第14話:闇
面白くない。
どれだけ傷つけても、向かってくる目の前の男に反吐が出る。
その傷すらも、時間が経てば回復している。
何故だ……確かに、多少は優れた能力を持ってはいたが。
それでも、剣の腕も実力も私より劣る、残念な兄。
自尊心ばかりが高く、私を見下し嘲笑う姿しか記憶にない。
……いや、何やら2人で仲良く過ごしていた時期があった気もする。
気のせいではない。
だが、そんなもの何の気休めにもならない。
私にとっては、忌々しい存在でしかない。
「なぜ、お前はそうも頑ななのだ! さっきまで、あんなに可愛かったのに!」
何を言っている?
お前が、私を可愛がったことなどないだろう。
「意味の分からないことを言ってないで、さっさと沈め!」
転移で背後に移動して、思いっきり側頭部に蹴りを叩き込む。
それも、始点から終点までの時間を切り取った、必殺の一撃。
だが、それすらも腕で、ガードされてしまう。
徐々にだが、こちらの攻撃に的確に対応できるようになってきている。
時間の問題だと思っていたが、時間が無いのはこちらの方か。
「相変わらず遠慮がない。確かに、少し凛々しくてかっこいいとも思ったが、私は可愛い弟の方が好きだ」
頭が痛い。
なぜ、この男の声はここまで、私の心を搔き乱す。
まるで、私の記憶が間違っているみたいではないか!
そんなはずがない。
兄が、兄らしいことを言うなど……
「さあ、私の胸に飛び込んで来い! 兄が全力で、抱きしめてあげよう!」
「気持ち悪い……」
「うっ……酷いよ……弟よ」
なぜ物理よりも、言葉の方がダメージを受ける。
何が起きている?
これも、奴の仕業なのか?
何がしたいんだ、あのクソ女神は!
あいつはあいつで、わけの分からん黒い髪を持つ神と揉めているようだし。
「なかなか、やりますね」
「お前は魔王と言う割には、思ったほどやらないな」
ジェファードの方に視線を向ければ、父とギルバートが率いるジャストールの軍に押されている。
こいつも魔王に至ったというが、それでこの程度か。
本当に役に立たない。
いや? うちの軍が強すぎるのか?
よく見たら、魔法やスキルの多様性が私の知っているそれと違う。
それに、それぞれの威力も、馬鹿にならない。
何もかもが私の持っている記憶とチグハグで、感情が追い付かなくなっている。
特にこいつだ!
「捕まえた!」
「触るな! 離れろ!」
後ろから抱き着かれたので、とっさに肘を腹に叩き込んでそのまま背負い投げの要領で、地面に叩きつける。
「ルーク……もっと、兄に素直に甘えても良いんだよ?」
片手で目を覆って、首を横に振って溜息を吐く。
相変わらず、弟妹が絡むと威厳がなくなるというか。
これで、学園ではそれなりに有名で、周りから尊敬されているというのだから……
周りから尊敬?
この、出来損ないが?
一度も私に剣で勝てたことのない……魔法すら使っても、私に劣るこの兄が優秀?
待て、背負い投げとはなんだ?
いや、言葉から意味は分かる
だが、私はそれを技として知っている。
「多勢に無勢か……」
「伝説の魔王を相手にしてるんだから、多少の人数差はハンデってことにしてくれませんかねぇ?」
ギルバートが、剣に炎を纏わせて突っ込んでいる。
板のような乗り物に乗って。
それどころか、父まで馬から同じような板に乗り換えていた。
いや、ジャストールの軍の兵の大半が、それを使っている。
空を飛ぶ、奇妙な板。
エアボード。
私は、それを知っている。
知るはずがない。
初めてみたはずのもの……
なんだ、頭が……
「どうしたルーク! 大丈夫か? 頭が痛いのか?」
だめだ、こいつの声まで頭に響いてくる。
こちらに向けて手を伸ばしてくるのが見える。
その手を振り払って、代わりに左手で顔面にジャブを放つ。
思いっきりヒットしたが、なぜ笑っている?
「大丈夫そうだな?」
大丈夫じゃないのは、お前の頭じゃないか?
なぜ、殴られて笑えるのだ?
そして、なぜ私の心配をする。
「なぜ今更、私に構う! 何がしたいんだ!」
「そんな悲しそうな顔をした弟を、放っておける兄がこの世界のどこにいる?」
目の前にいるじゃないか!
お前たちの言葉のせいで、いつもこんな顔をさせられていた。
いや、もっと酷い状況だったはずだ!
「お前は何がしたいんだ!」
「私はお前の兄だぞ? 兄が弟を助けるのは当然だ」
変わらない。
幼い頃に見た兄と、全然変わっていない。
変わっていない?
変わりすぎだろう!
こんなことを言う兄ではなかったはずだ。
「お前は気付いていないけど、今もお前の心は必死に私に向かって手を伸ばし続けている! なら、その手を掴んで引き戻すのは私の役目だな」
「意味が分からん! もう終わらせてやる!」
兄に掌を向けて、魔力を集中させる。
何を熱くなっていたんだ。
わざわざ、殴り合いに付き合う必要などなかった。
最初から、こうしておけば。
「!」
兄が信じられない速度で迫りくると、私の手を掴む。
「掴まえた」
放せ!
「ぐっ……放さない」
闇の炎を放つが、それでも兄は手を掴んだまま放そうとしない。
黒い炎で掌が焦げ、全身に火が燃え移っているというのに笑いかけてくる。
炭化した皮膚がポロポロと崩れ、綺麗な皮膚がすぐに表れる。
呆れた回復力というか、呆れた回復魔法だ。
だが、いくら回復したところで、傷みまでは消えるものではない。
現在進行形で火がついている場所は、想像を絶する痛みを伴っているはずだ。
にも拘わらず、私の手を掴む力は強さを増している。
「決して放さない……もう二度と、この手を放すことはない! 前の世界で掴むことが出来なかった、優しく愚かな可愛い弟を……」
放せ!
放せ!
放せ!
放せ!
放せ!
「はなせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「嫌だね! いくら可愛い弟の頼みでも、それは叶えられない!」
全力で魔力を掌に込めた時、不意に意識が途切れるのを感じる。
何が……
何を……した……
そして、何も見えない意識の中で、私の名前を何度も呼ぶ懐かしい老人の声が聞こえる。
聞き覚えのある声。
自分の声のようにも感じる不思議な声……
もう誰も、私に構わないでくれ。
正直、疲れた……
そのまま意識を手放すと、世界に静寂が訪れ……
「ルーク!」
『ルーク!』
兄と、年嵩の男性の声がうるさい……