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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
てんき
14/30

回想と結末

 時計のバックライトをつけると、時刻は既に二十時を回っていた。河原に集まったクラスメイトは、冬夜が思っていたよりも遥かに多かった。ぎこちないながらも会話がなされ、次々と花火に火がつけられてゆく。燃え散る花火を手にし、雑談に興じる者もいれば、盛大に振り回して駆けてゆく者もいた。残光を引きながら鮮やかな色彩が踊る。立て続けに起きた残虐な事件で冷え固まった心を、花火の炎が溶かしていくようでもあった。

 やがて打ち上げ花火にも火をつけたのか、夜空に光が弾けた。しばらくすると風を切る音が響き、再び光が炸裂する。それをぼんやりと冬夜は眺めていた。火薬の匂いが温い風に乗ってやってきた。

 どこかで見た光景だ――冬夜は思う。公園からは徐々に笑い声が生まれ、鬱々とした心地は払拭されつつあった。

「ああ……そうか」

 その光景を見つめたまま冬夜は静かに呟く。この光景を見るのは初めてではなかった。

 居場所を奪われ、家を逃げ出したあの日、冬夜はこの光景を泣きながら眺めていた。滲む視界の中に浮かぶ花火は、冷え切った冬夜の心をゆっくりと解きほぐしてゆく。花火の光の中、若者の影は無邪気に駆け回り、それとは対照的に冬夜は小さくため息を漏らした。悲嘆の念は少しずつ薄れてゆくが、やはり彼らのような無邪気な姿を見せ付けられると、やる瀬無い思いが募るのであった。

 冬夜は涙を拭い、堤防の上から花火を眺めていた。その視界の端で闇が蠢く。花火から視線を逸らし、冬夜は闇の中を見つめる。現れたのは、上下ともに黒い服で闇に溶け込むような男だった。

 男は僅かに身体を捻った。その瞬間、銀の光が一閃――その動きに冬夜は息を飲んだ。もはや花火の色彩などは吹き飛んでしまい、じっと男の姿を見つめていた。銀の閃光の正体は、鞘から解き放たれた刀だった。月光を薄く帯び、輝く刃は冬夜の心を惹きつける。

 花火を眺めていた若者の首が飛んだ。しかし他の者は気づかない。悲鳴は打ち上げ花火の音にかき消されたのだ。また一人の首が飛ぶ。三人目、四人目と次々と首が飛んでゆく。

 冬夜はその光景を呆然と見つめていた。それと同時に言いしれぬ高揚が腹の底から湧いてくる。居場所を失い、絶望だけが渦巻いていた胸に新たな力が生まれる。原始的で現代において認められることのない、不条理を通す力が。

 やがて惨劇が終演を迎える。河川敷の公園に立っている人影は一つだけだった。それは、すっと闇に溶けてゆく。その後ろ姿を見送る冬夜の心臓は、弾けんばかりに拍動していた。


 あの時に死んだのは自分のクラスメイトだったのか――いつしか冬夜の表情は険しくなっていた。これから起こる惨劇を思い出し、冬夜は唾を飲み下した。

 西浦から花火を手渡されるも、冬夜は気が気でなかった。これから自分に狂うきっかけを与えた、あの殺人鬼が現れるのだ。冬夜からすれば師匠と呼んでも構わないほど、尊敬の念を抱いている。しかし下手をすれば、ここにいる自分も師匠に殺されてしまう可能性があるのだ。そしてクラスメイトは、ほぼ間違いなく殺されるだろう。そういう結末なのだ。

 どうするべきか、と冬夜は考える。手にした花火は火がついていない。更にクラスメイトは増えた。

 いつしか冬夜の足は自然と動いていた。向かう先に西浦の姿があった。

「すぐにやめさせろ」

 冬夜は強引に西浦の肩を引っ張って言った。

「え、何で?」

「ヤバいのが来る」

 冬夜の表情に余裕はなかった。じっと闇の奥を気にしながら、西浦に続けて言う。

「俺の言うことが信じられないか?」

「……ううん、嘘じゃないのは分かるけど」

「いいから、早く逃げてくれ」

 そう言い残して、冬夜は西浦の下を離れた。向かう先は闇――そこに人影が浮かんだ。

 何と言うべきか――冬夜は言葉を探すも、男は無言で日本刀を抜く。やはり綺麗な動作だ、と冬夜は戦慄を覚えた。

「待ってくれ」

 冬夜の言葉は黙殺される。男は駆け出し、冬夜に迫った。男の間合いに入った刹那、銀の閃光が迸った。冬夜は、それを後方に飛んで躱す。しかし刃先が冬夜の鼻先を掠めた。僅かな痛みに、冬夜は顔をしかめる。

「……へえ、躱されたのは初めてだな」

 ようやく男が言葉を発した。冬夜は冷や汗を拭いながら、もう一度「待ってくれ」と頼んだ。

「待つことで、僕にメリットがあるのかなぁ?」

「少なくとも、俺にはあるんだけどな」

「逃げるでしょ?」

「当然」

「なら、待てないなぁ」

 男の刀が揺れ、やがて静止する。構えたのだ、と冬夜は理解した。しかし現状の装備で何ができるだろうか――冬夜の頬を伝う冷や汗は止まらない。

 それでも冬夜の心は静まっていた。あの刀なら一瞬で苦しむこともなく、殺してくれるかもしれない――不意に冬夜の口元が弛んだ。

「まぁ話で解決できないなら仕方がない」

 冬夜はポケットに入っている家の鍵とシャープペンを取り出した。

 狙うは一点――目しかない。しかし、どうやって刀を防ぎ、反撃可能な距離まで縮めるかが問題だった。

 死んだら死んだときだ――冬夜は考えるのを止める。瞳が鈍い輝きを発した。打ち上げ花火の音で、男と冬夜は同時に駆け出した。

 刀は思った通り、冬夜を迎え撃つように振り下ろされる。基本的な袈裟斬りの軌道だった。それを冬夜は家の鍵で受ける。手首にかかる重圧が酷い。また、細い鍵の半分ほどまで刀が食い込んでいる。極限の集中力のせいか、刀が少しずつ鍵を切断していくのが見て取れた。しかし、その進行速度をほんの少しだけ和らげることには成功した。冬夜は、その隙に刀の軌道上から身体を脱出させる。次の瞬間に鍵が完全に断たれ、花火の光を反射しながら転がっていった。冬夜は身を限界まで捻り、懐に飛び込みながら振り下ろされる腕をかい潜る。そして、もう一つの手に握られたシャーペンを、男の顔に突き立てた。

 手応えあり、と冬夜は続けざまに蹴りを放った。男の身体は軽く、大きく飛んでいった。

「……っは」

 止めていた息を吐く。それと同時に、汗が噴き出してきた。それを手の甲で拭いながらも、冬夜は闇の奥を見つめ続けた。最後の蹴りは、ほとんどダメージを与えられていない。男は自ら後ろに飛んだのだ。つまり引き際に刀を振り下ろしていれば、冬夜にダメージを与えることができたのだ。

 思っていた通り、闇の奥で影が起き上がる。冬夜は今すぐにも逃げ出したい衝動に駆られていた。花火の音は止んでいる。もういいか、と冬夜は男との距離がある内に、背を向けて走り出した。

 男は追ってくきた。河川敷の土を踏む音がずっと続いてくる。逃げきれるかな、と冬夜は顔を引きつらせた。

「待てよおおお、ここまでやって逃げるとか無いだろおおお」

 妙に間延びした声が雰囲気に合わない。しかし、それに言いしれぬ恐怖を覚えた冬夜の額から、どっと汗が噴き出した。

「勝てない相手に向かっても、仕方ないだろうが!」

 冬夜は一瞬、振り返って叫んだ。そして後悔する。シャーペンは目を潰していなかった。頬から血を流しながら追ってくる男との距離も着実に縮んでいた。

 詰んだ、と冬夜の思考は答えを出した。ならば、と冬夜は急停止して、反転する。

 最後の賭けだ――冬夜は吠え、男に向かう。男の青筋を立てた顔に怯むことなく、両の拳を握り、突き出す。それに応じるように男は刀を振りかぶった。


*


 冬夜は、ぼんやりと自室の天井を見つめていた。

 時は午後十二時、太陽が昇り、もっとも暑くなる時間だ。それを助長するかのように、蝉が鳴き続けている。しかし、それも冬夜の耳に届いていなかった。

 今頃、昼休みだろうか――冬夜は学校に思いを馳せた。良いことなんて無かった。退屈な日々を過ごすばかりで、得る物も無かった。そう考えると、この展開は悪くない。実に冬夜向けの流れだった。

 すべては、あの日から始まった。冬夜の歴史が大きく変わり始めた。

 あの日、男の刀が振り下ろされることはなかった。しんと静まった河川敷で、冬夜と男は見つめ合っていた。刀は不自然に揺れ、冬夜の拳も何かの干渉を受けて、止まっていた。

「邪魔しないでほしいんだけどおおお?」

 男の血走った眼がぎょろりと横に動いた。その視線を辿ると、黒い服に身を包んだ人が立っていた。黒い手袋をした手が、不自然な形で静止していた。よく見ると、手袋から細い糸が何本も伸びていた。

「秀、ちょっとやりすぎです」

 涼しげな声は、よく通った。スーツ姿から男性かと思いきや、女性のようだった。

「あなたも勝手な行動は慎んでくださいね」

 女はやんわりと微笑みながら、冬夜に言った。

「分かってたから、首に巻いてる糸を解いてくれないか?」

 冬夜は首を指さしながら苦笑を漏らした。しかし女はそれを黙殺する。

「秀、あなたは、もう学園に戻ってもらいます」

「はあああん? あんな退屈なところに戻るとか、洒落にならねえええし」

 秀と呼ばれる男の顔に青筋が浮かび上がる。そのうち血管が切れて、勝手に死ぬような気がして、冬夜は吹き出した。

「何だ、てめえええ、何が面白いんだよおおお?」

「その喋り方、マジやめてくれ……ぷっ」

「はい、二人とも黙ってください」と女が手を動かした。冬夜の首にかかった糸が絞まる。冬夜と秀は黙った。

「秀、逆らう気ですか?」

 男は黙ったまま、静かに刀を下ろした。そして小さな声で「分かった」と告げた。

「で、今度はあなたなのですが……一体何者ですか?」

 女が手を動かす。冬夜は全身に糸が降り注いできたのが分かった。

「いや、何者って言われても……いや、あの脅されても何とも言えんのだが」

 女が小指を動かすと、冬夜の首が絞まった。

 何と答えるべきか――冬夜は必死に考える。しかし今の冬夜は同級生を守るために飛び出した、ただの高校生でしかないのだ。この時、まだ人を殺していない冬夜では、殺人鬼と名乗っても実績が無いのだ。

「……同級生を守ろうとして、力に目覚めた、少し前まで普通の高校生?」

「ふうん、力に目覚めたんですか」

 女の瞳に疑念の色が浮かんでいた。

「まぁどちらにせよ、目撃者は片づけないといけないんで」

「おい、なら何で聞いた」

「一般人――もはや、一般人とは呼べないんですけれど、秀とあそこまで戦える人がいるなんて思いもしませんでしたから」

 しかも、ほぼ丸腰で、と女は付け加えた。

「どうせ、俺も殺すんだったら教えてくれよ。あの人、強いのか?」

 冬夜は秀を指差しながら尋ねる。秀は興味なさそうに欠伸をし、女が口を開いた。

「ええ、かなり」

 自身の強さが、どれぐらいなのか分かっていない冬夜は、ようやく相対的な位置を見つけられたような気がした。かなり強いと言われる秀よりは弱いと、かなり大まかな位置だが。

「そっか……なら、死んで本望かな」

「え、ちょっと諦め早くないですか!?」

 女が急に取り乱した。その雰囲気は、どことなく子供っぽい。ふとした間違いで冬夜を絞め殺しかねない、危うさをはらんでいた。

「いや、殺すんだろ? それに、この状態を打開できるほど俺は強くないし」

 詰んでいる――冬夜はため息と共に、小さく漏らした。

「死んじゃうんですよ? もう少し何か……命乞いとか!」

「命乞いしてほしいの?」

 冬夜が尋ねると、女は黙った。しばらくして女は顔を上げる。

「していただいた方が、話を進めやすかったのですが――」

「つまり脅しだったってこと?」

「そうですね」

 あっさりと女は肯定した。冬夜も、それに頷く。

「いや、しかし、生きてても退屈だしなぁ……」

「ああ、もう分かりましたよ。いいから話を聞いてください!」

 女は自棄気味に口を開いた。

「あなたには、私たちの学園に転校していただきます――真克まこく学園へ」

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