【第03話】道連れ逃避行
森の中を、三つの影が歩いていた。
夜露に濡れた草を踏みしめるたび、靴裏が湿った音を立てる。
背後に追手の気配はない。だが、誰一人として気を緩めてはいなかった。
「セントヴェナ第七王子、エミリオ……ねえ。隣の大陸に飛ばされたわけか」
歩きながら、レイがぼそりと呟いた。
「そうだ。だがエミルでいい。親しい者はそう呼ぶ」
少年──エミルが短く答える。
「彼女はリリィ。僕の護衛兼侍女だ。宮廷魔法部隊にも所属していたから、ある程度の魔法も扱える」
黒ローブの女が一歩前に出た。
フードの奥、細縁の眼鏡が月明かりを反射する。
「よろしくお願いします」
「よろしくと言われてもな……」
レイは肩をすくめた。
「正直、まだ状況が飲み込めてない。夢か疑ってるくらいだ」
「とにかく森を抜けるまででいい。力を貸してもらえないか?」
エミルの声に迷いはなかった。
ただ、その奥にわずかな焦りが滲んでいる。
「……分かったよ。森を抜けるまでな」
レイは小さくため息をついた。
「で? なんでお前らは自分の国から逃げてるんだ?」
その問いに、エミルは一瞬だけ視線を落とした。
「私にも分からない。リリィが知らせてくれてな。捕まる直前に城を出ることができた」
「なんでそれに気付いたんだ?」
レイの視線が、リリィへ向く。
「えっと……その……城の人たちが話しているのを聞いて……」
リリィは言葉を濁した。何かを隠している顔だった。
「ふーん……まあいい」
レイは深く追及しなかった。今は森を抜けることが先だ。
「森を抜けるまで、だな」
その時だった。
「助けてください!!」
森の入口付近から、女性の悲鳴が響いた。
三人の視線が同時に向く。
暴漢に追い詰められた女がいた。
黒ずくめの男が短剣を振りかざし、女を壁際へ追い込んでいる。
女とレイの目が合った。
「助けてください! そこの人!」
「助けなくていい。あの女には関わるな」
「何を言っている!」
エミルが剣を抜く。
「セントヴェナの誇りにかけて、困っている者を見捨てることはできない!」
「あ、エミル様!」
リリィが止める間もなく、王子は踏み込んだ。
剣閃。暴漢の刃を受け止め、弾き返す。
次の瞬間。男の体が霧のように崩れた。光の粒となり、空気に溶けていく。
「……幻術か?」
エミルが眉をひそめる。
女が深く頭を下げた。
淡い銀の髪が、夜気に揺れる。
白を基調とした衣は幾重にも重なり、羽衣のような薄布が宙を漂っていた。
神官とも天女ともつかない姿。
だが、浮かべた微笑はどこか人懐こい。妙な組み合わせだった。
「お助けいただき、ありがとうございます!」
「礼を言われるまでもない。当然のことをしたまでだ」
エミルが胸を張る。様になっていた。
「ありがとうございます! 私は薬売りをしているセレナと申します」
「……お前、生きていたのか?」
レイがぼそりと呟く。
セレナはそれを綺麗に無視した。
「どうやらお困りのご様子。私にできることであれば、何なりとお申し付けください」
「薬か……いくつか買っていこうか?」
「駄目だ」
「駄目です。この人、怪しいです」
レイとリリィの声が、ぴったり重なった。
「助けていただいたお礼に差し上げます」
セレナはにこりと笑う。
「ちなみにこちらはお肌をツルツルにする薬です。女性に大人気なんですよ」
「え?」
「髪をサラサラにする薬もありますよ?」
「ほ、ほしい……」
リリィが小声で呟いた。さっきまでの警戒はどこへ行ったのか。
「さらに今なら特別サービスで──」
セレナが一歩、距離を詰めた。羽衣がふわりと揺れ、甘い香りが風に乗る。
胸を張り、得意げに宣言する。
「私が付いてきます!」
「もらおう」
エミルが即答した。
「そうですね」
リリィも頷く。現金だった。
「駄目に決まってんだろ!!」
レイが叫ぶ。
「こいつが来るなら俺は抜けるからな!」
「おやおやー」
セレナが顔を近づけた。
「よく見れば万能勇者のレイ様じゃないですか? 私のこと忘れちゃったんですかあ? あんなことまでしておいて」
「顔見知りだったのか」
「あんなことって何をしたんですか?」
リリィが白い目を向ける。
「俺はされた側だ!!」
「怪しい……」
「とにかく行きましょう!」
セレナがくるりと振り向いた。羽衣がふわりと翻る。
「旅は道連れ、世は情けです!」
──そういうことになった。
レイだけが、納得していなかった。




