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カペルマイスターに就任

 

 おねしょが治らなかったから寄宿制の学校には入れなかった。

 そんなぼくが大人になって、大聖堂青少年合唱団の寄宿舎に住み込んでカペルマイスターをすることになった。

 カペルマイスターとは、合唱の指導と指揮をする人のこと。


 カペルマイスターになりたくてなったわけではない。と、言ってはいけないことはわかっているけれど、かなり成り行きでここに来たことは否めず。

 ぼくは本当は作曲家になりたい。けれど生活がある。夢だけを追いかけて悠々自適に暮らせる財産なんか持っていない。むしろ、明日食べられるかどうかの心配をする必要があるほどに余裕はない。

 子どもの頃から言ってきた。夢は作曲家。

 子どもの頃はよかった。ぼくの夢を聞くと皆、曲が作れるの? それはすごい、夢が叶うといいね、などと言ってくれて相手の表情に曇るものはなかったから。

 だけど、いくつくらいからだっただろう。それを言うと、相手の表情にかすかな陰りが見えるようになったのは。

「作曲家になりたい」

 これは、人に話してはいけない夢なのかもしれない。

 自分でもわかっている。「作曲家になりたい」この台詞には全く現実味がない。

 これは、一般の人にしてみれば、空を飛びたい、俳優になりたい。それと同レベルのことに聞こえる。

 それはそうだろう。ぼくだってわかっている。作曲家になど、なれるはずない。

 今までに応募した作曲コンクールは全て落選。実力でどうにか見返してやる…という、運も才能もないらしい。

 それなのにまだ…。まだ、やる? いつまで続ける?

 逆に、いつかどこかしらのタイミングで区切りをつけて辞めないといけないのかどうか…。

 わからないけれど、辞められるはずがない。明日で諦めます、なんて、ぼくは言えない。

 夢を諦める線引きなんか、どこですればいい?


 諦められない夢がぼくにとっては音楽だった。

 あなたはきっと、毎日何かしらの音楽を耳にしているだろう。それは広告かもしれない。無意識に流しているテレビの中。買い物に出かけた街中で。クリスマスになれば至るところからそれらしい音色の季節感のある音楽を耳にするだろう。ゲームや映画にもし音楽がなかったら?

 音楽がない世界なんて、生きていられないほどつまらないに違いない。誰かがそういう仕事をしているからこの世は成立している。

 どんな音楽だって、誰かが思いを込めて作ったものなのだ。

 今も昔も、人はそういう営みを続けてきている。喜び、悲しみ。怒りややるせなさを音楽に込めて、一部は後世へ引き継がれていく。

 だから、ぼくも後世に残る作品を…。

 自分が作る側になりたい、と言うのは、そんなにおかしなことなのだろうか。



 だからとにかく。生活のためにこの仕事を。作曲が本業だとすると、これは副業みたいなものだから。どこか軽い気持ちで。だけど、そうも言っていられないとても重要で大切な仕事らしいので、一部にはそういう気持ちも持って。

 この秋からこの町の大聖堂青少年合唱団の少年部のカペルマイスターに就任。

 やったことがない仕事。うまくいくだろうか。

 期待と不安と緊張。新年度の何とも言えない不安定な心情。

 ぼく自身はこの合唱団の正式な団員の出身ではない。ただ、この仕事の条件に惹かれて志願した。

 宿舎と食事にクリーニングサービスまで付いている。報酬として呈示された金額も悪くないし、何よりも安定している。

 大学卒業後は音楽家としてしばらく活動していたのだけれど、それはとても不安定だった。そして作曲家としては全くやっていけていない。作曲で得た収入はゼロ。

 だから、いい歳をしていつまでも実家住まいを続けていた。

 親には感謝しているけれど、いつまでも子どもの立場でそこに暮らし続けるのは全く本意ではなかった。けれど経済的な現実により…。


 この町の大聖堂を拠点とする合唱団。学校併設で寄宿制。歴史は古く、教会で女性が歌うことを禁止されていた、そんな時代からある団体のため男子校。

 ぼくも当時、夜中にベッドを濡らす心配さえなければ生徒としてここに入りたかった。でも、その不安こそ当時のぼくの最大の悩み。その、巨大な悩みをどうにか回避するために当時のぼくは、音楽を学びたかったのにも関わらず両親と兄の勧めるこの合唱団に入る道とは逆方向に舵を切った。

 本当はここに来たかったけれど、寄宿生活でおねしょをするかもしれないのに…。そんな決断、できるはずがない。だから。無念さを抱きつつも諦めるしかなかった。

 そんな思いがまさか、数年経ってこういう形で叶うとは。



 寮は最近改修されたそうで新しくて清潔だった。その上ぼくに用意してもらった一人部屋には楽器も設置されている。子どもたちの部屋とは距離があるので夜間も練習可能、とのこと。Wi-Fiも弱くないし、住まいとしては申し分がない。

 ただ、合唱指導も食事も、仕事と生活の場がとにかくずっと団員とひと続きで一緒なので、どこまでが仕事でどこまでがプライベートなのかの境界がないのが気になるところ。ただ、安定と収入を手にするためにここに来たのだから。そこには目をつぶるべき、かな。

 慣れてきたら空き時間にはきっと作曲もできる。この環境なら、数え切れないほどの名曲を…。




 ぼくが担当する少年は三十人。

 この、三十人のグループがもう一グループある。だから、向こうのグループにはもう一人のカペルマイスター、アルベルトがいる。彼はここでこの仕事をして数年が経過している、とのこと。

 隊が二つあるのは教会のミサのため。そもそもこの聖歌隊は教会で聖歌を歌うために存在している。毎週日曜日がそのミサ。今週アルベルトの隊がそれを担当したらその翌週はぼくの隊が歌う。交代でそれぞれの隊が声楽パートを担当し、もう一隊は休み。プログラムによっては二隊合同のこともある。


 指導はぼくが全体を見る日もあれば、教師を増やしてもっと少人数に分けて行う日もある。または両グループを混合にしてパート別にすることもある。

 声楽系の教師は何人もいて、パート別で少人数に分かれる時は彼らの手を借りる。

 ただカペルマイスターとしているのはアルベルトとぼくの二名だけ。この役職は他の声楽教師より権限が強く責任も重い。

 カペルマイスターは自分が担当する隊の全責任を負うのが仕事。ぼくは初任者なのに、そもそも教師の経験もないのに、よくその役職で採用してもらったものだ、と思う。ぼくにそんな責任を負えるのだろうか。

 ぼくは生活のことばかりを考えてこの仕事に志願した。気持ちに中途半端なことがないだろうか…。そんな自分がきちんとした仕事ができるのかどうかを考えると怖いことだし、不可能に思える。軽い気持ちでそれを始めようとしたことを少し後悔している。けれど、ぼくに対する報酬はそこに向かって支払われているわけで。



 そんなぼくの初任カペルマイスターの生活がスタート。

 担当の隊の子どもたちを前にその全視線を受けた時の緊張はなかなかのものだった。相手は子どもなのに何を話せばいいのか分からなくなった。

 ぼくはこの合唱団の附属小学校しか経験していない。一方この子たちはオーディションを受けて歌いたい、というそれなりの意志と音楽の能力をそれなりに持った状態でここにいる。ぼくは彼らと同じくらいの年齢だったその頃、まだおねしょをしていてオーディションも受けずにその道を諦めた。

 完全に個人的な劣等感。初めて会ったぼくが担当する隊の子どもたちはそんなことを一切知らずにいるのに、そんな引け目を感じて話す言葉を失う。彼らは初めて出会うぼくに対して興味津々のようでその視線が痛い。そんな中でぼくは一体何を思っているのだか。

 ピアノを囲むようにして造られている合唱のためのレッスン室。ぼくを囲むようにして席に着きぼくの言葉を待っている子どもたち。

 皆黙ってぼくを真っ直ぐ見つめている。一人一人を見つめ返しながら、本当に何を言えばいいのか頭が真っ白だった。緊張して口が渇いて声が出ない。

 初っ端がこれでは…。皆、不安になっただろうか…。

 一応、ぼくからの自己紹介をして、一人ずつ、生徒からも自己紹介をしてもらった。



 レッスンは毎日午後に行われる。

 まだ新人のぼくは団体から完全な信用を得てはいないらしく、しょっちゅう前任者が様子を見にレッスン部屋に入ってくる。

 前任者、フランツ・シュリーマン先生。何十年もこの合唱団の、この年齢の少年達を指導してきた超大ベテラン。もう、おいくつなのか、ぼくから見るとかなりのご高齢。あらゆることに俯瞰したような優しいまなざしで子どもたちを見つめる。

 子ども達にはあんなに優しいまなざしを向けるのに、ぼくにはすごく厳しい気がするのだけれど…。

 この先輩が前年度までぼくが見ることになる隊のカペルマイスターだった。今年度からはこの団体の音楽監督、という肩書で全体を統括している。そして現在は時間の多くを初任者として入職したぼくの指導に割いてくれている。

 ぼくが指導している時、決して後ろから声を出すようなことはしない。けれど、時々歩き回って少年に小声で声を掛ける。

 その光景を見る度に、自分の指導法はどこか足りなかったのか、まずいところがあったのか、と不安になるけれど、そんなことは言っていられない。ぼくはその日にここまで進める、と決めたところまで、どうにか到達させるので精一杯。

 子どもたちを前に指導者としてピアノの伴奏をしていると、言うべきアドバイスも、自分が向いてる方向さえ分からなくなって、毎回緊張で汗だくになる。


 この大先輩もここの寮住まい。生涯を、かどうかは詳しく知らないけれど、あの年齢になるまでずっと独身でここにいて入れ替わる子どもたちを毎年見続けて歴史を作っている。

 そんな大先輩と住まいが同じ場所なので朝も昼も夜も顔を合わせる。本当に、仕事とプライベートの区切りのつけようがないのはどうなのだろう。

 この先生はレッスン後や食事中、時には就寝前。ふと建物内ですれ違う多くのタイミング。あらゆる場面でぼくに向かってもっとこうした方が良いかもしれない、という改善案を言ってくれる。

 人格者で決して声を荒らげない。強制的ではない。その話し方はとても優しいのにその内容にぼくがいちいち傷付いているのは、自分の指導のまずさを自覚しているから。そして、先輩の言葉は直球でぼくを刺す。


 子どもたちはかわいい。ここの子どもたちは全員が素直で優しいと思う。そんな彼らに指導者という立場で接することができるのは幸運だと思っているし、ぜひとも彼らの能力を伸ばしてその人生にほんの少しでも貢献できれば。彼らを見た初日からぼくは本気で、真摯にそう思った。

 けれど、少年に歌わせてその指導をする、というのは思っていた以上に難しかった。ぼくは子どもの指導を専門に学んできたわけではない。合唱だけを専門にしてきたわけでもない。

 大学では指揮も声楽も学んだ。だけどメインはコレペティトゥア、かな。

 コレペティは、伴奏者であり、オペラ歌手の練習指導をしたりもする、完全な裏方の存在。楽器の演奏に加えていろんな知識が必要になる、意外と幅の広い仕事。歌唱に演技、語学や歴史についても。

 オペラ歌手は、あの舞台に突然出てきて突然歌い演技をするわけではない。舞台装置が整えられたステージで演じているのは彼らの過ごす時間のほんの一部である。彼らは多くの時間を事前に何のセットもない部屋の中で練習してようやくあの大きな舞台に立つのだ。

 本番はオーケストラが演奏をするけれど、当然毎回それに合わせて歌えるわけがない。歌手は歌の練習をする時には、オーケストラの伴奏を模したピアノに合わせて歌う。

 そのピアノを弾くのがぼく。そんな役割をする人のことを、コレペティと呼んだりする。

 コレペティは歌の指導や伴奏だけでなく、演技指導をしたりもする。歌手と意見交換をしながらより良い舞台に向かって共に進む。

 ぼくがコレペティをしていた時はほとんどの相手が音楽大学の学生だった。けれど、これからカペルマイスターとして接する相手は変声前の少年。レパートリーもがらりと変わるのだろう。

 コレペティはやってみるとすごく楽しくて自分に合っているかな、とは思っていた。それに作曲だけでは生きていけないのであろうことは学生時代から分かっていた。だから、具体的に仕事ができそうな方向性も持っておく必要があったから。だから職業としてコレペティトゥアをしてみることにした。

 だけど、ぼくの人生はほとんど、成り行き任せ。コレペティだってカペルマイスターだって、気が付いたらそこにいた。自然にその道を歩いていたからそれをしているだけ。


 ただ、コレペティにしろカペルマイスターにしろ、それはぼくの本当の姿ではない。ぼくはとにかく、作曲家に。大学時代は作曲家になるためにあらゆることを猛勉強して今、ここにいる。

 作曲とはすなわち、音楽の全てができてそれを知っている必要がある。だからこそ、音楽も他のことも幅広く学んできたつもり。

 自分が音楽をいつ始めたのかなんて覚えていない。気が付いたらピアノを弾いていた。兄の吹くトランペットを聞いていた。母の歌声を聞いて夢の中でも音楽はぼくのそばにあった。今だって、ずっと頭の中には音楽が鳴っている。

 ただ、ぼくは表舞台に立つのではなく、作る側。自分が演じるというイメージは全くなく、だからコレペティ。だから、カペルマイスター。主役はぼくではない。

 ぼくは、演者を裏から支えて本番を共に作るのが好きなのだろう。

 だからいつか壮大な曲を書けたら。オーケストラがぼくの音符を実体にして、それを聴いた人が心地良くなって感動してくれたら。そんな光景を見て微笑みたい。生涯に一曲でもいい。人に見せられる曲が作れたら。

 夢見る栄光は、ずっと頭の中にある。

 だけどそれが夢物語だということは、もちろん理解はしている。

 それなのに、まだその可能性がないのかどうか、探りながら人生を進めている。自分でも何となく、現実味がないことはわかってはいる。

 それなら…諦める? いや、諦めたら終わりだ。

 また、いつもの自問自答。何度も現れてその度に打ち消すこの疑問。

 不安や自信がないときに浮かびがちなこの思い。ぼくはどうするのか。そんなこと…。

 かつての作曲家だって、不遇時代を経て、今まだその作品が残され、尊敬され、愛されている。形を持たないその音楽は時代を超えて今なお我々を感動させて共感を引き出している。

 それならぼくも。そもそも諦めることができない。

 どうやったらそれを切り上げて気持ちの整理ができるのか。ぼくには不可能。

 だけど、仮に素晴らしい曲が書けたとして、評価されるのはぼくが死んだ後?


 作曲家に、なれるのだったらなりたい。

 だけど現実、生活の安定も必要で、不遇のまま人生を進めるだけの勇気もなくて…。

 家族もぼくが夢ばかり追うのを心配しているし、うんざりしている。そして、そんな夢ではまともな糧も得られていないその現実を、直接ぼくに言ったりはしないけれど、おそらく恥じている。

 

 だから安定を求めてここに来た。なんて、決して人には言えないことだけれど。コレペティも仕事としては楽しかったのだけど、学生相手だし、どうにも仕事の量もスケジュールも収入も安定しなかったところが悩みどころだった。もし、他にもっと良いコレペティが現れたらぼくの仕事はゼロになるかもしれないし。

 ぼくはいずれ作曲家になるのだし、いろんな経験とその下地を作るための安定した仕事と収入を。

 だから教会付きの聖歌隊のカペルマイスターなんて条件的には願ったり叶ったり。

 収入と安定性。なんて胸の内を言ったら批判にさらされるだろうから黙っておくけれど。

 ただ、本心が作曲家だとしても目の前にはぼくが担当する歌うことが好きな意欲ある子どもたち。この仕事をさせてもらうからにはこの団体に、メンバーの子どもたちには大いに貢献したいと思っている。本心は作曲家になりたいのだとしても。

 ブルックナーだってベートーヴェンだって、モーツァルトだって皆そうだったのでは? 多くの大作曲家達だってぼくのように何かしらの仕事を抱えながら作曲をしていた。彼らだって作曲だけをしていたわけではない。時には嫌な仕事だってあっただろうし、仕事上の人間関係に悩んでいたのかもしれない。

 と、ぼくがそう思いたいから勝手に思っているだけ、かな…。

 とにかく、今も昔も作曲だけをして生きていく、というのは難しいのかもしれない。

 父も兄も、ここの聖歌隊員を青年部まで努めて、その後は一般的な民間企業で働いている。仕事は完全に音楽とは無関係。そういう人生の選択が真っ当なのだろう。


 ぼくはそういうふうには考えられず、そういう道は選べなかった。物心がついた時からそのまま一直線に自分は音楽に向かって進むのだと思い込んでいた。それ以外の道などないのだと思っていた。

 だから本心では幅広く音楽を学べる合唱団の本科に進みたかった。おそらく、父や兄よりもその思いは強かったはず。

 それなのに、違う方向に舵を切ってしまった。おねしょのせい…。

 実はこれも、作曲家の夢と同じくらい、しょっちゅう浮かぶ思いで、今さらどうすることもできない、ということはわかっているのだけれど。無念は、そのまま置いておくと、いつしか心のしこりになる。

 そのことについて考えるのはもうやめよう。結局、どうすることもできなかったのだから。

 自分でがんばってどうにかできるのだったら努力もしただろう。だけど、気を付けようにも、方法がわからない。注意したって、または忘れていたって、どちらにしろ、たまに不意打ちで襲う失敗はぼくを大きく失望させていた。

 ギムナジウムに入るくらいの年齢にはもうほぼ失敗することもなくなっていたのだけれど、それでもごくたまに、なぜかベッドを濡らしてしまうことがあって、最後にそんなことがあったのはいつだったか…。

 失敗するたびに自信を失い落ち込んだ。こんな歳なのにまた寝床を濡らしてしまった…。

 情けなさすぎて、だけどしかし自分ではそのことを制御しきれず悔しくて泣いた。もし万が一、寄宿生活でそんなことが起こったら…。やはりそれなら…。

 進路を考えるにあたっては、通いの学校でないと無理だろう。

 おねしょをしてしまうこと自体も恥ずかしくてやりきれないのだけど、その後でその事実を自分以外の人に知られることの方がつらいのかもしれない。

 寄宿舎でベッドを濡らしてそれを他のメンバーに知られたら…。馬鹿にされるかもしれない。そのことを知らない人たちにも広く言いふらされたら…。

 立ち直ることができないかもしれないそんな地獄に自ら志願して出ていく勇気なんかぼくにはなかった。

 おねしょの問題と音楽の勉強ができる理想的な環境。二つを天秤にかけた時に重かったのは、おねしょの方だった。

 それに、寮に入って家族と離れるのも不安だった。これまた情けなさすぎる理由なのだけれど。

 ぼくはちょっと、神経質なところがあって環境が変わることをなかなか受け入れられない。寄宿生活なんて馴染めるかどうか心配だったし、必要な時に母がいないのは大丈夫なのだろうかと思っていた。

 そんなことは恥ずかし過ぎて絶対に言わずにいたけれど、家族はそれを分かっていたよう。

 だからいまだにたまに家族から馬鹿にされる。あの頃のぼくは意気地なしで甘ったれ、その上おねしょをしていたから合唱団の本科に進むことができなかったのだ、と。

 自分でもわかってはいる。わかっているから、ぼくのそういう消したい過去について今さらそんなことを言うのはやめてもらいたい。本当に。過去は変えられないのだから。



 そんな過去があるので家族はぼくがまさか、地元でそんな聖歌隊の指導をする仕事を、しかも宿舎に住み込みでそんなことをするなんて信じられない、と驚いた。

 だけど、いつまでも作曲家になりたいと言って不安定な活動をしているぼくを心配してもいたのだろう。ぼくがこの仕事をすると知った時の彼らの安堵した様子がその表情から、言葉はなくとも伝わってきた。

 父はくどくどと、カペルマイスターというものは、と個人の思いをぼくを相手に語り続けてくるので面倒だったけれど、適当に聞き流しておく。

 だけどそうなのだ。カペルマイスターというものは、実際とても大事な役割らしい。

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