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万能勇者、敗北。そして二度目の人生は最弱から  作者: 虚無しお
第2部2章 さようなら、勇者様
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【第19話】贖罪のあと


 目を覚ましたとき、空はひび割れていた。


「……寝すぎたか」


 エミルはゆっくりと身を起こす。

 先ほどまでの心地よい陽光はなく、代わりに空間そのものが軋む音が響いていた。

 まるで世界が、内側から悲鳴を上げているようだった。


 少し歩くと、崩れかけた広場の向こうにリリィの姿が見えた。


「私のお好み焼きとパンケーキがぁ……」


「リリィ」


「あれ、エミル様? え? 私はお好み焼きで……あれ? さっきまで食べても太らなかったのに……」


「行くぞ」


「どこに行くんですか、待ってくださいよ!」


 足元が揺れる。地面に亀裂が走り、遠くで建物が崩れ落ちる。

 甘く完璧だったはずの世界が、内側から崩れていく。

 砂糖細工の街が、溶けるように崩落していく。


 その中心に、セレナは立っていた。


「……これで、いいのよね」


 目の前には、黒く裂けた空間。

 底の見えない虚無の裂け目が、静かに、けれど確実に広がっている。

 セレナはそれを見つめたまま、一歩、踏み出した。


「待て! セレナ!」


 振り返る。


「エミル様……私は、ここで死んだ方がいいと思います」


「そんなことはない!」


 エミルは駆け寄る。


「私がいると、エミル様の迷惑になりますよ。別の世界とはいえ、私は人を騙して、殺してきました。最初に会ったときだって、幻影を使って騙したじゃないですか」


「こっちだって打算だ!」


 エミルはセレナの手を掴む。


「今この状況で、ついてくる味方は是が非でも欲しい。暗殺や諜報が得意ならなおさらだ。喉から手が出るほど欲しい戦力だ」


「危ないです、エミル様!」


 リリィが慌ててエミルの腰にしがみつく。

 裂け目から吹き出す風が、三人の体を煽る。髪が乱れ、足元が揺れる。


「こっちに来てからは、誰も殺していないだろう。少なくとも、罪のない者は」


 エミルはまっすぐにセレナを見た。ぶれない目だった。


「一度死んで、それでもここに立っているなら、それはやり直せということだ。禊は済んだ。改めて——僕に力を貸してくれないか」


 セレナの瞳が揺れた。


 揺れて、揺れて、それからゆっくりと細くなった。


「……ずるいですね」


 かすかに、笑う。


「わかりました。その代わり、後悔しないでくださいよ」


「しない」


 その瞬間、世界が完全に割れた。


 空が砕け、光が崩れ、理想の街並みが塵のように散っていく。

 積み上げられた完璧な嘘が、一息で消えていく。


 闇の奥から、雲のように薄い影が浮かび上がった。


「封印ハ解ケタ。助カッタ」


 虚無神。感情の抜け落ちた声が、空間に染み込むように響く。


「恩ニ着ル。この礼ハ、イズレ」


「いいってことよ、お安い御用だ!」


 どこかでカイルの声がした。


「斬ったのは俺だがな」


 虚無神の輪郭が、ゆっくりと闇へ溶けていく。

 波紋が消えるみたいに、静かに。


 残された空間で、カイルは自分の腕を見た。

 いつの間にか、灰色の腕輪がはめられている。冷たい金属が、かすかに脈打っていた。

 生きているみたいに。


「ユイ三人衆は何をやってたんだ?」


「すんでのところで弾かれて、助けに行けませんでした」


 ユイが肩を落とす。


「それでアワアワしてたってか?」


「元の世界に連れていきませんよ?」


 カイムが冷たい声で言う。


「……すいません」


 崩れた石畳の上に、三人の姿があった。


 エミルはセレナの手をしっかりと握ったまま動かない。

 その隣で、リリィがエミルの腰にしがみついた姿勢のまま、静かに目を閉じている。

 理想の夢から現実へ引き戻されたばかりの身体は、まだ重いのだろう。無理もない。


 セレナの指先が、わずかに動いた。


 生きている。


 カイルは小さく息を吐いた。緊張が、少しだけほどけた気がした。


「……さて」


 カイルが顔を上げる。


「ここからが本番だ」


「ああ」


 エミルもゆっくりと起き上がる。


「レイを助けに行かないとな」


 崩壊した理想の残骸が、風に散っていく。その向こうで、次の戦いが静かに待っていた。


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