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泣き虫少女と無神経少年  作者: 柳 晴日
第1章
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館長のたくらみ


「……どうしよう……」


 作ったお粥を前に頭を抱える。

 あの男の子が寝ている部屋に持って行かなければ、と思うけれど、怖くてキッチンから動けない。

 起きていたらどうしよう。あの時は大怪我を負っていたから、どこかで余裕があった。けれどすっかり綺麗に治った肌を目にして、怖くなった。

 あんなに大きな竜なのだ。アイリスやルカがいるけれど、もし襲われた場合、無事でいられるのだろうか。


「おはよう!アミナ、俺が持って行くよ」


 ルカが片手をあげてキッチンに入った。


「お、おはよう...」

「アイリスさん、今日髪型めちゃくちゃ可愛いんだけど!休みの日の下ろしてる髪マジ可愛い!」


 ルカは頬を染め口を両手で覆ってじたばたしている。図書館の従業員はローテーションで休みを取る。勿論、週に一度の休館日は全員が休みだ。

 今日はアイリスが休みの日で、館長であるリーフと、ルカと私の三人で図書館の業務を行う。

 私は、資料室で新しい本のシールを貼ったり、汚れや破損が目立つ本の手入れや返却された本を元の本棚に戻すことを主に担当させてもらっている。利用者と直接関わらなくて良いように、とリーフが与えてくれた仕事だ。

 アイリスはもっと人と関わるようにした方が良いと言うけれど、実際に受付を担当する自分を想像するだけで体が震える。

 自分が情けなくて、恥ずかしい。


 お粥の入った小鍋を載せたお盆を持つ私の後ろにはルカが付いてきてくれている。ルカは先程から「アイリスさんが」「アイリスさんって」とアイリスの話を途切れさせない。

 余程アイリスが好きなのだな、と嬉しい気持ちになる。アイリスは同性の私から見ても魅力的だ。ルカが夢中になるのも分かる。

 アイリスは三十二歳。ルカは二十二歳と十も離れているが、アイリスのするりときめの細かい雪のような肌のせいか、二人が並んでいるのを見てもあまり歳の差は感じない。

 ルカのアピールにもそっけないアイリスだが、二人がうまくいくと良いな、と密かに思っている。


 さて。あの男の子が眠っている部屋のドアが目前にきてしまった。立ち止まり口を引き結ぶ。

 このドアを開けた途端に襲いかかられたらどうしよう。不気味な仮面を付けた男の子がベッドから飛び上がりこちらに飛んでくる場面を想像してしまい、足がすくんだ。


「アミナ、大丈夫だよ。俺が付いてる」


 ルカが柔らかい微笑みを浮かべる。私はおずおずと頷いて、ドアノブに手を伸ばした。



 想像とは違い、男の子は飛びかかってくることもせず、はふはふと息を洩らしながらお粥を掻き込んでいく。あまりの食べっぷりに目を丸くしている間に食べ終えていた。


「ちと足りんわ。おかわり!」

「は、はい!」


 立ち上がりキッチンに戻ろうとドアに向かう。ドアノブに手が触れるより先にドアが開いた。リーフとアイリスだった。


「おかわりの前に、話をしようか」


 リーフはいつも通りおっとりと男の子に向き合った。ベッドの上に胡座をかいて座る男の子は腕を組み、「手短にな。腹減っとるんや俺は」とふんぞり返る。

 リーフは目尻の皺をさらに深め、口角を上げた。アイリスがリーフに椅子を勧め、座るように促す。彼は一言お礼を述べるとゆったりとした動作で腰を落ち着けた。

 今年七十五になるリーフの背中は座ると丸くなる。その背中の後ろに立ち、リーフは男の子と何を話すのだろうと、耳をそばだてた。


「お主は、竜族の者じゃな?」


 竜族は北の果てに住むという竜の姿にも人間の姿にもなれるという種族だ。

 前に読んだ本で竜族について少し触れているものがあった。彼らが人間と関わることはあまり無く、詳しいことはあまり知られていないようで、力がとても強く火の力を扱うということのみが公の情報となっているそうだ。


 竜族...初めて見る人間以外の種族についまじまじと見てしまう。身体の造りは人間のそれと全く違わないのに、彼には竜の血が流れていて違う生き物に分類されるなんて不思議だ。でも彼は間違うことなく竜なのだ。私はあの時はっきりと恐ろしい黒龍を目に映し、大きな体積そのままの重さまで感じてしまったのだから疑いようもない。


「そうや。俺は偉大なる竜の子孫。名をシオン。人間に崇められる存在や」


 男の子...シオンという名を持つ彼は仮面の奥で不敵に笑ったような気がした。

 リーフは「シオンか。儂はリーフ。この図書館の館長を勤めておる」とシオンのどこを見ているのか分からない仮面と視線を合わせるように微笑む。

 シオンは「あんたがリーフか」と納得したようだった。私が雪山で話したことを覚えていたのかもしれない。


「シオン、お主のその首と手首の拘束具。北の国の黒い噂、コロシアムのものではないか?」


 はっとしてその嫌な存在感を放つ物を見る。

 アイリスとルカも息を呑んだ。アイリスが口を開いた。


「北の大国、ノース・ルーラー国で催されているという噂のコロシアムですか?対戦者はどちらかが死ぬまで終わらない試合で戦い、観覧者はどちらが生き残るのか賭け事をしているという?ですが、生死を扱う賭け事は世界法律で禁止されているはずです。そんなこと...」

「へっ」


 シオンは鼻で嗤った。


「そんな決まり、お利口さんに守る奴ばかりなわけないやろ。裏でやろうと思えばいくらでもやれる。金儲けになるならなんだってやる。あんたら人間はそーいう生きもんやろ」


 アイリスが目を見開き、何かを言おうと口を開くが言葉は出なかった。目を伏せて唇を結んだ。


「なぜ、コロシアムに?」


 リーフは静かに問いかけた。


「狩りや」


 シオンはあっさりと言葉にした。発する声の軽さと意味の重みにくらりとする。

 当たり前のように、言った...。その事実が指す知らなかった真実に背中が冷やりとする。


「竜の鱗は装飾品としても一級品やし、武器や防具にしてもかなり使える。力が人間共なんかよりも比べ物にならんくらい強い。身体もそうそう壊れん。奴隷として手元に置きたいとか考える身の程知らずなアホもおる。っちゅーことで、俺らは人間共から狩りの対象にされとる。狩りの頻度は多いけど、俺は強い。いつもは何十倍にもして狩りに来た人間を蹂躙してきた。やけど、あの時は...」


 それまで淡々と話していたシオンの声が掠れた。唇を噛み、何かに耐えているようだった。


「この仮面...闇の言望葉使いが俺にこの仮面を付けた途端、俺は本来持っとる力の半分も出せんくなった。...ああ、やからってあんたらより弱なっとるわけやないで。俺の力は人間の何倍もあるんや。俺に逆らわん方が身の為や」


 敵意剥き出しの彼の声は、雪山で聞いた彼の声と同じはずなのに、違う。彼を纏う雰囲気はピリピリとこちらを刺すようだ。逃げるように下を向いた。

 リーフは「ふむ...」と顎を人差し指と親指で撫で、シオンをじっと見つめる。それほど間を置かず、彼へと向き直った。


「その仮面を付けられたお主は、闇の言望葉使いに捕まり、コロシアムに拘束された...。仮面には闇の呪いがかけられておると見て間違いないじゃろう」


 シオンは頷き、「俺は連中の隙をついて脱走したんや。竜になって空を飛んでな。その時にこの仮面を付けた奴にここをやられた」と傷のあった左肩からお腹までを指でなぞった。「竜族は回復早いからな、もう治っとる」視線をリーフに戻し、話を続ける。


「竜になって空を飛んだが途中でどうにも力が入らんくなってな。手頃な山を見つけたからそこで回復を待つことにしたんや。そしたらそいつが来たんや」


 シオンは私を顎で示した。私の想像がまったく届かない所で生きてきた彼にどうしたら良いのか分からず、目が泳ぐ。


「なるほどのう。概ね分かった」


 リーフは頷き、「さて」と口角を上げる。


「お主は、これからどうしたい?」


 シオンは馬鹿にしたように笑った。


「愚問や。これからあんたらを殺して食料奪って、この仮面付けた奴を探しに北に戻る」


 体が冷たく硬直する。

 やっぱり、と思った。彼のこれまでの話しぶりから、人間に良い感情を持っていないことは明白だった。むしろ、彼は嫌悪をこちらに分かるようにはっきりと表していた。

 アイリスがリーフの前に立ち、ルカが私の前に立つ。ピン、と張り詰めた空気が私の呼吸を細くした。

 その緊張を解いたのは、春の風の中を緩やかに舞う葉のような、リーフの声だった。


「そんなに威嚇せずとも、飯ぐらい腹いっぱい食べさせてやるわい。わしらは竜族を金儲けの道具に見ることはない。安心せい」


 シオンの身体からざわりとした気配を感じた。


「そう言われて、素直に聞けると思うか?あんたら人間はそうやって、耳障りの良い言葉を並べて、平気で裏切る。そういう生き物なんやって、こっちは分かっとんねん!」


 彼の声は発せられるごとに徐々に揺れて、大きくなる。最後の言葉を言うと同時に、シオンは大きく飛び上がった。


「仮面付けられて言望葉使えんでも、力はあんたらより俺のが強い!その薄汚い口、二度と開けんようにしたる!」


 シオンの爪が大きく尖り、リーフに向かう。


「リーフ!」

「アミナ、俺より前に出ないで!」


 リーフに走りよろうとする私の肩をルカが抑えた。


『アイス・プット』


 薄く綺麗な唇から放たれた言望葉は雪の結晶となりシオンの腰から下を覆う。それらは強固な氷となり彼の下半身の動きを完全に止めた。


「ありがとう。アイリス」


 リーフが朗らかに笑む。その様子を見て、ほっと息を吐いた。ルカが「さすがアイリスさん」と目を輝かせる。シオンは荒く口を震わせ、目を見開き「なんや...っ、クソ!」何度も拳を氷に振り下ろす。その手がみるみる赤くなっていくのを私はただおろおろと見ていることしかできない。

 ガツガツと続く音を止めたのはリーフの手のひらだった。リーフは男の子の拳と氷の間に手を滑り込ませた。ドッという鈍い音に私達はリーフに駆け寄った。


「リーフ!」


 リーフの手を取り、折れていないか確かめる。手の甲は赤黒く変色し、明らかに重傷を負っていると分かる。手はぐにゃりと曲がり、骨が粉々になってしまっているのかもしれない。痛々しくて涙が滲む。

 シオンは放心したようにリーフを見つめていた。


「....きっと容易なことではないじゃろう」


 リーフが柔く微笑みをシオンに向ける。


「お主が信じてきた世界に新しい色を取り入れるのは容易ではない。お主が人間を憎むのも分かる。そうなるのが当然の環境にいたのじゃから」


 リーフはこの男の子に何を見たのだろう?私とは違う。ただ恐れるだけではなく、その緑の瞳に彼をどう映したのだろう。


「じゃが、シオン。お主は考えることを止めてはならない。新しい世界、新しい可能性。それらを自分だけの世界を盾にして知ることを諦めてはならない。」


「自分の世界を確立するのはまだ早い。お主はまだまだ若く、様々なことを知ることができる。世界は広い。諦めるには早すぎるのう」


 ほっほっほ。リーフの希望に満ちた笑い声が部屋に響く。シオンはしばらく動かなかった。


「何を...言っとるんや。じじい...。何を意味の分からんことを...」


 揺れる声をしぼり出したシオンは前髪をくしゃりと握りつぶした。

 リーフは唐突にシオンに潰されてしまった手を持ち、首を振り始めた。


「は~痛い、痛いのう。こりゃあ治るのに時間かかるわい」

「な、う、お、そ、そんなケガ、」


 シオンは肩をびくりと震わせ、口ごもる。


「こんな手じゃあ、働けんし困ったのう。おお、そうじゃお主儂の代わりに働いてくれんか?」

「ち、調子乗るなや!手のケガだけの方がマシだったと思わせたろか!」


 シオンが腕を伸ばしてリーフに掴みかかろうとするが、その腕に槍の柄がトン、と乗る。アイリスが冷めた目をして槍をシオンに向けていた。


「上も氷らせてあげようかしら?」

「ぐ、ぐぬ…」


 シオンはしばらくアイリスと睨み合うがふい、と視線を反らし「クソ、」と吐いた。


「じじいの手が治るまでやな」

「おお!引き受けてくれるか!助かるのう」


 リーフはにんまり笑うが、シオンの納得のいっていない顔に不安以外の感情が沸いてこない。

 これから一緒に働くの?嘘でしょう…?

 崩れ落ちそうになる膝を懸命にこらえたが、シオンと目が合ったような気がして、ついに膝をついてしまった。

 リーフならすぐに手の治療ができるのに、一体何を考えているの!?







読んで頂きありがとうございます!

誤字などありましたらお教えくださいー

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