宗教的考えの必要性
昨今、旧〇一教会の問題もあり、宗教はもうコリゴリと思っている方は多いと思います。
でも、今回の話は、宗教そのものではなく、宗教的な考え方の話なので、どうかお気楽にお読みいただければ幸いです。
特に・・・というか○×教に入りましょう!
とか、
勉強を頑張れ!
という話でもありません。
ようは、宗教の持つ意味(哲学や道徳)を知り、それを理解する為に日頃の勉強もしましょうね!
っていうことです。
日本人はよく無宗教だと言われますが、明治維新前まで日本には今とは比べ物にならないほどの寺社仏閣があり、そのお坊さんや神主さんから宗教的哲学を噛み砕いて教えられていました。
明治維新後に寺社仏閣は少なくなったけど、それらはお爺さんから孫へ、その孫からまた下の世代へ継承されていきましたから特に改めて宗教を勉強する必要はありませんでした。
染み付いていたからです。
ところが戦後に事態は一転します。
戦争で沢山の人が亡くなったために働き手が足らなくなりました。
更に朝鮮戦争での軍事物資、生活物資の需要が伸びて生産数量も急激に上がり人々に余暇を過ごす余裕が無くなります。
子供達はほったらかしに野を駆け回りマトモナ教育も受けられないまま金の卵として社会に出ます。
この世代の人たちは親がいなかったり、いても余り相手にされていないため今迄引き継いできた宗教感の伝達(道徳)も備わっていない人が多いと思います。
いわゆる団塊の世代です。
そして学校教育も、高度な精神力・崇高な魂をはぐくむことよりも、貧乏な家庭から少しでも早く金を稼げる人間として送り出したいことと、戦争のために教員不足も深刻でした。
宗教(哲学・道徳)の身についていない企業戦士たちは金になればどんなこと
でもしました。
海外からはエコノミック・アニマルとさえ言われ世界の嫌われ者になってしまいました。
その後、団塊の世代に代わり、戦前教育を受けた世代の親に育てられた子供達が成人を迎えます。
彼らの世代では学校教育も落ち着きを取り戻していますし、親世代の親(祖父母)も戦争に出るには年をとりすぎていましたので家族としての継承教育が行き届いています。
そしてこの子世代が企業で力を発揮し始めた時期に日本は技術的に急激に進化します。
確りした教育も身につけていますので海外への信頼も得て対等なビジネスができるようになりました。
産業が発展した社会は地元の町工場から大規模生産工場へ移行して行きます。
それまでは両親の住む家から自転車で通えた仕事場も、遠くの工業団地に引っ越しますので家を出て仕事場に近い町に住む様になります(核家族化)
このような社会構成のために徐々に宗教(哲学・道徳)の自然な伝達は損なわれ、いまや名実ともに本当の無宗教時代突入です。
宗教的意識を持たなくなった人々は社会性のない個人主義に走ります。
例えば
・運動会の音がうるさい。
・運動会に参加してバーベキューを楽しむ。
・赤ちゃんが泣いてうるさいので蹴る。
・子供を置き去りにして旅行に行く。
・学校よりもゲームの方が楽しいから学校に行かない。
・文句を言われたから会社を辞めた。ザマーミロ!
・運転が退屈だったから携帯で友だちと話をした。
・わが子に文句を言う教師がウザイ!私の税金で雇ってあげているのに。
・俺が走っている道に割り込んで来やがった!
・・・・・・・まだまだあります。
少し表に出かけたら個人主義的な行動は直ぐに見つかります。
東京大学がアジアNo1大学から陥落したから教育に力を入れないと!
とか先日ニュースで言っていたのを聞きました。
東大と京大。どっちが凄い!?
クイズ番組で言っていました。
東大も京大も卒業生達は企業や政府機関で重要なポジションにいます。
そのような優秀な人たちがいて今の企業や政府の体たらくは何なのでしょう?
もっと、もっと優秀な人材が必要なのでしょうか?
答えはYESだと思います。
ただ、ここで言う優秀な人材とは学業成績の優秀な人材ではなく人間的に優秀な人材です。
小・中・高と勉強漬けで大学に入った途端に自由を履き違えて暴走してしまう大学生を何人か知っています。
ニュースでもたまに見るし、同級生にもそういう人がいました。
学校教育での教科なんてものは、それ自体は薄っぺらいモノだと思います。
学校教育での集団行動で社会性を身につけることこそ意味があると。
そして円滑な社会性を身につけるために不可欠なのは道徳心。
集団を悪い方向に向けさせない為の、ぶれない哲学が必要です。
日本政府は外交が下手!
外交の下交渉は外務省が行う。
学業と知識だけが自慢の外務省役員に対して、+αを備えた相手側。
まともな交渉ができるとは思えない。
最初に書いた通り、決して○×教を信じなさい。
というのではない。
だけどキチンとした宗教的知識を身につけておく必要はあると思います。




