第5話:父と弟妹
あれから2年の月日が流れた。
ルークとアルトの仲は、傍から見てもとても良好だ。
ルーク7歳、アルト11歳、2人ともとても活発ではあるがヤンチャな弟と、ともに遊び、時に見守り、そして叱ることもある面倒見の良い兄という構図は周囲からみても微笑ましいことだろう。
そんなジャストール家に、新たな生命が誕生した。
2人の弟と妹にあたる、ヘンリーとサリアが生まれたのだ。
「キャロライン!」
「旦那様! 奥様が目を覚ましません」
そう2人が生まれた。
双子であった。
医療の発達していないこの世界で双子の出産というのは、母子共に危険な状態に陥ることが多い。
そして、この親子にとってもそれは例外ではなかった。
いかに貴族であろうとも、権力やお金ではどうにもならないこともあるのだ。
「父上!」
アルトとルークも部屋に呼ばれる。
目を閉じたまま、息苦しそうにしている母親の姿を見てアルトが泣きそうな表情になっている。
父親であるゴートも目が真っ赤になっている。
必死に涙を堪えているのであろう。
そばでは医師と治療術を使える魔術師が必死に対応を行っている。
だが、それも延命処置でしかなく、やめればすぐにキャロラインの命の灯が消えてしまうのは明確であった。
命を長らえさせることで、キャロライン本人の体力の回復等を見込んでの対応だが。
完全に、運任せである。
だが、状況は非常に厳しい。
シーツについた血の量からも明らかであった。
事実、本来の運命であれば母キャロラインは産後の肥立ちが悪く、3日後に帰らぬ人となっていた。
このことはゴートを荒れさせ、情緒不安定な状況に陥った彼は子供たち……特に下3人に酷く当たるようになる。
また、ヘンリーとサリアもそんな理不尽な扱いを受け、次第に心を歪めていく。
父と兄から無能と蔑まれている兄ルークを、馬鹿にするようになっていく。
ヘンリーとサリアは双子ということもあり、忌み子として使用人からも避けられる存在であった。
母を殺したとなれば、なおのことである。
そんな2人の仲が深まることは想像に容易であり、2人はそろって兄をおもちゃにすることで心の均衡を保っていた。
そう家族全員から虐げられるようになり、ルークはますますこじらせていったのだ。
本来であれば。
***
「父上、兄上……」
俺は2人に声をかける。
「ルーク……」
なんとも情けない顔だ。
父の顔は、悲しみと無念が入り混じったような、なんとも形容しがたい状況にまで歪められている。
俺と兄の2人を見たことで、いろいろな感情が押し寄せたのだろう。
その双眸からは、涙が溢れている。
いかんな……自分の母親のことだというのに、どこか他人事のように見てしまっている。
「母上! 母上!」
アルトは俺の言葉すら届いていないようで、母に縋り付こうとして周りの人間に止められていた。
「奥様に負担をかけてはいけません、離れて見守ってください」
ゆするな、たたくな、抱き着くな、触るなといったところであろう。
医師も魔術師も、額に汗で髪を張り付けながらも、必死に処置を行っている。
「少し落ち着いてください」
「なっ、ルーク! お前は、なぜこんなときに……」
俺の言葉に父が睨みつけてきたが、睨み返す。
こんなときだからだろう。
「こんなときだからです……そちらの方、魔力が足りていないようですね」
「お坊ちゃま、いま話しかけないでいただきたい」
集中力が乱れるからだろう。
領主の息子に、なんとも……まあ領主の妻を助けるためにいるのだ。
俺のことよりも、目の前の患者であろう。
「黙って聞いているだけでよい。何があっても治療の手は止めるなよ」
俺はそういうと、自身の魔力を細く絞って魔術師の手の甲へと注ぐ。
魔力の譲渡だ。
人でこれを行えるものはほんの一握りしかいないが、俺には邪神と時の女神がついている。
神にとって、力を分け与えるのは別に大した技術でもなんでもないらしい。
魔法で手のひらから水を出して、花壇に水やりをする程度らしい。
そして、神の加護を得ており、邪神手ずから魔力の扱いを習った俺にとっても似たようなものだ。
「!」
魔術師が目を見開いてこちらを向いたので、睨む。
「手を止めるな、母の命を繋ぎ留めよ」
「ルーク、お前なにを……」
「ルーク、治療師さんの邪魔をしちゃ「アルト様、ルーク様を止めないでいただけますか。いま、ルーク様より尋常ならざる魔力が私の手に送られてきております」
「!!!」
俺が治療師の邪魔をしていると思ったのか、アルトが俺の方に詰め寄ろうとして当の本人から止められる。
「魔力の譲渡だ……と?」
「父上?」
その治療師の言葉を聞いた父が、俺の方を凝視しているのが伝わってくる。
だが、俺はそんな周りの状況よりも、母を救う方を優先する。
母親として頼りないところはあったが、おおらかで優しくいつもニコニコしていて太陽のような方だった。
そう、彼女がいる間はなんだかんだで、ルークもまだ明るかったのだ。
そして、俺もなんだかんだでキャロラインのことを、母親として好ましく思っているのだ。
死なせるわけにはいかんな。
「そんな高等技術……しかし、ルークの魔力は生まれた時こそ強大であったものの、その後はある程度の量で安定して成長はしていなかったはず」
父の言葉が耳に入ってくるが、気にしている場合ではない。
「ばかな!」
「どうした!」
治療術師が突如声を荒げたことで、父が慌てた様子で問いかける。
「妻に何かあったのか?」
「いえ、ルーク様が……ルーク様が治療魔法を使われております」
「なにっ? いつの間におまえ……」
いつの間に?
たったいまだよ!
この治療師さんの手に魔力を送って同調して、彼が使っている治療魔法の解析をしただけだ。
「魔力を送り込むと同時に、仕組みを解析しました。失われた血を戻すことはできませんので、あとは母の気力次第になりますが」
「そうか……」
「私がこのまま、魔力が続く限り魔法をかけ続けます。私の魔力が尽きたときのために、代わりの方を用意してください。それと、目の前のあなたも少し休んでください」
「ですが、ルーク様……「もう、完全にマスターしましたが? 目に見えて問題でも」」
「ありません……完璧な術式です」
よし、分かったならちょっとどいてくれ。
これからちょっとズルするから、魔法に詳しそうなやつにそばにいてもらうと迷惑なんだ。
「いまのうちに、食事等を済ませて英気を養ってください。長丁場になりますよ」
「ルーク、お前はいったい……」
「父上、いまは私ではなく母上に声をかけてください! 兄上も呆けている場合ではありませぬ! 母を……母に呼び掛け続けて、その御霊を引き戻してください!」
「いや、うむ……分かった」
「ああ」
俺が2人に檄を飛ばすと、慌てて母のそばに駆け寄る。
よしよし、皆が母上の顔に集中しているな。
「とりあえず、危険は過ぎました。ただし、治療魔法を止めると、緩やかにですが確実に心の臓は止まります」
「……」
2人ともひどい顔だな。
「ふふ、言ったでしょう? 山場は超えたと。私が治療をする限りは大丈夫ですし、交代要員がいれば何日でもかけ続けられます」
「お前が脅すから」
「いえ、そうではなく、もう触れても大丈夫ですよ。ゆすったりはしないでください」
「そ……そうか」
「2人で手を握ってあげてください。そして呼びかけてあげてください」
「あ……ああ、そうしよう」
「ルーク、頼む」
2人が母上の手を握って、必死に呼びかけているのを聞きながら、こっちは時の女神に語り掛ける。
『血だけを戻せるか?』
『他愛もないことよ』
簡単らしい。
『シーツの染みが消えたら、怪しまれるんだけど?』
『体内の血液量だけ過去に戻せばいいだけの話よ』
『いや、完全に治ってすぐに目を覚まされても……理想は2日後くらいに目覚めるのが』
『じゃあ、意識を2日ほど閉じ込めておくわね』
そうか、面倒だからとっと治して、寝かせておくと。
まあ、そっちの方が確かに楽だけど。
というか、それって弟を3万年眠らせて殺したやつじゃないのか?
『そうよ? 問題ある? それに、弟は死んでないよ?』
『もういいよ、お願いする』
***
「ルーク?」
2日きっちりで、母が目を覚ました。
「アルトも……」
いまは母の両隣に俺とアルトが、その手を握って寝ていた状態だ。
くそアルトのやつ。
何かあったら起こしてくれと頼んだのに、一緒に寝てたのか。
その後急速に顔色がよくなったことで、医師も魔術師も今度こそ本当に峠は越したと判断した。
目覚めるかどうかは、母次第とも。
一応2人とも屋敷に部屋を与えられて、泊まり込みで様子を見ていたが。
「母上、おはようございます」
「おはよう……なんで2人が横に? なんだか、とても長いこと眠っていた気が」
「父上を呼んでまいりますね。それと、生まれてきたのは弟と妹でした!」
「弟と妹?」
「双子ですよ!」
「双子!」
俺の言葉に、母が目を輝かせる。
よかった、母は双子を忌み子だとは思わないらしい。
「あとで、お連れできるか確認しますね! まずは、父上です」
それから、しばらくして廊下を大きな足音を鳴り響かせ父が部屋に飛び込んだ。
気を使って俺は後ろをゆっくりと、少し時間を空けてついていったが。
部屋に入ると、思いっきり母上に抱き着いている父がいた。
母が目を白黒させている。
そして、俺は思わず父の頭をたたいてしまった。
「ルーク何をする! 父親の頭を「何をするはこちらの言葉です! 父上! 母上は、まだ完全に治ったわけではありません! そんなに強く抱きしめないでください! 身体の内部に傷を負った可能性もありますし、もしその傷口が開いたら……母の容態が急変したら……私は、父上を一生恨みますよ!」」
父親の頭を子供が、それも物心ついた子供が殴る。
貴族の家でなくともあまりよくないことだ。
父が思わず激昂するのも分かるが、それよりも俺の方が腹を立てている。
大男が、病み上がりの華奢な女性を力いっぱい抱きしめるとか。
あほかと。
「す……すまん」
父は背中を丸めて、本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「フフフ、なんだかわかりませんが、あなたは子供たちととっても仲良くなれたみたいですね」
そんな俺たちをみて、一瞬だけ父の方をジトッと見た後で、すぐに母は弾けるような笑みを見せてくれた。
うむ、この笑顔を守れて、本当に良かった。
母の笑顔もだが、父とアルトの笑顔も……そして、家人たちの笑顔も守れたことは、きっといい未来につながるであろうな。
***
それよりも、リビングに山積みにされた出産祝いの数々。
どう処理するのだろう……
出産時のバタバタで放置され、まだ開封すらされてないが。
父が、手前の箱を開けて渋面を作っていた。
「どうされたのですか?」
「ふむ……なかなかの品が入っておったのだが」
そういって、箱の中身を取り出して見せてくれる。
ほう、これは産着かな?
絹のような肌触りだが。
「みな、子は一人だと思っておるからな」
そういうことか。
おもちゃにしても、食器にしても一組しかないか。
というかだ……どれだけ、うちの家は人脈が広いのだろうか?
似たような箱が、相当数あるが。
「それと、祝いの手紙の最後に必ず、返礼は気にしないでくれ。もし、考えているならドライシブーカでと、開ける手紙のほぼ全てに書いてあるのだが」
「放っておけばよろしいかと。お祝いにお礼を匂わせるような下品な貴族の知り合いは、お父様にはきっといらっしゃらないでしょうし」
「なかなかに厳しいことをいうな、お主は。まあ、確かに味見で少量を送った貴族ばかりだな。伯爵家や侯爵家の手紙にはそのようなことは書いてないが……寄親以外の上位貴族からくるということは、そういうことなのだろう」
父がため息を吐いて、干し柿の在庫を確認にいった。
ちなみに、この干し柿で得た利益の一割は、俺の将来のための貯蓄にあてられている。
兄は家と家督を譲り受けるので、代わりにとのことだ。
いま、欲しいのだが……