【第32話】終わりとはじまり
統括官トラヴィスは、エルレンの混乱を背に逃げ出していた。上等な革の靴で石畳を踏み鳴らし、息を切らせて街の入り口にたどり着く。
そこには辻馬車が一台、まるで待ち受けていたかのように停まっていた。「お客さん、どこまで?」
「……どこでもいい。早く出せ!」
トラヴィスは馬車に飛び乗ると、汗を拭いながら窓の外に視線をやった。
今のうちにこの町から離れ、別の町で馬車を乗り継ぎ、身を隠すつもりだった。自分ほどの才覚があれば、どこに行ってもやり直せる――そう信じていた。
やがて、馬車の窓から次の町が見えてきた。
「そこでいい、止めろ」
トラヴィスが声をかけたその瞬間、御者が静かに振り返った。
「そういうわけにはいかないな」
「……なんだと?」
振り返ったのは、あの忍装束の青年――タダシだった。目元だけを覗かせたその顔に、怒りと静かな決意が滲んでいる。
「貴様……なぜここに!」
「ぼんずに手を出した報い、しっかり受けてもらう」
トラヴィスが何かを叫ぼうとした刹那、その首筋に軽く手刀が振るわれた。
力が抜け、視界が暗転する。トラヴィスは、そのまま意識を手放した。
* * *
「終わってしまえば、何てことないわね」
リズが背伸びをしながら、宿の中庭を見渡す。
「……トラヴィスはどこに行った?」カイルが尋ねた。
「タケル王に捕まったらしいよ。タダシの手柄だね」
「今頃、いろいろと“お話中”らしいわ」
「どんな話をしてるんだか……」
リズが苦笑する横で、ムン老師がうむと頷いた。
「わしらの国に喧嘩を売ったんじゃ、五体満足で済むとは思えんて」
「こわっ!」
リズが半分本気で身をすくめた。
「でも……まだ油断はできない。魔王教が完全に潰れたわけじゃないからな」
レイの言葉に、一同の表情が引き締まる。
「いい方法があるぜ」カイルが口元を歪めた。
「なんだ?」
カイルは不敵に笑って言う。
「魔王を倒せばいいのさ」
突拍子もない発言に、レイが眉をひそめる。
「……唐突だな」
だがカイルは真顔のまま、仲間たちを見渡した。
「魔王を倒したっていう“実績”さえ作れば、魔王教の看板も一気に色あせる。象徴を失えば、信者の求心力は劇的に弱まるだろ?」
その言葉に、ノーランが首をかしげる。
「一理あるけどさ。そもそも、魔王なんてどこにいるっていうんだい?」
カイルは軽く肩をすくめて、いたずらっぽく笑った。
「この大陸にいるんだな──これが」
次なる戦いの幕開けを告げるかのように、風が静かに吹き抜けた。
これにて第4章終了です。
次がいよいよ最終章。
カイル達の旅に、もう少しだけお付き合いいただけると嬉しいです。




