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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
てんき
13/30

回想と日常

 これ以上、上村と顔を合わせたら壊れてしまう――そんな予感があって、冬夜は怖かった。自分の中に渦巻く黒いモヤが形をなしてきている。それがいつ暴れ出すか分からず、冬夜は上村が去ってゆくのを、じっと待つしかなかった。

 黒いモヤを落ち着けるために、冬夜は自身に言い聞かせる――あいつは良いヤツなんだ。夕夏と幸せになってほしい。

 黒いモヤはささやく――信じていた友人に妹を奪われて納得するのか?

 違う、と冬夜は否定する――あいつは良いヤツなんだ。優しくて、こんな俺を未だに心配してくれている。そこに他意は無いんだ。

 黒いモヤは尋ねる――他意は無くとも、お前の居場所を奪っているのは誰だ? ほら、耳をそばだててみろよ。

 冬夜は両耳を塞いだ。しかし一度言われてしまうと、意識は音にいってしまう。叫びたくなった。これ以上、聞きたくなかった。家族の団らんが聞こえてくる――冬夜のいない家族の団らんが。夕夏や母の笑い声、低くも上機嫌な父の声、そして上村の声が。

 続けて黒いモヤは言う――見ろよ、お前の居場所、もう無いぜ?

 違う、あいつは――良いヤツ、なのか?

 小さな疑念は瞬く間に肥大していった。冬夜のあらゆる感情を食いつぶし、最後に残ったのはシンプルな答えだった。

 自分がいなくなれば彼らは幸せなのだ。自分の代わりは上村が努めてくる――冬夜の両目から涙が溢れ出した。握りしめていた手から力が抜ける。ぱたり、と指先から血が落ちた。

「死のう」

 冬夜は手のひらから流れる血も止めず、涙も拭わず、そっと部屋を出た。そして音もなく玄関を出て、ふらりと夜の町に姿を消した。


*


 そうだ、と冬夜は小さく呟く。ベッドに横たわり、天井を見上げていた。

「あながち、お前の言葉は間違ってない」

 今は亡き、斉藤の言葉を思い出す。臆病者――確かに、そう言われた。その通りだ、と冬夜は苦笑を漏らす。

 身を起こし、机の前に立つ。休んでいる間に溜まった資料が机の上には散乱していた。それに目もくれず、引き出しを開いた。錆びたカッターナイフを取り出し、冬夜は生気の無い瞳で、それを見つめていた。かちかちと鳴らして、刃を出す。それを自分の手首に当てるも、そこで冬夜の動きは停止した。

「相変わらずか」と呟き、冬夜はそっと刃を手首から離す。刃をしまって、カッターを机の上に放り投げた。

「死ねないな」

 再びベッドに戻り、冬夜は寝ころんだ。開け放っている窓から蝉の鳴き声が聞こえた。

 何故、蝉は生きるのだろうか――冬夜には分からなかった。地中で退屈な時間を過ごし、ようやく出てきた地表で二週間程度しか生きながらえれない。そんな人生――否、蝉生は何か楽しいことでもあるのだろうか、と冬夜は考える。

 冬夜にとって今は地中だった。退屈で時間だけが過ぎてゆく。

 地表に出たら、楽しいだろうか――逃亡生活を地表だと考えるならば、辛いことも多かったものの、比較的楽しい生活を送れたと思う。道を踏み外して、冬夜は初めて生きていると実感した。

 それは日々、命のやり取りを行ってきたことも原因の一つだろう。ただ、それを除いても、楽しめていたと思う。警官と追いかけっこし続け、いつしか人外に追われるようになり、最終的には一人の女に撃たれ、本望――死を迎えるはずだった。それで冬夜の人生は終わるはずだった。なのに、冬夜は再び人の生を歩んでいる。

 何故、生きるのだろうか。何故、生きられるのだろうか。退屈な世の中で、何事も成せずに社会の歯車となって生きる理由とは何なのか――冬夜には分からない。いつか誰かに聞いてみたいものだ、と冬夜はため息をついた。

 ふと我に返ると、母の呼ぶ声が聞こえた。朝食だろうか。冬夜は身を起こし、ゆったりとした足取りでリビングへと向かった。


*


「……何なんだよ」

「ん、何が?」

 冬夜は不機嫌そうに頬杖をつき、眉をひそめていた。その対面に座る少女――西浦は対照的に笑顔だった。

「そんな顔してたら、戻らなくなるよー」

「うるせえ、そんなワケあるか」

 冬夜は盛大にため息を吐いた。

 話は今朝に戻る。母に呼ばれてリビングに下りると、冬夜は電話の受話器を差し出された。どことなく嬉しそうな母の表情に、冬夜は首を傾げつつも、電話に応対した。

「……もしもし」

 自分に電話をかけてくるなんて、一体誰だろうか。クラスの連絡網なら、わざわざ冬夜を呼ぶ必要はない。母が応対し、そのまま次に回してもらえばよかった。

「あ、もしもし、南雲くん?」

 高い女の子のような声が返ってくる。冬夜は更に首を傾げた。

「突然、電話してごめんね。もしかして寝てた?」

「寝てたは寝てたが――」

 それよりも気になることがある。誰だ、と冬夜は尋ねる。相手は絶句した。

「……あーごめん。名乗ってなかったよね、西浦かなみ、です」

 ああ、嘘発見機か、と漏らしそうになったのを寸前で堪える。

「何で、うちの電話番号を知って――」

 そこまで言いかけて、冬夜は気づく。クラスの連絡網だ。

「……何か用か?」

「……何だか凄く嫌そうね」

 何故、分かるんだ、と冬夜は思わず尋ねた。

「結構、露骨だよ、南雲くんの声」

 すぐに声が低くなる、と西浦は答えた。それは気づかなかった。以後、気をつけようと冬夜は心に刻んだ。

「で、何の用なんだ?」

「あ、そうだった。今晩、クラスの皆で花火しない?」

「馬鹿か、お前」

 冬夜は即答する。それと同時に、母が冬夜の頭を軽く叩いた。鬼のような形相の母と、殺意を滲ませる冬夜が睨み合った。

「先生が言ってたろ。学校の指示があるまで自宅待機で、ってな」

「ふうん、こんなときだけ、先生の言葉を利用するんだ」

 西浦の言葉に嫌味がこもる。しかし、それをさらりと流して、冬夜は肯定してやった。

「むー……でも、このままクラスがバラバラとか嫌だし。ね、ちょっとぐらいいいじゃん?」

「俺は何も言わん、勝手にやってくれ」

「出た、一匹狼宣言」

 西浦は受話器の向こうでケタケタと笑う。冬夜は笑えず、無表情で電話に応じる。

「一人がいいんだ」

「ふうん、だから、いつも威嚇してるの?」

 威嚇って――冬夜は顔を引きつらせた。動物みたいだな、と冬夜は思う。実際、狼は動物だった。

「それは、さておき、花火やろうよ」

 冬夜の返事を待たずに、西浦はつらつらと予定を述べる。今晩、河川敷の公園に二十時集合らしい。

「でね、買い出しを手伝ってほしいの」

「はぁ? だから、何で俺が――」

「何事も受け身で楽しそうじゃないから、主催する側に回ってもらおうかな、って」

「勘弁してくれよ」

 再び母に叩かれた。冬夜は無言で睨みつけるも、母の気迫も負けてはいなかった。

「お願い、手伝って!」

 受話器の向こうから、手を合わせるような音が聞こえた。冬夜は、しばらく考える。そして僅かに息を漏らしながらも答えた。

「まぁ暇だしな」

「本当? ありがと!」

 そして花火を買うために西浦と町を回った。現在、冬夜の隣にある戦利品の数々を見て、冬夜は苦い笑みを零した。

「で、今度はこれをどこに運べと?」

「……ごめんなさい、調子乗りました」

 ファミレスで向かいの席に座っている西浦が素直に頭を下げる。冬夜は花火だけで、あれほどの金額になったのを初めて見た。それぐらいの量の花火が、冬夜の横に積まれていた。持ってかえる際、店員に心配されたぐらいだった。

「そして予定も雑に立てすぎだろ。これから、どうするんだよ?」

 冬夜は店内の時計に目をやった。昼過ぎに待ち合わせをして花火を買い終えた現在、まだ十五時だった。花火の時間まであと五時間はある。

「それはその普通に話してれば、数時間なんて、あっと言う間だから……」

 西浦の語尾は小さくなっていき、やがて「ごめんなさい」と呟いた。「もういいよ」と冬夜は頬杖をついたまま答えた。

 少し離れた席に座っている学生のグループがはしゃいでいる。やたら大きな声を非難するように冬夜は視線を送る。制服姿から、彼らが中高生であることが分かった。定期試験を終えて、夏休みに入るまでの短縮授業に入っているのだろう。騒ぎ続ける彼らに緊張感は無かった。

 所在無さそうに小さくなっている西浦を前に、冬夜は苛立った。その感情は決して西浦に向けられた物ではないのだが、眉間のシワは時間の経過と共に深く刻まれていった。

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