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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
がくえん
22/30

暴走

 体育館では保守派の集会が行われていた。しかし、以前のように温い空気ではない。殺気が充満し、今にも爆発しそうな危うさをはらんでいた。

 やがて壇上に一人の男が現れる。母上 主だった。目を真っ赤に腫らして、壇に上ってゆく姿は、どことなく俳優のように見えた。

 主は俯いたまま、両手を机に叩きつけた。やがて、ゆったりとした動きでマイクを手に取り、呟く。

「……やつらが裏切った」

 震えた声が体育館内に響きわたる。喧噪が止み、保守派の面々は主の言葉に耳を傾けた。

「保守派を新しく立ち上げた我らがリーダー、加納 朱里は推進派の手によって暗殺された。我々だけでなく、推進派も無所属も守ろうと慈悲深い彼女は日々奔走し続けた……なのに……なのに!」

 主が再び机を叩く。その音をマイクが拾い、全体に響きわたった。

「あいつらは朱里さんを殺した……!」

 主がようやく顔を上げた。頬には幾筋も涙が流れた跡が残っている。そのせいか、目は真っ赤に充血していた。

「この蛮行……許せるものかッ!!」

 主の声が掠れた。それに応じるように、体育館の空気が揺れる。悲鳴のような怒声が響きわたり、圧倒的な熱意と殺気が体育館に渦巻いた。

 それをぼんやりと見つめながら、大したものだ、と冬夜は感心していた。冬夜は、主のすぐ後ろでパイプイスに腰掛けていた。この集会におけるゲストのような扱いだった。

「ここで紹介しようッ! 保守派の新しい仲間……南雲 冬夜くんだ。彼のような強者が我々と一緒に戦ってくれるッ!」

 歓声が上がり、冬夜は僅かに眉をひそめた。あれほど冬夜を避けていたというのに、味方になった途端、この扱いだ――冬夜は呆れ果てていた。

 そして事実を述べるなら、冬夜はこちらの味方ではない。保守、推進どちらでもなく、ただの無所属に近い思想だった。

 戦争なんて、正直どうでもよかった。朱里の死に同情したわけでもない。ただ、一つだけ、冬夜はやりたいことがあった。

「南雲くん、一言お願いできるかな」

 主からマイクを受け取り、冬夜はパイプイスから立ち上がった。その際、主が冬夜の耳に口を寄せた。

「……打ち合わせ通り、頼むよ」

 そう言って主が見せた笑みは、鉄仮面のような冷たさがあった。先ほどまで涙を流しながら演説をしていたとは思えない。

 冬夜は一歩前に出る。マイクを口の近くまで持っていき、大きく息を吸う。そして冬夜は口を開いた。

「お前ら、馬鹿か?」

 一瞬にして、体育館が静まった。やがて冬夜の言葉の意味を理解したのか、怒声が飛び、体育館を満たしてゆく。しかし冬夜はマイクを片手に、飄々と肩を竦めた。後ろの主の顔が引きつっているのを一瞥すると、冬夜は心底嬉しそうに口の端を吊り上げた。

 壊してやる。お前の思惑なんざ、粉々にしてやる――冬夜は再び前に向き直った。

「良いことを教えてやろう。お前らが推進派と戦争をしたら、確実に潰される」

 冬夜は、ちらりと主の様子を伺う。額に青筋が立っていた。

「て言うか、お前らみたいな雑魚が大量に集まったところで、俺すら殺せんよ」

 空気は破裂寸前だった。恐らく、主の手によって興奮剤が撒かれているのだろう。実際、冬夜がいつになく饒舌なのは、その影響もあったからだ。

「もう少し冷静に考えろ、本当に勝てる相手なのか?」

 冬夜の改めた問いかけで、体育館はしんと静まった。やがて、ざわめきと動揺が広がっていくのが見て取れた。

「いいか、てめえら。あの女は仇を討ってほしいなんて思ってねえ。戦争を起こさずに、最後まで皆に生き残ってくれ、と願ってたんだ」

 らしくない――そう思いながらも、冬夜は続けて言う。これも興奮剤のせいなのだろうと、一人納得しながら。

「それでも、お前らは勝ち目の無い戦争を――」

 最後まで言わずに、冬夜は壇上から飛び降りた。背中に刺されるような殺気を感じたのだ。冬夜は構えて、じりと後ろに下がる。刹那的に対抗を考えたが、武器が無いので逃げを選択する。

「外に出ろ!」

 顔を真っ赤にした主を見て、冬夜は叫んだ。それと同時に冬夜自身も、主に背を向けて駆け出した。

 主が使う毒が見えない可能性に気づいたのは、公開されたビデオを見たときだった。朱里は体育館の真ん中まで進むと、喉に手を当てて崩れ落ちた。それは何かを吸い込んで苦しむように見えた。つまり空気中に何か毒のような物が混じっていたと、冬夜は考えた。

 それならば、死因を特定することができただろう。本来なら朱里の身体から死因となった毒が検出されるはずなのだ。しかし毒は検出されず、彼女の死因は病死扱いとなった。

 そこで浮かんだのが、主だった。彼なら検死でも引っかからない、新しい毒を開発できるのではないか――全ては冬夜の推測に過ぎない。もちろん間違っている可能性もあった。ただ、そんなことはどうでもよかった。結局は、人の思惑をぶち壊したいだけで、冬夜は行動を取った。

 冬夜は足を止めて、額から流れてくる冷たい汗を拭った。そして意地の悪い笑みを浮かべて、振り返る。主が壇上から降り立ったところだった。

「やっぱり赤腕章に相応じゃねえか……!」

 毒が散布されているとなると、主には近寄ることすらできない。冬夜になす術は無かった。

 逃げ遅れた数名が、突然苦しみ、やがて動かなくなった。それを見て、冬夜は背を向けて全力で駆けだした。

「この学園にいる限り、逃げ場などない」

 全員、殺す――そう呟いた主の瞳に、狂気が宿った。


*


 母上 主は百年に一度、生まれるかどうかと言われるほどの天才だった。それは極端に知的な方向に偏った才能で、運動などは苦手だった。しかし、それを補って余りある才能に、両親も期待せずにはいられなかった。

 彼は周囲の期待に応えるように、凄まじい速度で知識を吸収していった。やがて小学校を卒業すると同時に渡米し、大学に入学した。

 主が目指したのは、医者だった。たくさんの人を救いたい、と切に願い、必死に勉学に励んだ。人を守り、救うこと――それが自らの使命だと胸を張って言い切ることができた。

 しかし予想外の挫折が待ち受けていた。血を見た途端、主は気を失ってしまうのだ。それは何度繰り返しても、克服されなかった。血の臭いだけで目眩がし、遠目で見ているだけでも吐き気を催す。血に触れたりしたら、その場で気を失うのだ。

 それから自らの血を使って、克服しようと日々努力を積み重ねた。しかし自らの血では意味が無かった。そのため、他人の血を使ってみるも、一日で胃に穴が開きかねないストレスに苛まれ、ノイローゼになっていった。

 やがて主は薬学の道を目指すようになる。彼が十四歳の時のことだった。薬でも人を助けることができる、と自分を鼓舞し、勉学に励んだ。そして様々な薬品の開発に成功した。しばらく順調な日々が続き、主は十六歳の春に一度帰国することになった。そこで真克学園に目を付けられ、強制的な編入が決まった。

 それから主は自らの運命を何度も呪った。人を助けるために詰め込んだ知識が汚されてゆく――そんな心地に日々苛まれた。それでも自らの身を守るために戦わなければならない。主は苦心しながらも、人を動けなくする程度の毒で勝利を重ねていった。それから玖月を止める毒薬も開発し、赤腕章も手に入れた。それでも主の心は満たされなかった。

 ここは自分の居場所ではない――真克に入学して、そこそこの地位を築きながらも、その思いが消えることはなかった。

 そして主は学園生活の三年目を迎えた。

 あと一年で解放される。自らの志した人を救う仕事に就くことができる――そう信じて耐えてきた主は、ついに壊れる。示された進路先が細菌兵器などの研究所しなかったのだ。

 主は教師に詰め寄り、「普通の病院を紹介してくれ」と泣き叫んだ。しかし教師は無表情で告げる。

「真克の卒業生なんか、危なっかしくて、普通の病院では雇ってくれんよ」

 その瞬間、ずっと耐えてきた主の中で何かが切れてしまった。


「許さない」と何度も繰り返しながら、主が体育館から姿を現した。それを取り囲むように、数人の教師が立っていた。ガスマスクを装着し、主に殺到する。しかし誰一人として、主の下まで辿り着ける者はいなかった。一人、また一人と倒れ、動かなくなった。

「馬鹿だろ」

 主はあざ笑うように、教師の頭を蹴り飛ばした。

「そんな物じゃ防げませんよ、僕の毒は」

 悠然と主は校舎に向かって、歩を進めてゆく。何人たりとも、彼を止めることなどできなかった。

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