アンドロイド生きてる
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夜。そこには、まさに死屍累々の様相が広がっていた。
腕、脚、頭部。中には上半身や下半身といった、とても五体満足とは言えない有様の人体の破片がいくつもの小高い丘を形成していた。
空に浮かぶ月を除き、立ち込める宵闇を払う光は一切ない。動く物の気配もなく、生命と呼べるようなものは見つからない。
正確に言うのであれば……積み重なっているこれらは、いつか生命だったもの、ですらないのだが。
ふと、そこで遠方より光が差し込んで来る。ぼんやりとした暖色系の柔らかい光は、ゆらゆらと周辺を――散らばった手足を、割断された胴体を、虚空を映す瞳を――照らしながら、それらの山の隙間をすり抜けてくる。
「よ、っと……」
ランタンを傍らに携えながら、出来る限りそれらを踏まないようにひょこひょこと歩いているその影の主は、およそ青年と呼ぶのが相応しい風貌をしていた。常識的でない要素があるとすれば、ランタンのように発光しているそれをはじめとした様々な装置が、彼の周囲を浮遊していることだろう。
「うーん……二つ……三つかな。いや、スペアのためにも四つくらいとっとくか」
青年が呟きながら指を鳴らすと、浮いていた機械のうちの一つがコンテナのような形に変形し、青年はそこへ拾い上げた腕やら何やらをぽいぽいと放り込んでいく。
複数の山を廻り歩きながら、それぞれのパーツを見比べながら。結構な重さになっているはずだが、浮遊するコンテナの挙動に不安定な様子は見られない。
「やっぱ主要な部品はボロボロか……ま、どうせ自作するからな。ひとまず骨組みが無事ならいいや」
その場における唯一の命である彼は、その辺りの模倣物の成れの果てをひと通り見て回り、一つ息を吐いてから改めて周囲を見回す。
「……ここには、愛が無いな」
アンドロイド。人間によって作り出された、人間のためだけの、人間のまがい物。ここに打ち捨てられているのは、かつて人に必要とされ、だからこそこの世に生み出されたはずのものだ。
「もう一度。今度は、人に消費されるのではなく……ただ、人と共に」
それは、どこか自責の色の滲む声。呟きは誰に届くこともなく、静寂の中に解けて消える。
今や物言わぬ産業廃棄物と化した彼らを背に、青年はその場を後にする。
――浮遊する機械を携えた人間。
人体の模倣とその自律制御。部分的にとはいえ、人間の代わりを製造してしまう程に発達した技術。
それらが浸透して久しいこの世界においてすら、その光景はフィクションのようであった。
1 Q.何故、わたしは生まれたのですか?
――その日、そこで何度目かの爆発が起きた。
人里離れた荒野にあるそのガラクタを寄せ集めたような瓦礫の山。その隙間という隙間から逃げ出すように、その夕暮れの中ですら目を覆う極光が瞬く。瓦礫から突き出していた金属板と共振していた高周波が、やがてその周波数をゆっくりと下げていく。
「つ、ついにやったか……⁉」
「馬鹿者、その台詞は“ふらぐ”とかいうやつだろう! 『よし、完成した……!』とかにしておけ!」
「確かに、その台詞で完成してなかったところ見た事ないな……」
瓦礫の中。埃なのか何なのか、煙幕のように充満した煙の向こう側でそんな場違いな会話が聞こえる。
「よし、完成した……!」
片方は全体的に薄汚れた衣服を身に着けた男。伸びた黒い髪から覗く胡乱な目、その下に深く隈を彫り込んだ青年は、己の成功を確信したようにそう呟く。
「これでまた失敗してたら面白いんだがの」
「やめろよお前、言えって言ったから言ったのに」
横からふざけた調子で茶々を入れるのは、およそこの景観には似つかわしくない少女。端正な相貌や整った容姿にももちろん言及すべきではあるが、特に目を引くのは、この惨状にあって尚鮮やかなその緑色の髪と、そして何より――
「まったく、とんだ爆音だの……耳を塞いでおらなんだら壊れておるわ」
――頭部から横へ突き出した、その二つの突起。俗にいうところの、獣耳であろう。
「さて、実際のところどうなんですかね……そろそろ成功してくれないと、もう電力の方が持ちそうにないんだけど……ゴホゴホ」
「擬音を口に出すのは可愛い女の子だけに許された特権、なのではないのか。とてもそうは見えやんが」
「それは女に限った話な。男は中途半端にかわいくないわけではない奴以外であれば許されるんだよ。あいつらはダメだ、許すな、つけあがらせるな」
「いや知らんが……その話は広がらんでいいが……」
二人は咳をしながら共に眼前を振り払うと、やがて視界がゆっくりと晴れていく。椅子のような機械に座った少女が見えてくる。もっとも、その頭部には大がかりな装置が取り付けられており、表情までは伺うことができないが。
簡素なワンピースを着せられた華奢な体躯に加え、胸の辺りまで伸びる白い髪が儚い印象を与える。依然漂う粉塵に夕日が差し込み、彼女の佇まいに煌めきを沿えている。
誰のものとも知れぬ、ごくりという生唾を飲み込む音。それに反応したように、少女の肩から一房の髪が零れ落ちた。
「――ぅ……」
やがて少女は小さく身じろぎ、自身の視界を妨げる装置をゆっくりと押し上げ……その眼に、世界を映した。
それは、かつては白かったであろう、今や灰色に染まった上着を羽織る不健康な青年であり、頭から犬のような耳を生やした、驚嘆に目を開く緑髪の少女であり。
そして、夕焼けに染め上げられた鮮烈な赤。
芸術家が生涯を賭けて描くようなグラデーションを惜しげもなく披露する、澄み渡る朱色の空であった。
「ぇ、あ……?」
「……おはよう。はじめまして、パパだよ」
「キッッッ」
「そこ、静かに」
「ツゥ……」
青年は背後から飛んできた侮蔑の声を咎めると、改めて、今しがた目を開いたばかりの少女の様子を観察する。
遮るものが無くなり露わになった表情。均整のとれた顔立ちには一切の動きもなく、何の感情も読み取れない。当然と言うべきか、一切の状況を理解できていないことがわかる。
頭髪と同様色のない虹彩その中心は真っすぐにこちらを向いており、目の前の光景の認識自体はできているようだ。
「まず、言葉はわかるか? 何か言ってみてくれ」
問いかけに、どこか呆然としたまま、しかし少女は確かな反応を返した。
「あ……わか、わかります、言葉……」
「よかった……よかった! 成功した! 一番の山を超えた! いやもう、全てが終わったと言っても過言ではない!!」
「えぇ……?」
目に見えてはしゃぐ男。突如狂乱し始めたその様子を見て、それまで澄んでいた少女の表情に困惑の色が浮かぶ。彼の背後からは、呆れたような溜息も聞こえてきていた。
一通り踊り狂った後、やがて彼は咳払いと共に佇まいを直した。
「失礼、取り乱しました。それでは、一つ一つ説明をしていこう」
まず、と前置きし、男は自らの胸に手を置いて語りはじめた。
「俺は倉前 理人。最先端の科学技術を持つ、君の生みの親。それ以上でもそれ以下でもない人間だ」
「くらまえ、りひと……」
「そしてあれは俺専属の家事お手伝い、まなか」
「……よ、よろしく?」
理人と名乗った男が、自らの背後を指し示しながら言うと、まなかと呼ばれた緑髪の少女はどこか気まずそうに顔を覗かせた。
「人見知りとかそういうわけではない。あれはただ、この状況で何と声をかけたらいいのかがわからないだけだ」
「いや……! ……まあ、特に。あいから言うことは、別に……無いからの」
「そう、ですか。あの、よろしくお願いします」
「ん……」
そう言って、まなかは少女から顔を背けた。言葉の通り、これ以上会話を続ける気はないようだ。
「そして、君は……名前はまだ、ない。けれど、俺がこの世に生み出した……アンドロイドだ」
「……アンドロイド」
人間の生活をより豊かにするために生み出された、人間のカタチをした機械。それは人のよりよい生活のために製造され、人のよりよい生活のために運用され、人のよりよい生活のために廃棄される。
家庭用、工業用、特殊専用。用途は数あれど、その存在理由はどこまでいっても人のためにある。人間が作り出す以上は、その構図は決して覆らない。
アンドロイドの少女は装置を押しのけ、その地面へ足を下ろした。自らの足で立ち、何かを確かめるように右手を閉じて、また開く。
「……ひとつ、質問をしてもいいですか」
「なんでも。答えよう」
「何故、私は生まれたのですか?」
名前のない少女……色のない少女は、生みの親に問う。自らの製造目的を。あるいは、存在理由を。
その目をしっかりと見つめながら、やがて理人は厳かに口を開いた。
「――愛故に」
「……愛」
要領の得ない解答に、少女はその発言を繰り返す。しかし、返ってきたのは重々しい首肯ひとつ。
「あの、もう少し具体的な」
「残念ながらな……生きる理由なんてそんなものなんだよ、我が子よ。明確な答えなんて、生みの親である俺にだってわからん。いつか生きていく中で、ああ、これがもしかしてそうなのかなぁ……なんて、ぼんやり思えればそれでいいんだ」
「い、いや、そうではなくて……」
何かに酔いしれるような理人の的外れな解答に、少女のアンドロイドは困惑するばかり。そんな様子を見て、やはりまなかはやれやれとばかりに目を閉じている。
「違うんです。あの、私は、アンドロイドなんですよね? だったら、何かの目的のために作られているはずでは」
「それは、この場合違う。確かに君はアンドロイドではあるが、今現在において君は特定の何かのために存在するただの機械ではない。言っただろう? 君は、俺がこの世に産み落とした、我が子だ」
「え、っと……でも、それじゃあ……私はどうすれば……」
「好きに生きろ」
それが俺から言える、言わば唯一の行動指針だ――と、倉前 理人はきっぱりと言い放った。
毅然としたその声色に冷たさを感じ、少女は少し眉をひそめる。理人は慌てて、繕うように声に慈しみを乗せた。
「作るだけ作り出して後は知らん……なんて、投げやりに言っているわけじゃあない。本当に、君には好きに生きてほしいんだ」
「好き、に……って、言われても……」
「思うがままに。感じるがままに。その時したいことを、したいように。それができるだけの力は持たせてある」
「ち、ちから、ですか」
「そうだ。この世の中、君が望むならなんだってできるぞ」
「やれ。教育に悪い事を言うでないわ」
と、そんな少々過激な一言には、理人の背後から鋭く突っ込みが入ったが。
「まあ、そうだな……でも、どうせなら、正しいと思うことをやってほしいかな」
「正しい、こと……よいこと、ということですか」
「人の助けになること、ではないがな。もし、そうするのが正しいと思うのであればどんどんやれ。逆に、やっちゃいけないかもな~と思ったらやらない。そのくらいでいい」
「は、ぁ……」
曖昧な内容の指示に、また曖昧に相槌が返ってくる。
そんな様子に、理人はひとつ儚げに笑みを漏らして。
「そして……この世に生まれた事は間違いだった、と……そう思うようであれば、死んでしまっても構わない」
その直接的な言葉に、少女の眉が少し跳ねた。
先程よりも大分過激であるその言葉に……しかし、今度は彼の背後から窘めるような声は上がらない。
「もちろん、そんな結論に至る前に相談はしてほしいけどね。曲がりなりにも生みの親だ、そんな哀しい結末は望んじゃいないよ」
「は、はい……」
ぱっ、と両手を軽く挙げて、理人は終話の意を示す。
「こうしなさい、ああしなさい、なんて口うるさく言うつもりは無いから。とりあえず、何か行動指針が見つかるまでは、なんでもない、ただ平凡な日々を送るのもいいんじゃないかな」
「……わかり、ました」
不承不承、といった様子で山積みの疑問をしまい込む少女を見て、理人は慈しむように柔らかく微笑む。
「それじゃあ、帰ろうか。このゴミの山を見てもらってちょっとわかったかもしれないけど、実はここは俺たちの家なんかじゃあ全然なくってね」
「えぇっと、はい……これが普通なのかも、とも思いましたけど」
「まさか。お家はまなかが隅々まで掃除をしてくれているから、べらぼうにキレイだよ」
ね? と、理人が振り返った先のまなかは、その問いには答えず、ただ瞳を閉じてそっぽを向いていた。
「……まなか?」
「名前……」
「?」
首を傾げる理人を片目だけで一瞥し、まなかはぼそりと呟いた。
「名前は、なくてよいのか」
「……そうか。まなかの時も、“そう”だったもんな」
「ふん……呼ぶときに不便なだけじゃ」
どうやら、二人にしかわからない何かがあるらしい。そう察した少女は同時に、今から己に名前が与えられるらしいことも悟っていた。
「うぅん……どうしようかなあ。あい……いあ……違うよな、流石に単純すぎるから……」
少女は変わらず無表情であったが、その瞳には期待の光が宿っている。人ならざる部位を持つもう一人の少女は、ささやかな微笑みを浮かべながら、その輝きに目を細めていた。
「よし! わかった。じゃあ、君の名前は今から――」
名前。自分の名前。
それは少女にとって、その命のほかに初めて、己のためだけに与えられる、ただひとつ確かなものだった。