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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
おまつり
4/30

表と裏

 不本意ながらも冬夜が上村を助けてしまった日から三日も経った。走馬灯にやってきてから三日でもある。

 昨日、冬夜は学校をサボってみた。特に意味は無い。ただ自由に振舞える走馬灯の検証と言う理由付けで一日をベッドの上で過ごした。

 ベッドの上で横になっていると、時計の針が一秒一秒を正確に刻む音が静かな部屋でずっと続いた。冬夜は動かない。呼吸の音すら立てず、静寂の一部と化す。もはや心臓すら止まっていて、目を開けたまま死んでいるのではないかと思えるぐらいに冬夜は不動だった。

 やがて冬夜は身を起こした。静寂は布の擦れ合う僅かな音とベッドの軋む音によって消えていった。

「腹、減ったな」

 面倒くさそうに後頭部を掻いてから、冬夜はリビングに向かった。

 仮説その一、この世界が走馬灯。仮説その二、殺人を繰り広げた世界が夢だった。この二つの仮説は冬夜の中で徐々に溶けていき、形を留めないどころか排水口に流れ込みつつある。それを気にする様子もなく、冬夜は朝昼兼用の食事を平らげた。相変わらず嗅覚と味覚が良い仕事をしているようで、冬夜は満足げに息を吐いた。

 仮説がどうでも良くなりつつあったのは、この世界の自由度のせいだろう。どの仮説だろうと関係ない。自分が考えてベストだと思う選択、行動を取っていけばいい。

 その結果、人が死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。ただ冬夜からすれば、どうでもいい話だった。たとえ時を遡って人生をやり直すチャンスを掴んだところで、真面目にやり直すつもりなど毛頭無い――と言うよりも、やり直すと言う選択肢が冬夜の中で生まれることすら無かった。

「暇だ」と小さく呟いて、冬夜は背伸びする。背骨が小気味の良い音を奏でた。そして自室に戻って、再び布団に潜り込んだ。食後の満腹感から訪れる眠気に身を委ね、重くなってゆく瞼を下ろす。結局、三日目は食っちゃ寝を繰り返しただけだった。

 四日目に入ったばかりの頃、冬夜は目を覚ます。デジタル時計の示す時間は午前零時を回ったところで、暗闇の中ぱっちりと開いた両眼が怪しく光った。

 冬夜は音を立てないように、そろりと布団を抜ける。途端に冷気が服の隙間から忍び込み、布団の温もりが恋しくなった。それを振り切って、冷たい服に袖を通していった。下は動きやすいジャージに上は風を通さないナイロン生地の黒いパーカーを羽織る。首筋に引っかかったフードが冷たく、それを慌てて払った。

 家の鍵と二本の刃をポケットに忍ばせて、そっと廊下に出た。既に家族は寝ているのか音はない。靴下をはいた足でフローリングを滑るように進み、階段も無音で下りていった。

 一階に下りると、冬夜の予想通りリビングに明かりは無かった。それを見て少しだけ安心しながら、冬夜は玄関に向かう。二つの鍵を音もなく開け、そっと扉を押した。重厚な扉が僅かに鳴く。それでも寝ているなら気づかれることもあるまい――冬夜は身を滑らせて表に出た。

 空気は冷たく澄んでいる。見上げると空に浮かぶ星は鮮明に映った。何をするにしても、人は一日一回は空を見上げるのではなかろうか。空には不思議な魅力がある。綺麗な星空なら、それに見惚れる。またどんよりと曇った夜空なら、どこか不気味な印象を受けるだろう。晴れは見ていて爽快だし、昼間の曇りは雨の心配をして空を眺めてしまう。たとえ、どんな天気であろうとも人は空に惹きつけられる――そう考えると自分も俗物になってしまったような気がして、冬夜は不機嫌そうに顔をしかめた。

 そしてアスファルトを蹴る。最初はゆっくりとしたペースを心がけて、冬夜は走り出した。

 何かしら特別でありたいと冬夜は思う。日本人は特に目立つのを嫌う。しかし、それは自分が特別で無くてもよいと言うわけではない。ただ衆目に晒されて、恥をかくことを極端に嫌っているだけなのだ。つまり恥をかかないのならば目立ってもよい。誇れる物があるならば、それを認めてほしいと人は願う。承認欲求は誰もが持つものだ。そう考えると、やはり自分は俗物なのかもしれない――そんな結論にたどり着いて、冬夜は路肩に唾を吐き捨てた。

 緩やかな坂を上り、堤防に差し掛かる。河川敷には下りず、そのまま堤防の上を走り続けた。息が荒れる。部活に行かなくなって、二ヶ月ぐらいだろうか。体力が少し落ち始めた頃なのだろう。酸素不足を全身が訴えてくるが、冬夜は足を止めなかった。

 上村を助けた時にも感じた違和感の正体――それを冬夜は掴みつつあった。圧倒的に体力が不足しているのだ。長い逃亡生活で培われた体力と筋力は馬鹿にできない。基本的には殺人を繰り返す中で培われた筋力なので、純粋に人を殺すための筋力になるのだろう。それが今の身体には一切無かった。

 そのため腕を振るう際もイメージ通りに身体が動かず、毎度苛立った。全ての動きが鈍く、遅い。今後どんな生活を送ってゆくにしても、これだけは一番最初に解消しておきたい問題だった。

 何があるか分からない――早口で漏らしながら冬夜は両手を振るった。走っている途中で、ただでさえ酸素不足で苦しむ中、更に振るい続ける。

 基本的に苦しいことは好きではない。それは誰だって同じだろう。しかし自身すら守れないという事実は、無視できないほどの苦しみを伴って冬夜の中に存在し続けた。力が無ければ落ち着かないとでも言うべきか。苦痛より恐怖――強迫観念のように自らの弱さに迫られた結果、夜に家を抜け出してトレーニングに勤しむことを決意したのだ。

 短く息を吐いて右手を放つ。長袖が空気を掻いて、ばさりと派手な音を立てた。まだまだ遅いと冬夜は息を荒くしながら、左手を振るう。

 格闘技に詳しくない者が見れば、シャドーボクシングなんて言葉を思い浮かべただろう。しかし冬夜の動きはボクシングとはかけ離れた物だった。武器があることを前提とした一撃必殺、ボクシングのように素早く腕を戻すようなことはしない。一発放って硬直し、緩やかに腕を引きながら逆の腕をまた放つ――その作業を繰り返した。

 やがて腕が上がらなくなってくる。それと同時に足も止まった。冬夜は空を見上げたまま、荒く息を吐いて空気を貪り食った。

 今、襲われたら一溜まりもない――冬夜は軽く笑った。周囲に人の気配はない。ポケットの中の二本の刃を使う必要は無さそうだと少し残念に思いながらも、家に向かって再び走り出す。息は充分に整った。アスファルトをほとんど音もなく蹴り、冬夜は闇に溶けていった。


*


「兄ちゃん、学校!」

 トレーニングを終えて、帰ってきたのは二時。それからシャワーを浴びて、寝たのは三時だった。

 そんな事情を知らない夕夏は容赦なく、冬夜の身体を揺らす。昨日は全力で無視したが、今日は無視し続けることができなかった。

「ちょ、痛いから、揺らすなって」

 身を捻ると背中の筋肉が悲鳴を上げた。夕夏の手を振り払うと、その腕が痛む。上半身を主に、酷い筋肉痛だった。

「ど、どうしたの、大丈夫?」

「俺のことは気にするな……さっさと行け」

 遅刻するぞ、と付け加えても、「兄ちゃんは?」と尋ねられて、じっと瞳をのぞき込まれる。冬夜は目を逸らすことなく、「後から行く」と告げた。もちろん行く気はない。嘘だ。しかし、それを見透かしたように夕夏は言う。

「嘘ついたら?」

「針千本――」

 あの懐かしのセリフを自然と口ずさんで、しまったと冬夜は後悔した。

「分かった。来なかったら、針千本ね」

 綺麗なウィンクを決めて、夕夏は部屋を出ていった。本当にやるはずがない、と思いながらも、冬夜は身を起こし、掛け布団から抜け出た。そしてノロノロと支度を始める。どうせ遅刻は免れないのなら、精一杯ゆっくりとしていこう。ささやかかつ幼稚な反抗をしながらも、着実に準備は進んでいくのであった。

 リビングに下り、母の用意した朝食を平らげ、弁当を手に家を出る。まだ八時半頃だったので、学生服を時折見かけた。ただ、冬夜と同じの遅刻組であることは間違いなかった。

 ペダルを踏むと背筋が痛み、両足の重みも酷い。学校に向かうだけで何故これほどの苦行に陥っているのか、と本気で悩みながら冬夜はペダルを回した。

 程なくして、冬夜は学校に着いた。

 一昨日、冬夜が学校をサボった日に降った雨で、桜の花びらは散っていた。散らばる花びらは数々の人に踏まれ、黒ずんで汚らしかった。

 咲いている時は、あれほど綺麗だったのに――不思議なものだ、と小さく呟いて、冬夜は職員室へと向かった。

 遅刻届けを書きながら冬夜は考える。桜が綺麗に咲き誇っている時よりも、散った後の汚れた花びらの方が目を引いた。自分はつくづく壊す側の人なのだな、と改めて思う。創造と破壊は表裏一体なんて言葉を冬夜は聞いたことがあった。しかし、表と裏は絶対的に違う。表と裏と言う関係で繋がっているだけで、それらが顔を合わせ、意気投合するなんてことは絶対にあり得ない。一セットであっても、永遠に対となり、混ざり合わないのが、表と裏の関係なのだ。

 この手で何かを作り上げることなんて、一生できないことなのかもしれない――ボールペンを握った手を見つめながら、冬夜は小さくため息をついた。そして遅刻の理由を書く欄で止まっていた手を再び動かした。

 それを記入して、冬夜は教室へ向かった。階段を上る際も全身の筋肉が悲鳴を上げる。今すぐに保健室に駆け込みたい衝動に刈られるも、何とか堪えた。ようやく階段を上りきり、誰もいない廊下をふらふらと歩く。そして大きく息を吐きながら、教室の扉を開いた。

「遅れて、すみません」と冬夜はこれ以上は無いと思える棒読み具合で、遅刻届けを教師に差し出した。今回は気の弱そうな教師で、曖昧な笑みを浮かべながら冬夜の遅刻届けを受け取った。

 冬夜は席について、教科書を机の隅に置く。本当に申し訳程度の行為で、授業を真面目に受けるつもりなどさらさら無かった。両腕で枕を作り、そこに顔を埋める。今日は一日休む――そう心に誓って、再び眠りについた。

 しかし眠りが浅い上に、野暮な教師は冬夜を起こしにやってくる。その都度、教師を睨みつけ、追い払う。以前のボールペン効果が出ているようで、ほとんどの教師が逃げるように去っていった。

 そして退屈な時間が過ぎ、ようやく昼休みになる。弁当をさっと平らげて、再び休眠モードに入った。冬夜は可能なかぎり身体の回復作業に努めたかった。

 やがて昼の授業も終わり、放課後になった。それでも目覚めない冬夜の前に、一人の少女が現れた。彼女は人差し指で冬夜の腕を突いた。冬夜の反応は無い。くすりと笑みを漏らして、今度は少し強めに突いてみる。それでも冬夜は動かない。もう少し強めに、と彼女が指を動かしたところで気づく。僅かに頭が上がっていることに。腕と顔の間に僅かな隙間があり、そこに見える冬夜の瞳は剣呑な光をきざしていた。

「お、おはよ」

 それに気圧されるたのか、彼女の声が震えた。冬夜はそれを黙殺して、再び顔を腕の中に沈める。

「あ、ちょっと」

 今度は指ではなく、両手で冬夜の肩を揺さぶった。冬夜は反射的に両手を払い、顔を上げた。

「何だよ」

「もう放課後だけど」

 にこりと少女は微笑む。なるほど、と冬夜は席を立った。

「起こしてくれて、ありがとう」

 先ほどまで寝ていたとは思えない切り替えの早さで、冬夜は教室を出ようとする。それを少女は遮った。冬夜の前に立ち、出口を塞ぐ形で。

「遅れてきて、ずーっと寝てたけど、南雲くんは学校楽しい?」

「全く」

 楽しくないを省略した冬夜は、少女を押し退けて強引に帰ろうとする。しかし少女は冬夜の腕をしっかり掴んでいた。

「……何」

「ん」

 冬夜の問いかけに少女は行動で示す。冬夜の目の前に差し出されたのはアンケート用紙のような物だった。

「文化祭の出し物、同票で決まってないの」

 うちのクラスは奇数人数なのに、と少女は微笑む。

「俺か」

「そう、南雲くん」

「お前が入れた方にしといてくれ」

 文化祭なんて顔を出すつもりもなかった冬夜は、再び強引に突破を試みる。しかし少女は粘り強く、冬夜は苛立ち始めた。

「それじゃあ私の独断で決めることになっちゃうし」

 委員長の私にそんなことできません、と困ったように少女は言う。この小さい女、委員長だったのか、と冬夜は顔に出すことなく、驚いた。冬夜より頭一つ分ほど背の低い少女は、ぱっちりとした二重の目で冬夜を見上げていた。

「選択肢」と冬夜は言った。しかし、その意味を飲み込めなかったのか、少女は目を丸くして首を傾げた。

「え?」

「だから同票になった選択肢を教えてもらえないと、投票できないだろ」

「あ、そっか」と少女は慌てて別の紙を取り出す。それを見て、冬夜は眉をひそめた。

「恋愛とお笑い?」

「うん、演劇することになったんだけど、どっちがいいかな、って」

 演劇、と冬夜は小さく漏らす。元々は不登校になり、文化祭にも顔を出さなかった。これまた面倒くさいことになりそうだな、と冬夜は頭を掻いた。

「どっちでもいいよ、本当に勝手に決めといてくれって」

「えー、ノリ悪いなぁ」

 少女は口を尖らせた。それを無視して、冬夜は横を通り過ぎようとする。

「あ、ちょっと待ってって!」

 慌てて冬夜の横に並ぶ少女。後ろで一つに束ねた髪が揺れた。そんな少女を突き放すために、冬夜は言う。

「文化祭とか参加するつもりないから」

「え、サボる気なの?」

 当然と言わんばかりに冬夜は頷く。しかし、少女がそれで引き下がってくれる気配は無かった。

「皆でやらないと意味ないよ」

 少女の言葉に冬夜はぴたりと足を止めた。その瞳は再び剣呑な光を宿す。衝動に任せて口を開こうとするも寸前で堪えた。言葉を飲み込み、代わりに大きく息を吐く。冬夜の気分は少し落ち着いた。

 俺がいなくても文化祭やったくせに――飲み込んだ言葉を反芻する。冬夜が不登校だった頃は、彼一人の不参加で文化祭の出し物を自粛したなんて話を聞いた覚えはない。つまり、冬夜を欠いたまま、このクラスは何かしらの出し物を行ったはずなのだ。それなのに今更だ。冬夜の噛み締めた奥歯が悲鳴を上げた。

「本当に勝手にしてくれ。あとは俺を巻き込まないでくれ」

「……何だか、不貞腐れてる?」

 下駄箱を前にして冬夜の足が止まった。少女を睨みつけながらも、吐き出す息を堪える。膨張した感情を少しずつ抜くように、冬夜は小さく息を吐いていった。

「別に」

 苛立ってるだけだ、と最後に付け加えて、下駄箱へと向かう。自らの靴が入っているところへ手を伸ばす。そこで再び少女が割り込み、前を遮った。

「そんなイライラしてても良いこと無いよ?」

 冬夜は無言で少女を押しのけて、靴を履き替えた。そのまま逃げるように駐輪場へと向かう。そこまで少女が追ってくることはなかった。

 一瞬だけ下駄箱の方を振り返ってみると、そこに少女の姿は無かった。諦めて戻ったのだろう。冬夜は小さくため息をついて、自転車に跨った。


*


 午後二十時。冬夜は腕時計を見つめていた。

 町は明るい。まだ営業中の店の看板が煌々と輝いている。赤や黄と夜の闇に呑まれない光が、冬夜の瞳を染める。それを見ているだけで、冬夜は落ち着いた。心の芯まで溶けてゆくかのような安心感と、言い知れぬ高揚と矛盾した感情が渦巻き、混ざり合ってゆく。しかし心は静まらなかった。

 ポケットに突っ込んでいた右手を抜く。何度か握ってみて、筋肉痛がマシになっているのを確認すると、冬夜は静かに頷いた。口角が僅かに上がる。

 黒いパーカーに黒に近いジーンズと今日も闇に溶け込むような服装だった。とは言え、この通りはネオンの光が派手で冬夜の姿を隠しきれるほど闇は濃くない。それを気にすることなく、ゆっくりと通りを歩いた。スーツに身を包んだ中年、男女のカップル、馬鹿騒ぎしながら過ぎてゆく男の集団など、通りは未だ活気に満ちていた。これなら必死に探さずとも、すぐに見つかるかもしれない――俯けている冬夜の顔が恍惚で満ちてゆく。

 雑踏に混じり、冬夜は目だけを動かす。何か無いか、と血走った眼で。その様子に気づく者がいれば、まるで薬物中毒者を連想しただろう。しかし冬夜の動きは小さく、俯き加減のため、周囲の人が気づくことは無かった。雑踏は炸裂寸前の爆弾に気づくことなく、過ぎてゆく。

 やがて冬夜は足を止める。彼の耳に僅かな音が届いたのだ。流れを急に止め、幾人かが冬夜を睨み、避けて過ぎて行った。それを気に留めることなく、流れを断ち切るように足を進める。そして細い路地に踏み込んだ。

 すえた臭いと湿気がこもった臭いが鼻を突くも、冬夜の頬は自然と緩んだ。ここが俺の世界だ、と小さく呟き、迷うことなく奥へと進む。雑踏とは違う不自然な音を捉えた。大通りで客を呼ぶような声ではない。低く怒鳴るような声だった。それに惹かれるように冬夜は路地へと踏み込んだのであった。

 大通りの雑踏が遠ざかり、怒声はよりはっきりと聞き取ることができた。それに頷きながら、冬夜は嬉々として足を運ぶ。いつしか早足になっていることにも冬夜は気づかず、音に誘われるがままに足を動かし続けた。幾度か角を曲がり、雑踏は遠くに消えつつあった。

 やがて冬夜は現場にたどり着いた。身を隠して、観察するようなことはしない。堂々と、その場に踏み込んだ。三人の男が小柄な少年を取り囲んでいた。

 いつの時代でも、こういった輩はいるものだ――冬夜は呆れ半分、期待半分で音も無く地を蹴った。

「……あ?」

 冬夜の存在に一人が気づき、声を上げた。しかし時既に遅し。冬夜は既に距離を詰め、振り向きざまの男に容赦なく蹴りを叩き込んだ。蹴り足は顎に入り、男の頭は不自然に揺れた。男はそのまま受身を取ることもなく、地に伏せた。頭を中心に血が広がる。鼻や口を打ちつけたのだろう。まだ身体が言うことを聞かないのか、男はアスファルトの上でもぞもぞと動いていた。

「な……何だ、てめえ!」

 もう二人がようやく気づき、冬夜に吠える。しかし吠える間があったら攻撃しろよ、と冬夜は呆れた。広がってゆく血を蹴り、もう一人に迫る。驚愕で目を大きく見開いた男は成す術も無く、冬夜に殴られた。

 軽い――拳に伝わる感触に、冬夜は不機嫌そうに眉をひそめた。男はぐらりと体勢を崩しかけながらも、倒れることはなかった。まずい、と距離を取ろうと地を蹴るも、二人目の男の襲撃を躱すには少し遅かった。しかしモーションが大きい男の拳を受けるのは容易い。それを片手で綺麗に受け流して、カウンターで一撃放り込む。続けざまに蹴りを腹部に叩き込んで、二人目は苦しそうに崩れていった。

「く、そ」

 残った一人が唇から流れる血を拭い、ポケットに手を突っ込んだ。冬夜はそれを黙って見つめる。その瞳はもはや濁った色で満たされていた。

 出てきたのは刃渡り十センチもない上に折りたたみのナイフだった。冬夜は失望したかのように肩を落す。

「おもちゃか」と漏らす冬夜自身の装備も、そう優れた物ではない。それでも男の持つ小さなナイフに比べれば、幾分かマシな自信があった。

 でも、まぁ、と冬夜は微笑む。

「お前が先に抜いたからな」

 両のポケットに手を突っ込み、刃を引き抜く。それをくるくると回しながら、冬夜は男に迫る――並べてきた言葉とは裏腹に、狂喜に満ちた笑みを浮かべながら。

「さぁ、遊ぼうか」

 雲は月の明かりを遮り、大通りの華々しいネオンの光も届かない。闇夜に銀の閃光が走った。カビとすえた臭いの充満する汚れた世界に、もう一つ臭いが混ざる。ようやく冬夜は故郷に帰ってきたかのような心地に包まれ、心が静まった。

 三人の男がひれ伏す光景を冬夜は見下ろした。路地の奥で小さくなって震えている少年の瞳に浮かぶのは恐怖か、それとも高揚か。光の揺らぐ瞳で冬夜の姿をじっと見つめていた。それに構うことなく、冬夜は口の端を吊り上げる。

 ここが俺の世界だ――冬夜は夜空を見上げ、笑みと共に零した。

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