思いつき
近接武器で主の前に立った教師は全体の半分ほどの人数で、全員が即死だった。
残り半分は銃器を準備して、追いつめる手だてを立てていたらしいが、先に岩永 誓が主を殺してしまった。結果、主の持ち点はすべて誓が手に入れた。
しかし、そんなことは関係ない――冬夜は転がっている死体を遠目から眺めている。隣の薺も、いつになく静かだった。
「なぁ、この状態なら逃げれるんじゃないか?」
冬夜が教師の死体を指さしながら言うと、薺は盛大に吹き出した。
「なっ……捕まったら、死ぬよ!?」
「いや、大半の教師はもう死んで――」
その瞬間、冬夜は薺を引っ張って屋内に飛び込んだ。向けられた殺意に身体が勝手に反応したのだ。
「狙われてる」
「な、ちょっと、私は関係ないってば!」
廊下に備え付けられた監視カメラに向かって薺は叫んだ。そんな薺を余所に、冬夜は外の様子を窺った。刹那、冬夜の顔のすぐ横を何かが通り過ぎる。大きな音を立てて、床のタイルが割れた。
「今更、銃器を持ち出しやがったのか」
慌てて顔を引っ込めて、冬夜は舌打ちを漏らした。既に狙撃の準備は整っていることだけは分かった。
どうしたものか――冬夜は壁に背中を預けたまま考える。後ろで騒いでいる薺の声は耳に入らなかった。
一番、刺激的で楽しい選択肢を探す。考えるまでもなかった。やはり学園からの逃亡が一番だ。現状を打開できる手段なんて思い浮かばないものの、冬夜は笑みを殺しきることができなかった。
「ちょっと、なぐもん……本気で逃げる気?」
冬夜の笑みを見て、薺の顔が引きつった。それに応じるべく、冬夜は首肯してみせた。
「今なら、まだ間に合うよ。謝ったら、許してもらえると思うから――」
「今だからこそ逃げきれる可能性もあるんだ。こんな楽しいことを見過ごすなんて、俺には無理だ」
冬夜は薺を見据えた。
「巻き込まれたくなかったら、ここにいればいい。俺はここを離れる」
「でも――」
「今までありがとう」
冬夜は建物の影から飛び出した。射撃の的にならないよう、左右にステップを踏みながら駆けてゆく。向かう先は本校舎の放送室だった。そこで生徒全体に脱走を持ちかけ、圧倒的に数の少ない教師陣営を押し切ろうと考えていた。
「ちょっと置いていかないでってば!」
校舎までの距離は残すところ十メートルほどだった。不意に後ろから声がして、冬夜は振り返る。寮から一直線で駆けてくる薺の姿があった。
馬鹿が――それは声にならなかった。冬夜に向けられる殺気は減っている。それらの行き先はどこか――考えるまでもない、薺だ。
刹那、薺に向かってゆく弾丸を視認できた。本来ならあり得ないことだ。三つの弾丸の内の一つが、薺の頭部に向かっている。冬夜は地を蹴り、手を伸ばす。冬夜の身体は思っていたよりも抵抗無く進み、薺の身体を引き寄せることができた。その勢いを利用して、薺を本校舎へと放り込む。薺と入れ替わるようにして、冬夜がその場に残った。しかし弾丸を躱す余裕があり、冬夜自身も戸惑いを覚えた。流石におかしい、と。
こんな感覚は以前にもあった――風切 秀と戦った時だ。鍵を盾にして、秀の懐に飛び込んだ瞬間も全ての動きがスローモーションになった。極度の集中力がもたらした動体視力の向上だと、その時は納得させた。しかし、今回の動きは納得できなかった。たとえ動体視力が向上したとしても、身体がそれについていけるわけがないのだ。
一体何が起きてる――冬夜は額の汗を拭い、ゆっくりと迫る弾丸を見つめていた。それを悠々と躱し、薺の下まで駆け寄った。
「わ、お! って、え?」
冬夜は、倒れそうになっている薺の腕を掴んで引き起こし、そのまま校舎に飛び込んだ。射線の届かないところに入ったのか、追撃は無かった。
「三人か」
冬夜は建物の影に身を寄せて、外の様子を窺った。しんと静まっている。その後ろで薺が「私、転移に目覚めた!?」と、はしゃいでいるのは無視した。
「行くぞ」
冬夜は薺の横を通り過ぎて階段を上ってゆく。薺も慌てて冬夜の後を追った。
「ど、どこに行くの?」
「まずは放送室だ」
薺の質問に即答しながらも、冬夜は窓の外に気を配る。対面の校舎から狙撃があり、窓ガラスが砕け散った。遮蔽物が無い以上、走り抜けるしかない。冬夜と薺は身を屈めながら、廊下を駆け抜けてゆく。
「何で放送室なの?」
射撃による破砕音が響く中、薺が声を荒げた。振り返ることは無かったが、冬夜も声を張って答える。
「数で圧倒する!」
「数?」と復唱しながら薺が首を傾げた。
「脱出を全校生徒に持ちかけるんだ!」
冬夜の言葉に、薺は顔を引きつらせた。それに構うことなく、冬夜は廊下を駆け抜けた。
いつしか射撃は止み、廊下は不気味な静寂に包まれていた。だからと言って、冬夜が速度を緩めることはなかった。息が乱れるほどの全力で、ガラスの散らばった廊下を駆け抜けてゆく。乱発を止めて、一撃に狙いを定めている可能性を否定できなかったからだ。もし、そうだとしたら、現状に安堵して足を止めるという行為は、愚直の極みと言っても過言ではない。
結局、目的地の放送室に辿り着くまで、二人は全力で駆け抜けた。放送室の扉を乱雑に開け、冬夜は飛び込む。その後に薺が続き、扉を閉めてから、二人はようやく息を吐いた。
「……誰も、いないね」
そう広くはない放送室を見渡しながら、薺が言った。人が隠れるスペースも無いため、奇襲されることはないだろう。カセットやマイク、ヘッドホンだけではなく、初めて見るような機器もあり、冬夜は僅かに眉をひそめた。操作方法が分からないものの、時間をかけている暇はない。英単語で記されているボタンを適当に押してやると、スイッチが入った。
「あーあー、声は入ってるか?」
冬夜はマイクを叩きながら調子を確かめる。拡声された自分の声は、何とも言えない気持ちの悪さがあった。しかし時間に余裕の無い冬夜は、それを無視して本題に入る。
「はーい、生徒諸君」
「うわ、何か安っぽい」
「うるせえ、黙ってろ」
薺に釘を刺して、冬夜は再びマイクに向かう。
「教師陣営は母上にやられて壊滅状態。今が逃げるチャンスだと思わないか?」
冬夜の口が歪む。それを見た薺は戦慄を覚えた。
「早まるんじゃねえぞ、いきなり門に向かったところで、教師陣営は既に対策を練り始めているだろう。ならば俺らも同じく、だ……とは言え、こうやって放送しているから相手に筒抜けだけどな」
そこで一息吸って、冬夜は笑みを深くする。
「まず購買を襲え、数で圧倒しろ。俺らの強みは数だ、群れて一カ所を襲え。そこで武力を整えてから、また一カ所――門を攻め落とす。大半の教師は対母上戦の装備、配置のはずだ。今の購買は手薄。俺もこれから武器の調達に向かう」
以上、と冬夜はマイクのスイッチを切った。
「俺は購買に向かうが、お前はどうする?」
冬夜は壁に身を寄せながら、薺に尋ねた。
「今更じゃない?」
「そうか」
冬夜は扉を僅かに開けて、外の様子を窺う。待ち伏せは無かった。どこからか喧噪が聞こえてくる。思ったよりも上手く事が運んだことに満足しながら、冬夜は扉を開けた。
「あんな乱雑な演説でよくもまぁ……」
薺にも喧噪が届いたのか、呆れたようにため息をついた。それに冬夜は肩を竦めて応じる。
「こんな学園にいるヤツらが、まともなワケないだろう。勝算はあったさ」
冬夜は振り向かず、購買に向かって駆ける。狙撃は無かった。
やがて購買にたどり着くと酷い有様だった。その光景に薺だけでなく、冬夜ですら顔を引きつらせた。
「……予想以上の成果だぜ」
冬夜は小さく零す。購買の管理をしていた老婆が血塗れになって廊下に転がっていた。
冬夜と薺は購買の奥へと進んでゆくも、ほとんどの武器は無かった。刀や銃器は既に他の生徒が持ち去ったのだ。
「容赦ないな」
そう言うも冬夜はどこか嬉しそうだった。まだ残っているナイフを一瞥して更に奥に向かう。そこで革のベルトを発見した。ナイフやハンドガンを固定するポケットがある、それを身につけてゆく。そして再びナイフのところまで戻ってきて装備を整えた。
「四本か……心許ないな」
「てかナイフなんかじゃなくて、もっと別の――」
「慣れた武器が良い」
三本はベルトで固定し、残る一本を右手で握り直した。様になるなぁ、と薺は零した。
「さぁ行くぞ」
まだ購買に残っていた数名が、冬夜の言葉に頷く。今まで誰もが恐れ、近寄らなかった校門に堂々と歩を進めていった。
*
冬夜たちが校門に辿り着いた頃、門は酷い有様になっていた。侵入者を拒み、逃亡者を阻む絶望的な高さを誇った壁は既に崩れ落ち、辺り一面に砂埃が立ちこめていた。
「爆破物は無かったと思うんだが――」
冬夜が小さく漏らした。それと同時に思い出す。多少なりとも痛い目を見ている冬夜は、不機嫌そうに呟く。
「玖月か」
ビルの壁を傷一つ負うことなく、悠々と破壊する男ならやってのけるだろう。
冬夜たちは駆け足になり、壊れた門を抜けてゆく。瓦礫と死体が重なりあって、そこら中に転がっている。これが日本の光景だとは思えなかった。まるで海外の戦場に迷い込んだかのようで、冬夜は足元に注意しながらも、走る速度を緩めない。
首の無い死体や切り落とされた腕などは、誰の仕業なのか簡単に分かった。風切 秀だ。それ以外にも引きちぎられたような無惨な死体もあった。それを見て、薺は顔を青くしている。これは玖月 緋人だろうと冬夜は予想していた。他にも銃弾で撃たれて死んでいる生徒の姿もあったが、教師陣の死体に比べれば、ずっと少ない。
「善戦してるみたいだな」
死体の間を悠々と冬夜は進んでゆく。殺気は無かった。恐らく教師陣営は生徒たちの最前線を止めることで必死なのだろう。
「さぁ、これより援軍が参るんだぜ」
もう一本のナイフを抜いて、冬夜は駆けだした。叫び声と銃声が混ざり合って響きわたる。もはや戦場だった。そこに嬉々として、冬夜は突撃する。早くも教師二人を切り伏せて、更に奥へと進んだ。
「よおおおう、首謀者」
不意に聞き覚えのある声に、冬夜は足を止める。冬夜は反射的にナイフを構えた。
「今は身内で争っている場合じゃねえだろ」
「まぁ今回はなあああ」
秀は血走った眼で刀を振り下ろす。教師が受けようと差し出した銃器を両断し、刀は教師の身体にまで食い込んだ。
「まだ何人か狙撃手がいるぜえええ」
「忠告、ありがとう」
冬夜もさらりと教師の首を裂き、更に奥へと進んだ。すぐ後ろに薺がついてきており、悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
やがて向けられる殺意に、冬夜の世界が再びスローモーションになった。銃弾が流れてくる。それを身を捩って回避する。それと同時に弾の出所を探り当てる。背後の高い壁の上に二人の教師がいるのが見えた。
「一気に突破する」
戻るのも馬鹿らしい――後ろの薺に告げて、冬夜は全力で駆ける。行く手を阻む教師の心臓にナイフを突き立てながら冬夜は進み続けた。
やがて背の低い壁が見えてくる。あの門を潜れば外だ。冬夜、秀、緋人の三人は圧倒的で、前を立つ教師たちを次々と薙ぎ倒してゆく。
後ろからの狙撃を、緋人は何食わぬ顔で受けている。一瞬だけ血が噴き出すが、即座に傷口は消えていくのを見て、冬夜は苦笑を漏らした。
冬夜と秀の二人で門までの道を切り開いてゆく。二人が築いた道を悠々と歩く緋人も、やがて門に辿り着く。ゆるりと差し出した手が門に触れる。緋人の表情は穏やかなままで、力む様子すらない。しかし次の瞬間、門に大きな亀裂が走った。圧倒的な力にコンクリートが崩れてゆく。降り注ぐコンクリートの塊を気にすることなく、緋人は更に一歩踏み出した。それと同時に門は完全に崩れ落ちた。砂埃が舞い上がり、視界は最悪の中でも戦闘は続く。怒号と悲鳴の混じり合う戦場から逃れるように、生徒は一斉に門へと殺到した。砂埃の中に次々と消えてゆく生徒たちに混じって、冬夜と薺も脱出する。咳き込みながらも砂埃を抜けると、そこは外の世界だった。土の道がずっと伸び、左右は森林が広がっている。砂埃から離れて、冬夜は肺一杯に新鮮な酸素を取り込んだ。
遠くから、「外だ!」と歓喜溢れる叫び声が響きわたった。そこで冬夜は足を止め、振り返った。未だ砂埃に覆われた学園を見つめる瞳は、どこか憂鬱の色をきざしていた。
「早く逃げないの?」
一緒に脱出した薺が、冬夜の顔を覗き込みながら尋ねる。
「いや、呆気ないモンだな、って」
砂埃の中から飛び出してきた銃弾を、ナイフの刃で逸らしながら冬夜はため息をつく。
「てか、それ人間ワザじゃないよね……」
冬夜の超人技を前に、薺は苦笑を漏らす。
ただ、冬夜からすれば簡単なことだ。飛んでくる銃弾が見て取れるのだから、それを丁寧に刃先で触れ、受け流してやるだけで良かった。
肩を竦めて薺に応じようとする冬夜は、そこで異常に気づく。四肢が妙な重みを持ち始めていたのだ。
「なぐもん、鼻血が――」
薺に指摘され、冬夜は鼻の下を袖で拭う。真っ赤な血が袖に染み込んでいた。
何かが変だと疑い出した時には遅かった。四肢の重みは、いつしか痛みへと変わり、視界から光が失われてゆく。爆音を思わせる戦闘音は急激に遠くなり、それが意識の消失だと気づいても、もはや手遅れだった。
かくりと膝が折れ、崩れゆく冬夜の頬を銃弾が掠めた。その痛みすら曖昧になり、全てが無に帰す。自らの名前を必死に呼ぶ薺の声を最後に、冬夜の意識は闇に呑まれた。