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帰る場所

挿絵(By みてみん)

演習場での出来事から数時間後。

寮の自室は、やけに広く感じられた。

 静けさの中、時計の針の音がやけに耳に残る。

 制服の上着は椅子の背に掛けたまま。ネクタイは緩められ、ベッドに背中から沈み込む。


 目を閉じても、あの演習場の風景が鮮やかに甦る。


 視界いっぱいに広がった竜巻。

 耳を塞ぎたくなる轟音と、息を奪う風圧。

 その中心には、シオリの姿。


 気づけば、声が出ていた。

 「散れ」と。

 叫んだ瞬間、竜巻は音もなく崩れ、風は霧のように消えた。


(……なんだったんだ、あれは)


 ただの偶然? そんなわけがない。

 あれは確かに、自分の意思と感情に応じて世界が応えた瞬間だった。


 だが――

 自分にルーンはない。生まれつきの「ルーンレス」だ。


「……違う。俺は、ただ叫んだだけだ」

 そう自分に言い聞かせても、心の奥底に残る“熱”は消えてくれなかった。

「くそっ、諦めてたはずなのに…」



監視局ヴェイル・特別通信室】


 監視局ヴェイルの通信室は、昼夜を問わず静まり返っている。

 黒壁に埋め込まれた数十枚のスクリーンが、世界中の観測データを流し続けていた。


 カレンはその中央に立ち、淡々と報告を続ける。


「対象、天坂ユウ。学園演習中、風系ルーンの暴走を“言葉”で鎮静化。

 ルーン反応にはない干渉波形を確認。記録データを送信します」


『……確認した』

『記録官カレン、引き続き監視を継続せよ』

『ただし――覚醒の兆候が見られた場合、即時報告。場合によっては処理も検討する』


「……承知しました」


 返事の声は淡々としていたが、胸の奥ではざわめきが収まらなかった。


(処理……? そんなの、、っ)


 思い浮かぶのは、あの瞬間のユウの目だ。

 恐怖も迷いもあったが、それ以上に――誰かを守ろうとするまっすぐな意志があった。


(あれは偶然じゃない。あの人は……)


 通信を終え、端末を閉じたカレンは、ひとり深く息を吐く。

 任務と感情。その境界線が、確実に揺らいでいるのを感じていた。



【七瀬家私邸・応接間】


「お父様、今日の学園演習で……天坂ユウが、少しだけ力を見せました」


「ほう……」

 漆黒のスーツを纏った七瀬公爵は、金縁のティーカップを置き、ゆっくりとナナを見やった。


「やはり、“器”の噂は真実だったか」

「我が家に引き込む価値は……ますます高まったな」


「……ですが、お父様」

「彼を……利用するだけでは――」


「ナナ」

 短く名を呼ばれる。低く、鋭い声。


「お前の役目は決まっている。天坂ユウを我らの庇護下に置く。それだけだ」


「……はい」


 唇を噛む。

 “庇護下”――それは守ることではなく、支配することだ。

 ナナはそれを知っている。


(でも……私がそばにいれば、きっと……)

 その心に芽生えた思いを、今は胸の奥深くにしまい込んだ。



【女子寮・自室】


 女子寮の一室。窓際の椅子に腰掛け、月明かりを眺める。


「……ユウくん、今日……」


 シオリは小さく呟く。

 竜巻の中、必死に伸ばされた手と、はっきり耳に届いた声。


 その声に導かれるように、現実へと引き戻された。


(あれは……)

(でも、不思議と……あったかい)

(すごい勢いで迫ってくる暴風の中でも心まで届く言葉)


 胸の奥が少し熱を帯びる。

 その理由を、彼女はまだ言葉にできなかった。


【教団視点/闇の神殿】


 深紅の絨毯を踏みしめる足音が、巨大な円形の広間に響く。

 壁一面には古代ルーンが刻まれ、血のように赤く光っていた。


 中央の祭壇には、黒い外套を纏った男たちが並ぶ。

 その数、十三。

 皆、顔の下半分を覆う仮面をつけている。


「観測班より報告」

「対象、天坂ユウ――ルーンレスでありながら、未知の“言葉”による干渉反応を確認」


 低く響く声が、広間を満たす。


「……ついに現れたか」

「原初の言葉を宿す“器”が」


「我らの目的は変わらぬ」

「混乱を呼び、秩序を壊し、戦火を世界に満たす」

「そのために――“器”は必ず我らの手に落とす」


 祭壇の奥、巨大な石像が赤く光り、空間が唸る。

 その瞳は生き物のように動き、広間を見下ろしていた。


「覚醒は混乱を招き、混乱は戦争を呼ぶ」

「その混沌の中でこそ、我らは新たな神を戴く」


 広間の空気が震え、ルーンがざわめき、何かが世界の深部で目を覚まそうとしていた。


―翌朝・教室前


 教室の扉の向こうから、かすかなざわめきが漏れてくる。

 笑い声ではない。もっと抑えた声。


(……面倒くせぇ)

 ユウは小さく息を吐き、扉を引いた。


――教室


 扉を開けた瞬間、ざわめきがぴたりと止む。

 数秒の沈黙。


「………」

 いつも通り空気を演じて席に向かう。


 席に着くと同時に、再び小声が飛び交い始めた。


「あの人……」

「昨日の演習、見た? 風が止まったやつ」

「ルーンレスなのに……」

「先生も何も言わないし、逆に怖くね?」


 耳に入れないように机にカバンを置く。

 しかし背中に視線が集まっているのは分かった。


「……おはよう、ユウくん」

 机の横から声をかけてきたのはシオリだった。

 その笑顔は、周囲の囁きを一瞬だけ押し止める。


「昨日は……本当に、ありがとう」


「ああ……別に」


「でも、あの時のユウくん……なんか、すごかった」


「……そんなんじゃない」

そう言いながら下を向くユウ。

 

「天坂ユウ。おはよう」

 背後から、冷ややかな声。

 振り向くとカレンが立っていた。


「昨日の件……偶然とは思えないわね」


「……それ、また言うのか」


「記録官の仕事だから」

 そう言って、何事もなかったように席へ戻っていく。


「……なんか、今日は注目の的だね」

 シオリが小声で笑う。


「いや、笑えねぇだろ」


「でも……ちょっとカッコよかったよ?」

 冗談めかして言うその声は、どこか本気だった。



――そのやりとりを少し離れた席から見つめる影


 窓際の席。

 ナナが顎に手を当て、じっと二人を観察していた。


(やっぱり……昨日のは偶然じゃない)

(このまま放っておくわけにはいかないわね)


――学園・裏庭

 

 教室に居づらかったユウは午前の途中から抜け出していた。

 昼休みの喧騒を背に、ユウは裏庭の木陰に腰を下ろしていた。

 校舎裏に広がるこの小さな庭は、人の気配がほとんどない。

 風が草を揺らす音と、遠くの笑い声だけが耳に届く。


(……静かだ。やっぱりここが一番落ち着く)

 教室ではどうにも息が詰まる。


 そこに一つの声がやってくる。

「……やっぱり、ここにいた」


 振り返ると、シオリが小さく笑って立っていた。

 制服の裾に少し土がついている。どうやら急いで探してきたらしい。


「わざわざ探しにきたのか?」


「うん。昼休みになっても教室に戻ってこないから……。ほら、みんな昨日のこと話してたし」


「ああ……」

 ユウは曖昧に相槌を打つ。


「……で、私は混ざらないで抜け出してきちゃった」

 シオリはそう言って、ためらいなく隣に腰を下ろした。


「弁当、持ってきたのに食べてないの?」


「……あんまり腹が減らない」


「昨日のこと、気にしてる?」


「……まあな」

 自分でも否定しきれない。


「でも、あれは……本当にユウくんが止めたんだよ?」


「偶然だよ。ただ……声を出しただけだ」


「偶然であんなこと起きないって」

 シオリは頬を膨らませて抗議する。


「私、あの時ユウくんの声が聞こえて……怖いのがスッて消えたんだから」


 しばらく二人で黙って風の音を聞いた。


「ねぇ、ユウくんって普段、あんまり自分のこと話さないよね」

 そう言って顔を覗き込んでくるシオリ。


「そうか?」


「うん。クラスの人も“何考えてるかわからない”って言ってたよ」


「それは……俺もよくわからん」


「ほら、そういうところ!」

 シオリはクスクス笑い、持ってきたお菓子を差し出した。


「甘いの食べると、ちょっと元気出るよ」


「……ありがと」

 ユウは小さく笑い、受け取って口に放り込む。


「でさ……ユウくんには、帰ったらほっとする場所ってある?」


「帰ったらほっとする場所……?」


「私にとっては家がそう。嫌なことがあっても家に帰れば落ち着くんだ。……ユウくんは?」



「……あるよ」

 ユウは少し遠くを見ながら答えた。

「孤児院。俺が子どもの頃から育った場所だ」


「孤児院……」


「日向先生って人がいてさ。……あそこは、俺を“俺”として受け入れてくれる」

「多分、俺が帰れるのはあそこだけだ」


 シオリはしばらく黙って聞いていたが、やがて柔らかく微笑んだ。


「……行ってみたいな」


「は?」


「ユウくんの大事な場所。知りたいから」


「……急に何言ってんだ」


「だって、もし私が困ってたら……ユウくんは助けてくれるでしょ? だったら、私もユウくんのこと知っておきたいの」

 

 少し悩んでいたユウ。

「……まあ、シオリなら……先生も喜ぶだろうな」


「じゃあ、今度一緒に行こう。……約束だよ?」


「……ああ」

 明日になればシオリも忘れてるだろう。

 そのくらい軽い返事をした。

 こうして何気なく交わした約束が、後に大きな運命の引き金になることを――

 この時の二人はまだ知らない。


――学園寮・休日の朝


 窓から差し込む光で目が覚めた。

 平日の朝と違って、校舎のざわめきもなく静かだ。


(……よし、今日は行くか)


 ユウはベッドから起き上がると、クローゼットから私服を引っ張り出す。

 淡いグレーのパーカーに黒のジーンズ。

 特別なおしゃれじゃないが、孤児院に顔を出すのにこれ以上は必要ない。


「……たまには顔を見せとかねぇとな」

 小さく呟きながら、部屋をでる。


――学園の正門前


 寮を出て、校内を歩く足取りは軽かった。

 今日は何も予定がないし、久々にあの場所で子どもたちに囲まれて、日向先生のあの笑顔を見たい――そう思っていた。


 だが、正門を抜けようとしたその時――



「やっぱり、行くんだ」


「……っ」


 門の脇に寄りかかって立っていたのは、シオリだった。

 休日らしく淡い色のワンピースにカーディガンを羽織っている。

 普段の制服姿よりも少し柔らかい雰囲気で、思わず一瞬だけ目を奪われた。


「なんで……」


「昨日、昼に約束したでしょー。ユウくん、孤児院に連れていってくれるって!」


「……まさか、待ち伏せ?」


「正解♪」

 悪びれもせず、にっこり笑う。


「いや、何してんだよ。休日だろ」


「だから一緒に行くの」


「……は?」


「ユウくんが“帰る場所”って言ってたとこ、気になるもん」


「……別に大した場所じゃ――」


「大事な場所なんでしょ?」

 シオリは言葉を被せてきた。


「なら、私も知っておきたいもん」


「……はぁ」

 ため息をつきつつも、断りきれない自分がいる。


「子ども多いぞ。うるさいぞ」


「平気。むしろ楽しみ」


「……怒られても知らねぇからな」


「え、怒られるの? やっぱり怖い先生?」


「優しい。けど怒るとマジで怖い」


「ふふ、会うのが楽しみになってきた」

 シオリは小さく笑い、門の外を指差した。


「じゃあ、案内よろしくね」

 そういって小さくスキップしてるシオリ。


 門を抜けると、石畳の道が街の中心へと続いている。

 休日のせいか、通りはゆったりとした空気が流れていた。


「こうやって街に出るの、久しぶりかも」

 シオリは通り沿いの店を興味深そうに眺めながら歩く。


「平日は授業と寮の往復だしな」


「ユウくんは普段、休日なにしてるの?」


「……寝てるか、本読んでるか、たまに散歩」


「地味〜」

 シオリは笑いながらも、楽しそうだ。


「で、その孤児院ってどんなとこ?」


「古いけど、居心地はいい。子どもは十人くらいで、全員やかましい」


「ふふ、にぎやかそう」


「日向先生が全部まとめてる。……すげぇ人だよ」


「すごい人?」


「優しいし面倒見もいい。でもな、いたずらとか悪さしたら容赦なく説教される」


「あー、それ絶対私、怒られるやつだ」


「まだ怒られてねぇのに何でそんな自信満々なんだ」


「なんとなくわかるもん。私、よく先生とか大人に心配されるタイプだから」


「……心配、ねぇ」

 ユウは苦笑しながら前を向く。


「……でも、なんか、いいね」


「何が」


「“帰る場所”があるって。私、ずっと親元にいたけど……そういう風に思える場所ってなかったな」


「……そうか」


「だから、ちょっと羨ましい」

 シオリは空を見上げて、ふっと笑った。


 ユウは返す言葉を探しながらも、胸の奥がわずかに温かくなるのを感じていた。


 やがて街を抜け、緩やかな坂道を登っていく。

 その先に、小さな屋根と白い壁の建物が見えた。


「もしかして、あそこが?」


「あれが孤児院だ」


「思ってたより可愛い建物」


「見た目はな。中は……まあ、騒がしいぞ」


「うん、それも楽しみ」

 シオリの瞳が少し輝く。


 坂を登りきると、木製の門と小さな庭が現れる。

 庭には色とりどりの花が咲き、子どもたちの遊び道具があちこちに置かれていた。


「……懐かしい匂いがする」

 ユウは小さく呟く。


「え?」


「いや……なんでもない」


 門の向こうから、笑い声が聞こえてきた。


「……あんまり余計なことは話すなよ、、」


「じゃあ、お邪魔します」

 シオリが軽く頭を下げる。


 木の扉を押し開けた瞬間、懐かしい温もりが全身を包む。

 その瞬間――


「あっ、ユウ兄だー!」

「ほんとだ! 帰ってきたー!」


 小さな足音が床を叩き、複数の子どもたちが勢いよく突っ込んでくる。


「わっ……おい、押すなって!」

 ユウは苦笑しながらも、その勢いを受け止めた。


「ふふ……すごい人気だね」

 隣のシオリが肩を揺らして笑う。


 次の瞬間、子どもたちの視線がシオリに集中した。


「お姉ちゃん誰ー?」

「彼女ー?」


「ち、違う!」

 ユウが即座に否定すると、シオリはわざとらしく眉を下げてみせる。

「あー、なんかその言い方ちょっと刺さるなぁ」

 その表情が子どもたちの笑いを誘い、場が一気に和んだ。



「こらこら、玄関で騒がないの!」


 澄んだ女性の声が響き、子どもたちは反射的に姿勢を正す。


 廊下の奥から現れたのは、エプロン姿の日向澪。

 淡い茶色の髪を後ろで束ね、優しい微笑みを浮かべながらも、その瞳には確かな芯の強さが宿っている。


挿絵(By みてみん)


「……久しぶりね、ユウ」


 澪の声に、ユウの胸が少しだけ温かくなる。

「ああ……まあ、久しぶりだな」


「ふふ、そんな照れた顔して……おかえり」


「ただいま、ってほどじゃないけど」


「いいのよ。“おかえり”って言わせなさい」

 澪は口元を緩めるが、その目の奥に一瞬だけ何かがよぎった。


「で、その子は?」


「あ、秋月シオリです。ユウくんと同じクラスで……今日は一緒に来ました」


「ようこそ、秋月さん。ここは少しうるさいけれど……すぐに慣れるわ」


「はい、ありがとうございます!」


 澪は優しく微笑みながらも、ユウにちらりと視線を送る。

 その視線は、挨拶よりも深い意味を含んでいるように感じられた。


「……ちょっと手伝ってくれる? 話したいこともあるし」


「ああ」


 シオリを子どもたちに任せ、澪はユウを台所に連れて行った。

 木のテーブルの上には湯気を立てるポットと湯呑み。


「ほら、これ持って。お茶淹れるから」


「……俺、客なんだけど」


「あんたはここの子。お客さんじゃないのよ」


 澪が茶葉を湯呑みに落とす仕草を眺めながら、ユウは小さく笑う。


「で、学園の暮らしはどうなの?」


「普通…」


「“普通”って言うときは、大抵普通じゃない時よ」


「別に……何もない」


「昨日のことも?」


「……知ってるのか」


「ここの子どもたちの中に、学園の生徒の兄姉だっているのよ。昨日の夜、全部聞かされたわ」


「マジか……」


「また無茶したんじゃない?」


「……俺はただ、声を出しただけだ」


「その“声”が普通じゃないって話をしてるの」

 澪の視線がわずかに鋭くなる。


「……」


「なあ……」


「何?」


「俺の父親って……どんな人だったんだ?」


 澪の手が、湯呑みを持ったまま止まる。


「……優しい人だったわ」


「……それだけ?」


「それだけで、十分よ」


「顔も……覚えてないんだ」


「そうね。ユウはまだ小さかったから」


「……生きてるのか?」


 澪はわずかに目を伏せ、深く息をつく。

「……ごめんなさい、それは私にもわからないの」


「そう……か」


 ユウの声に、ほんの少しだけ寂しさが滲む。


澪の胸の内


(……凛也さん、あなたの言った通り、この子にはまだ話せない)

(あなたが何者なのかも、この子に宿っている言葉の正体も)

(この子がその力と向き合う日まで……私は黙って守る)



「……まあ、心配するな。俺は大丈夫だ」


「その顔、全然大丈夫そうに見えないけどね」


「なんだよ、それ」


「あの人もね、そうやって平気なふりしてた。……そっくり」


「……会ったことあるんだよな」


「昔ね。でも……その話は、もう少ししてから」

 澪は柔らかく笑い、湯呑みをユウの前に置いた。


台所から戻ると、居間はにぎやかな笑い声で溢れていた。


「でね、この子がね、昨日お外で……」

「わー! それ言っちゃダメー!」


 シオリは子どもたちに両腕を引かれ、床に座って絵本を読まされている。

 表紙を開くたび、子どもたちの目がキラキラと輝く。


「……馴染んでるな」

 ユウが小さく呟くと、背後から澪先生の声が返ってきた。


「ふふ、あの子、いい子ね」

「ユウも、少しは笑ったらどう?」


「笑ってるだろ」


「顔、引きつってる」

 澪は楽しそうに肩をすくめた。



――澪先生の忠告


 子どもたちが「お庭で遊ぼー!」と外へ飛び出していくと、澪が声を潜めて言った。


「……ユウ」


「ん?」


「ここはね、あなたの帰る場所。でも……それは同時に、一番狙われやすい場所でもあるの」


「……何の話?」


「ただの感。昔から私はそうやって子どもたちを守ってきた」

 そう言いながらも、澪の笑顔はどこか固い。


「脅かすなよ」


「脅してるんじゃない。……あなたのことを心配してるのよ」



 庭で遊んでいたシオリは、ふと首筋にひやりとした感覚を覚えた。


(……誰かに見られてる?)


 視線を辿ると、坂の下に黒い外套の人物が立っていた。

 フードを深くかぶり、顔は影に隠れている。


「……」


 見ている――確実に、こちらを。


 瞬きをした瞬間、その姿はすっと消えていた。


(……気のせい?)

 首を傾げながらも、シオリは子どもたちの元へ戻る。



 オレンジ色の光が孤児院を包む頃、玄関に全員が集まった。


「また来てねー!」

「次は一緒に鬼ごっこしようね!」


「うん、絶対来るね!」

 シオリが笑顔で返す。


「……まあ、気が向いたらな」

 ユウは小さく手を上げた。


 澪は笑顔で見送るが、その瞳の奥には不安の色が宿っていた。



 孤児院から少し離れた坂道の影。

 黒外套の人物が、同じ外套を着た仲間と合流する。


「……確認した。天坂ユウが来ていた。あの孤児院は奴にとって――帰る場所だ」


「ならば、そこを揺さぶればいい」


 フードの奥から、低く笑う声。

 二人の影はゆっくりと坂を下り、夕闇に溶けていった。


 ユウはまだ何も知らず、シオリと並んで帰路についていた。

 温かな余韻と、わずかな疲労だけを胸に。

 だがその背後で、彼の大切な場所がすでに狙われ始めていることを――

 彼はまだ、、、。




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