【第15話】レイじゃないんだよ
エルレンのリズの宿屋は、以前と変わらぬ場所にあった。
扉を開けた瞬間、珈琲の香りがふわりと漂ってくる。
「久々に見ると、だいぶしわが増えたんじゃないか」
カウンターの奥でエプロンをつけた黄色い髪の女性が、ぴくりと眉を跳ね上げる。
この世界のリズらしい。
「うっさい! 久々に来たと思ったらそれ? あんたは随分若いわね、嫌味のつもり?」
「一回死んで生き返ったんだよ」
「はあ?」
呆れ声に、奥から穏やかな声が重なった。
「相変わらずだね、君は」
エプロン姿の青年が苦笑しながら顔を出す。こちらはユートのようだ。
カウンターに並ぶ二人の自然な距離感が、夫婦のそれを思わせた。
長い時間の積み重ねというやつだ。
「てか、あんたが仲間をたくさん連れてくるとはね。意外だわ」
「かわいい彼女まで連れてるし」
「やだなあ、彼女だなんて」
「かわいくはないけどな」
「否定しないんだ」
リズが目を細める。
「ますます意外だわ」
軽口の応酬に、店内の空気が少しだけ緩む。
一方で、エミルは真顔だった。完全に置いてけぼりの顔をしている。
「僕は船の中にいたはずだ。なぜ気づいたらここにいるんだ? 新しい大陸の地を踏みしめて感慨にふける予定だったのだが」
「何言ってるんですかエミル様。船から降りて普通に歩いてきたじゃないですか」
リリィが即答する。
「そうだったっけ?」
「しっかりしてください」
エミルは首をひねりながらも、素直に椅子へ腰を下ろした。
その割り切りの良さだけは本物だった。
「おい、ショーチューかぼんず酒はないのか!」
白衣の男が遠慮の欠片もない声で叫ぶ。
「ここは昼は喫茶店よ! ぼんずの酒場じゃないの!」
「品揃え悪いなあ」
「ぼんずに行け酔っ払い!」
「……ゲーシャブレンドがここで飲めるとは。なかなかやりますね」
セレナが静かにカップを持ち上げ、目を細める。
「でしょでしょ! そっちはわかってるわね!」
リズが一転、満面の笑みを向ける。現金なほど分かりやすかった。
その時、静かな声が落ちた。
「こんにちは、勇者様」
どこか冷えた声色だった。
白銀の髪の少女が、いつの間にかレンの隣に立っている。
気配もなく現れたくせに、そこにずっといたような顔をしていた。
「お、来たな」
レンが気軽に言う。
「うわ、思ったよりしわ増えてる! だから来たくなかったのよ」
少女がカウンターのリズへ顔を近づける。
「何よいきなり! 人に喧嘩売ってるわけ?」
「本人だから困るのよ」
「はあ?」
意味の分からない会話が飛び交う中、全員がどこか似た顔をしていた——理解を諦めた顔だ。
そこへ、扉が勢いよく開いた。
「よう、レイ! 探したぜ全く!」
黒髪の少年が、まっすぐレンを見る。
期待と確信が混じった目だった。迷いが一切ない。
レンは小さく肩をすくめた。
「悪いな。俺はレイだが——お前の知ってるレイじゃないんだよ、カイル」
店内が、一瞬だけ静まった。
「その二人はバグです」
涼しい声が、空気を切った。
振り向くと、もう一人の少女が入口に立っている。
「お久しぶりです、と言いたいところですが……」
淡々とした声だった。感情の色を抜いたような、そういう声。
その視線は、まっすぐレンとイユへ向けられていた。
リズが腕を組み、三人を見比べる。
「あんたたち、三つ子? 珍しいわねー」
「ここではユイが三人いるようなもんか。ややこしいな」
カイルが頭をかく。
「私はイユです」
即座に訂正が入った。
珈琲の湯気が、ゆっくりと天井へのぼっていく。
賑やかな再会のはずだった。でも何かが、微妙にかみ合っていない。
時間だけが、そんな空気の中をのんびりと過ぎていった。




