ルーンレス(欠刻者)
この世界に、“言葉”は存在しない。
正確には、“意味を持つ言葉”が、ない。
人は生まれた瞬間、身体に“ルーン”と呼ばれる刻印を授かる。
それが、この世界における唯一の“才能”であり、“価値”だ。
ルーンの数、種類、強さ──
それがすべてを決める。
貴族も、軍人も、職人も、乞食でさえも。
名を呼ぶ必要もない。
感情を伝える言葉も要らない。
すべては“ルーン”が代弁してくれる。
誰も、言葉を使わない。
誰も、言葉を必要としない。
だから、彼は異常だった。
「──静まれ」
その声に、世界が震えた。
誰もが忘れた“言葉”。
世界に干渉する“意味”を持つ、ただひとつの力。
天坂ユウ。
彼は、“言葉”でこの世界に抗う者だ。
そして、まだ誰も知らない。
その“言葉”こそが、
世界の理すら塗り替える──《真の力》であることを。
「さて。今日の演習は、実戦形式で行う」
教師の言葉と共に、生徒たちが立ち上がる。
教室が変形し、中央に模擬バトル用のリングが現れる。
ルーン――それは生まれた瞬間に身体に刻まれる“力の印”。
魔術、武術、治癒、操作、召喚──
その種類は数千を超え、階層によって強さが決まる。
「第一ペア、七瀬なな vs 黒瀬レンジ──前へ」
ひときわ注目を集めていたのは、転校してきたばかりの少女・七瀬なな。
鮮やかな赤みがかった長い髪と大きな琥珀色の瞳が特徴的で
左耳には小さな深紅色のルーン結晶のピアスをして
絶対的、自信が溢れているのが分かる。
「それでは始めっ!」
教師の合図が聞こえた瞬間に
七瀬ななの深紅のルーンが光り、指先から炎が渦巻く。
「【火蛇・(ひばみ)】、起動」
蛇の形をした炎が迸り、対戦相手を飲み込む。
──瞬間、教師が結界を張る。
「そこまで!」
対戦者は膝をつき、ナナは静かに一礼した。
「あいつ、やべぇな……」
「上位ルーン持ちかよ……貴族じゃねぇの?」
その光景を、天坂ユウは教室の隅で静かに見ていた。
誰よりも静かに。誰よりも、遠くから。
彼の身体には、ルーンがない。
ごく稀にルーンを授かることがない
通称ルーンレス(欠刻者)が生まれることがある。
それがこの天坂ユウだ。
「天坂は……どうする?」
「演習対象に、ルーン反応がないようですね」
教師が軽く言い流し、生徒たちも話題にしない。
誰も興味を持たない。
この世界において
“欠刻者”は、存在しないのと同義だった。
言葉を持たない世界。
ルーンが全ての価値を決めるこの学園で、
ユウは、最も“空白”な存在だった。
昼休み -久遠シオリ-
「ユウくん、隣いい?」
トレイを手に、笑顔で席に着く少女。
柔らかなクリーム色に近い淡い金髪で肩にかかるくらいで
髪先を揺らしながら、
丸くてくりっとした大きな瞳は空色で華奢で可愛らしい少女
久遠しおり。
彼女は毎日、当然のようにユウの隣に座ってくる。
「……いいけど、またこっち来るのか?」
ちょっと面倒くさそうに答えるユウ。
「うんっ。だって、そっち静かなんだもん。落ち着くし」
「こっちは“空気”だって意味か?」
「ちがうよ。ユウくん、落ち着いてるから。しゃべりやすい」
しおりは、変な子だと思う。
ルーンの強さを気にしない。
誰に対しても分け隔てがなく、でも妙に鋭い時がある。
「今日の演習、ナナちゃんすごかったね~。あの炎、ぐるんってなってて!」
「見てたのか」
「うん。……でも、ああいうの苦手……」
「炎が?」
「ううん、みんなが強い人にだけ騒ぐのが」
ぽそっと、でも確かな声で言う。
しおりの笑顔の奥に、どこか現実を俯瞰するような目があった。
「ユウくんは……怖くないの?」
「何が?」
「みんなと違うって思われること」
「慣れたよ。そもそも“違う”って自覚がなけりゃ怖くもない」
シオリはしばらくじっとユウの目を見ていた。
けれどすぐに笑って、パンをちぎって口に運ぶ。
「……やっぱりユウくんって変わってるね」
「お前ほどじゃないと思うけど」
「ふふ、たしかに」
ルーンもなく、騒がれもせず、ただ静かに存在するだけの彼。
でもしおりだけは、そんなユウを“そこにいる”人として見てくれる。
――彼がまだ、“言葉”の意味を知らない今のうちは。
放課後 ― カレンとの接触
夕暮れの校舎裏。
誰もいないはずの旧実験室前で、天坂ユウは立ち止まった。
「……なんで、お前がここに?」
「待ってたの。あなたが来るのを」
現れたのは、銀髪の少女──霧島かれん。
腰まで伸びた長い髪を後ろで一部を編み込んで束ねている。
学園制服はきっちりと着こなし鋭さを感じさせる瞳は深い紫色。
同学年で、同じクラス。けれど話したことはほとんどない。
教室でもいつも一人で、誰にも関わらないタイプだと思っていた。
「どういうつもりだ」
威嚇気味に強い口調のユウ。
「あなたを、ずっと観察してたの。……入学してからずっと」
「気持ち悪いな」
「……ごめんなさい。でも、仕方なかったの。あなたは“記録対象”だから」
どこか寂しそうな表情のカレン。
「記録……対象?」
「私は“記録官”なの。特異点を観察・記録する役目。あなたが、その対象」
「……意味がわからない」
「あなたの“ルーンが反応しない”状態、それは偶然じゃない。
本来、あなたには何か“別の力”がある。そう、仮説を立ててる」
なんのことか分からず困惑して固まっているユウに
カレンは近くまで寄っていく。
紫色の瞳は、何かを“確かめようとする”光を帯びていた。
「あなたは──“真言”を知ってる?」
数秒間、無言が続いたあとカレンがユウの目を真っ直ぐ見て言う。
「……?」
余計に困惑するユウ。
「言葉に“意味”があった時代の遺構。
命じることで現象を起こす、“ルーン以前”の原初の力よ」
「そんなもん、知らない」
「なら、まだ気づいてないだけ。……でも、いずれ分かるわ。
あなたの声が、世界を動かす力になるってことに」
銀色の綺麗な髪をかきあげながら自信に満ち溢れている。
その会話を──
少し離れた植え込みの影で、一人の少女が耳を澄ませていた。
七瀬なな。転校してきたばかりの琥珀色の目をした少女。
今、彼女の胸にあるのは、記録官、霧島カレンではなく。
目の前の少年の“正体”への強い関心だった。
「……やっぱり、あなたは……普通じゃない」
ナナは心の中で、呟いた。
そしてその視線は、ユウの後ろ姿から決して離れなかった。
---夜---
学園の敷地の奥にある男子寮の一室。
ユウは机に肘をつきながら、窓の外の夜空を見つめていた。
誰もいない部屋。
唯一の明かりは、机の上のスタンドライト。
ルーンの光も、魔法の便も、この部屋には何一つない。
寮生たちの楽しげな声が、廊下の向こうで響く。
ルーンの強さを競い、スキルを語り合い、明日の演習に胸を弾ませる声たち。
……それらすべては、自分には無縁だ。
「“真言”なんて……聞いたこともねぇよ」
ぼそっと呟く。
だが、あの銀髪の少女――霧島かれんの言葉は、どこか脳裏に引っかかっていた。
『あなたの“声”が、世界を動かす力になる』
そんな馬鹿な話があるか。
俺は、ルーンレスだ。
誰にも期待されない、ただの欠核者。
……なのに。
今日、授業で見た【“火蛇”ひばみ】のルーン。
あの炎の渦に、なぜか心が熱を帯びた気がした。
(……まさかな)
目を閉じる。
意識の底に、何かが沈んでいる感覚。
それは、ずっと前からそこにあったもののように思えた。
そして、思い出す。
昔――まだ自分が孤児院にいた頃。
誰にも聞こえないはずの“言葉”を、自分が口にしたことがある。
(あれは……なんだったんだ?)
かすかに震える唇。
その奥に、まだ知らぬ“力”が眠っていることを、ユウはまだ知らない。
そしてその夜。
彼の夢の中で、“誰かの声”が微かに囁いた。
『──目覚めよ、“言葉”の継承者』
──新たな出会いで、運命が静かに動き出す。