【第13話】神の槍
港町ロマーレは、潮と鉄と機械油が混ざったような、独特の匂いに満ちていた。
汽車を降りた一行は、行き交う人波を縫うようにして埠頭へ向かう。
石畳の上には荷運び人夫の怒鳴り声と、遠くで鳴る船の汽笛が重なり合っていた。
「やっぱ汽車は楽でいいな」
エミルが首を鳴らしながら肩を回す。旅慣れた動作だった。
「……吐きそうです」
隣では、顔色が紙みたいに白くなったリリィが、今にも倒れそうな声で呻いた。
「なんでいつも従者の方がダメージでかいんだ」
「揺れが……一定じゃないのが……悪いんです……」
どこか恨みがましいその言葉に、エミルが苦笑する。和やかな空気だった。
その空気が、一瞬で変わった。
風が逆巻く。影が落ちる。港の喧騒が遠退くような、息の詰まる静寂。
「来るぞ」
レイが低く呟いた。
次の瞬間、白い翼が翻った。空を切る音がする。
その背後に続くのは、見覚えのある紋章を纏ったイシュタリアの兵たち。
「ここまでだ」
静かな声だった。怒りも焦りもない、ただ淡々とした確信。
それがかえって不気味だった。
「取り巻きを頼む。俺は白翼をやる」
「よし来た!」
クレインが懐から迷いなく小型の爆弾を引き抜き、放り投げた。
轟音。石畳が揺れる。砂埃と煙が広がる。
「こっちまで巻き込む気ですか!」
セレナが怒鳴る。
「威嚇だ威嚇。ちゃんと外した」
白衣を翻しながら、クレインはどこまでも涼しい顔をしていた。
戦場は瞬く間に広がった。
兵士の一人がエミルに向けて踏み込む。速い。鋭い一閃。
しかしエミルの剣がそれを上回る速さで動いていた。
迷いのない斬撃が、敵を石畳へ沈める。
「子どもだと甘く見たか?」
「油断しないでくださいよ、まだいます」
応戦しながらリリィが鋭く言う。さっきまで酔っていたのが嘘みたいだった。
港の石畳に剣戟の音が響く。
そしてレイの前では、白翼の青年が正面から向かってきた。
翼が広がる。風圧だけで石畳が削れる。
踏み込みが速すぎて、地面を蹴った音が一拍遅れて届く。横薙ぎの一閃。
レイは剣で受け止めた。腕の骨まで震える衝撃だった。
「前より鈍ったんじゃないか」
「抜かせ!」
翼が閃く。羽根の一枚一枚が刃のように空気を裂き、死角から斬撃が飛ぶ。
レイは半歩退いて刃を弾き、即座に踏み込む。
斬り上げ。刃先が青年の頬を浅く掠め、赤い線を引いた。
血が散る。
青年が、笑った。
「やはりお前は、こうでなくてはな」
喜んでいる。本気で、喜んでいる。
その笑みを見て、レイの中で何かが研ぎ澄まされた。
翼が折りたたまれ、次の瞬間、青年の姿が消えた。
上だ。
反射で顔を上げる。逆光の中で白翼が翻り、そのまま真っ直ぐ落下してくる。
落下斬撃。石畳が砕ける。衝撃が足元から伝わってくる。
だが、押しているのはレイだった。
呼吸は乱れていない。剣筋は冴えている。
青年が後退する。追い詰めた――
気配が、なかった。
だから分からなかった。
背中に、冷たい衝撃。
――槍。
貫かれる、と理解した瞬間、息が止まった。
視界が白く染まっていく。意識が遠くなる。
「油断大敵、ですわ」
耳に届いたのは、静かな声だった。
槍が引き抜かれる。血が石畳に落ちる。重たい音がする。
そこに立っていたのは、白い少女だった。
透けるような純白の髪。
首筋にかかるほどの短さで、風に揺れても重みを感じさせない。
光を受けているはずなのに、どこか影の中に溶け込んでいるように見える。
白と淡青を基調とした教会服には、血の飛沫一つ浴びていなかった。
少女は、微笑んだ。
優しさの形をしていた。ただしそれは、優しさそのものではなかった。
何か別のものが、その笑みの奥にある。
「全く、お兄様もだらしないですわ。そんなに大したことのない相手ですのに」
「ルナ……お前……」
指先がレイの頬に触れる。その温度だけが、やけに冷たかった。
膝が崩れる。
「そんな――!」
セレナの叫び声が、遠くで聞こえた。
その時、石畳を蹴る音。
「クソ、遅れたか」
レンがイユと共に駆け込んでくる。だが――遠い。
石畳を砕く勢いで走っても、まだ遠い。
ルナは引き抜いた槍を静かに持ったまま、軽く首を傾げた。
まるで、今初めて気付いたかのように。
「あら。この方の術ではなかったのですね。意外ですわ」
視線がレンへ向く。その瞬間、空気の質が変わった。
ひやりとした、底のない冷たさ。
「それにしても……ずいぶん早いですわね。百人はいたはずですけれど」
レンの目が細くなった。答えない。
踏み込む。石畳が砕けるほどの速度で、刃を向ける。
だが。
ルナの周囲の空間が、水面のように静かに揺らいだ。刃が、届かない。
「ともかく――万能勇者は私がいただきますわ」
光が爆ぜた。
レイの身体を白い輝きが包む。
「待て!」
「させません!」
イユの放った光が追う。ほんの一瞬、届きかけた。
でも掴んだのは、残光だけだった。
空間が閉じる。風が止む。
レイも、白い少女も、もうそこにはいなかった。
港に、重たい静寂が落ちた。
波の音だけが、変わらず響いていた。




