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泣き虫少女と無神経少年  作者: 柳 晴日
第4章
116/116

一等星



城内の調査を終えたアストライアの隊員の後ろを歩く少女は何度も振り返り、振り返りしては手を振っていた。

雨で落ちた桜の花が地面を彩り、薄紫の中に桜色が混ざった淡い空気の中を歩く少女の背中が見えなくなった頃、隣に立つロランが口を開いた。


「……気持ちが追いついたのだと思うよ。父親が亡くなり、一人になってしまった現実を頭では理解していても、心が受け入れるには時間と休息が必要だから」

「………ええ」

「少しでも泣けてよかった、と僕は思うよ」

「…はい」


ロランが来てくれてよかった。彼が彼女の心を解したのだ。

彼は城を見上げ、ぽつりと言った。


「君も疲れただろう?ローガンのこと……新聞で知ったよ」


彼の言葉へ返す為にゆるく首を振った。


「まさかローガンが王子を襲うなんて。実験用のマウスが可哀想だと泣いていた、あの優しかったローガンが。未だに何かの間違いなんじゃないかと……信じられない」


彼とローガンは医療学部の学生だった頃からの付き合いで、プライベートでの親交もあったようだ。

ローガンが犯した罪を知った時の衝撃も尚更大きかったことだろう。

ローガンに闇の呪いがかけられていた事を知る者には箝口令が敷かれている為、すべてを話すことはできない。

ロランとは反対の方へ顔を向け、地面に散らばった桜の花びらへ目を落とす。桃色は泥に浸かり、すっかり汚れてしまっていた。


「俺が追い詰めてしまったみたいです」


視線が耳当たりに集中しているのが分かった。


「俺の助手なんかやっていたせいで、……俺の近くにいたせいで、追い詰めた」


父親やローレンツ、ローガン、それにライリー王の声が何周もの円を描いて頭の中を巡っている。


「俺のせいです」


肩に触れた温度に顔を上げると眼鏡の奥の風化しない痛みと共存している瞳がこちらを見ていた。


「酷い顔だ」


一体、今の自分はどんな顔をしているのだろう。きっと彼に気を遣わせてしまうような情けない顔をしているのだろうな。

こういう、自分の気分の沈みに他人を巻き込むことが、ものすごく申し訳なく感じる。

もうこれは癖のようなもので、相手の纏う空気が変わるのを感じ取ると条件反射で口角が上がる。


「すみません、大丈夫です。ちょっと…寝不足が続いているものですから。変なことを言ってしまいました」


軽く笑ってみせた。

こう言えば大抵の人は面倒な話を聞かされる前に切り上げられて安堵の表情を浮かべるものだ。

けれど、彼は…ロランは違った。


「……そうか」


そう言った彼は寂しそうに頷き、もう一度俺の瞳を見つめた。


「君にも休息が必要のようだ。…君が涙を見せられる人が現れるといいな。……もちろん、その相手が僕だったら嬉しいのだけど」


「君がいつか、僕にそうしてくれたように。僕も君の支えになれたらと、思っているんだよ」


彼の言葉が胸に届くと同時に、桜の香りがふっと鼻の奥を通っていった。

ああ、春の匂いがする。

その時、内ポケットに入れていた携帯電話が震えた。病院からの緊急の連絡の場合もあるのでロランに断り画面を確認するとメールが二通届いていた。

ジャクソンとハオランからだった。

“今、東の国の近くにいる。物資の調達が済んだらすぐ帰るけどな。どんな時でも飯だけはちゃんと食えよ。”

ハオランだ。

手紙だと饒舌なのにメールになった途端ぶっきらぼうな文になるのはなぜだろう?しかし不思議なことに文面から感じる印象はどちらも変わらない。彼はいつも俺の食事を気にかけてくれている。

続けてジャクソンからのメッセージを開いた。

“連絡しろバーカ!新聞で知るこっちの身になってみろバーカ!かっこつけんなバーカ!”

もう四十を超えているというのになんだこの文は、お前こそ馬鹿だ。

力が抜け、空を仰ぐと視界に桜色が舞った。

何故このタイミングなのだろう?

まるで神様が諦めるなと言っているようだ。

俺は諦めそうになっていた?何を?

自問してもすぐに答えは出なかった。

でもたぶん、なにかとても大切なものを……それだけは確信していた。

脳が緩み、息を吐くと遠くから波が穏やかに海と戯れる音が聞こえた。

海の方向へ顔を向け、しばらくその音に耳を傾けていると忘れてしまっていた事が波に乗って俺の足先に触れた。


俺には友達がいるじゃないか。


この国を出てしまったけれど、故郷の国で医療を発展させようと信念を貫き続けているハオラン。

教会で孤児を世話しながら、民の安寧の為に走り回っている幼馴染のジャクソン。

それぞれが忙しく、何年も会えていないが、手紙やメールで時折り連絡を取り合っている。

その連絡も数ヶ月に一度あるかないかの頻度だ。

それで友達と呼べるのか、そう訝る人もいるかもしれないが、きっと俺達はたとえ何年、何十年と会えなくても、理解している。

この世界のどこかで生きていてくれさえすれば、それがお互いの力になっていること。

再会した瞬間、会えなかった期間など一秒で消え去り、抱えた孤独を笑い飛ばしてくれるだろうこと。

そして、目の前の彼も。

しかし自分の弱っている姿を見せるのは、なぜだか抵抗があった。

きっと彼なら受け入れてくれるだろうことは分かっているのに。


「……ありがとうございます。俺もそうしたい。あなたに心の内を聴いてほしいと思う。でも……これは、想像以上に勇気のいることのようです。今の俺にはまだ…。……知らなかった…自分がこんなに臆病だったなんて…」


ロランはやはり人生の先輩だ。俺の未熟な部分を彼も経験し、そして既に通り過ぎていったのだろう。


「ああ、分かるよ。その怖さも、臆病になる気持ちも……まず人を信じることだ。君の言葉を聴きたいと、君の為に何かしたいと考えている人間もいることを……そして君自身がそれに値する人間なのだということを知ってほしい」


彼は泥から桜の花びらを一枚拾い、溜まった雨水で濯いだ。


「きっと来るよ。その時が。きっかけは何か分からない。人との出会いかもしれないし、あるいは変わり者の誰かさんが話しかけてくれた時かもしれない」


ロランは片目を閉じ、微笑む。


「そのチャンスは誰にでも訪れる。大切なのはチャンスを逃さないこと。自分が変わるきっかけを恐れずに見過ごさないことだ……勇気をもって」


忘れないで、とロランは言った。


「僕はこの街にいる。君と同じ病院で働き、休日は教会にいる。いつでも君を待っている」


どうして、俺にこれほど暖かな言葉をかけてくれる人がこの世に存在してくれているのだろう。

今日の午前中まで孤独だと嘆いていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。

才能にも、家柄にも恵まれている。でも本当に良かったと思えたものは、どんなものにも代えがたい友人と出会えたことだ。

あなた達に出会えたことが、俺の人生の宝だ。

疲弊した心が緩み、思わず涙が滲んだが、顔を背けて堪えた。

まだ晒すのは怖い。

けれど、いつかなりたい。

ジャクソンやハオラン、ロランにもまだ見せていない、けれどきっと見抜かれているだろうこの臆病な自分を、いつかきっと表に出せるような自分に。


「……はい。ありがとう、ございます」


優しく笑う気配がした。


「僕はまた孤児院に戻るよ。春は気温差が激しいから風邪を引いた子がちらほらいてね。妻も子供達の看病をしてくれているのだけど、心配だから今日は二人共あちらに泊まって、明日は導きの灯台から出勤することにするよ」

「そうですか…ジャクソンや司祭によろしく。子供達は安心でしょうね。なんたってセントラル病院自慢の、腕利きの医者が側にいてくれるんですから」

「君に言われるとなんとも嬉しいね」


ロランは片方の肩を上げ、照れたように笑った。帰り際、彼は「そうだ。これは絶対に言っておかなきゃと思ってたんだった」と夕日を右頬に受けた顔をこちらへ向けた。


「ローガンのことだけど……自分のせいだなんて、少し傲慢だと思わないか?人は皆、自分の行動は自分で決めている。心のあり方さえもね」


そう言って、彼は手を振りバス停へと歩いていった。







病院に戻った所で再び城に呼ばれ、夕日が沈み始めた中庭を噴水の照明が仄かに照らしている。水飛沫がちかっと照明に反射するのを目にした瞬間、記憶が呼ばれたかのようにあの日見た事を思い出した。

そういえば、あの晩にここで誰かとすれ違った。どうして今まで思い出さなかったんだろう。そうだ、確かローブを頭に被っていて……よく思い出せ。特徴はなかったか?

水面に広がるいくつもの波紋に目をこらし、記憶を辿る。あの時見たシルエットが徐々に輪郭を描いていく。ローブに覆われた下には…細い鷲鼻……。

頭を振った。駄目だ。これだけじゃ何の手がかりにもならない。

落胆のため息をつく。

アストライアの調査後にライリー王が俺を呼んだということは、つまりはそういうことなのだろう。

ローガンに呪いをかけた闇の使い手の手がかりが見つからなかったということだ。

俺はこれから、まったく関わったことのない分野の調査を命じられる。

無謀だ…。

コツコツと石畳を踵で鳴らす音がする。現れたのはゲイリー王子だった。つい数日前に襲われたばかりだというのに人気のない夜に護衛も連れていないようだった。


「……王子?なぜお一人で」

「お前が、父上のお気に入りでなかったら…」


唇を噛み締め、血走った眼で睨みつける彼はこう続けたかったのだろう。

お前が父上のお気に入りでなかったら、殺せたのに。

あの晩、王子の出生の秘密を知った者で王と王妃以外の人物が殺されている。それなのに何故自分だけ無事でいるのか疑問だった。

理由は思っていたよりも単純だったらしい。

彼はライリー王に嫌われることを恐れている。

そして身内ですら信頼することのできない王のそれが気に食わない医者に寄せられていることも。

首を圧迫する感覚が襲う。王子が襟元を掴んでいた。ぎらぎらと憎しみに染まった眦に怯えよりも哀しみを覚える。


「俺が玉座に就いた時、覚えておけ……!お前から全て奪ってやる!生き地獄を味わわせてやるからな……!」


強い力で胸を押され、後ろによろけた姿を嘲笑ったゲイリー王子は踵を返していった。


「……可哀想に」


彼への印象は事件が起こる前から良くはなかった。子供じみた優越感に浸り、自分より立場の弱い者達の人生をまるでおもちゃのように簡単に壊してしまう道徳とはかけ離れた性質を持つ王子。

純粋な悪魔。

そんな彼がライリー王に求めているものをきっと王は何も知らなかった頃と同じように与えることができないだろう。

もう二度と手に入れられないものを得ようともがく王子の渇きを思うと、胸が痛くなる。

しかし虚しいことだ。その渇きこそが王子を人に留めることができる唯一の枷のように思えてならない。

家族という括りさえなければ、厄介な感情を持て余さずにすむのだろうか?

……彼からしてみれば俺も簡単に壊せるおもちゃの一つにすぎない。

もしライリー王に何かがあった時、俺は……いや、考えるのはよそう。自身を守る為の思考は時に危険を回避できるが、考えすぎるとぬかるみにはまってしまう。


内ポケットが震えた。

本日二通目のジャクソンからのメールだった。

文面に口角が上がる。


“新しく来たガキがお前のことばっかり聞いてくるんだが、知り合いか?とりあえず男を見る目がねぇなって言ったら笑顔で殴ってきやがった。かなり気が強いぞ”


そうか、ジャクソンの元に行ったのだな。それならば安心だ。

休日はロランも孤児院に行くし、何かと気にかけるだろう。

俺も今度、会いに行ってみようかな。

そうだな……チョコレートを買っていってあげよう。一人じゃ食べ切れないくらいの、たくさん用意して。

ケーキの飾りをドレスのようだと、瞳を輝かせた少女の笑顔を思うと祈らずにはいられない。

せめて君の行く道は明るい道でありますように。

夜空の中で一際光るあの星のように。









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