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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
ふたたびがくえんにて
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居場所と選択

「人の温もりって不思議だよね。言葉や触れあっているだけで、それを感じ取れるんだから。いや、しかしだね。それは本当の温もりなのだろうか? 君だって一度は抱いたことがあるだろう? 言葉で胸が温かくなるし、触れあっていると確かに熱がある。けれど、何か違うんだ。もっともっと温かくなりたかったんだ。だったらお風呂に入ってろ? まぁその通りかもしれない。間違っていないと思うよ。でも違うんだ。人の温もりをもっと感じてみたかったんだ。だから、解体してみた――熱の根元を見つけて、それに触れれば、より新鮮で、より真っ直ぐな温かみを得られるんじゃないかって。俗物だと思うよ。温かみを欲して人を解体するなんて、小説なんかに出てきそうな設定じゃないか。それは認める。僕は俗物だ。だけれど、実際にやってみて分かったことがあるんだ。何だと思う? 確かに人は温かかったんだ。腹を割いて、動いている内蔵の中に手を潜り込ませると、そこは今までにない温かみがあったんだ。でも、まぁかけられる言葉は正反対の冷たさをはらんでいたけれどね。冷えた鉄のようで、刃のように鋭く、僕の胸を抉ったよ。言葉じゃなくて言の刃だったけれどね。でも、それぐらいは耐えられるんだ。僕が浴びせられてきたのは、いつも冷たい言葉だったから。殴られ、蹴られで冷たい地面を這ってばかりだったから。だけど、今は違う。貴方のおかげで、僕は変われたんだ。これから新しい僕が――」

 それ以上、男の言葉が紡がれることはなかった。首筋から舞い上がる紅の噴水は美しい。ただ、それとは反対に、光を失って濁って行く瞳はどこまでも汚かった。

 ただ美しかろうと、嫌悪感は確かにあった――また殺してしまった、と。

 ナイフの血を拭い、死体を見下ろしているのは冬夜だった。返り血を浴びることもなく、ただ静かに、どこか悲しげな色をきざした瞳で、死に行く姿を見つめていた。

 名前すらも知らない彼は、「貴方のおかげで変われた」と言った。どこで関わったのかは覚えていないが、見覚えのある顔だった。

 どこかの路地裏で助けた少年なのだろうが、それ以上は思い出せなかった。

 秀が冬夜にきっかけを与えたように、冬夜もまた彼にきっかけを与えてしまったのだろう。

「お疲れさま」

「お疲れなもんか」

 冬夜は振り返りながら、憤りを僅かに滲ませた。

「仕方ないよ。この子は戻れない」

 冬夜の横に並び死体を見下ろしながら、薺は言った。後ろで束ねた髪は随分と伸びており、薺が首を振ると、さらさらと揺れた。

「もう止めてあげるしか無かった」

 もう一度、確かめるように薺は言った。瞳に迷いはなく、強い光が冬夜に向けられる。

「……いつもすまん」

 また薺に助けられるのか――冬夜は情けなく思いつつも、確かに心は軽くなっていた。重い空気の塊を吐いて、冬夜は路地裏の澱んだ空気を飲み込んだ。


 あの日――全てが終わり、そして始まった日でもある。身体を引きずるように去ってゆく冬夜の背中を、薺はじっと見つめていた。

「行ってやりなよ」

 緋人が穏やかに言う。薺は一瞬だけ肩を震わせるも、小さく頷き、駆け出した。

「辛いね」

 小さくなってゆく薺の背中を見つめながら、緋人は呟く。それを聞き取った秀が僅かに眉をひそめる。

「何が?」

「まだいたんだ……別に何でもないよ」

「てめえ、喧嘩売ってるんなら買うぜえ?」

 こめかみに青筋を立てながら、秀は殺意を放つ。しかし緋人は生気の無い瞳で、薺が消えていった校門を見つめたままだった。反応の薄さを不信に思い、秀は緋人の顔を覗き込んだ。その頬を一筋の涙が流れていった。

「え、ちょ、な、何で泣いてんだよ!?」

 後ずさりながら、秀は顔を引きつらせ叫ぶ。あまりに予想外の事態に、秀の思考は追いつかなかった。

「分かってたことだけど、やっぱり辛いんだよ。こんなことなら出会わなければ良かったなぁ」

 涙を流しながらも、頬はぴくりとも動かない。涙と充血した眼以外は泣いているようには見えなかった。それが余計に怖く、秀は更に数歩後ずさった。

「な、何だ、お前。あいつのこと好きだったのかよ?」

 緋人は小さく頷く。そこでようやく思考が追いついたのか、秀は大きく息を吐いた。

「……まぁ気にすんなよ。お前ぐらいイケメンだったら、その内良い人が見つかるさ」

 らしくないと思いながらも、秀は緋人の肩を優しく叩いた。

 やがて、ようやく緋人の表情が崩れる。顔をぐしゃぐしゃにして、嗚咽を漏らす姿は子どものようで、秀はげんなりとするのであった。


 一方、その頃、薺は外側の校門を抜けたところで、ふらふらと歩く冬夜の後姿を捉えた。走って乱れた息を無理やり整え、叫ぶ。

「なぐもん!」

 聞こえたはずだ。しかし、冬夜は振り返らない。そして足も止めなかった。薺は仕方なく駆け続ける。ようやく冬夜の下に追いつき、肩を引いた。

「ちょ――っとぉ!?」

 薺の奇声が木々の合間を木霊する。肩を引いた瞬間、冬夜はふらりと薺に倒れ掛かってきたのだ。今の冬夜は僅かな力に抵抗する力すらなかった。足が進んでいることすら奇跡に近い状態で、一度倒れたら、そのまま死んでいたであろうと思わせるほど弱りきっていた。

「……すまん」

 冬夜は薺から離れ、何とかバランスを取り戻す。

「何しに来た」

 冬夜は突き放すような冷たい言葉を視線と同時に投げかける。それに、やや気圧されながらも、薺は優しく冬夜の腕を引いた。強く引けば、再び先ほどのようなことになりかねないからだ。

「まずは休んで。じゃないと死んじゃう」

「……止まらないと誓ったんだ。その結果、死ぬなら仕方ないと思っている」

「死にたいの?」

 薺の質問に、冬夜は口を閉ざす。目を伏せ、少し考えた後に冬夜は再び口を開いた。

「そうじゃない。ただ、たくさんの命を奪ってきた俺が、生きたいと主張できる立場だと思うか?」

 薺は目を丸くして絶句する。もはや以前の冬夜ではない。こんな弱々しく、真面目な発言をするとは思えなかった。

「俺がこんなこと言うなんて意外か?」

 薺の思考を見透かしたように冬夜は僅かに微笑み、尋ねる。微笑み――否、自嘲するような、どこか暗い笑みだった。それでも薺は頷く。意外に思ったことを隠す必要は無かった。

「……だろうな」

「檻の中で悟りでも開いたの?」

「当たらずとも遠からず」

 とにかく、と冬夜は言葉を切って、空を仰いで息を吐いた。

「もう疲れた。しかし、それではアイツらが俺を許さない」

 あいつら? と薺が口ずさむのを聞いて、冬夜は小さく首を横に振る。

「もう、俺には関わらないでくれ」

 朽ちるまで、果てるまで贖罪を続ける――冬夜は小さく零して、再び足を進めようとする。しかし、薺は腕を離さなかった。冬夜はしばし薺の手を見つめ、感情の無い濁った瞳を薺に向けた。

「嫌だ」

「何故?」

 冬夜は尋ねる。しかし、薺は「嫌だから」と首を振るばかりだった。

「俺と一緒にいたところで、何も変わらないし、面白くない。俺は、ただ贖罪のために生きるのだから……俺ではお前を幸せにしてやることはできない」

 薺の肩をそっと押し、冬夜は諭すように語り掛ける。しかし、薺はやはり手を離さなかった。

「嫌なの。もう、あの時みたいに置いていかれたくないの」

 袖を掴む薺の手に力が入る。そして伏せていた顔を上げた。揺らぐことの無い決意に、冬夜は怯む。幾度となく、この瞳を見てきた。しかし、自らではたどり着けない境地だと諦めていた。

「どうやったら……お前らみたいに強くなれるんだろうな」

「一緒にいれば分かるよ」

 薺の即答に、冬夜はただただ苦い笑みを零す。しばらくの間、二人は向かい合ったまま微動だにしなかった。

 やがて動いたのは冬夜だった。膝から崩れ落ちるようになりながらも、薺が支え、何とか体勢を立て直す。

「……すまん」

「気にしないで」

 どこに行こうか? と薺が尋ねる。どこへでも、と冬夜は答えた。


 あれから半年が経つ。傍らの薺は冬夜の下を離れようとはしなかった。

 こんな自分のどこを好んでくれているのだろうか――冬夜は時折考えてみるも、答えなど出てくるはずもなかった。あまりにも長い間、中身の無い、空虚な偽りに身を潜めすぎたのだ。今まで見せてきた偽りの自分は、あまりにも空っぽだった。

 体力を取り戻した冬夜は、贖罪の意味を考え、ひたすら戦い続けてきた。しかし、それが正しいのかも分からない。ただただ進み続けると誓い、それに従ってもがき続けてきた結果が現状だった。

 夜の市街を抜け、見慣れた地元の風景が広がる。最寄の駅まで薺を送り、冬夜は家路についた。嬉しそうに微笑みながら手を振る薺は魅力的だった。はつらつとしたエネルギーがあり、生きることに前向きだ。無い物ねだりと言うのだろうか。自らの持っていない物に惹かれるのは、当然なのかもしれない。きっと、そんな薺の力強さに自らは惹かれているのだろう――冬夜はそっとため息をつき、苦い笑みを零す。

 それに比べて、自分はどうだ? 誰にも聞こえない声量で自問する。止まらないと誓っておきながら、進んでいるようには思えなかった。自らの過ちが足を引っ張る。あれほど軽く日常の一コマであった、人の死が重く圧し掛かってくる。それを振り払うように、首を振った。

 寒風吹き付ける夜道には渦巻く風の音と、静かに鳴き続ける蛍光灯の音、そして道行く人の足音がリズミカルに響き渡る。そんな中を冬夜は出来る限り音を殺しながら、足早に去ってゆく。自らの爪先を見つめながら、足を進める冬夜はふと人の気配を感じ、顔を上げた。

「よう」

 あまりにも軽い呼びかけに冬夜は心ひそかに胸を撫で下ろす。罪が自らを待ち受けていたのかもしれないと僅かに怯えていた冬夜の瞳に映ったのは、秀だった。僅かに愛想を含んだ笑みを向け、冬夜も応じる。しかし、秀はどこか不機嫌そうだった。

「俺の追いかけていたヤツが、さっき路地裏で発見されたんだが」

 言いたいことは分かった――冬夜はシラを切ろうかと考えるも、素直に白状する。

「俺がやった」

「だろーな」

 秀は顔を歪め、険しい眼差しで冬夜を射抜く。

「悪かった……しかし、これ以上は放っておけなかった」

 止めなければならなかった――冬夜は秀を見ずに小さく零した。

「でも、何度目だよ、お前が俺の獲物を横取りしたのは?」

「だったら、もっと早く始末しろよ」

 お前なら簡単だろうに――冬夜が呟くと、秀は呆れたように肩を竦める。

「だから面白くねえんだよ」

「で、成長するまで待ってたってか? それはお前の事情だ。俺には俺の事情がある」

 ほう、と頷く秀は顎で続きを促した。

「もう俺みたいなヤツを生み出したくない」

「ほーう、そりゃご立派なことで」

「嫌味にしか聞こえんよ」

「嫌味だよ」

 即答する秀に、冬夜はほろ苦い笑みで返した。そんな冬夜に釘を刺すかのように、秀の視線が鋭くなる。

「今度やったら殺すからな」

 顔色一つ変えずに肩を竦める冬夜を一瞥して、秀は背を向けた。その後姿が闇に溶け、消えてゆくまで冬夜は見送った。

「何か物騒なヤツだな」

 不意に横から声がして、冬夜は僅かに身構えた。身構える冬夜を見て、相手もびくりと肩を震わせる。大きく見開いた眼で冬夜を見つめているのは上村だった。冬夜はそっと胸を撫で下ろし、緊張の塊を口から吐いた。

「驚かすなよ」

 やや批難の色が濃いセリフを呟き、冬夜は力を抜く。

「前の学校の友達か?」

「あんな物騒なセリフ吐くヤツがか?」

 愚問だろうと思い、冬夜は肩を竦めた。しかし上村は真顔で返す。

「お前だって物騒だろうが」

 言われてみればと冬夜は納得してしまい、二人は吹き出した。静かな住宅街に響き渡る声を気にして、二人は声量を抑えた。

「変わったな」

 上村は笑みを崩さずに言った。冬夜は僅かに頬が引きつるのを感じながらも、「おかげさまで」と応じた。

「俺は何もしてねえよ……ただ、夕夏も最近はお前のこと変わったって嬉しそうに言うんだぜ?」

 冬夜は頷きながら、目を伏せた。今、自分がどんな顔をしているのかは容易に想像できた。

 やがて、無言が訪れ、蛍光灯の発する電磁波のような音が二人に降り注ぐ。上村の靴がアスファルトを叩き、どこまでも続いてゆく。

 平穏――こうやって上村と穏やかに話せる時が来るとは思ってもみなかった。しかし、まだ自分はこの平穏を享受するには早すぎる――冬夜は羨望を僅かに滲ませた表情を見られないように、ひたすら爪先を凝視した。

「じゃあな」

「ああ」

 しばらくして上村と別れ、冬夜は精一杯偽った仮面で応じる。秀と同じように、闇に溶けていく後姿を見つめながら、冬夜は呟く。

「……まだ、そっちには行けない」

 踵を返し、冬夜は家路を急ぐ。道に沿って蛍光灯がいくらも並んでいるが、今にも闇に呑まれそうなほどに弱々しい。それでも冬夜は進む。やがて彼の背中も闇に溶けていった。

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