転校初日
編入の手続きは驚くほどスムーズに行われた。あとは冬夜が荷物をまとめて、学校に向かうだけだった。真克学園は全寮制で、冬夜も入寮しなければならないのだ。
簡単に言えば軟禁みたいなものだろう――冬夜が言うと、女は苦い笑みで応じた。
学校には家庭の都合で、と言うことになっている。しかし夕夏は変わらず今の高校に通い続けるので違和感は拭えない。実際、西浦にはバレた。
「何かあったんだよね?」
西浦は何度も問いかけてきた。しかし冬夜は一切答えなかった。少しでも話してしまえば、彼女も巻き込んでしまうことを理解していたからだ。ずっと続く監視の目にうんざりしながら、冬夜は小さく息を吐いた。
冬夜の両親は何も言わないものの、渋い表情だった。突然の転校に納得がいかないのも当然のことだ。しかし断れないことを理解したのか、最終的には転校を認めた。それも冬夜の説得があって、ようやくのことだった。
突然の転校がこうもスムーズに進んだのは、冬夜が乗り気だったことも一つの要因なのだろう。両親を説得し、学校にも自ら説明に向かい、冬夜にしては珍しく積極に行動した。結果、手続きはあっさりと済み、真克学園への編入が決まった。
編入当日、冬夜は大きな鞄を肩に掛けて、約束の時間を待った。一体どんな学園なのだろうか――冬夜の胸は期待で満ちて、自然と笑みが漏れてきた。
やがて車のエンジン音が家の前で止まった。そして呼び鈴が鳴る。それと同時に冬夜は家を出た。母だけが心配そうに冬夜を見送った。父は会社、夕夏は既に学校に行っていた。「行ってきます」と、まるで近所に出かけるような軽さで冬夜は去っていった。
門の前で黒いスーツに身を包んだ男が待ち受けていた。衣類越しでも分かる強靱な体躯に、冬夜は唾を飲み下す。しかし、すぐ後ろに母の目があるため、冬夜は高揚を押さえつけた。
男に荷物を預け、冬夜は後部座席に乗り込む。男は荷物をトランクに収納すると、運転席に乗り込んだ。やがて車は出発する。行く先は真克学園――湧き上がる高揚に呑まれないよう、冬夜は歯を食いしばって、うつむいた。
「お久しぶりですね」
不意に声をかけられて、冬夜は顔を上げる。端正な顔つきの少女が助手席に腰掛け、冬夜を見つめていた。鼻はすらっと細く、目もぱっちりとした二重だった。あまりにも興奮しすぎて、人の気配に気づかなかった。そのことを恥じながらも、冬夜は疑問を口にする。
「……お会いしたことありましたっけ?」
「忘れられてる!?」
ああ、と冬夜は思い出す。このテンションは、あの時の女だ、と。
「あなたは今、何で私を思い出しました!?」
冬夜は答えなかった。眉一つ動かさずに冬夜は尋ね返す。
「あんたも生徒だったのか?」
「あ、はい……あの私の方が先輩ですから、あんたって呼ばないでほしいです」
女は露骨に嫌そうな顔をするも、冬夜は相手の名前を知らない。そのことを告げると、女は頬を赤らめた。
「……すみません、結川 薺です」
「結川さんね」と冬夜は復唱しながら、毎度のごとく覚えるつもりはなかった。
「私が伝えるのは一つだけです」
薺は真顔に戻って指を一本立てる。冬夜は唾を飲み下しながらも、緊張ではなく喜びを露わにした。
「絶対に学園から逃げようとしないでください」
「殺されるからか?」
「そうですね」
あっさりと肯定される。冬夜は何となく心地が良かった。これこそ、自らが求めた場所だと実感できた。逃げるなんて、とんでもない――完全に否定できた。
「基本的には教員に追いつめられて殺されます。それに逃げようなんて思えないような要塞ですから」
要塞って外からの侵入を防ぐのでは、と突っ込むと薺の頬が再び赤らんだ。
「牢獄って言うべきですかね」
「でも、あの刀男とか、あんたは外に出てるじゃないか」
「ええ、秀は実習だったんです。ただ、なかなか帰ってこないものですから、私たちが派遣されたんです。私も身勝手な行動を取ってたら、すぐに殺されたでしょうね」
薺は苦笑を漏らしながら続ける。
「この運転手さんも、めっちゃ強いんですよ。私なんか、すぐに殺されちゃうので絶対に刃向かいたくありません。それに私は、もうすぐ卒業ですし」
指さされた運転手は無言だった。ただ、冬夜は「やはり」と呟く。そして、口の端をつり上げた。
「なら試してみてもいいか?」
「生き残る自信があるなら――それと私を巻き込まないでくださいね?」
刹那、冬夜の背筋に悪寒が走った。まるで身体に電流を流されたかのように、指先まで硬直する。あまりにも莫大な殺気を向けられて、出所が掴めなくなるほどだった。ただ、言うまでもなく、この運転手の男が放った殺気に違いない。
冬夜のうなじを冷たい汗が流れていった。何とか呼吸を整えて平静を保つ。お互い、いつでも動き出せる状態だった。いつしか、男のシートベルトは外れていた。
「冗談だよ」
冬夜は自らの殺意を抑えて、後部座席に身を預けた。殺意が止み、車のエンジン音が戻ってきた。ふと助手席に目をやると、薺が泡を吹いていた。
「……こいつ、本当に何しにきたの?」
冬夜が尋ねると、運転手は僅かに肩を竦めた。
*
しばらくして薺が目を覚ます。気を失った前後の記憶が無いらしく、「あれ、私、寝てた!?」と騒がしかった。冬夜も説明するのが面倒くさく、何も言わない。運転手は相変わらず沈黙を守り続けた。
「あ、もうすぐ着きますね」
見覚えのある風景なのか、薺が言った。辺りから高層ビルは消えて随分と経つ。小さな町を抜け、いつしか木々の中に伸びてゆく道を走っていた。山を上っているのか、後ろ向きに重力が働く。冬夜はそれに身を預けていた。
やがて白い門が見えてきた。見た目は要塞には見えない。普通に乗り越えて行けそうな雰囲気だった。そこの門をくぐり、更に車は走る。しばらくすると、監獄と呼ばれても何ら不思議のない門が現れた。高さは軽く十メートルを越えている。
「あ、この辺りは地雷が埋まっているので、気をつけてくださいね」
薺の言葉で、冬夜は思わず下を見た。
「おい、この車は大丈夫なのかよ」
「はい、ここのアスファルトの道だけが安全なんです」
なるほど、と冬夜は息を吐いた。
「で、ここを通って逃げようとしたヤツを逃さずに狩る自信があるってことか」
「そうですね、逃げ切った人はいないそうです。あと、地雷原を抜け切った人もいません」
薺は無表情で説明を続けた。大きな門をくぐり、更に車は走る。正面に灰色の建物が二つあった。薺は、その片方を指さす。
「あちらが校舎で、奥に特別棟があります。右手に見えるのが寮です」
薺が説明を終えると、車は校舎の前で止まった。薺が先に助手席から降りる。冬夜も、それに続いて後部座席を降りた。
「ようこそ、真克学園へ」
灰色の校舎をバックに薺は微笑んだ。
*
まず寮に通された。一人部屋のようで、そこに荷物を置いて冬夜は部屋を出る。監視カメラが二つあるのを、すぐに確認できた。
「あー、持ち込みの武器は禁止ね」
面倒くさそうに教師が言った。とは言え、冬夜は現在、何の武器も持っていない。事前に説明を受けていたため、無駄な荷物は置いてきたのだ。
「ん、胸のポケットに入っているシャーペンは部屋に置いてきてね」
「ガイダンスのメモは――」
「メモする用紙を持っていない君が何を言っているんだね」
教師の瞳に鋭い光が宿った。冬夜はワザとらしく肩を竦め、ペンを部屋に放り投げた。
「素直でよろしい。それにメモ取る必要はないよ、資料は用意したから」
教師は気だるそうに廊下を進んでゆく。冬夜は部屋の鍵を閉めて、その後を追った。
寮を出て、校舎へと向かう。一階は職員室などが並び、その内の一つの部屋に通された。中は机と椅子が並んでおり、会議室のようだった。学園長のところに向かうのか、と考えていたため、冬夜は少し訝りながら、部屋に入る。待ち伏せがあるわけでもなく、監視の目が厳しくなるわけでもなかった。ただの部屋で、監視カメラが一つあるだけだった。
「そんな警戒しなくていいよ、適当に座って」
教師に促されて、冬夜は椅子に腰を下ろす。それと同時に、教師は資料を放り投げた。クリップでまとめられており、四散することは無かったが、冬夜は僅かに舌打ちを漏らす。
「それに目を通しておいて、そうすれば自分の身を守る術が分かるから。それと、今日の授業は出なくてもいいよ。あと、部屋のカメラは壊さないでね」
壊したら罰則だから――それだけ言って教師は会議室を後にした。冬夜は唖然としながら、その後ろ姿を見送った。やがて、ゆっくりと立ち上がり、資料を手にして自室へと戻った。
来た道を戻る最中に何人かの生徒とすれ違った。腕章の色が鮮やかで、冬夜の目を引いた。緑、黄緑、黄の三種類があった。学年を分けているのだろうか、と冬夜は推測して寮に向かう。その間、向けられる殺気が酷かった。
やがて寮に着き、冬夜は部屋の前で首を傾げた。部屋の中に人の気配があったのだ。鍵は閉めたはずだと思いながらも、こんな監獄学園なのだ。侵入者がいても、何ら不思議はない、と慎重に扉を開けた。
冬夜の帰還に気づいた侵入者が、びくりと肩を震わせながら振り返る。
「うおう!? は、早かったね!」
薺は冬夜の荷物を漁っていた。冬夜は眉をひそめながら、こめかみを押さえる。冬夜の口から自然とため息が漏れてきた。
「何をしてんだよ」
「ん、ほら、健全な男子高校生の荷物なんだから、何かネタにできそうな物が無いかな、って思ったんですけれど、なーんにも入ってない……どこに隠してるんですか?」
「そんなモン持ってねえよ」
冬夜は吐き捨てるように言って、薺の横を通り過ぎた。机の上に資料を放って、ベッドに腰掛ける。
「おかしーなー……絶対あると思うんだけど」
相変わらず荷物を漁り続ける薺を止めることもなく、冬夜は小さく息を吐いた。それに反応したかのように薺は振り返った。
「ん、資料に目を通しておいた方がいいと思うよ?」
生き残る術が書いてるから――先ほどの教師も同じようなことを言っていた。しかし冬夜は、それを無視してベッドに寝転んだ。
その時、薺の腕章の色が橙であることに気づいた。この学園は三学年しか無かったはずだ。これで色は四種類――つまり、学年を示すには一種類、色が多いことになる。ならば、この腕章は一体何を示しているのだろうか――冬夜は薺に尋ねた。
「ああ、これね。戦績に応じて、腕章の色が違うのよ」
赤、橙、黄、黄緑、緑と順番に薺は告げる。
「赤が一番強い成績優秀者、緑が最弱層」
薺は鞄から手を引き、机の上の資料を漁り始める。出てきたのは緑色の腕章だった。
「ほら、これが君の腕章」
「最弱か」
「最初だしね」
薺は微笑んだ。
「これから自分の強さを誇示していけばいいんだよ。君は強いし」
そんなことを言いながら、薺は再び冬夜の鞄を漁り始めた。「おっかしーなー」と何度も漏らしながら。
「そろそろ出ていってくれないか?」
眠くなってきた冬夜は、薺に言った。薺は苦しそうな表情で首を横に振る。
「何か……何か見つけるまで、私は帰れない!」
「だから、何も無いって」
冬夜は呆れて、ベッドに横たわった。そこで考える。今ここで薺を殺したら、どうなるのだろうか、と。
その瞬間、俊敏な動作で薺が振り返った。頬を引きつらせた薺はじっと冬夜を見つめ、口をぎこちなく開く。
「あ、あのね、急に殺意を向けないでくれるかな?」
顔を青くした薺は、冬夜から距離を取っていた。
しかし冬夜は露骨に殺意を向けた覚えがなかった。敏感だなと妙な感想を抱きながら、欠伸を漏らす。
「だから、ちゃんとルールを把握するために資料を読むべきだって言ったでしょ? 正式な試合以外で人を傷つけたり、殺したりしたら、罰則なんだよ」
冬夜は静かに頷いた。しかし、その瞳から鈍い輝きは消えない。
「あー、もう分かったから!」
薺は逃げるようにして冬夜の部屋を後にした。それを確認して、部屋の鍵を閉める。ついでに机を扉の前に移動させた。
何らかの方法で鍵を開けられても、これで何とかなるだろう――冬夜はベッドに横たわり、静かに寝息を立て始めた。