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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
ふたたびがくえんにて
29/30

行く末

 赤と銀の刀身が激しく躍る。秀は戦闘の申し子と言っても過言ではなかった。実際に彼の振るう剣は何度も真祖を斬り裂き、ダメージを与えている。

 しかし相手の体力が多すぎた。どれだけ斬ろうと、緋人に並ぶ再生力を持つ真祖は顔を歪めながらも、そのまま紅の剣を振るう。

 肉を切らせて骨を断つとはいかずとも、少しずつではあるが秀も傷を負っていた。この蓄積を繰り返していけば勝てる――まだ体力に余裕のある真祖は確信していた。

 ただ、不安な要素があるとすれば、未だに崩れない秀の笑みだろうか。どれほど傷を負っても怯むことなく、刀を振るってくる。荒い息を吐きながらも、自ら攻勢に出てくる。どちらにせよ、相手のペースに呑まれてはならないと自らを戒め、真祖は剣を構えた。

 掛け声も掠らせながら、秀が再び地を蹴った。真祖は日本刀の連続攻撃は防ぎきれない。痛みを覚悟して、反撃の一撃を振るうことに集中する。

 刃が真祖の身体に触れた。その瞬間に真祖も全力で剣を薙ぐ。しかし秀は身を屈めて、あっさりと躱す。その間に刀は真祖の背骨に達し、切断する。

 下半身の感覚が消えたが、辛うじて繋がっている背筋で堪えて、真祖は剣を今一度振り下ろす。今度は躱せまい――確信を持った一撃だった。

 実際、それは秀の肩胛骨を捉え、そのまま心臓に向かっていた。ただ力が足りなかった。骨の半ばまで進みながらも、それ以上は動かなくなった。

「――ぞう、貰ったぜえええ」

 獰猛な笑みが真祖に迫る。声を掠らせながら、秀は再び刀を構える。下半身を失った真祖は、もはや躱すことすらままならない。宙を泳ぐ上半身からは冷や汗が噴き出した。

「っらあああ!」

 突きの勢いを殺さずに、そのまま真祖の身体ごと押し切る。後ろのコンクリートの壁に刀が突き刺さり、ようやく二人の身体は止まった。

 壁に張り付けになった真祖を満足そうに見つめ、秀は息を吐く。真祖は遠くに転がった下半身を見つめ、張り付けから逃れようと身を捩る。しかし、それを許すまいと秀は刀の柄を握った。

「惜しかったなあ」

 肩の切り傷を指さしながら、秀はにたりと笑った。

「ただ、お前はもう飽きた」

 それだけ言うと、秀は刀を抜いた。血だまりの中に真祖の上半身が落ちる。

 刹那、真祖の意識が途絶えた。秀が真祖の首を跳ねたのだ。次に両腕を切り落とし、遠くに蹴飛ばしてから、腹を切り開いた。首がないのに、内蔵は未だ機能を止めていない。てらてらと不気味な輝きを保ったまま、脈打っていた。

「心臓を杭で打ったら、死ぬって聞くよなあ」

 秀は無表情で呟くも、真祖には届かない。やがて、ゆったりとした動きで刀を持ち上げた。

「そこそこ楽しかったぜ」

 もはや興奮もなく、秀は心臓に刀を突き立てた。


*


 二人の低い唸り声が僅かに響く。両手を組み、押し合う二人の力が拮抗する。緋人もいつになく真顔で人狼の力に応戦していた。

 力は五分五分ではなかった。実のところ、緋人は全く本気を出していない。ただ真顔で応戦しているだけだった。真剣勝負に水を差してはいけないと彼なりの配慮だったが、押し合いも飽き始めていた。

「……えっと、あのやめませんか?」

 緋人はさらりと尋ねてみる。しかし人狼は唸ったまま、緋人をきつく睨みつけるばかりだった。

 参ったなと思わず頭を掻きそうになった。しかし手は現在、人狼と押し合いっこ中だった。

 このまま押し切ったら納得してくれるだろうか。緋人は仕方なく武力行使に移る。両手に力をこめると、骨が鳴った。それは人狼のものではなく、自らの骨格が悲鳴を上げる音だった。それでも瞬時に骨格が再生されてゆく。ただ痛みだけが残り、緋人は僅かに顔を歪めた。

 次の瞬間、緋人は人狼を一気に引っ張り込んだ。押している勢いを利用して、そのまま人狼の身体を振り回す。緋人は自らの身体をを軸に、人狼を何度も振り回した。

 やがて三半規管が麻痺してきたのか、緋人が倒れ込み、ようやく回転が収まった。その拍子に二人の手が離れ、人狼の身体が大きく飛んでゆく。そして校舎の壁に嫌な音を立てながら、ぶつかった。

 ずるりと落ちてゆく人狼は地面に伏せたまま動かない。それに対し、緋人はあっさりと回復して、身を起こした。

「勝ったのかな?」

 僅かに痙攣して、白目を剥いている人狼の身体を見下ろし、緋人は呟く。

「勝ったんじゃない?」

 それに答えたのは薺だった。緋人の傍まで寄って、人狼が白目を剥いていることを確認すると、手袋を外した。宙を舞う糸が僅かにきらめいた。

「ありがとう。君のおかげで助かったよ」

 薺に笑みを向けながら、緋人は言った。


*


「一応、選択肢をやろう。このまま大人しく捕まれば、命だけは助けてやる」

 無事な右腕は関節技を決められて動かず、背中を踏まれて地に這う冬夜は、もはや起死回生の手立てが無かった。

 生きるか死ぬかを迫られていると言うのに、冬夜は妙に静かな心地だった。冷え冷えとした廊下の心地よさ、頭部に狙いを定められているであろう拳銃、左腕の痺れるような痛み、右腕の関節の悲鳴、どこまでも深い静寂――五感の全てが解放されたかのようで、今なら何でもできそうな気がした。

 どう考えても詰んでいる状況で、冬夜は脱出を試みるべく、身を捩った。刹那、乾いた音が廊下で反響する。右肩に高熱が走り、冬夜は小さく呻いた。

 無事な右腕まで撃たれてしまったとなると反撃も難しい。それでも冬夜は身体を動かし続ける。それを見下ろす岩永は、冬夜の思考が理解できなかった。

 実のところ、冬夜は何も考えていなかった。ただ、ようやく身体と心が一致してきたことにより、自然と体が動くようになっていたのだ。追い詰められているにも関わらず、冬夜は清々しい心地だった。久しく忘れていた心身が合致する感覚に酔いしれていた。冷静に分析すれば詰んでいる状況ですら、ひっくり返せると根拠の無い自信が湧いてくる。それに冬夜の身体は従った。結果、無謀なだけで傷を増やすばかりだった。

 無駄に動く冬夜の肩、足にそれぞれ撃ち込み、岩永は諦めた。照準を頭に合わせて、最後の言葉を告げる。

「死にたいのか、お前は?」

 照準が頭に向いたことを、冬夜は気配で悟る。これが最終警告で、次こそ死ぬだろう。それを理解しながらも、冬夜は諦め切れなかった。死にたくないし、居場所を守ることも諦めたくない。冬夜は動きを止めることはなかった。

「そうか」

 残念だと最後に告げながらも、岩永はあっさりと引き金を引いた。向かってくる弾丸は空気を切り裂き、冬夜の後頭部を目指す。時間の経過が遅くなっても、身動きの取れない冬夜では躱しようがなかった。

 迫る弾丸を一瞥し、冬夜は小さく息を吐く。やるしかないと覚悟を決めて、息を止めた。刹那、右肩が嫌な音を立てた。無理やり関節を外したため、周囲の神経を傷つけたのか、凄まじい痛みが発せられる。涙目になりながらも、冬夜は身を捩って射線から逃れた。

 その瞬間、弾丸が冬夜の顔のすぐ横を叩いた。タイルの破片が跳ねて、冬夜は僅かに目を瞑った。

「――なっ」

 この距離で弾を外したことに、岩永は驚きを隠せずにいた。それだけではない。自らのハンドガンから排出されるはずの薬莢がスライド部分に挟まって、弾の装填を妨げていた。普段から丁寧に手入れを行っているため、これほど大事な時に裏切られるとは思いもしなかったのだ。

 二つの驚愕は、岩永を混乱にまで追い詰める。その間、およそ二秒ほどで、冬夜は脱出に成功した。

――やっちゃいなさい。

 二つの声が冬夜の脳内に凛と響く。その声は両方に聞き覚えがあった。冬夜は頷き、傷ついた左腕を振るう。岩永の後頭部に手刀が綺麗に刺さった。全力の一撃を放った冬夜は、そのまま岩永と一緒に倒れ伏す。

 そのまま冬夜は反転し、天井を仰ぎ見る。視線を横に移動させると、窓からどこまでも青く遠い空が見えた。

 冬夜の運が良かったのか、それとも岩永の運が悪かったのか。それらを否定するように、冬夜は僅かに首を横に振った。

「すまん……死んでからも迷惑かけて」

 今は亡き、二人の女性に向けての言葉は、静寂の中に呑まれて行った。

 ようやく終わった――冬夜は小さく呟く。しかし、それは即座に否定された。ささやく声が頭の中をぐるぐると回る。

「そうだな、始まりだよな」

 冬夜は身体を起こす。被弾の痛みは久しく、僅かに身体を動かすだけでも、意識が飛びそうなほどの信号が脳に押し寄せる。それを振り払うように首を振り、冬夜は進む。まだ――まだまだやることはある、と。


*


「な……お前、俺の獲物をお!」

 真祖を倒し、人狼を探していた秀が悲鳴に近い声を上げた。白目を剥いて、泡を吹いている人狼と緋人を見比べて、低く唸っている。それに慌てて緋人は首を振った。

「せ、正当防衛だよ! 襲われたんだから仕方ないでしょ!」

「え、自ら引っ張ってきたじゃん?」

 薺がいたずらっぽく微笑みながら、緋人の脇を肘で突いた。すると、秀の唸り声はより一層大きくなる。怒りに燃えた秀の瞳を見て、緋人の頬を冷たい汗が流れてゆく。

「そ、それはさておき! まだ、もう一人いたでしょ?」

「ん、ああ……あれなら今頃死んでるだろ」

 秀は刀を抜いて、人狼の腹を刃先でつつく。まるで起きろと言わんばかりの行為だった。

「うわぁ……完全に意識飛んでやがる。なにしたんだよ、お前」

 秀の問いに、しばらく考えて緋人は答える。

「ジャイアントスイング、かな?」

「より正確に言うと、逆ジャイアントスイングかな!」

 元気よく訂正する薺に、それに意気投合する緋人。そして一人、理解できずに首を傾げる秀――何とも不思議な光景だと冬夜は遠くから見つめていた。

 すべて終わった――冬夜は校舎に身を預け、ずるずると崩れ落ちる。腕や太股だけでなく、鼻血まで流れてきた。もはや止血を諦め、ぼたぼたと流れてゆく血を虚ろな瞳で見つめる。

 疲れた――冬夜は静かに瞼を閉じる。せっかく居場所を見つけられたのだから、死にたいとは思えない。ただ、このまま眠るように死ねるのであれば、それもいいと思えた。

 重ねてきた罪のどれぐらいを償えたのだろうか――それも結局は自己満足だ。しかし、それでも自らの身体が少し軽くなったように感じた。

――その程度で、あなたの贖罪が済むと思っているのですか?

 また声が響く。

「ちょっとぐらい休ませてくれよ」と呟いても、また別の声が言う。

――まだ死なせないよ。

「なぐもん!」

 誰かが冬夜の肩を揺すった。薄く目を開くと、薺の顔が映った。その後ろに緋人と秀の姿もあった。

「よう、お前も終わったのか?」

 秀は獰猛な笑みを浮かべたまま尋ねた。それに冬夜は僅かにうなづき、岩永の倒れている方向を指さす。

「殺してない……その内、目覚めるかもな」

「あれ、なぐもんにしては珍しいね?」

 薺の率直な疑問も、今の冬夜にはきつかった。内情を悟られないように苦い笑みで応じる。

「別に」

 冬夜は薺を押し退けて、何とか立ち上がった。緋人と秀の瞳に警戒心が宿る。しかし冬夜は二人を無視して、横を過ぎ去る。重い身体を引きずるように一歩ずつ進む。

「どこに行くんだい?」

「……さぁ」

 冬夜自身も明確な行き先があるわけではなかった。ただ、今はやるべきことがあった。それを目指して進むだけだった。

 冬夜が辿り着いたのは、岩永の下だった。岩永の身体を揺り動かしながら呼びかける。

「おい……起きてくれ」

 何度も呼びかけると、岩永は薄く目を開いた。寝ぼけているように周囲を見渡し、冬夜を視認すると慌てて後ずさった。

「な、何を――」

「何もしねえよ」

 冬夜は真顔で告げて、岩永の前に腰を下ろした。

「もう俺に干渉しないでくれ」

 一息吸って、冬夜は再び口を開く。

「あと、出来れば学園にいる奴らにも自由を与えてやってほしい。外で生きるか、それともここで生きてゆくのか、その決定権を与えてやってほしい……それだけだ」

 冬夜はじっと岩永の目を見つめ、静かに言葉を紡いだ。岩永の瞳は揺れる。戸惑いの色が濃く、返答に困っていた。

「一体、何を望んでいるんだ?」

 岩永は震えた声で問いかける。

「さっきも言っただろう? もう俺には干渉しないでほしいんだ」

 もう一度だけ同じことを言うと、冬夜は肩の力を抜いた。

「もう疲れたんだ」

「……個人的には、その提案も悪くないんだ。しかし、上が許すとは思えん」

「それを何とかしてくれと言っているんだ」

「無茶を言う」

「そのために勝ったんだ」

 岩永は苦くも、どこか嬉しそうな笑みを零した。

「分かった。出来る限りのことはしよう」

「助かる」

 それだけ言うと、冬夜は背を向けた。ふらふらとした足取りで校門へと向かう。本来は門番がいるはずなのに、今は閑散とした空気が重く沈んでいた。

 これから、どこへ行くのか。どこへ行けと言うのか。何をすればいいのか。何をすれば贖罪になるのだろうか。疑問を処理する余裕もなく、散らかった脳内をそのままにして門だった場所を過ぎる。真っ直ぐに伸びる道と左右に広がる地雷原が、ただただ空しかった。

 ここを通るのは三回目だ。意識がない時を含めれば四回目になることも忘れて、冬夜は歩き続ける。ただ辛い。揺れる両腕が悲鳴を上げ、棒のようになっている足ががくがくと震える。それでも止まってはいけない気がした。辛くても進み続けることが贖罪のような気がした。

 だから進む――傷ついた心身でも冬夜は足を止めることはなかった。

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