから夕飯だけど、どうする?」

 そんなに眠っていたのか――冬夜は僅かに目を見開くも、すぐに無表情へと戻る。

「大丈夫だ、行く」

 コテージを出て、食堂のある本館へと向かう。施設の収容人数の問題上、男子は点在するコテージ、女子は本館の部屋を借りることになっていた。

 本館に向かう途中、何人かの男子が大きな声で言う。

「夜、本館に忍び込もうぜ」

 その呼びかけに何人かが同意して、妙な熱気に包まれた。そこから抜け出すように、冬夜は自然と早足になる。馬鹿らしい、と小さく呟くと、何人かのクラスメイトが冬夜の横を全力疾走で駆け抜けていった。その後を教師が喚き散らしながら追いかける。どうやら先ほどの侵入計画がバレたらしい。

 追われるクラスメイトと追う教師――それを興味無さそうに一瞥して、冬夜は本館を目指した。


*


 十九時まで冬夜は食堂に残っていた。バイキング形式で好きなだけ食事を取ってよかったからだ。吐いた分を取り戻すように冬夜はタンパク質を中心に食らう。むしろ、これが目的でやってきたのだから、食わねばなるまい。今朝も家を出る前に、しっかりとトレーニングを行ってきた。本来は運動後すぐにタンパク質を摂取したかったが、そこまでの贅沢は言うまいと自らを納得させる。傷ついた筋肉を癒すために、冬夜は時間一杯まで食堂に居座り、食べ続けた。

 その後、冬夜はコテージに戻り、しばらくクラスメイトの行っているトランプを眺めていた。冬夜はそれに加わることもなく、こっそりとコテージを抜け出た。すると目の前をいくつかの影が通っていった。冬夜が目を凝らすと、同級生であることだけは分かった。

「よう、南雲。お前も行くのか?」

 どことなく聞き覚えのある声に、冬夜はどこに行くんだ、と尋ね返す。

「何だ、違うのか……今宵、俺らは伝説になる」

 男は本館の方を指さして言った。ああ、馬鹿か、と冬夜は静かに呟いた。

 そこで冬夜は思い出す。彼は一年生の間、サッカー部で一緒に汗を流し、現在は同じクラスメイトの斉藤だった。気さくで明るく、上村とはまた違った意味で中心に位置する人物だった。彼と冬夜は宿泊するコテージが違うので、隣のコテージを今まさに抜けてきたところなのだろう。

「俺は行かん」

「そうか、臆病者――チキンめ」

「勝手に言ってろ」と冬夜は背を向けて、コテージの裏側へと回った。やがて人の気配は遠ざかり、静寂が訪れる。あんなに音を立てていたら、一発で見つかるだろうな、と冬夜は苦笑を漏らした。

 コテージの裏に回ると、そこはテラスになっていた。薄いカーテンから漏れる光がテラスに降り注いでいるため、程良い明るさがあった。そこで軽くストレッチを行ってから、両手を着いた。冬夜はゆっくりと腕立て伏せを始める。一定の回数になると腹筋に移り、背筋も行った。二セット目を終えて、三セット目に移る。息が乱れ、額から汗が滝のように流れていった。それでも冬夜は四セット目に移る。

「おい」

 四セット目の腹筋で、不意に声がした。鋭い光を向けられ、冬夜は手で遮った。

「もうすぐ就寝時間だぞ……って、お前何してんだ?」

 教師は汗だくの冬夜を見て、怪訝そうに首を傾げる。

「……これ、終わったら、戻ります」

「ああ、そういうことか。さっさと済ませろよ」

 教師は頷き、寛大な判断で他のコテージの見回りに向かった。全身の疲労感は、はっきり言って物足りない。しかし仕方がない、と冬夜は四セット目を終わらせて、コテージに戻った。そのままシャワーを浴び、就寝時間を迎える。教師が再び戻ってきたのか、暗いコテージの中に懐中電灯の光が躍る。しん、と静まったコテージ内を確かめると、懐中電灯の光は遠ざかった。

 そして一斉にクラスメイトが息を吐く。

「行ったか?」と誰かが小さく呟く。誰かがベッドを這い出て、窓から外の様子を伺った。やがて一人が「大丈夫だ」と声を出すと、何人もが一斉に起きあがった。もちろん冬夜はベッドの中にいた。

「勇者、斉藤からの連絡が届いた」

 え、あいつらたどり着いたの? と冬夜は思わず身を起こした。そして「しっかりしりよ、教師」と思わず呟いた。

「現在、女子を引き連れて、こちらに帰還しているらしい……皆、意味は分かるな?」

 暗闇の中、何人かが頷いた。

「これより計画通り、山頂にある神社まで肝試し大会を行う」

 よっしゃあ、と男子の歓喜の声が上がった。その光景を冬夜はぼんやりと見つめていた。しばらくすると扉が開かれて、人の気配が遠ざかってゆく。冬夜はコテージに残った人の気配を探る。冬夜を含めて三人だった。他の七人は、どうやら冒険の旅に出たらしかった。


*


 冬夜は怒鳴り声で目覚めた。一体何事だ、と一瞬で跳ね起きて身構える。

「おい、七人もいないぞ! どうしたんだ!」

 ああ、その件か、と冬夜は頭を掻き、緊張の糸を緩めた。

「さぁ、知りませんよ」

 寝てたし、と残る二人に助け船を出してやった。首が落ちるんじゃいかと思うほど、二人は全力で首を縦に振った。

「どこに行きやがった……まぁいい、もうすぐ朝礼だ、本館に集まれ」

 教師は慌てて別のコテージに駆けていった。そして冬夜は「何じゃこりゃあ!」と叫ぶ教師の声を聞いた。

 後に冬夜は耳にする。隣のコテージには誰一人いなかったらしい。これも勇者の牽引力なのだろうか、と冬夜は小さく笑った。


*


 笑いは一瞬にして払拭される。異常な光景が広がっていた。

 ほぼ満席になるはずの食堂を後ろから眺めると、空席が目立ったのだ。合計すると一クラス分を超える人数がいないのではないだろうか。ここまで来ると、勇者の力は実在するのではないかと思えてきた。

 しかし同時に湧き出た疑問も無視できなかった――何故、朝になっても戻ってこないのか、と。こうも公になってしまえば、夜に忍び込んだ意味も無い。

 教師は慌ただしく食堂を出入りしていた。その顔にも焦りの色が浮かぶ。冗談では済まなくなってきたらしい。冬夜自身のクラスも男子は合計で七人しかいない。全体の半分だけだった。コテージに残った三名に、教師に見つかって一晩正座の刑に処せられた者が四名だった。正座組の四人の顔はやつれ、捕虜生活をようやく抜け出した帰還兵を思わせた。

 そんな冗談を抱くぐらいに余裕があったせいか、冬夜自身の危機感は非常に薄いものであった。

 そして教師数名と施設の職員数名で、島全体を捜索することになった。二日目の体験学習は全員が見つかるまで中止となった。冬夜は朝食をゆっくりと頬張りながら、不意に天井を見上げる。騒がしい中、屋根を打つ何かの音を確かに捉えたのだ。

「雨、か」

「え、雨?」

 すぐ隣から反応があり、冬夜は視線を隣に戻す。いつの間にか西浦の姿があった。彼女はどうやら勇者の隊列に加わらなかったらしい。

「雨が降ってきたな」

「え、本当?」

 冬夜は静かに頷いた。喧噪の中、断続的に続く音は、やがて激しさを増していく。いつしか誰もが聞き取れるぐらいの雨音になっていた。

「本当に雨、降ってきたね」

 西浦は感心したように天井を見上げていた。

「いや、耳を澄ませていれば誰でも分かったはずだ。ほら、皆、お喋りに夢中だろ?」

 冬夜は既に冷めてしまった肉を口に放り込んだ。

「よく食べるなぁ」

 西浦は冬夜の皿を見て呟いた。

「食わないと大きくならないからな」

 次に冬夜は小魚を一匹、口に放り込んだ。

「ふうん……でも、そんなに食べて太らない?」

 私は脂肪が天敵だし、と西浦は白い目で遠くを見つめながら呟いた。

「運動すればいいだろう」

「えー……疲れるし」

「俺が部活を辞めると言ったとき、お前にだけは反論されたくなかったな」

 うっ、と言葉に詰まり、西浦は視線を逸らした。冗談だ、と冬夜は付け足した。

 それから三十分ほど経ち、朝食が下げられた。冬夜の腹も充分に満たされていたので、眠そうに頬杖をついていた。

「ねぇ、皆見つかるかなぁ?」

 数秒してから自分が問いかけられたのだと、冬夜は気づく。

「……ああ、大丈夫だろ」

 心配するだけ無駄だ、と冬夜は笑った。

「あの斉藤が無事じゃない光景を俺は想像できんな」

「うん、まぁ……確かに」

 西浦も苦笑を漏らした。

「昨晩、私たちの部屋にもやってきたんだよ。凄いよね、先生たちがずっと巡回してたのに、その僅かな隙を縫うようにして、やってきたんだって」

 へえ、と冬夜は返す。あまりに雑な返事に西浦は不機嫌そうに頬を膨らませた。

「おーい、南雲。ちゃんと、かなみの話を聞いてやってよね。後で、とばっちり受けるの私らなんだから」

 他の女子が楽しそうに言った。冬夜は大袈裟に肩を竦めてみせる。

「ちゃんと聞いてるさ」

「本当?」

「ああ、もちろん。勇者、斉藤が教師陣営の包囲網をくぐり抜けて、お城の宝物にたどり着いたんだろう?」

「まぁそういうことだけど」

 西浦はそっぽを向く。他の女子は楽しそうに声を上げた。

「何で南雲くんは来なかったの?」

「まだ体調が悪かったから」

「夕飯、あんなに食べてたのに?」

「食べて治そうとした」

 嘘だ、と西浦ははっきりと断言する。

 そうだった、こいつ、感覚的に嘘を見抜くんだった、と冬夜は思い出す。西浦はじっと冬夜をのぞき込んでいた。それに言いしれぬプレッシャーを感じ、冬夜は息を飲む。

「行かなかった理由なんて、どうでもいいだろ」

「……まぁそうだけどさー」

 どこか納得がいかないと言った様子で、西浦はしばらく不機嫌だった。


*


 いつの間にか冬夜は眠っていたらしく、机からゆっくりと顔を上げた。目をこすり、時計を探す。あれから一時間も経っていた。冬夜は背伸びをして、周囲を見渡した。食堂を満たす喧噪に衰えはない。人一人あたり、どれほど喋るネタを持っているのだろうか、と真剣に考えた。

「おはよ」と声がかかる。対面の席に座っている女子や隣の西浦だった。何とも不思議な心地になりながらも冬夜は返す。

「おはよう……なぁ、まだ帰ってこないのか、捜索に出かけた人」

「ん、そうみたいだね……どうしたんだろ」

 西浦の表情は明らかに不安の色が濃くなっていた。それを見て、冬夜は小さく息を吐く。そして腰を上げた。

「え、ちょっと南雲くん?」

 西浦の呼びかけを無視して、机と机の合間を縫うように進んでゆく。向かう先は職員と教師が集まっている大きなテーブルだった。

「おい、席に戻ってろ」

 一人の教師が冬夜に気づき、言った。しかし冬夜は更にテーブルに近づく。

「何かあったんですよね」

 教師の焦り具合を見て、冬夜は一瞬で察知する。

「……連絡、つかなくなったとか?」

「この雨だ、携帯が故障したのかもしれん」

 ふうん、と冬夜はワザとらしく頷いてみせた。

「いくらも携帯があって、その全てが故障ですか」

 冬夜の記憶が正しければ、教師一人一つのの携帯を持っていた。首から下げていた分厚い携帯を思い出す。そして捜索に出ていった教師は五人――つまり、学校の経費で買った携帯五台を雨で壊してしまったことになる。そんなに間抜けだろうか、と冬夜は考えた。

「コール音は鳴るんですか?」

「それを知って、どうする?」

 教師の不機嫌そうな声に、冬夜は再び肩を竦めながら答える。

「携帯の生死ぐらいは分かります。コール音が鳴ったら、少なくとも携帯は壊れていない。本人が出られない状況にある、と考えるべきです。コール音が鳴らなかったときは、携帯そのものに電波が届かなかったとき――つまり携帯の電源が落ちているか、壊れている、もしくは地形的な問題で電波が遮られているのかもしれませんね」

 そもそも孤島で携帯が繋がるのだろうか、と冬夜は首を傾げる。この頃の携帯普及率は高くない。そのため、中継のアンテナの数も圧倒的に少なかった。地上にいても電波の届かないところがあるぐらいだ。

 ちらりと机に置いてある携帯を見やった。辛うじて電波を拾っているのか、一本だけアンテナが立っていた。

「コール音は――」

 やがて、一人の教師が小さく呟いた。

「鳴ってました」

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