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黄色い瘴気を浄化せよ ~召喚聖女は花粉に挑む~

作者: 海野はな

 春爛漫。

 寒い冬の間じっと我慢していた植物たちが緑を煌めかせ、色とりどりの花に喜んだ小鳥が歌う。

 心地の良い温かな風が頬をなでると、彼は目を細め、口を軽く開けた。


「はぁーっくしゅん!」


 やわらかふんわりティッシュを取り出した男、杉山(33)既婚はこの時期だけ自分の苗字が嫌いだ。


「失礼ですが、杉山さんの苗字を見るだけでムズムズしてきますよ」

「本当に失礼だな。お前は見るだけじゃないか。俺なんて署名するときに書かなきゃいけないんだぞ」


 杉山の同僚であり後輩の広瀬(30)未婚は杉山にちょっと憐れんだ目を向けてくる。

 どうでもいいことだが、人を紹介するときに名前(年齢)の(年齢)は必要だろうか、と杉山は疑問に思う。さらに、既婚か独身かは余計だ。


「杉田とか杉本だったらまだよかったですよね」

「何がよかったんだ」


 でも言いたいことは分かる。杉の本数だ。杉山なんて一番多そうじゃないか。ということは、一番舞っている。考えただけで鼻がムズムズしてきた。


「はっくしょぉぉん」


 今のくしゃみは広瀬だ。杉山がタバコを勧めるかのようにティッシュを差し出すと、広瀬は「あざーす」と手で軽く示して一枚抜いた。ちなみにどちらもタバコは吸わない。


 ティッシュは当然、ポケットタイプではなくて箱だ。この時期にこのような箱ティッシュを鞄から覗かせている人は杉山の仲間である。厚いガードのある眼鏡をしている人も仲間だ。見知らぬ人でも勝手に親近感を抱く。


 杉山もズビーッと鼻をかんでティッシュを持参しているビニール袋に入れた。ゴミ箱がない場所ではビニール袋は必須だから、杉山の鞄の中にはビニール袋も数枚入っている。


「薬を飲んだのにこれですもんね」

「今年は昨年の十二倍らしいぞ。ここ十年で最多だってさ」

「今年の花粉がやばい実感は非常にありますけど、毎年『今年は多い』って言ってません? 『ここ十年』っていう言葉も十年以内に何度も聞いている気がしますよ」


 杉山もそう思ったが、そんなことは今はどうでもいい。今現在やばい、重要なのはそれだけだ。


「でも杉山さん、今年はもしかしたら……ですよ」

「そうだな」


 ニヤリ、と笑い合って、二人は足早に建物の中へ入った。



 二人は国の機関に勤める研究員である。彼らの任務は極秘扱いとなっているが、その実、魔術の研究を行っている。


 魔術といっても、この国には魔力なんて存在しないし、魔術もまた、ない。が、魔術の存在する国があることを突き止め、交信できるようにしたのが彼らの最も大きな功績だ。今のところ。


 その二人の活躍で交信が可能になったのはシトア王国という名の国で、どうやらこことは全く違う世界らしい。シトア王国では魔術が存在し、多くの人が魔力を持つのだという。


「おおおぉぉ、ファンタジー!」


 と、そんな話の好きな広瀬はテンションが上がりまくり、現地の方としゃべりまくった。こちらの世界ではコミュ障気味なのに、異世界になると話がとまらない後輩を、杉山は複雑な思いで見ていた。こちらが真剣に作業しているというのに、広瀬の話は止まらない。なお、広瀬は慣れないところでは借りてきた猫のように静かである。



 二人の目の前に、複雑な模様の書かれた大きな布がある。魔法陣というらしい。広瀬がシトア王国から聞き、その指示通りに作成したものだ。指示通りといっても、ここに至るまで一年半かかった。なにせ音声による交信のみで、映像がないのだ。文化や認識が全く異なる国と魔法陣のインクの成分やら模様やらを擦り合わせるのはとても難しかった。


 ともあれ、完成したわけだ。これでシトア王国の人を呼び寄せることができるらしい。

 この魔法陣で聖女を一人派遣してもらう、というのが今回のプロジェクトである。


「聖女召喚んんんんん……ッ!」


 と、テンションを爆上げした後輩を杉山は気持ち悪いと思ったが、彼が非常に優秀なのは間違いない。現実世界では人見知り甚だしいのに、異世界との交信は見事にこなしていたので、何も言わないでおくことにした。

 

 指定の位置にその布をセットし、指定の時間に真ん中に一滴だけ血を垂らせばいいらしい。


「本当にそんなことできるのだろうか?」

「俺だってわかりませんよ。でも聖女様ですよ? 聖女様ですよ? 聖女様」

「しつこい」

「緊張しますね。どうしましょう」


 カチ、と時計の針が真上を指した。杉山は針で自分の指先をちょんと突き、ぽたりと一滴だけ血を落とした。すると、パァっと魔法陣から何も見えないくらいの眩い光が発せられた。


「なっ」


 あまりに眩しくて目を閉じる。次に開けたとき、光はそこにはもうなく、代わりに一人の女性が立っていた。こちらでは見ない服装に薄い紫の髪。光はないはずなのに、輝いて見えるくらいに美しい人だ。


「あー、えー……こんにちは。通じるかしら」

「ほ、ほんとにきた……聖女様だ……」


 広瀬は目を見開いて固まってしまった。さっきまでのテンションはどこいった。代わりに杉山が挨拶をする。杉山だって驚いているが、広瀬はもう使い物にならなさそうだ。


「はじめまして。シトア王国の聖女様でよろしいですか?」

「えぇ、そうですわ。はじめまして、クラウディアと申します」


 優雅なお辞儀を披露されて、広瀬はますます固まった。もはや再起不能かもしれない。


「私は杉山、こっちは広瀬と言います。本当に来てくださるとは思いませんでした。こちらの申し出を受けて下さりありがとうございます」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。早速ですけれど、条件を確認させていただいてよろしいでしょうか?」


 条件とは、シトア王国の教会との取り決めだ。

 ひとつ、滞在は一ヶ月ほど。

 ひとつ、滞在中の衣食住はこちらで負担すること。

 ひとつ、聖女への手出し、引き抜きは禁止。

 ひとつ、気に入らなければ聖女はいつでも帰国が可能。


 そんな条件がいくつか取り決められている。お互い確認し、それで大丈夫だと了承する。


「謝礼なのですけれど、本当に今回はなしということでよろしいのですか?」

「えぇ、初回は無料と決まっていますの。お力になれるかも分かりませんから。わたくしの生活費を賄っていただければそれで結構ですわ」


 シトア王国では聖女貸し出し事業があるそうで、現在貸し出しキャンペーン中なのだそうだ。初回は条件付きだが無料でお試しができる。お互いの文化も金銭価値も全く違う国なので、二回目以降依頼するときは相談するらしい。初回は聖女がそれを探ったり、こちらの文化を知る意味もあって、無料なのだそうだ。

 ちなみに、聖女という地位にいる者は多数いるらしい。


「この条件で大丈夫なようでしたら、契約書に魔力……はこの国にはないのでしたね。血をつけてくださいませ」


 杉山が了承して血を一滴つけると、契約書は光を放ってさらさらと消えていった。これで契約に違反できないようになっているらしい。違反した時にどうなるかはわからないが、聖女に危険が及ばないように考えられているのだそうだ。


「さっそくですけれど、浄化すべき瘴気を教えていただけますか?」

「これなのです」


 杉山はタブレットで杉山の光景を……ややこしい。

 杉山(人)はタブレットで杉山(山)の光景を映し出した。風が吹いた瞬間に黄色いものがブワッと放出される映像だ。


「……これはなんですの?」


 クラウディアが興味を示したのは、杉の前にタブレットだった。こういうものだと軽く説明すると、クラウディアは目を丸くして聞いていた。その姿に広瀬が目を覆って「尊い」と呟く。聞こえなかったことにする。


「この魔木から出るのですね。とにかく、現地に連れていってもらえますか?」


 広瀬を強制的に再起動させて、クラウディアを連れて三人で外に出た。クラウディアにとってこの世界は珍しいものばかりだったらしく、目を丸くしてキョロキョロと忙しく視線を動かしている。

 広瀬が「ああぁ……」と声を漏らして身体をくねらせるので、「聖女様にしばらくここにいてほしければシャキッとしろ」と言うと、まるで氷水に浸したレタスのようにシャキシャキになった。これはこれで怪しい。


 車に乗り込んで杉林に向かう。クラウディアは外を眺めている。よほど珍しいらしく、口が軽く開いている。


「この国はすごいのですね」

「クラウディア様の国とは違いますか?」

「だいぶ違いますわ。わたくしが今のっているものも不思議です。馬がいないのに動くのですね」

「この国には魔力がないので、その代わりに技術が発達したのです」


 広瀬は存在感を消している。交信機の前ではあれほど流暢に話していたのに、別人だろうか、と杉山は思う。


 杉林に着き、三人は車から降りた。


「この木から出るのです。肉眼では見えにくいかと思いますが、今も出ています」


 次の瞬間、クラウディアがまとうオーラが変わったのが杉山にも分かった。上を見上げて、じっと何かを観察している。


「見えるのですか?」

「見えますわ。この黄色っぽいのですよね? ここだけではなくて、この地域全体を覆っているように見えるのですけれど」

「そうなんです」

「今までにないタイプの瘴気ですわ、なかなか手ごわそうですわね……。ちなみに、この瘴気があるとどうなるのですか? 魔獣が湧いたり強くなるのかしら?」

「そもそも魔獣という種類の動物はいないのですが、野生動物が狂暴化することはないです。ただ……」


 それまで空気と化していた広瀬が「はっくしょぉん!」と特大のくしゃみをした。杉山も鼻がムズムズしている。


「こうなります。これを浴びると鼻水とくしゃみが止まらなくなってしまうのです。あとは目が痒くなって、目玉を取り出して洗いたくなります」

「まぁ、この国の方はそんなことができるんですの? 癒せますの?」

「……いえ、それくらい痒いという例えです」

「亡くなる方もいらっしゃる?」

「それはほとんどないですね。ですが、この症状が一月以上続くのです。集中力もなくなり、勉強にも仕事にも支障がでるのです。国として、大きな損失です。なにより、辛い!」


 実感が籠ってしまった。


「それは……大変ですわね。やはり今までにないタイプですわ」


 クラウディアはチラッと広瀬を見た。彼はすでにくしゃみが止まらなくなり、箱ティッシュを取り出している。


「でもどうしてかしら、わたくしには何も影響がないみたいですわ」

「なる人とならない人がいるのです。ただ、今は影響がない人でもこれを浴び続けると同じようになることが多々あります。一生ならない人もいれば、子供のうちからずっとという人もいるのです」

「それは恐ろしいですわね」


 クラウディアはもう一度見上げた。そして杉の木のところへ歩いていき、幹に手を当てた。


「この木なのですよね? そんなに危険ならば、切ってしまえばいいのではなくて? 切ろうとすると逃げるのかしら?」

「……逃げる?」

「逃げ足が早いの?」

「え……、えっと、クラウディア様の国の木は逃げるのですか?」

「えぇ、走って逃げる魔木もございますわ。でも木ですからね、普通はそんなに速くはないのですけれど。たまに突然変異で速い個体もいますわね」

「そ、そうなのですか……。あの、この国の木は逃げはしません。ただ、ここ一帯、見える限りほとんどこの木です。切り倒すのは相当大変なのです」


 クラウディアは辺りを見回して「なるほど」と深く呟いた。


「これが舞うのはこの時期、一月ほどの間だけなのです。それ以外は大人しく、ほとんど害のない木なのです。それに、切ったとしてもまたすぐに新しい木が生えてきます」


 クラウディアは難しい顔でもう一度「なるほど」と呟いた。


「とりあえず、やってみますわ」


 クラウディアが彼女の腕輪に触れると、腕輪についた石が光って大きな鳥のような生物が現れた。クラウディアは慣れた動作でその生物に乗り、上空へ上がっていく。


「わぉ……」


 広瀬が間抜けな顔で彼女を見上げた。あっという間に小さくなっていく。


「すすすすっごいですね! 聖女様、飛びましたよ! あの高さ怖くないんですかね? 落ちませんよね?」

「さぁ」

「杉山さん、聖女様、なんか今、こう、手を動かしてました。あれが浄化ですかね? そういえばなんだか聖女様の気を感じるような気がします。これが魔力ですかね?」

「……さぁ」


 先程までの静かさは一体どうしたというのだろう。広瀬はクラウディアが離れると、急にテンション高く騒ぎ出した。

 杉山だって初めてなのだ。わかるはずもない。


「広瀬、お前魔力感じるの? 俺は全然わからないんだけど」

「ぞわってしませんでした?」

「したようなしないような?」


 その「ぞわっ」が魔力由来なのか、ただこの杉林に佇んでいる状況によるものなのか、全く判別がつかない。だが間違いなく鼻はぞわぞわする、と思ったらくしゃみが出た。

 上空でクラウディアが何やら動いているのは見えるけれど、光が出るわけでもなく、見た目には変化がない。そもそも対象物も見えていないのだ。綺麗になっていたとしてもわかるはずもない。


 目の痒みに耐えながらクラウディアを目で追うことしばらく、彼女はすーっと飛んで戻ってきた。地上に降り立つと、乗っていた鳥のような生物がまた腕輪に吸い込まれた。


「どうでしたか?」

「……強すぎません?」


 クラウディアによれば、上空で浄化魔法をかけまくっていたらしい。浄化自体は可能だったけれど、浄化したそばからどんどん出てくるし、範囲が広すぎる、とのこと。


「申し訳ないのですけれど、今日はこれ以上は無理ですわ。こちらに移動してくるのにも魔力を使ったから、あまり残りがありませんの。続きは明日にさせてもらえるかしら」

「もちろんです」


 クラウディアの体調が最優先だし、杉山と広瀬もこの場にこれ以上留まり続けるのは危険である。三人は車に乗り込み、早々にその場から離れた。



 研究所に戻ったクラウディアは何やら対策を練りたいからと座って紙に何かを書きつけている。しばらく経ったころには、辺りは暗くなり始めていた。


 夕食の時間だが、クラウディアがいつもどのようなものを食べているかわからない。本人に確認はしたのだ。だけど知らない植物名や料理名ばかりで通じなかった。かろうじてパンに似たものがあるっぽい、ということがわかったくらいだ。


 高級レストランでもてなすべきだろうとは思ったが、初日はファミリーレストランに行くことにした。ここならば和食から洋食まで幅広いメニューがある。どれかは食べられるのではないかと思ったからだ。


 クラウディアはまずお店に驚き、タブレット型のメニューに驚き、とにかくずっと驚いていた。シトア王国にはこのようなものはないらしい。話を聞く限りでは、中世ヨーロッパに近いような印象を受けた。


 テーブルの上には適当に注文したさまざまな料理が並んだ。ステーキにパン、焼き魚定食、ピザ、鶏の照り焼き、ラーメンと餃子。クラウディアは目を丸くして料理を眺めている。


「どれでも好きに食べてください。食べられそうなものはありますか?」


 なんとなくステーキとパンが有力候補かなと思っていたが、聖女様なので、もしかしたら肉は駄目、などという規則があるかもしれない。クラウディアの動向を見守ると、彼女はパンを取って自分のお皿に置き、ちぎって口に入れた。


「普段食べていらっしゃるものに近いですか?」

「そうですね、このようなものはあるのですけれど、こちらのものはふわふわですわ。甘味もあって美味しい」

「お肉はいかがですか?」

「いただきます」


 あ、肉も大丈夫なんだ、と杉山は思った。

 一口食べ始めたら早かった。まるで今まで何も食べていなかったかのように、クラウディアはどんどん平らげた。肉を食べ終えたら次は焼き魚にも手を伸ばした。


「これも美味しいですわ」

「あちらではお魚も召し上がりますか?」

「食べますけれど、あまり多くはありませんね。海から離れたところなのです」


 食べられるものがあるだろうか、という杉山の心配は杞憂に終わり、どれも美味しいと言って食べた。中でも気に入ったらしいのはラーメンだ。麺を一口入れて、目を輝かせた。


「こ、これはなんですの?」

「ラーメンといいます」

「らーめん……」


 無言で一杯全部食べた。スープまで飲んで、名残惜しそうに器をじっと見つめていた。


「すばらしいですわ、これ、最高ですわ……」

「も、もう一杯頼みましょうか?」

「いえ、さすがにお腹がいっぱいになりました。ごちそうさまです」


 途中で無理に食べなくていいと言ったのだけれど、結局頼んだもの全てを平らげた。五人前くらいはあった。出されたものは残さず食べる、みたいな決まりがあって無理させたのではないかと心配したけれど、そういうわけではないらしい。


「普段からこの量を食べるのですか?」

「今日は魔力を使ったのでお腹がすいたのです。魔力はエネルギーの一種。体内の魔力が減ると、補充するために食事量も増えるのですよ」


 デザートに頼んだパフェもあっという間になくなった。その小柄な身体のどこに今のが入ったのだと杉山は目線を下げそうになり、いかんいかんと目を逸らした。


 クラウディアには研究所の中にあるお客様用の宿泊施設に滞在してもらうことになっている。わりと新しく作られた部屋で、家族で泊まれる仕様なのでそこそこ広い。

 案内するのは女性スタッフに任せた。さすがに女性の部屋に入るのはよくないと思ったからだ。女性スタッフによれば、クラウディアは部屋でも驚きっぱなしだったらしい。



 二日目もクラウディアは杉林で格闘していた。上空に上るとしばらく浄化作業を行い、戻ってきて休憩し、また上っていった。

 下に残された杉山と広瀬は待機だ。杉林の中で。そうするとどうなるかというと。


「はーーくしゅんん!」


 くしゃみが止まらなくなる。


「杉山さん、聖女様の能力を疑うわけじゃないんですけど、これ、浄化されてるんですかね?」

「さぁ。目に見えないからなぁあぁーっくしょん」


 しんどい。早く室内に戻りたい。空気清浄機のついているところがいい。

 ずび、と鼻をかみながらそんなことを思っていると、クラウディアが戻ってきた。


「ちょっと相談があるのですけれど……辛そうですわね」

「先に移動してもいいでしょうか?」


 ちょうどお昼どきだったので、食事を取ることにした。行き先はクラウディアたっての希望でラーメン屋さんだ。


「最っ高ですわ……」


 三杯食べた。


「それで相談なのですけれど、悔しいのですけれどわたくし一人では手に負えませんの。もう一人呼んでもいいでしょうか?」

「それは契約上、大丈夫なのでしょうか?」

「問題ありませんわ。ただ、こちらでの生活を補償していただくのが二人分に増えてしまうのですけれど」


 クラウディアが滞在する部屋は家族用なので広く、一緒でかまわないとのこと。こちらが負担するのは食事と日用品が少々くらいであるので全く問題ない。


「ではわたくしはこれから一度国に戻り、彼女を説得して、明日の朝もう一人連れてきますわ」

「聖女様方は忙しいのでは?」

「今は暇な時期なので大丈夫ですわ」


 聖女が忙しいのは、国内の瘴気が発生しやすい秋から冬なのだそうだ。それ以外の時期は比較的暇なので、余っているなら貸し出そう、というのがシトア王国の方針らしい。


「あの、もしかしてこのまま戻ってこないとか……?」


 やっぱりこの国は合わなかったのかもしれない。それを口実に帰ってしまい、戻ってこないという不安があった。


「絶対に戻りますわ。またらーめんを食べる機会を自ら失うことなど、するはずがございませんもの。彼女も甘いものが好きなので、説得できる自信がありますわ」


 なるほど、もう一人の聖女様は甘いもの好き。ケーキ屋さんの場所を調べておこうと決めた。


「それに、教会にいたところでいるかどうかもわからない神様に祈りを捧げるだけですもの。彼女も絶対に来ますわ」


 聖女なのに、神様をいるかどうかもわからないとか言っちゃっていいのだろうか。


「口が滑りましたわ。もしかして、信仰厚い国ですの?」

「いいえ、信仰は自由な国です。信仰厚い人もいれば、信仰を持たない人もいます」

「すごい国ですのね」


 クラウディアが「あ」と少し不安そうな顔で杉山を見上げた。


「彼女は平民出身なんですの。気になさいます?」

「え?」

「平民の出なので礼儀作法とか言葉遣いには不安がございます。でもわたくしと同じ一級聖女の肩書をもっています。聖女としての実力は補償しますわ」


 駄目でしょうか、と尋ねられて杉山は驚いた。


「あの、この国には身分制度というものがなくて、ほとんどが平民です。当然私と広瀬も平民です。なので出身は気にしません」


 今度はクラウディアが驚いて目を丸くした。


「そんな国があるんですのね。素敵な身なりをしていらっしゃるから……」


 クラウディアはチラッと広瀬を見てそこで言葉を切り、さっと目をそらした。杉山はスーツだったが、今日の広瀬の装いは一日引きこもっている研究者の格好にマスク、この時期独特のガード有り分厚い眼鏡だ。


「……上流階級の方だと思っていましたわ」

「騙すようなつもりは全くなかったのです。気にされたら申し訳ございません」

「いいえ、とんでもないことです。信仰も身分もないなんて、少し羨ましいですわ」


 一瞬だけ憂い顔を見せて、笑顔で「ではまた明日」と言ってクラウディアは転移していった。


「聖女様、なんかあったんですかね?」

「さぁ。言い方からすると、クラウディア様は貴族っぽいよね。明日ちゃんと戻ってきてくれるだろうか?」



 そんな心配は全くの杞憂に終わり、翌朝、指定の時間にクラウディアは転移陣に現れた。少し時間を置いて、もう一人の女性が現れた。この転移陣は一度に一人しか転移できないのだ。


「ごきげんよう。彼女はニーナといいます」

「はじめまして。ニーナです。どうぞよろしく」


 ふんわりおっとり系美人のクラウディアとは少しタイプが違い、ニーナは勝ち気な瞳の美人さんである。広瀬がまた固まっているけれど、放っておくことにする。


 さっそく聖女二人と共に杉林へ向かった。二人は仲がいいらしく、景色をみながらああだこうだとずっと楽しそうにおしゃべりしていた。

 杉林ではクラウディアにしたのと同じような説明をニーナにもした。クラウディアが追加してくれるので話しやすい。


「この瘴気を浴びると鼻水とくしゃみがとまらなくなるらしいのよ。しかも瘴気が出る間ずっと」

「恐ろしいな」

「目が痒くなって掻きむしりたくなるんですって。目玉を取り出して洗いたいそうよ」

「何それ? そんなことできんの? 人間離れしてない?」


 こちらからすれば、魔力を使えるという時点で聖女様のほうが人間離れしている、とひそかに杉山は思ったが、言わないでおく。


「ニーナ様、この木なのです」

「切ってしまえばいいのではないの? 切る時にひどい声を出す、とか?」

「声? ニーナ様の国の木は声も出すのですか?」

「えぇ、そういう種類の魔木もあるわ。切る時にギャアアアァァと悲鳴を上げるから、切る人の精神が抉られるのよ」

「へぇ……。あの、この国の木は悲鳴は上げません」


 こちらもまたクラウディアにしたように、この杉の数が目に入らぬか、とやんわり口調で教えた。


「切ってもまたすぐに新しいのが生えてくるんですって」

「強すぎない?」

「とにかく行きますわよ」


 二人が上空に上がっていったことで、ようやく広瀬が解凍された。


「聖女様が二人……ッ! 尊いぃぃぃ」


 異世界との交信から魔法陣の開発までは非常に有能で優秀だった後輩が、まったく使い物にならない。杉山は見せつけるように溜息を吐いたが、広瀬が気にすることはなかった。


「杉山さん、平民聖女様カッコよくないですか? ちょっと強そうな目つきが最高っす。ドストライクっす」

「変な気を起こすなよ」

「それはないです。推しというやつですよ! もう、わかってないなぁ」


 わかりたくはない。


 しばらくしてから戻ってきた二人はちょっと疲れた顔をしていた。


「強すぎない?」

「わたくし一人じゃ手に負えないといったでしょう。どうするのがいいかしら」


 とりあえず休憩がてらファミレスに寄り、帰りに甘い物が好きだというニーナのために洋菓子屋さんに寄ったが「定休日」のプレートが出されて閉まっていた。

 仕方なくコンビニに寄る。デザートコーナーの前に連れていくと、ニーナは顔を輝かせた。


「どれでも好きなものを選んでください」


 そう言ってカゴを差し出すと、彼女は顔を輝かせっぱなしで十個選んだ。というか、あったものを一つずつ取ったというほうが近い。少し離れたところで広瀬がそんなニーナを眺めながら悶絶していたのは無視することにする。


 午後は研究所に戻って、聖女二人は買ってきたデザートを食べながら対策会議をしていた。


「別行動のが効率がいいかしら?」

「いや、ふたりでまとめて掛けるほうがいいだろう。まずは魔木から出ないようにそっちを先に浄化して、それから上空に上って……このデザートはすごいな」

「濃度は高くないけどとにかく範囲が広いのよね。らーめんも素晴らしいわよ」

「他の瘴気のように粘りついたり反発があったりするわけじゃないから、なるべく魔力を節約しつつ大規模な……このパン持って帰れないかな」


 時折違う会話が混じるようだが、その姿は熱心だ。こちらとしては駄目ならば駄目でしょうがないと思っている。あまり無理をしないでくださいと伝えると、睨まれてしまった。


「わたくしたちには聖女としての矜持がございます。最善を尽くしますわ!」



 翌日からはわざわざ杉林に連れていってもらう必要はないとのことで、二人の聖女は研究所から直接出発していった。外に行かなくてすむのはありがたい。なにせここ数日杉林で過ごす時間が長かったから、薬を飲んでいても体調が悪くてしょうがなかったのだ。

 杉山と広瀬はコンビニで二人が興味を持っていたものを購入し、二人が戻ってくるのを待った。


「杉山さん、ほんとにこれでいいんでしょうか?」

「気持ちはわかるが二人の希望だ」


 購入したのはカップラーメンと菓子パンである。必死に浄化に取り組んでくれている二人の対価としては釣り合わないように感じるが、二人がこれがいいというのだから仕方がない。


「少し効果が出た気がするの」


 そう言って戻って来た二人の前に、昼食としてカップラーメンと菓子パンを並べる。お湯を沸かし、目の前で実演してみせる。


「蓋を開けて、お湯を注ぐのです。三分待ったら出来上がりです」

「……それだけ?」

「それだけです」


 二人は三分計れる砂時計をキラキラした瞳でみつめ、砂が全て落ちてから蓋を開けた。


「おぉぉ~。……これで本当に出来上がりなの?」

「そうです。よく混ぜて食べると美味しいですよ」

「おぉぉ~」

「熱いので気をつけて」

「おぉぉ~」


 まだ箸は難しいようで、フォークですくって食べている。

 そんな姿に広瀬は瀕死だ。


「すごい。お湯を入れただけだなんて、信じられない」


 クラウディアが「最っ高ですわ」とボソッと呟いた。あ、広瀬が死んだ。

 どうやらニーナも気に入ったようだ。二人はあっという間に平らげ、今度はパンの袋を開けた。ラーメンと菓子パンは合わないのではなかろうかと心配したけれど、そんなことはどうでもいいらしい。こちらも目を丸くして食べている。

 

「あっ、ニーナ様、そのパンの袋についているシールをもらってもいいですか?」

「これ? もちろんいいけれど、何に使うの?」

「集めるとお皿がもらえるんです」

「この国ではパンを食べるとお皿がもらえるの?」


 ニーナはペリッとピンクのシールを剥がして杉山に渡した。


「春にはパンのお祭りがあるんですよ」

「パンのお祭り? それは参加したいわ! でもなんでお皿なの?」

「……さぁ、なんででしょうね?」



 数日が過ぎ、二人の聖女はだんだんと手ごたえを感じるようになったらしい。街中でもくしゃみをする人が減ってきた。何よりも効果を実感しているのは杉山と広瀬だ。


「聖女様、スゴイです」

「すごいな」


 目には見えないが、おそらくかなり浄化されているのだろう。


 ある日戻ってきたニーナが首を傾げながら言った。


「何だか今までと違う種類の瘴気が見えるのだけど」

「あぁ、この前の木とは違う種類の木がそろそろ本格的に活動を始めたようです」

「えっ、一種類じゃないの?」

「主に今までの杉と、そのピークが過ぎるとヒノキになるんです。ヒノキが終わるとだいたい終わりですね」

「強すぎない?」



 さらに数日後、二人は困惑した様子で戻って来た。


「また違う種類の瘴気が見えるのよ。先日は二種類で終わりって言ってたよね?」

「黄砂ですね」

「コウサ?」

「この国は島国で海に囲まれているのですが、隣にある大陸から砂が海を越えて飛んでくるんです」

「海を越えてくるの? この国やばすぎない?」


 二人は顔を見合わせている。


「なんて危険な国に暮らしているの」

「えーっと、それは、そうかもしれませんが。どこの国も危険な箇所はあると思いますし、少なくともここには瘴気で凶悪化する魔獣は出ませんし……」

「それはいいわね。ところでそのコウサも浄化したほうがいいのよね?」

「可能ならば、とは思いますが、無理はしないでください」


 もう働かせすぎな気がして、杉山は申し訳なくなっている。普段聖女たちが浄化している瘴気がどういうものかわからないけれど、二人の様子を見ると、こちらのものに手こずっている様子はわかる。


「例年は浴びているのですから、聖女様にそこまで頑張っていただく必要はありません」

「何をおっしゃっているの。そこに瘴気があるのならば浄化するのがわたくしたち聖女の役目。わたくしたちにも矜持というものがありましてよ」

「聖女の魔力が騒ぐわね!」


 何とも頼もしいが、こういう時に騒ぐのは血ではないのか、などとどうでもいいことを思った。



 二人の聖女は日々浄化に力を注いでくれたが、それ以外の時には観光にも連れ出した。花が咲き誇る公園、ショッピングセンターに映画館。海が見たいというのでそこまで連れていったり、イチゴ狩りで一列食べつくしたり。どれも彼女たちにとっては目新しいものばかりのようで、はしゃぐ姿は普通の少女となんらかわらず、微笑ましい気持ちになった。



 時は過ぎ、気温も上がるころ。期間満了の日となった。

 彼女たちによれば瘴気もだいぶ減った、とのことで、実際に今シーズンの終わりが近づいている。


「クラウディア様、ニーナ様、本当にありがとうございました。お二人のおかげで今シーズンはかなりの人が平穏に過ごすことができました」


 調子の良い人が多かったので、経済効果もすごかったはずだ。何より、本当に楽だった。目も鼻も赤くなっていないなんて、信じられない。


「こちらこそ、楽しい日々でしたわ。また来年も呼んでくださいませ」

「是非ともお願いしたいです。……まぁ、対価次第ということもあるのですが」


 これだけの働きをしてくれたのだ。相当なものになるだろう。杉山としては呼びたいが、それだけの資金を調達できるかはわからない。何よりお金なのか違うものなのか、何が対価になるのかわからない。


「それについてはまた相談いたしましょう。らーめんと引き換えに、神殿には割引を要求しておきますわ」

「ちょっとまってクラウディア、ずるい。パフェとケーキも!」

「もしいらしていただけたら、どちらもたんまり用意すると約束します」


 二人は顔を輝かせながら、転移陣に消えていった。



「あああぁぁ聖女様あぁぁ」


 ひたすら空気となっていた、かどうかは定かではないが、広瀬は二人が戻ってしまうと清浄な空気の中にも関わらず鼻水を垂らしまくって目を腫らせていた。

 しかししばらくすると落ち着いたらしく、彼はまた魔法陣の研究とシトア王国との交信にその手腕をいかんなく発揮し始めた。本来、非常に優秀な人なのだ。ちょっと変わっているけれども。


 また呼べるといいなと思っていた聖女たちだが、交渉の結果来年の対価として求められたのが「ラーメンの製法」と「スポンジケーキのレシピ」だった。たぶん呼ぶことができるだろう。


 そして翌年転移陣から現れた聖女はクラウディアとニーナに続き、あと二人増えていた。激しいここに来る聖女選抜で勝ち抜いた二人らしく、すごく楽しみにしていたのだと、満面の笑顔だった。広瀬が固まりまくって倒れたのは、また別の話である。

お読み下さりありがとうございます。

花粉症の仲間の皆さま、お疲れ様です。

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― 新着の感想 ―
ブタクサもどうにかしてくれないかなー(チラッ
人知れず聖女様が花粉(瘴気)を除去してる世界線、なんて素敵なのでしょう!この時期から花粉症がはじまり、多分黄砂やらPM2.5が色々な花粉と混ぜ混ぜされるのか7月過ぎ位まで目のかゆみと鼻水に悩まされるの…
[一言] 異世界召喚できる技術まで革新したのに、花粉には負けたままなんだ…………夢も、希望もねえ……………ッ!( ꒪⌓꒪)
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