第2話:国境都市アルガフ
「これは……なぜ、すでに戦端が開かれている」
街を取り囲む外壁が見えた時、あちらこちらから煙が上がっているのが見えた。
そして、戦闘が行われている空気を感じる。
兄が驚きを隠せずに、こちらに振り返る。
「そんなもの聖教会の馬鹿共が、隣国の第二皇子とうちのアホ王子の侵攻に呼応したからでしょうね」
「そんなことありえるのか? まさか、聖職者が先頭に立って参加するなど……それも、自国側ではなく他国側に立ってだと? ルークの言う通りだとすれば、その選択は頭が悪すぎるだろう。侵略者と同等の扱いを……いや、裏切り者として、もっと酷い扱いになるだろうに。」
本人たちは、そのつもりはないだろう。
自分たちのことを侵略者だとか、裏切り者だとは露程も思ってないはずだ。
彼らにとって、俺と言う魔王を倒す聖戦のようなものなのだろうから。
笑える。
どこまで、自己中心的なのだろうか?
聖戦か……魔王討伐を掲げた聖騎士が量産されていそうな状況に、思わず笑みがこぼれてしまった。
「なにかまた、良からぬことをたくらんでいそうな表情だね」
俺の顔を見て余裕を取り戻した兄が、呆れたように溜息を吐いているが。
兄弟そろって他人に呆れられることはよくあるが、兄も俺に対してこんな表情を向けることが多いな。
俺も、同じような表情でアルトを見ることが多いが。
ただ、これは渡りに船だ。
国に隣国の軍を手引きしたのがリカルドなら、彼の処遇は厳しいものになるだろう。
それこそ処刑すらもあり得るほどの大罪だ。
いや、処刑以外ありえないだろう。
しかもギロチンによる、公開処刑待ったなしだな。
どんなに憎たらしい相手とはいえ、齢12の子供が処刑台でギロチンに首を落とされるところは見たくない。
子供、孫、曾孫、玄孫まで持った身としては、想像するだけで胸が痛い。
他人の子供の虐待死のニュースですら、親になってから見るとその親を同じ方法で処刑したらいいと思うことも。
車の車内放置事故とかも、親をサウナに突っ込んで閉じ込めてやりたいとか。
とにかく、不幸な子供を見ると自分の子供にしたくなる程度には、子供というだけで情が湧くようになってしまった。
いまは同級生ではあるが、殺したいとまで思うほどではない。
だから、なるべくは生かして、罪を償わせたいのだが。
現状では詰んだ状態だった。
しかしだ……これが、聖教会が裏で糸を引いていたとすれば?
それでもリカルドの極刑は免れないかもしれないが、僅かながら幽閉という可能性も出てくる。
こんなやつ町に放したら、また聖教会に担がれてクーデターを起こす未来しか想像できんから、放逐や国外追放といった処罰は無いだろう。
廃嫡したところで王家の血を引いているだけで、神輿としての価値はある。
だから、良くても幽閉。
それでも多少の不自由はあっても、そこそこ贅沢な余生だろうし。
人との面会も出来るんだ。
死ぬよりはましだろう。
であれば、聖教会に全ての責任を負わせるのが、最善の道だな。
聖教会も潰せて、リカルドも命だけは助けることができるかもしれない。
笑みがこぼれるのも、仕方ないというものだ。
「これは、使えると思いましてね」
「ん?」
今回の侵攻の全ての責任を聖教会に押し付ければ、国内での布教はほぼ無理だろうな。
国家転覆を狙った邪教扱いだ。
せいぜいがあの腐った聖教会にありながら正しい倫理観をもった聖職者たちが、密教として細々と活動する程度だろう。
聖教会の勢力を削ぐのに、これほどまでに有用な手立てはない。
そして代わりに信仰の自由を謳った、真聖教会を大々的に広めていくことができる。
火の神だろうが、闇の神だろうが、地の神だろうが、水の神だろうが、風の神だろうが好きな神を信じればいい。
唯一絶対神の『愛と希望と勇気と正義を司る女神』の存在さえ、知っていればいいだけだ。
聖属性の最たる神を崇めている教会だから、聖教会としてもっとも相応しいしな。
それにしても、うちの騎士たちもよくやっているな。
ポリカーボネートの作り方なんて分からなくて、防護に仕えるレベルの強化プラスチックは断念したが。
強化ガラスは、完成している。
ジャストールのエアボード部隊は、透明の強化ガラスのヘルムをつけているからすぐに分かるのだ。
強化ガラスには、核を抜いたスライムを薄く表面に塗っている。
これにより衝撃吸収性が増すのと、割れた際の飛沫防止にもなる。
まあ、罅を入れることすら、困難なレベルの強度だが。
エアボード部隊は、鎧もボディスーツみたいな形状だし。
樹脂の方はかなり研究が進んでいるから、完全に戦闘スーツだな。
肩、肘、膝、胸は金属の板がついているけど。
そして黒一色。
闇に紛れて空を飛べば、人に見つかりにくいという利点があったから採用した。
金属鎧と違って、色を選べるのは良い。
一着の値段が凄いことになるのだろうが、自前だし。
その騎士たちがエアボードで町を縦横無尽に飛び回りながら、要救助者の回収や民衆の避難誘導を行っている。
そして町の常駐の騎士たちが、聖教会の信徒たちの相手をしているのか。
「あの闇を纏った軍勢はジャストール家のものだ! やはり、奴は魔王だったのだ!」
ふと俺の耳がそんな言葉を拾う。
下で大きな声で演説をしているやつがいるが、この町の教会のお偉いさんかな?
周囲からは、その演説者に対して大ブーイングが起こっている。
「馬鹿野郎! あの騎士様方は、街道の野盗や魔物を退治してくれる立派な警備隊だ!」
「危機に対して馬よりも速く、駆けつけてくれるんだぞ!」
「うちの父も、崖から滑り落ちて中腹で動けなくなったところを、あのボードで救ってもらったのよ!」
「そうだそうだ! 民衆の力強い味方で、俺たちの騎士様だぞ!」
確かにアイゼン辺境伯領とジャストール領の街道の警備を、彼らが担当しているが。
真面目に仕事をしているので、民衆からの支持は厚い。
というかだ……エアボード部隊は趣味が実益のようなところがあるからな。
彼らはエアボードでの移動を、心から楽しんでいるしな。
だから、パトロールも捗るし、巡回範囲も広い。
そりゃ活躍できるわけだ。
「騙されているのです! 彼らのあの鎧をみたら分かるでしょう! あんな禍々しいものを身に纏った騎士など、信用してはいけません」
「そうだ、そうだ! あいつらは「騙そうとしているのは、お前だろう!」」
「そうだ、そうだ! お前が騙そうとしてるんだろう!」
「そもそも、お前らの仲間が暴れてるんだろうが!」
「とっとと、出ていけ!」
笑える。
サクラが紛れ込んでいるみたいだが、煽る声もそれ以上に大きな民衆の声に飲み込まれていってた。
頼りないサクラだな。
それにしても、民衆にここまで信用されていると分かって、心から嬉しくなってきた。
俺の行動が、間違ってなかったと。
集まっている者たちの顔を見る、農民や商人っぽい人から職人っぽい人まで。
……いや、法衣をまとっている者も多いな。
民衆だけではないみたいだ。
陸上教会や玉水教会など他の教会の信徒か。
闇を信仰する教会の信者はいないみたいだけども。
とりあえず、そんな奴は放っておいて非難ではなく、避難をしてもらいたい。
「よくもまあ、この状況で。頭おかしいと思いません……か?」
横にいるはずの兄に話しかけたつもりが、誰もいなかった。
あっ……
「その魔王ってのは誰のことかな?」
「決まっているだろう! あの悪童と名高いルークのことだ!」
神父の言葉に対して、さらに非難の声が高まる。
「悪童? 神童の間違いだろう!」
「いい加減なこと言うな、この似非坊主!」
「お前は、とっとと引っ込め!」
「皆さん騙されています! あのルークこそが、諸悪の根源なのです! あれは、魔王です!」
凄いな。
なんで、この状況でめげないんだあの坊主は。
いつの間にか下に降りて、質問を投げかけた兄の表情が非常に険しい。
というか、本気でキレてるっぽいな。
「ほう? 私の可愛い可愛い弟を魔王だと?」
アルトが一瞬でさっきの神父の背後に移動して、首に剣を当てる。
「お前が、この騒動の首謀者なのか?」
「ぬっ、貴様は何者だ? 無礼者が! とっとと、剣をどけろ!」
神父が怯えた表情ではあるが、後ろを振り返ならいまま強気に言葉を返す。
本当に呆れたタフな精神だ。
あのくらい図太くないと、聖教会の神父なんてできないのかもしれない。
「名乗ったつもりだったのだけどね。私の弟のことを、よくも悪しざまに言ってくれたものだ」
「アルト・フォン・ジャストール……魔王の兄か……!」
「二度目はない!」
あっ、斬った。
背中を蹴り飛ばして、思いっきり背中に斬り付けていた。
「ぐうっ……悪魔め……」
「悪魔? 民衆の前で大声で貴族を非難したんだ、そんなもの無礼打ちにしても、何の問題もないと思うが? 幸いにも、これだけの証人がいるんだ。たとえ、お前が何様であろうとも、許されるものじゃない」
うわぁ、大歓声だ。
アルトの登場に、民衆が一斉に湧き上がる。
というか、女性の方からは黄色い声援が飛び出しているけど、いや逃げて逃げて!
人ごみの中ではサクラの連中が、周囲の観衆に捕まってボコボコにされて前に押し出されているし。
いや、確かに大人数の前で貴族の悪口を大声で言ったら、殺されるわな。
たとえ独り言でも、貴族の耳に入ったら百叩きとかもありえる。
相手の虫の居所が悪かったり、悪口の内容次第ではそんな些細なことで殺されることも。
なんせ封建社会だし、身分が絶対の世界だから。
でも、教会関係者だって貴族の身内が多くいるわけで。
その神父が、伯爵家とかの縁者とかだったら、賠償問題とか……
「兄上! そこまでにしてください! もし、その者の家格が高かったりした場合、厄介なことになりますよ!」
「そ……そうだ、私の実家は「関係ないよ」」
俺の言葉に神父がこれ幸いにと、自己紹介をしようとしてたが。
兄がばっさりと切り捨てる。
「今回の件で、聖教会は悪教とされるのは避けられないからね」
「え?」
「たぶん、ヒュマノ王国としても信仰を禁じるんじゃないかな? それを、ルークも利用しようとしてたんじゃないかい?」
まあ、確かに。
そうなんだけど。
兄も、そこに思い至ったのか。
だからこその、思いっきりの良い行動。
というか、良すぎるというか。
やけにうちの領軍が張り切っているわけだ。
みんな、考えることは一緒らしい。
「さてと……隣国から賊を手引きした、実行部隊のお偉いさんがいかほどの身分だったとしたら……逆に私の首が危なくなると思う?」
「まあ……国王陛下くらいですかね?」
「だろうね……さすがに、王子といえども極刑は免れない大罪だからね」
俺たちのやり取りに、神父の顔が青白くなっていってるけど。
血の流しすぎのせいじゃないよな?
とりあえず。
魔法で神父の傷を治しておく。
「ち……治癒魔法?」
神父の男が、驚いたような表情を浮かべているが。
まずは、自分の心配をしてた方がいいと思う。
しかし、耳はしっかりとこっちを向いている。
少しだけ、正気に戻ったのか?
「そ……そんなことは分かっておる。だが、そこのルークがひっ! ルーク様が、魔王だと……万が一ですが、魔王であった場合は救国の立役者として「魔王だったらね?」」
ちょいちょいアルトが威圧を飛ばしているせいで、モゴモゴとした主張だったけど。
アルトがその言葉すらも、途中で切って捨ててしまった。
「でも、もし魔王だったら真っ先に、貴方が殺されてるでしょうし……」
「いや、光の女神様より神託があったのだ……間違いなど……」
てか、なんでこの人揺れてるんだよ。
さっきまで、ノリノリで俺のことを批判してたくせに。
ああ、同調を切ってるからか。
俺を魔王としたがっている集団という思い込みによる影響が薄れているからか、少しだけ考えることができるようになったのだろう。
それでも光の女神の神託は絶対だと思うが、なぜか挙動が不審なものになっている。
「治癒魔法……これほど、高度な治癒魔法を魔王が? 使えるのか?」
治療したことで、疑心暗鬼になったのか。
魔王が治癒魔法を使えない道理はないと思うんだけど?
闇属性でも、回復魔法はあるわけだし。
「というか、わしを斬ったのはアルト殿であって……その私を救ったのはルーク殿……これでは、どちらが魔王だか分からないではないか」
「いや、魔王じゃなくても目の前で弟を馬鹿にされたら、怒るだろう? そして貴族なら、それを見逃したら示しがつかないし、民に甘くみられれば統治などできるわけもない。信賞必罰が貴族の世界では常だからね?」
うん、正論だ。
最近少しばかり、脳筋だとか思ってごめんなさい。
よく考えたら、学年でも5本の指に入る秀才でしたねお兄様は。
「認められん……それを認めたら、私のやったことは……」
「だから、隣国の賊を国内に手引きした、大罪人だって」
身も蓋もない。
長年の俺の思い込みのせいでい染み付いた考えは、そうそう簡単には変わらないかもしれないが。
しかし、こうやって考えを改める人もいるのか。
ということは、色々と可能性が出てきたな。
この世界をよりよいものにできる可能性が……