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泣き虫少女と無神経少年  作者: 柳 晴日
第4章
115/116

あの日に戻れたなら



「なに、これ……おいしい…!」


オムライスに瞳を輝かせながら頬に手を添え、にこにこと笑う少女の目尻に飛んだ米を摘んで取り、苦笑した。どうやったらこんな所に付くのだろう。

アストライアの隊員は思ったよりも早く見つかり、彼女を病院の食堂へ連れて行っても良いか聞いてみると、隊員の男は調査の間少女を見てくれるのは助かる、と喜々とした表情で了承した。


「もし余っていたら…はい。えっ?持ってきてくださるんですか?ああ…ありがとうございます。はい、病院の食堂にいます。雨の中すみません。……ええ、はい。では、気をつけて」


ロランとの通話を終え、携帯電話をスーツの内ポケットに納めた。


「オムライス、食べたことないの?」


少女はスプーンを握った右手を止めずに頷いた。


「うん。こんなの、初めて見た。それに、この甘い飲み物も!お父さんは人が多い場所が嫌いだったから、こういうお店連れて行ってくれなかったんだ」

「…そうなんだ。…お母さんは?」

「知らない。私がちっちゃい時に死んじゃったみたい」

「……そう」


はぐはぐと犬のように皿に顔を近づけ、扱いにくそうにスプーンを握る手に、彼女にこういう事を教えてくれる人はいなかったのだろうかとふと思う。

親はいないという口ぶりからして、恐らく父親も亡くなったのだろう。

幸せそうにストローを口に含む様子は両親を失った少女には到底見えなかった。


「それ、りんごのジュースだよ」

「りんご!分かるよ、真っ赤なやつでしょ?」

「うん。そうそう……なに?」


少女の動きがはた、と止まりリーフの手元を見つめた。そして次に自分の皿に視線を落としたかと思うと、今度は周囲のテーブルを見渡した。

顔を戻した少女は俯向き、丸い額と頬を真っ赤に染めていた。


「どうしたの?」

「……私、汚いかも」

「え?」

「……たべかた…」

「そんなの」


気にしなくていいのに。そう言いかけ、口をつぐんだ。

パンケーキを小さく切り、少女に指の形が見えるように近づける。


「こうやって持つんだよ。それで、顔を皿に近づけるんじゃなくて、スプーンを口に運ぶんだ」


少女はほっと眉間の緊張を解き、スプーンを持って見せた。


「こう?」


軽く笑んで頷くのを見て、少女は慎重にオムライスのライスのみを口に含んだ。

他の食事客の真似をしているようで、様子を伺いながら数回咀嚼した後、飲み込む。


「……きゅうくつで食べにくいね」


素直な感想につい笑ってしまう。


「そうだね。でも、マナーは大事だよ」

「分かってる。あなたに恥ずかしい思いをしてほしくないもん」


予想外の言葉にカフェオレを持つ手が止まった。


「俺が?」

「そうだよ。じゃなかったら、こんな面倒なことするわけないじゃん」

「……君って、」


太陽が顔を暗い洞穴に向けたように、心にじわじわと光が届き、和んでいく。


「……良い子だね。それに、聡明だ」

「良い子?そんなこと、初めて言われた……そうめいって、なに?」


ぽかんと不思議そうに目を丸くする少女に「よく周りが見えているってこと。デザートは?」と尋ねると、彼女は「あれ、なに?」とカウンターの前に並ぶショーケースを指さした。



甘い香りを放つケーキをじっと見つめる少女はスポンジを覆う生クリームの盛り上がった線を指差し、うっとりと言った。


「きれい…ドレスの飾りみたい」


あまりにも可愛らしいことを言うので頬が緩んでしまう。

上に乗った苺を口に入れると、白い頬がぷくりと丸くなった。

無くなってしまうのを惜しむように少しずつフォークで掬う様子がいじらしく、自分でも珍しいと思うが、自分のチョコレートケーキの皿を彼女のショートケーキが乗った皿の横に移動させた。


「こちらもどうぞ。食べれたら」

「いいの?」


きらきらと輝く瞳に頷くと、さらにその空色を輝かせ、晴天のような笑顔になった。


「ありがとう!」


飲み物のおかわりは俺と同じものが飲みたいと、砂糖一杯だけ入れたカフェオレを(食堂の受付係兼配膳係はなぜか何度も「ドクターリーフ、いいですか?砂糖は一杯だけ、一杯だけですよ!」と言っていた)一口飲むと、彼女は壁一面が硝子になっている場所へ目を向けた。

晴れていれば表に並べられているテーブルや椅子は当然ながら今日はなく、春の穏やかな風の中食べるスイーツは格別なので少女をテラス席に連れて行けなかったことは、少し残念だなと思った。

午前中より和らいだ雨の音にそっとまぎれこませるように彼女は言った。


「あなたの子供はきっと幸せだね」


唐突な言葉に目を見張った。そして、あまりにも自分に似合わない言葉だ、とゆるく首を振った。


「子供はいないよ」


答えると、少女は「そうなの?じゃあ、結婚は?」と小鳥のように首を傾げた。


「してないよ。まず、俺と結婚してくれそうな相手がいない。この歳だし、もう諦めてるよ」


笑いながら言うと、少女の顔周りの空気が明るくなったように感じた。


「じゃ、じゃあ、私が結婚してあげる!」

「っ、げほっ」


何を言い出すんだ。子供の言うことだ。ふざけて返そうと口を開いたが、少女の瞳があまりにも真剣だったのでつい目を反らしてしまった。


「いくつ離れてると思ってるの?君のお父さんより年上だし、君が大きくなった頃には俺はおじいちゃんだ」

「年なんて!あなたは私のお父さんよりかっこいいし、優しい。それに、いいよ。おじいちゃんでも。私、きっとあなたと出会うためにここに来たんだと思う」


少女のひたむきな瞳に、ぎくりと身体を引いた。子供の言うことだ。いちいち本気で相手をしていられない。


「はいはい、ほら、ケーキ食べちゃいな」

「子供だからって……それであしらえたつもり?」


唇をとがらせつつも生クリームのたっぷり乗ったスポンジを口に運ぶ様子に苦笑しつつ、子供って本当にまっすぐなんだな、と妙に感心していた。彼女といると濁った泥水が透明になっていくようだ。

この食事が済んだら少女をアストライアの隊員の元へ連れて行かなければならない。

荒んだ人間の心を癒やす稀に見ない明るさを備えている少女はこれから孤児院に世話になるらしい。彼女はどこから連れられて、なぜ孤児院に入ることになったのだろう。亡くなった両親の代わりに引き取ってくれる親戚もいないのだろうか。


「君はどこから来たの?」

「私?どこから……うーん…そうだなぁ……」


少女は瞳を上に向けて地図を書くように指ですーっと線を描いた。


「ここからずっとずっと遠いとこ。ずっと空が暗くて、寒い場所」

「寒い所……もしかして、君は北のノース・ルーラー国からきたの?」

「う、ん。たぶん」


曖昧に頷くのを不思議そうに見る俺に少女は困ったように人差し指で額を掻いた。


「自分がいた場所が、なんて名前なのかちゃんと教わったことがないんだ。お父さんはそういうの、なにも教えてくれなかった。お父さんは私がお父さん以外の人と話すのを嫌がったから、お父さんと誰かが話しているのを聞いて、なんとなく、って感じで」

「学校へは?」

「そういうのは、お金持ちの家の子しか行けないんでしょ?」

「……そうか」


食事時のマナーも、自分が住んでいる国の名前さえも教えない、そして子供の行動をかなり制限していた父親だったようだ。

北の国の情報は故意に遮断されているのかこちらに伝わってくるものはほとんどなく、たまに聞こえてくるのは血なまぐさい噂話ばかりで、子供の教育環境に関しても詳細は一切不明だ。


「……君のお父さんは、どうして何も教えてくれなかったり、君の交流を制限していたのかな」

「……お父さんと同じ、闇の言望葉使いにする為だって、言ってた」

「君のお父さんは、闇の言望葉使いだったの?」


自分の近くに闇の使い手が身内である者が現れたのは初めてだった。こくりと少女が頷く。ショートケーキを食べ終えた彼女はなんでもないことのようにチョコレートケーキの皿を食べやすいように移動させた。


「うん。私がすごく小さい時だったと思うから曖昧なんだけど、ある夜にね、お皿に水張って、お父さんの言う言葉を真似するように言われて、言う通りにしたら水が白く光ったの。そしたらお父さんはすごく喜んでさ。お前は優れた闇の使い手になれる素質を持ってるんだって、なんかすごく嬉しそうだった」


少女は慌ててあっと口を片手で覆うと、こちらを仰ぎ「今の話、誰にも言わないで」と小さく言った。


「もう嫌なんだ。お父さんと同じになんかなりたくない」

「ということは、君は闇の言望葉を使えるというわけではないんだね?」

「当たり前じゃん。使いたいと思ったこともないよ」


空色の瞳に嫌悪が浮かぶのを見てほっと胸を撫で下ろした。

そうだよな。闇の使い手だったら孤児院ではなくアストライアに連れて行かれるだろう。

彼女の父親が行ったのは言望葉の素質を調べる喚声式だ。


「白い光、か。君は聖の言望葉使いなんだね」

「そうなの?それって、お父さんが敵って言ってた人のことじゃん。……もしかして、お父さんみたいに何か唱えたら私も変なの出せるのかなぁ?……でも、それでなんでお父さんは、私がすごい闇の言望葉使いになれるって思ったんだろう?」

「俺もあまり詳しくないんだけど…聖の言望葉使いと闇の言望葉使いは表と裏、の存在らしい。ほら、例えば」


表と裏?と怪訝そうに話を聞く少女の前に俺のカップを移動させ、鞄から取り出したペンライトの明かりを当てた。

テーブルに沈むカップの影を示し、「光があるから影が生まれる。そして、この光が強ければ強いほど、影は濃くなっていくだろ?」と少女へ目を向けた。

少女はペンライトを指さした。


「その光が、聖の言望葉使いで、影が闇の言望葉使いってこと?」

「簡単に言ってしまえば、そういうこと。つまり、聖の言望葉の力が強ければ強いほど、強力な闇の言望葉使いになれてしまうということだね」

「へえー。そういうことだったんだ」


それほど興味がないのか軽い調子で相槌をうち、チョコレートケーキを一口食べた少女が笑顔になる。


「おいしい!チョコはね、食べたことあるの。お父さんがボスから貰ってね、くれたんだ」


このくらいの箱に、十二個も入ってたんだよ。と両手で箱の大きさを表す。


「初めて食べた時、すっごい幸せな気分になった。もったいないから、一日一個って決めて、最後の一個になった時は、悲しかったけど…またこの味を食べれるなんて思ってもなかった!しかも今日のはチョコ味のクリーム!なんて幸せなんだろう?こんな日が来るなんて!」


はしゃぐ少女に笑みを向け、彼女がチョコレートケーキを食べ終えるまで邪魔しないように、いろいろと聞きたいことを隅において黙ることにした。

こんなささやかな事で、俺にとっては日常にあるもので、幸福の光で輝いている少女を眺めていたかった。

ケーキを食べ終えた口元が茶色く汚れている。ナプキンを差し出すと額を赤く染め、慌てた様子で拭き取った。

使用済のナプキンを両手の平でころころと転がしながら、少女は父親の死について教えてくれた。


「お父さんは竜狩りをしていたの。あなたを三人、四人くらい並べたくらいのデブな武器商人がお父さんのボスだった。今回の竜はいつものよりも凄く強くて、あっという間に海の底に飛ばされちゃった。私はお父さんが竜の口に折られて、空へ放り投げられて、海に落ちていくのをただ見てた」

「……そんなことが…」


この十歳に満たないくらいの幼さで父親が死ぬ瞬間を見てしまったというのか。

言葉を探すが、どれも上滑りしてしまいそうで、ただテーブルの上に置かれた少女の固く握られた拳の上に手を重ねることしかできなかった。


「……それは、つらかったね」


紙袋を抱えたロランが痛ましいと言うように視線を少女に向けていた。


「ロランさん。すみません、この雨の中を孤児院から…」


彼の肩に雨の跡が少し残っている。立ち上がりハンカチを渡すと彼は「ありがとう」と水気を軽く払った。


「おじさん、誰?」


わずかな警戒心を見せる少女へロランは微笑むと紙袋から赤色のカーディガンを取り出し、小さく細い肩へかけた。


「どうぞ」

「くれるの?なんで?」


目を丸くして訝る少女にロランは「リーフくんから連絡があってね」と前置きをしてから自己紹介を始めた。


「僕はロラン。ロラン・エバンズ。リーフくんとそこの病院で一緒に働いている。同僚さ。休みの日は孤児院でボランティアをしていてね、さっきリーフくんから君が着れるサイズの上着があるか問い合わせがあったのさ」


孤児院で子供とよく接しているからだろう。子供慣れしているロランは少女へ優しく笑いかけながら、しかし押し付けがましくない口調で語りかけると椅子を指して「座っても?」と伺った。

ぽかんとした表情で少女が頷くと、ロランは「ありがとう」ともう一度笑みを浮かべ、席についた。


「僕は娘が誘拐にあってしまってね。もう十年以上も経っている」

「……え?」


戸惑うように少女は瞳を揺らし、ロランを見つめた。


「だから、家族を失う苦しみは分かるよ。……つらかったね」


ロランから視線を外した少女は眉をきゅっと寄せた。


「……ううん。…ほっとした。毎日、嫌なことばかり言うお父さんなんか、いなくなっちゃえばいいって思ってた」


止んだ雨音の代わりに波音がかすかに聞こえたのか、少女は顔を上げて海を探すようにわずかに首を延ばした。

雛鳥のように瞳を凝らし、はっと頬をひくつかせた。


「……でも、それだけじゃないのかもね…なんて言ったらいいか、わかんないけど」


自身の手に重ねられた手の甲を見つめた少女の頬を流れた一筋の涙は音もなく、カフェオレの底に沈んでいった。












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