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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
がくえん
20/30

派閥

 黄の腕章になってからは、一年生に近寄られることすらなくなった。どうやら吸血鬼の佐伯が「絶対に南雲さんと戦うな」と言い触らしているようで、冬夜と目の合った一年生は悲鳴を漏らし、一目散に逃げ出すようになった。

 また退屈な日々に戻るのかと落胆しつつもあり、また別の変化に冬夜は胸を躍らせていた。赤や橙の腕章を持つ上級生が、冬夜に向けて殺気を放ち始めたのだ。これは近々、楽しいことになりそうだ――冬夜は嬉々として校内を歩き回った。

「なーぐーもーん」

 不意に呼ばれて、冬夜は振り返った。薺は冬夜の背中に飛びかかって、首に両腕を絡めた。

「ちょっといいかなー?」

「何だよ」

 冬夜は鬱陶しそうに腕を振りほどく。薺は少し悲しそうな笑みを浮かべながら、冬夜から離れた。

「えっとね、今日は久々に集会があるから、なぐもんを連れていこうかと思ってたんだよ。どうせ放課後、暇でしょ」

「何の集会なんだ?」

「保守派の」

 保守派と聞いて、冬夜は顔をしかめた。

「何だ、それ」

「えっと、簡単に言えば、皆で無事に学校を卒業しようの会かな」

「初めから、そう言え」

 冬夜はようやく理解した。この学園のルールに従って試合をこなし、傷つけ合うことなく卒業をしようと考えているグループなのだろう。冬夜は即座に断った。

「何でよー、どーせ暇してるでしょー?」

 薺が口を尖らせた。子どもか、と冬夜はため息をつく。初めて薺と出会った時の印象は、もはや微塵も残っていなかった。

「いや、確かに暇だ。それは否定しない。ただ、そんなところに加わっても、更に暇するだけだろ」

「んー、そうとは限らないんだなぁ」

 薺が微笑むと、冬夜は足を止めて、次の言葉を待った。

「まぁ派閥があるってことは、敵対しているところもあるわけなんだ」

 冬夜の肩がぴくりと動いた。それを見て、薺は笑みを深くした。

「ね、話だけでも聞いていかない?」

「分かった、行こう」

 上手く乗せられたことを認めつつ、冬夜は集会に参加することを決意した。


*


 放課後になり、冬夜は薺の案内に従って体育館を訪れた。思っていたよりは人が多く、冬夜は感嘆する。赤腕章の戦いを見てからは、化物の集落だと思い込んでいたためだ。常識から離れきっていない者も、まだまだ多いのだろう。

「一年が六十二、二年が二十三、三年が十一人の最大派閥なんだよ」

 薺の説明に、冬夜は僅かに頷いた。体育館には教師の姿もあり、いくらかの試合が行われていた。しかし、どの試合を見ても、武器の使用は無かった。素手で殴り、組み――まるで武道の稽古のような風景に、冬夜は思わず失笑を漏らす。見ているだけで、苛立ってきそうな弱々しい試合ばかりだった。

 やはり来るべきでなかったかもしれない――冬夜は不機嫌そうに、眉をひそめた。

「まぁまぁそんな怖い顔しないで。ほら、奥に行こう」

 薺に腕を引かれて、冬夜は壇上に向かってゆく。

 冬夜の姿に気づいた数人が、目を丸くして、飛び退いた。冬夜を避けるように自然と道が開け、薺と冬夜は苦労することなく進むことができた。

「相当、怖がられてるね。鮮烈なデビューだったからかな?」

 薺の苦笑に、冬夜は肩を竦める。冬夜自身は、そこまで鮮烈なデビューをしたつもりはなかった。あれぐらいは日常茶飯事で、生きるか死ぬかを繰り返してきたため、既に感覚が狂っていたのだ。

 否、全てを忘れ、楽になるために狂った――冬夜は、それを理解しつつも、反省するつもりは微塵も無かった。

 壇の前に辿り着くと、一人の女の姿があった。そこで冬夜の足が止まる。じっと女の顔を見つめた。気の強そうな切れ長の目が印象的だった。瞳は遠くを見つめ、深い色に染まっている。

 ふと冬夜の記憶が蘇る。彼女をどこかで見たことがあったのだ。しかし、どこでか思い出せず、冬夜は眉をひそめた。

 思い出さなければならないことだ――冬夜は頭を抱える。記憶を遡り、流れてゆく映像を細かくチェックしてゆくも、彼女の顔はなかなか出てこない。やがて冬夜の腕を砕いた男の顔が過ぎて、とある顔が思い浮かぶ。冬夜は、はっとして顔を上げた。

 そうだ、と小さく呟いて、冬夜はポケットからボールペンを抜く。その動作に意図は無かった。身体はあまりにも自然に動いていた。

「え、ちょっと、なぐ――」

 薺が冬夜の異変に気づいた時には遅かった。獣のごとき荒々しさで薺を押し退けると、床を強く踏み切って冬夜は飛んだ。

 突然、壇上に現れた冬夜を見て、女は目を丸くした。

「待って!」

 薺の制止も耳に届かず、冬夜はポケットから抜き出したボールペンを振るう。

 しかし結果は薺のときと同じだった。寸止めになったボールペンは僅かに震えていた。

「……クソ、何でだよ!」

 冬夜は、ペンを地面に叩きつけて吠える。女は、ぼんやりとした瞳で冬夜を見つめていた。

「ちょっと、なぐもん。どういうつもり!?」

 ようやく壇上に現れた薺は、冬夜の胸倉を掴んで怒りを露わにした。しかし冬夜も苛ついているようで、それを乱雑に振り払う。

「こいつが俺を殺したんだ。今ここで殺しても、文句ねえだろ!」

 冬夜は女を指さしながら更に吠える。

 それに対し、薺は顔を強ばらせながらも、「落ち着いて」と言った。冬夜を引き寄せて、薺はささやく。

「ここで言ったって仕方ないでしょ? もし本当に時間が巻き戻っているなら、この時点において、その話は未来のことなのよ? 誰も分かるわけないじゃないの」

 確かに、と冬夜は肩から力を抜いた。

 また、歴史は大きく変わってきている。冬夜が彼女に殺される結末が、本当に訪れるのか分からないぐらいに大きな変化だ。

「……すまん」

「もう……フォローする側の気持ちにもなってよね」

 薺は不機嫌そうに冬夜の胸を突いた。そして冬夜の下を離れて、女に駆け寄った。

「ごめんね、驚かせて。大丈夫?」

「ええ、私は大丈夫です」

 女が僅かに頷いた。しかし動揺は無く、澄んだ瞳で冬夜を見つめていた。その余裕な態度が冬夜の癇に障った。

「こちらは南雲 冬夜くん……って説明しなくても分かるか」

 薺の言葉に、女が改めて頷く。

「で、この子が保守派をまとめたリーダーの加納かのう 朱里あかり。一年生で、なぐもんと同じ編入生なんだよ」

 朱里は僅かに頭を下げた。警戒している様子は全くない。こんなのがリーダーでいいのか、と冬夜は少し心配になった。

「で、だ。なぐもん、まずは言うべきことがあるでしょ?」

 薺に睨まれ、冬夜は小さくため息を漏らす。それでも言うべきことは理解していた。

「悪かった、ちょっと色々と混乱してた」

「いえ、気にしないでください。やっぱり寸止めでしたし」

「いや、あかりん、そういう問題じゃないってば」

 薺の常識的なツッコミに、朱里は首を傾げる。そして冬夜は朱里の言い方に違和感を覚えた。

「あーもういいよ! さっさと本題に入るよ!」

「ああ、その件は私に任せてください」

 朱里は淡い笑みを浮かべる。それは見る者に不思議な心地を抱かせた。優しさ、温かみ、そして儚さがない交ぜになり、冬夜の中に渦巻く。それを振り払うように、冬夜は僅かに首を横に振った。

「いや、でも――」

「南雲さんと二人で話したいのです」

 朱里は澄んだ瞳で、薺を見つめた。冬夜がこの学園にやってきてから、初めて見た汚れのない瞳だった。

「それは本当にヤバいって」

 薺は必死に朱里を止めようとするも、朱里は静かに薺を説得し続けた。しかし朱里も頑なで、最終的に薺が折れた。

「なぐもん、絶対にあかりんに手を出しちゃダメだよ」

 薺に何度も言われ、冬夜は渋々ながら頷く。

「では、行きましょう」

 朱里の案内に、冬夜は従ってゆく。その後ろ姿を、薺は心配そうに見送った。


*


 朱里と冬夜が二人っきりになって、一時間ほど経った。薺はぼんやりと体育館内を見渡していた。消化試合ばかりで、熱意もやる気も殺意も無い。見ていて退屈なものばかりだった。

 ほんの数ヶ月前まで、こんな光景を想像すらできなかった。それほど殺気の充満した校内でだったのだ。試合で死者が出るのは当たり前、派閥ができても潰し合いが起きて、戦争のような状態になっていた。しかし朱里の主導によって作り上げた派閥は閉鎖的で、外との抗争は一切無かった。

「日和見と馬鹿にされようとも構いません。私たちは絶対に殺し合いません」

 どれだけ挑発されようとも、朱里は言い切って、信念を曲げなかった。それに惹かれて、薺は保守派への参加を決めた。それが数ヶ月前の話だとは思えないほどの人が集まり、今までにない規模の派閥ができたのだ。

 昔から、このような考え方が無かったわけではない。しかし派閥内部での裏切り行為や、派閥同士の抗争で潰れてしまうことが多かったのだ。保守派を立ち上げてきた先人の反省を活かし、朱里は固いルールを作り上げた――絶対に別の派閥の生徒と試合をしない、と。

 しかし実際のところ、この派閥が長持ちするとは思えなかった。自分が卒業するまで持てばいい――薺は、そう考えていた。

「薺くん」

 試合の風景をぼんやり見つめていた薺は、ふと我に返った。振り返ると、一人の男が立っていた。

 母上ぼがみ あるじ。薺と同じ三年生で、保守派にも属している。本人も戦闘向きではないと認めるほど、線が細い。また銀の細いフレームの眼鏡をかけており、知的な印象が強かった。

「君は消化しないのかい?」

 学園のルールの一つに、月に一回以上の試合をしなければならない、とある。それに従って、身内同士で試合を行い、勝敗を分け合う――それを消化試合と呼んでいた。文字通りノルマを消化する試合なのだ。

 ただ、薺は偶然とは言え、冬夜と試合を行い、既に引き分けとの結果を得ていた。そのため、消化試合を行う必要もなかった。

「私は、なぐもんと戦ったから大丈夫」

 そうか、と主は小さく呟き、薺の横に歩み寄った。

「凄い子らしいね、南雲くんって」

「うん、アレは本当にヤバいよ。あ、ほら、一年生の佐伯いるじゃん? あの子をフルボッコしたこともあるんだって」

「え、あの吸血鬼を?」

 主の瞳が揺れた。困惑と驚愕が混ざり合い、最終的に曖昧な笑みへと変わってゆく。

「恐れ入ったよ。化け物を越えるって、怪獣レベルなんじゃないかな」

「あんたは怪獣レベルを越えてるけどね」

 薺は呆れたように呟くと、主は苦笑を漏らす。

「玖月くんとは相性の問題だよ」

「謙遜も過ぎると嫌味にしか聞こえないよ。本当に、あんたが玖月を止めなきゃ、三年生の大半は死んでたんだから」

 血走った瞳で荒れ狂う怪物の姿を思い出し、薺の背筋に悪寒が走った。赤腕章を総動員しても止められない怪物を、彼はたった一人で止めたのだ。現在の二年、三年生の間において、主は英雄扱いだった。

「……もっと早く止められる薬を作れてたら、と思うよ」

 主は僅かに顔を歪める。しかし、その瞳はどこか冷めていた。

 薺は、それを一瞥して小さく息を吐く。利己的な自分が主を責める資格など無い――そう言い聞かせた。

「まぁ、あんたがいるお陰でパワーバランス取れてるんだから、私らは感謝してるよ」

 薺は、すくと立ち上がった。主に背を向けて、体育館の奥へ足を進めた。あまりにも遅い二人――主に朱里を心配して、応接間を目指す。その道中で、不意に扉が開いた。そこに姿を現したのは冬夜だった。

「あ、なぐもん」

 薺は冬夜の下に駆け寄った。しかし、朱里の姿が無かった。まさか、と薺は息を呑みながら、冬夜に詰め寄る。

「朱里、生きてるでしょうね?」

「ああ、殺してない」

 見てこいよ、と冬夜は応接室を指さした。すると、朱里が部屋を出てきた。

「なぐもんに何もされなかった?」

 薺が尋ねると、朱里は微笑みながらうなづいた。それを見て、薺は胸を撫で下ろす。

「はぁ、一時間も戻ってこないから、なぐもんに殺されちゃったかなって思ったよ」

 信用ねえな、と冬夜は顔色一つ変えず呟き、朱里の頬は僅かに引きつった。

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