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殺人鬼の日常  作者: 小石 汐
てんき
11/30

回想と事件

 背景が白い。これは夢だ、と瞬時にして冬夜は確信する。少し幼い顔立ちの上村が笑っていた。しかし冬夜は何も思わない。憎しみも妬みも恨みも湧いてこなかった。ただ、こんな頃もあったな、と静かに夢を眺めていた。

 上村の後を二つの影が追っていった。一人は夕夏、もう一人は冬夜自身だった。二人もまだまだ幼く、微笑んでいた。今では考えられない光景だった。

 この関係が壊れたのは、いつだっただろう――考えるまでもなく、答えは一瞬で出た。上村と夕夏が付き合い始めた頃だ。

 上村の友人として、また夕夏の兄として、冬夜は喜ぶべきだったのだろう。実際、上村は性格も良く、異性からの人気もあった。夕夏と付き合うことを知って、冬夜は少し安心した。

 それと同時に、何と表現し難い感情が腹の底から湧いてくる。その感情は嫉妬だった。冬夜からすれば、友人に妹を奪われたとも考えられた。冬夜が夕夏に対し恋愛感情を抱いていたわけではない。ただ、純粋に妹として見ていたはずだった。しかし複雑に絡む感情が身体を締め付けた。

 表面的には「おめでとう」と祝ったものの、冬夜は上村を避けるようになった。良いヤツだと分かっているからこそ、上村に対して抱く暗い感情を冬夜自身が許せなかったのだ。

 暗い感情を抱くぐらいなら――冬夜は二人から距離を取るようになっていった。


*


「兄ちゃん」

 いつものように夕夏が冬夜の身体を揺らす。しかし、どこか控えめだった。以前なら、もっと容赦なく、冬夜の身体を揺らしただろう。

 課外学習の事件から夕夏は少し大人しくなった。恐らく冬夜に気を遣っているのだろう。それに気づかないほど、冬夜も鈍感ではなかった。

「そろそろ学校、ヤバいよ?」

 それは、ここ数日、夕夏が口にするセリフだった。遅刻するのという意味合いではなく、出席日数が足りなくなるよ、と言っているのだ。冬夜は渋々、身を起こす。夕夏は心配そうに冬夜の顔を覗き込んでいた。

「先に行ってろ」

 今日は行く――冬夜がそう答えると、夕夏は僅かに微笑んだ。それも、どこか固い笑顔だった。

「まだ早いし、待ってる」

 そう言って、夕夏は部屋を出て行った。それを見送って、冬夜は一息吐く。そして緩慢な動作で着替えを始めた。

 時計の針は、まだ七時を指している。そう急ぐ必要は無かった。しかし着替えてしまった冬夜は、再びベッドに潜り込むのもどうかと思い、部屋を出た。朝食を済ませ、弁当を受け取り、家を出る。そこで冬夜は顔をしかめた。

 照りつける日差しは酷かった。まだ朝の七時だぞ、と冬夜は文句を零す。日が昇りきった時のことを考えると、憂鬱になった。吸血鬼で無くても蒸発して溶ける光景を思い浮かべ、冬夜は思いっきりため息をついた。

 ふと庭を見ると、夕夏の自転車があった。今日も上村のリハビリに付き合っているのだろう。課外学習の数日前に上村は退院していた。しかし、まだ固定具が外せていないため、課外学習に顔を出すことはなかった。その固定具がようやく外れたので、上村は学校まで徒歩三十分かけて歩いている。夕夏もそれに付き合っているのだ。

 まったくご苦労なことだ、と小さく呟いて、冬夜は自転車のサドルに手を乗せた。既に熱を帯び始めている黒いサドルに思わずため息をついた。鞄をカゴに放り込み、ペダルを踏んだ。自転車が身体を運ぶと、温い風が流れていった。僅かに汗ばんだ肌から熱を奪ってゆく。その瞬間だけが心地よかった。しかし一旦足を止めると汗が噴出してくる。それを拭いながら、冬夜は自転車をこぎ続けた。

 やがて上村と夕夏の後姿が見えてきた。冬夜は、もちろん無視して追い抜くつもりだった。しかし、その前に振り返った夕夏に気づかれ、前を遮られた。

「荷物、お願いしていい?」と夕夏に迫られ、冬夜の自転車のハンドルに上村と夕夏の鞄が引っかかった。ちなみに冬夜は返事をしていない。

「よう」

 上村の呼びかけを、冬夜は軽やかに無視する。冬夜は夕夏に蹴られた。

「相変わらずか」

 やや苦い笑みを零しながら、上村は言った。額から滝のように汗が流れてゆく。それを夕夏がハンカチで拭った。

 久しく三人が揃ったというのに、誰一人口を開こうとしなかった。上村は短く息を吐きながら、歩くことに必死だった。それに対し、冬夜はぼんやりと遠くを見つめ、間の夕夏は不安そうに冬夜と上村を交互に見やった。

 もはや、この平和な日常に自分が割り込むスペースなど無い――それを理解しているが故に、冬夜はあえて口を開こうとは思わなかった。

「大丈夫なのかよ?」

 しばらくして上村が口を開いた。その質問が何を指しているのか分からず、冬夜は首を傾げた。

「期末テストだよ」

「ああ、そうか」

 まさに明日から期末テストが始まることを思い出し、冬夜は頷いた。

「お前は?」

 質問に質問を返すのもどうかと思いながら、冬夜は尋ねた。

「勉強する暇なら、たくさんあったからな」

 上村は自嘲気味に笑う。足の骨を固定する器具は取れたものの、まだ筋力が戻っていないのか、片足を庇うような歩き方だった。

「まぁ結果や自信はさておき、受けるのと受けないのでは、全然違うからな。出席が貰えるし」

 上村はポジティブに考えているのか、他意なく笑った。入院していたせいで上村も冬夜と同じぐらい出席日数が危ないのだ。しかし冬夜はどうでもよさそうに頭を掻いた。

「冬夜はさ」

 上村は静かに口を開いた。

「卒業する気、無いのか?」

「必要性を感じられないからな」

 即答する冬夜に上村は食いつく。

「何でだよ、就職するにしても中卒より高卒の方が遙かにマシだろ?」

「マシって程度だ」

 未来に悲惨なリーマンショックが待ち受けていて、大学まで進んだ同年代が就職で苦労していることについては言及しなかった。未来のことを言ったところで信じられないだろう、と思ったのだ。早い段階で就職しておいた方が良いのに――冬夜は内心で小さく呟いた。

 しかし上村なら――とも思う。彼なら努力を積み重ね、しっかりと大学を卒業し、良い就職先を勝ち取るのではないだろうか。ただ、その前に冬夜に殺されることになるのだが。

「どうでもいいんだよ」

 冬夜がぶっきらぼうに呟くと、「自棄になんなよ」と上村は苦笑で応じた。

 蝉の鳴き声がうるさい。冬夜は過ぎゆく木々を見つめた。木の表皮が僅かに動く。よく見ると、蝉が何匹も木に止まっていた。虫が嫌いなわけではない冬夜ですら、ぞっとする。単体なら鳴き声だけで済むのに、群れると嫌悪感が酷くなった。木々の表面から目を逸らし、ぼんやりと遠くを見つめることにした。

 やがて校舎が見えてくる。しばらく進むと、校門も見えてきた。そこで冬夜は眉をひそめ、足を止めた。

「ん、どうした?」

 上村と夕夏が並んで、冬夜の顔を覗き込んだ。それに応じるように、冬夜は指さした。校門の前に人だかりができていた。

「何だ、あれ?」

 上村が首を傾げた。夕夏も不思議そうに見つめている。いつしか冬夜の胸中にあった嫌悪感は消え、代わりに悪寒が身体の中に滑り込んできた。

 三人は無言で校門まで歩いた。冬夜は少し早足になり、上村がついてこれなくなった。夕夏は上村に付き添い、冬夜一人が先に校門にたどり着いた。教師が「下がれ」と叫んでいた。

 死臭――まだ微かに漂う血の臭いに、冬夜は顔をしかめた。思わず「またか」と呟いていた。冬夜の周囲にいた数人がびくりと肩を震わせた。

 その場に居合わせた一年生や三年生は余裕があった。しかし二年生だけは違った。顔を青くしてガタガタと震える者もいたし、路肩に嘔吐する者もいた。課外学習での出来事を思い出したのだろう。

 冬夜は自転車を停めて、野次馬の一、三年生を押し退け、奥へと進む。邪魔な三年生を押し退けた時に睨みつけられるたが、冬夜は軽やかに無視して更に進んだ。

 視界が開ける。そこには血の海が広がっていた。その中心に布のような物がかけられている。その膨らみから察するに死体だろう。しかし、どこか変だった。よくよく見ると何かが欠けていることに気づいた。

 頭の部分に膨らみが無かったのだ。冬夜は血の海に吸い寄せられるように足を進めた。教師が何か言っている。それでも冬夜は足を止めない。教師は冬夜の肩を掴んだ。それを一瞬で振り解き、腕を捻り上げた。教師が小さく悲鳴を上げる。それを解放して、冬夜は更に進んだ。

 血液を踏んだ。また別の教師が冬夜を止めに入る。それを軽く受け流して、白い布に手を伸ばした。指先が布に引っかかる。それをそっと引っ張った。

 死んでいる――それは見て、すぐに分かった。その死体は思った通り、頭部が無かった。

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