無神経少年は思ったことを言う
「ルカ、シオンにさっそく仕事を教えてやってくれ」
「はーい」
ルカは朗らかに返事をするとシオンに呼び掛け手招きをする。
「こっち来て」
「.........」
シオンはむっつりとルカの後に続く。アイリスはかけている銀縁の眼鏡に指を添え「言っておくけれど」とシオンの背中に視線を送る。
「ルカも言望葉使い。私と同じくらいの力を持っているから」
シオンは恨めしげにアイリスを一瞥しルカに続いて部屋を出て行った。
アミナは竜の少年が部屋からいなくなり、ほっと息をついた。いつのまにか両手をきつく握ってしまっていたらしい。すぐにリーフの前に回り込み手の様子を見ようと屈んだ。
「リーフ...大丈夫?」
「ああ。大丈夫」
リーフは頷くと言望葉を唱えあっという間に手を治した。「包帯でも巻いておくかのう」といたずらに笑う。
赤黒い色から肌色に戻ったのを確認し、アミナは「どうして、治せるのに...」と先程から疑問に思っていたことを口にした。
アイリスにも分からなかったらしい。アミナの言葉に頷いてリーフを見つめる。
「なんだか、放っておけなくてのう」
しんみりと呟く。
「あの子はアミナ、お主に似ている」
似ている?それはすぐにアミナの頭の中で否定できた。彼の火山の噴火の様な怒り、放つ乱暴な言葉、全く物怖じしない性格。
「私とは、正反対だと思うけど...」
困惑を素直に口にする。
それでもリーフは「似ているよ」と微笑んだ。
午前九時になり、図書館はいつもの時間通りに開館した。
朝の一件のおかげで開館準備が間に合わないかと思われたが、本来休みであるアイリスが手伝いを申し出てくれたおかげで事なきを得た。
開館と同時に街の利用者がぽつりぽつりと入館する。プランタン図書館はプランタン通り街の奥まった所にある。駅や商店街からも遠いこの立地であまり人が通うように思えないが、実際の所、プランタン通り街唯一の図書館だというのと、置いている本の種類が豊富だということで利用者が途切れたことはない。
今は平日の午前中ということもあり、空席の方が目立つが、その分利用者達はのんびりと過ごすことができているようだった。
大きな円形の利用者用のホールには壁に大きな窓があり、そこから太陽の光を運んでくれる。
本棚の間を歩く利用者は時おり窓の明るさに気付いたように窓の外を眺めてはほんのりと微笑んでいた。
アミナは返却された本を見て、ああ、と洩らした。
表紙の下が破れてしまっている。この本は人気作家が手掛けたものだから、貸し出す回数が多い。その為このように傷みやすくなってしまっているのだろう。
中をパラパラと確認して頷く。中身は大丈夫みたい。良かった。他にも傷んでしまっていた本を数冊抱えて資料室に向かう。
ドアを開けると、シオンがいた。そのまま静かに扉を閉めた。
「なぜここに...」どこどこと鳴り響く心臓を片手で抑え小さく唸る。心の整理をつける前に扉はあちらから勢いよく開かれた。
「何しとんねん」
ペタペタと新しく届いた本の背表紙にプランタン図書館と記されたシールを大人しく貼っているシオンの手元をチラチラと視界の端に入れながら、アミナは傷のついた本の補修をしていく。
資料室は扉から中に進むと左手に壁一面の大きな窓、窓の前に作業用の長方形の木製テーブルに木製の椅子が二脚ずつ向かい合わせに合計四脚置かれている。テーブルの向こう側には引き出しが付いた棚が二つ並んでいる。棚の上には黒いファイルが数冊と、棚の上に掛けられているホワイトボード用のペンが数本、丸い缶ケースに入れて整理されている。
入口から見てテーブルの右側には人が通れる距離を置いて部屋の右奥まで天井まである本棚が五列並んでいる。
アミナは窓を背に扉に近い方の椅子に座り、その斜め向かい側にシオンが座ってそれぞれ作業をしている。
ルカはどこに行ったのかな...。早く戻って来て欲しいな...。と内心はシオンへの恐怖に心が占められていた。
「なあ」
「...は、はひ」
唐突に話しかけられ、アミナの指が震える。それを見たのか、シオンは「あんたは俺が恐いんやな」と続けた。顔を真っ青にしたアミナがさらに俯き、シオンからはつむじしか見えない。
「あんたの反応の方が俺は慣れとる。あいつらがおかしいんや」
なんで俺にビビらんのや、とシオンはぶつぶつ言っている。
「み、みんなは強いから...」
「強いやつらは普通、竜族を前にしたら目の色変えて捕まえようとするはずや。やっぱりあいつら俺を油断させようとしてるんやな」
「そ、そんなこと、リーフ達はしないよっ」
シオンの言葉につい反応したアミナは、声にした途端、しまったと唇を震わせた。
「ふーん?」
仮面の奥から視線がアミナにびしびしと刺さる。アミナは怒らせたかもしれない、と言い訳を探すが上手く言葉が見つけられず、口ごもる。シオンは特に気にした素振りもなく、アミナの顔をじっと見た。
「なんであんたの前髪、そんな長いん?」
アミナは自分の顔を覆っている前髪を指先でいじり、ええと、と続ける。
「こ、これがあると、視界が半分になるから...。」
「あ?なんで半分にしたいん?見えづらいやん」
「え、ええと...。人の、顔見るのがちょっと、怖いから...」
「なんでや?」
「なんでって...」
その理由は雪山でシオンに話したはずだ。
城の使用人達に話しかけるとどもる癖を馬鹿にされて、次第に話すのが怖くなってしまったのだと。
「まさかあんた雪山で言ってた昔話、まだ引きずっとんのか?」
心底呆れたような声色で言うので、アミナの顔はカッと赤く染まった。
「あれって何年も前の話やろ?今もあんた馬鹿にされたりしとんの?」
「...されてない、けど」
シオンの歯に衣着せぬ物言いにアミナの舌はもつれてしどろもどろになる。
鼓動が早くなり、本の表紙に触れていた手がぶるぶると震えている。言われなくとも分かっていること。自分でどうにかしないといけないと思いつつも、リーフやアイリス、ルカの優しさに甘え努力できていない甘さを見透かされているようだった。
「やったら、何がそんな怖いねん」
「あなたに、あなたに分かるわけないっ...」
精一杯の反論も、蚊の鳴くように小さくて、アミナは自分の弱さが情けなくて恥ずかしかった。
怖いんだ。頑張ったって、私は認められない。
どうせ馬鹿にされるだけなのだから。
「言望葉を使えないんだから、何したって、どうせ、」
息が喉に詰まり、思うように話せない。
ほら、やっぱり私なんて、駄目じゃないか。
言いたいことも満足に言えない。
じんわり涙が滲み、唇をかんだ。真っ赤な顔で話せなくなったアミナを見てシオンは右手で頭を掻く。
「そんな泣くことかい」
あっさりと放たれた言葉はアミナにとって、とても冷たく聞こえた。
分かるわけない。そんな風に、言いたいことを簡単に言える人なんかに、私の気持ちが分かるわけない。
いつのまにか両手を膝の上で握りしめていた。
「この国には言望葉使える奴しかおらんのか?」
「使えない人も、いるよ...。貴族以外では、使えない人の方が多いよ。...でも、」
小さな声で答える。
この場から消えてしまいたい。この人に関わりたくない。何も聞きたくない。彼の言葉はなぜだかとても恐ろしい。
「なんや。やっぱ言望葉使えんことなんて、大した問題やないんやん」
「問題だよ!」
溜め息混じりにどうでもよさそうに吐かれた言葉はアミナの理性を簡単に手放させた。
「私はそのせいでお城を追い出されたんだよ!?」
過去の痛みを言葉にしたら涙が溢れた。
そうだ、そのせいで私は皆に嫌われた。姉様にも。
シオンは動じず腕を組んでまっすぐ仮面の奥からアミナを見据えていた。
「ここでもあんたは追い出されるんか?」
「そんなこと、リーフとアイリスがするわけな...!」
勢いのままに否定しようとして、アミナの口が止まった。
ここでは。ここにいる人は。
「今のあんたを否定する奴はどこにもおらんようやけどなぁ。可哀想な自分でいたいから言い訳を用意しとるんやろ。」
淡白に告げられていく言葉はアミナの心臓に嫌な音をもたらした。どくどくと気持ちが悪い音が体の中で鳴っている。
「あんたが今そんな風なのは、今のあんたがそうしたいからそうなっとる。それやのに他のせいにしとるだけや」
シオンはシール貼りを再開し、ぽつりと何気ないことのように言った。
「俺、あんたみたいな奴嫌いやわ」
沈黙が続く中、扉を開いたルカが顔を覗かせた。
「悪い!思ったよりも時間かかった!一人でやらせちゃったな......って、アミナもいたのか」
二人の間で何があったのかなど知らないルカはアミナに笑顔を向けた。「う、うん...」といつもよりも何割か落ち込んでいる様子の彼女にルカは唇を尖らせた。
「おいシオン。アミナに何かしたのか?」
「は?なんもしてへんわ!ただ喋っとっただけや」
「ほんとかー?アミナ、本当か?」
ルカは訝るように薄目でシオンを見つめた後、今度はアミナを振り返る。
アミナの心は台風が来ているかのようにザワザワと落ち着かなかったが、何と話したら説明できるのか考えることもできず、「...う、ん」と頷くのが精一杯だった。
ルカは心配そうにその様子を見つめていたが、アミナがさらに俯き、本の修復作業を始めたのでそれ以上は追及しなかった。ルカは一つ息を吐くとシオンに目を向ける。
「そうだ、その枷」
「あ?」
『スモール・ライジング』
バリッと弾けるような音がしたかと思えば、シオンの首や手首に付いていた枷が床に落ちた。
シオンは口をぱくぱくと開閉し顔を青くさせる。アミナもあまりの早業に息を呑んだ。
「さて、仕事するか」
ルカは朗らかに笑い、手を叩いた。
キッチンに立ち、アミナは重いため息を吐いた。
風呂から上がったばかりの空色の髪はドライヤーで乾かしたがまだ少し濡れていた。
雪の様に白いすべらかな肌は薄く桃色を帯びている。湯につかり考え事をしていた為、つい長湯になってしまっていたのだ。
パンの生地を両手でこねながら風呂での考え事の続きをする。
資料室での事だ。
仮面を付けた男の子の声が頭でぐるぐると何度も繰り返される。
なぜあんな事を言うのだろう。
私の気持ちなんて誰にも分からない。
そう思うのに、そこまで考えると彼の言葉がより強く響く。
「今のあんたを否定する奴はどこにもおらんようやけどなぁ。可哀想な自分でいたいから言い訳を用意しとるんやろ。
あんたが今そんな風なのは、今のあんたがそうしたいからそうなっとる。それやのに他のせいにしとるだけや」
「俺、あんたみたいな奴嫌いやわ」
パンをこねる手が止まる。
空からの贈り物のような瞳から涙がぼろぼろと溢れる。
悔しい。
言い返せなかった。
目を背けていた心の深い場所。
そこに土足で入り込まれた。自分が見たくなかったものを無遠慮に目の前にさらされた。なんて無神経な人なのだろう。自分が放った言葉で私がどれ程傷ついたかなど興味もないような顔で。
図書館の皆の優しさに甘えて、言い訳ばかりうまくなって、できないことはすべて過去のせいにして。
小説の中の悲劇のヒロインのように自分も可哀相なのだと。
そんな事は、分かっていたんだ。
見破られた。竜族の男の子に。
辛い環境から逃げ出す強さを持った男の子。
自分の思ったことを言える強さを持った男の子。
やっぱり、私とは正反対だ。
震える唇が鬱陶しい。泣くしかできないなんて。
私だって。
「わたしが、きらいだよ...」
今夜は厚い雲が空を覆い、月も星も見えない夜空だった。
けれどアミナは後に知ることになる。
今は暗い空だけれど、雲の向こうにはきらりきらりと月も星も輝いていることを。
読んで頂きありがとうございます!
誤字などありましたらお教えくださいー