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泣き虫少女と無神経少年  作者: 柳 晴日
第4章
113/116

まだ愛を知らない



春の雨は重く、湿気を凝縮した塊をその肩にのせているかのようにライリー王は疲労の息を深く吐いた。

人払いのされた王の執務室でソファーを勧められ、向かい合った彼と俺の間には沈黙が続いていた。

昨夜から降り続いている雨はしとしとと止む気配を見せず、数日続くだろうことを予想させる。止む頃にはきっと、桜は散ってしまっているだろう。

ライリー様が冷めかけたコーヒーを一口含むのを見届けてから手早く角砂糖をカップに放り込んだ。


「…ふっ」


彼が笑むと、目の下の隈も和らいだように見えた。


「あなたは…変わらないな」

「変わらない、ですか?」

「ああ。人は歳を重ねるとどことなく擦れていくものだが、あなたは初めて会った頃から変わらない。青さを残したままだ」

「……それは、まったく成長していないということでは…」

「そういう意味ではない。悪く捉えないでほしい。あなたは自分の信念を曲げない、それが羨ましいということだ。…一方、私は、人としての…王としての理想を貫くのが今はとても難しく感じるようになった……そう、ずいぶんと、弱くなった」


カップをソーサーに戻すと、ライリー様は控えめな光を落とす簡素な造りのシャンデリアを見上げた。


「エリザベスはローガンに呪いをかけた者に関して、黙秘を続けている」

「…そうですか……。………ドクターローガンの証言を証明できる方は王妃以外いません。残念ながら、あの時一緒に牢屋にいた騎士はよほど気が動転していたのか、記憶が曖昧で赤い花の痣も、ローガンの話もよく覚えておらず…あやふやな状態では証言などとてもできない、と……どうやらローガンの代わりに証言できるのは私だけのようです」

「ああ…エリザベスが証言を撤回しない限り、ゲイリーが狙われた真の目的も、犯人も分からぬままだ」

「ライリー様は、…自分で言うのもおかしいですが……なぜ、私の話を信じてくださったのですか?」


闇の使い手がローガンに呪いをかけた証拠が一つも無いのにも関わらず、彼は俺の話を信じ、アストライアに城とローガンの家、それに彼が出入りしたことのある施設の調査を依頼した。

調査は今日の午後から行われる。


「私があなたを信じた理由の一つは、王族の起源によるものが大きい」


ライリー様はそう言うと照明からこちらへ視線を移した。


「王族の起源、ですか?もしかして、神話の、でしょうか。……たしか、女神アストライアから聖の力を授けられた人間が王族の祖先だという…?」


ライリー様は頷いた。


「ああ。なぜ我々人間に言望葉の力が扱えるのか。説はいくつかあれど、立証されたものはない。その中に人間に言望葉の力を与えたのは天上の神々であったという神話がある。まず最初に言望葉の力を人間に与えたのは、半神半人の神ヘラクレス。彼は人間が神と対話する為の手段として、神々の国の言葉を人間界に与えたとされている」


ああ、そうだったなと頷き、初等部の頃に習った内容を引っ張り出す。


「次は火の力でしたね。……確か、火の言望葉はプロメテウスが竜族に授け、そして人へも与えるように竜族に命じたことで、人間も火の言望葉を得ることができたと」


よく覚えているな、と驚く王に「私が通っていた学校では、こういった内容を扱う授業は珍しかったので、記憶に残っていたんです」と笑って返した。


「……竜族は北の国を中心に世界中の空を飛んでいると聞いた事がありますが、私は見たことがありません。竜族は本当に実在するのでしょうか」


創造上の生物なのでは、と言うイースト・サンライズ国どころか中心都市セゾニエールすら出たことのない世間知らずな男にライリー様は「この国のほとんどの者が彼等の存在を信じていないかもしれないな。あなたと同様の理由で」と微笑み人差し指で上を指した。


「彼らは本当にこの空を飛んでいるよ。彼らの武器に代わる鱗や牙、それに頑丈な身体を狙って武器商人や貴族の配下達、そしてその者達に通じている闇の使い手達が捕まえようと常に追っているから、竜族は見つからないように空を飛び、移動し続けなければならないのだ。私は一度だけ、真っ白な雲に映る竜の巨大な影を見たことがある」


王は最後の部分だけ、わずかに声を弾ませた。


「関わりは無いに等しいが、だが我々人間に火の言望葉を分けてくれたのは竜族だ。竜族が置かれている状況は、我々の目の前で起こっている事ではないが、しかし現実で起こっている、決して他人事にしてはならない……。北の国の王は竜族の完全な奴隷化を企て、竜の里を狙い続けている。北の国の王へ竜族への侵略を止めるように働きかける為に西と南の王と同盟を結びたいのだが、良い返事はない。好戦的な北の王を刺激し矛先がこちらへ向くのを恐れているのだろう」


話を聞いてもなお、竜族の置かれている境遇は俺にはどこか遠い世界の話に聞こえた。

けれど、ライリー様はこの国の王として、世界への責任を果たそうと動いていたのだと、この時初めて知った。

西の国と南の国との同盟の道がない現状…。


「この国だけで動いた場合は、」


ライリー様は眉間に深く皺を刻んだ。


「そうだ。北の国と戦争になる」


静かになった部屋に雨音が大きく響く。俺の固くなった頬を見て、彼は「私の勤めは国民を守ることだ。心配するな」と笑んだ。

濁った水が胸の奥にじわりと浸透する。

ああ、俺はやはり変わってしまったのだ。


「話が反れたな。……火の言望葉の次は、冥界の神、ハデスが人間の男に闇の言望葉を与えた。闇の力を得た人間は人々を呪い、闇の言望葉使いを増やしていった。世界が闇に染まる頃、人間の良心を信じた女神アストライアが地上に降り立ち、人間の女に闇の力に対抗できる唯一の力…聖の言望葉を与えた。聖の力を得た女は闇を癒やし、世界を救った……その女の子孫が我々、王家なのだ」


「闇は何度でも蘇えり、求める者がいる限り、その力の範囲は広がり続ける。聖なる力を得た子孫は世界中に散らばった。闇に対抗する為、東西南北に四つの国を創り、闇の言望葉使い達を抑える機関…アストライアを創設した。創設当初は王家のみで構成されていた組織だったが、女神アストライアが降り立った地上に芽吹いた聖樹の葉が王家以外の人々にも聖の力を授けた…以来、王家は闇から国を守る象徴として、アストライアは闇の使い手への対抗組織として独立した」

「神話では…」


ライリー様は首をゆるく振った。


「歴史は人が綴るもの。四大国が誕生して今に繋がる過程で歪曲した部分もあるだろう。しかし、この言望葉の神話は限りなく事実に近い、と私は思っている」


「設立されてからこれまで、アストライアの隊員達が闇の使い手が国民に接触しても最小限の被害に止め、守ってくれていた。その為、この国のほとんどの民はアストライアの活躍を知らぬまま闇の言望葉使いをおとぎ話に登場する存在程度の認識でいるだろう。しかし、闇の使い手達は神話を裏付けるように強力な聖の力を受け継ぐ王家を狙い続けている」

「王家が狙われている?」


初めて聞く事実に驚いたが、城の警備にアストライアの隊員がいるのはその為か、と合点がいった。


「……なるほど…だから、城には常にアストライアの隊員が待機しているのですね」


ライリー様は頷いた。


「闇の使い手と王族の関係は近い。故にあなたの話を信じることが私には容易なのだ。……しかし、これまで闇の使い手に国の中央部、まして城の中まで侵入を許すことはなかった。アストライアがしっかり機能していた証拠だろう。……今回の件で一つの可能性が浮上した」


暗い眼差しを机に落とし、王は重々しく唇を開いた。


「内通者がいる」


ライリー様の話を聞いているうちに思い至った考えは彼の言うものと合致していた。

これまで闇の言望葉使い達から国民を徹底的に守ってきた鉄壁のアストライア。

聖の力を持つ言望葉使い達は、闇の気配を察することができるという。

城内でも警備をしているそんな彼等の目を盗み暗躍することは、可能なのだろうか?

難しいだろう。

内部の協力を得ない限りは。


ザンザンと強さを増した雨音が胸騒ぎを囃し立てる。


「…ドクターローガンの話では、エリザベス王妃が報酬の代わりに血液型の件を黙っていることを要求した、その時に王子付きの医者になることを条件に提示した別の人物がいたはず。王妃はそれが誰か、ご存知のはず」


その人物が内通者か、または闇の言望葉使いか。


「……理解している。エリザベスに口を開かせるのが私の役目だと。夫、父親である以前に、この国の王として。……エリザベスが内通者である可能性も考えられるのだ。明らかにしなくてはならない…。そう、」


どんな方法を使っても、と零す声は雨音に掻き消されそうなほど頼りなく、彼の葛藤が伺えた。

あの夜、王子に輸血をするヘンリー様とその側で見守る王妃の姿を静かに見つめていた表情が思い出される。

悟ったような、それでいて諦めているような、そんな表情を。


「……ライリー様は、…その、王妃とヘンリー様の関係を?」


言った後、しまったと思った。

踏み込み過ぎだ。王家に雇われている医者の分を超えている。そして、傷ついているだろう人に対して、心無い問いかけだった。


「失礼いたしまし」

「あの二人は、恋仲だった」


頭を下げかけた浅短な男を彼は「聞いてほしい」と手を掲げ制した。


「エリザベスは四つ下の従兄弟で、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。無邪気で、少し抜けたところが愛らしくて、私の初恋の人であった。婚姻を結ぶのは彼女が良いと密かに心に決めていた。だが、彼女の方はそうではなかったのだと知ったのは、二十歳の頃。エリザベスは十六の歳だった」


王の瞳にさっと影が落ちる。あの事件の夜と同じ表情をしていた。


「エリザベスは当時彼女の家庭教師をしていたヘンリーを相手に選んだ。嫉妬に支配され、エリザベスが自分を愛していない事実を受け入れられなかった私は、愚かにも権力を行使し、二人の中を引き裂いた」


風の柔らかな海のように穏やかで賢明なこの人が、まさか自身の感情のみを優先し人の人生を奪った過去があったなど、信じがたかった。


「恋人と引き離され、無理やり私の后にさせられたエリザベスは、……優しく接してくれた。嫌悪を瞳に、憎悪を髪の先まで巡らせて、表面だけは愛していると言ってくれた……これほど虚しいことがあるだろうか」


ずっと、後悔している、と彼は言った。


「彼女を愛していると思いながらも、私が大切にしていたのは己のみだった。本当に大切にしなければならなかったのは、エリザベスの幸福だったのに、それが愛するということなのだと、ようやく理解できたのはゲイリーが産まれてからだった。無垢な手に触れた時に、ようやく…」


ライリー様は自身の指の腹を見つめた。

だが、最愛の息子は自分の子ではなかった。

それでも彼は、王子を愛すことができるのだろうか。

複雑な顔をする医者の考えを読み取ったように、彼は眉を下げ、沈んだ笑みを浮かべた。


「私は罪悪感から、エリザベスを責めることも、詰問することもできない……いや、これ以上彼女の中で己への嫌悪が高まるのを恐れている。……実に愚かだ。すでに底も無いほど、嫌われているというのに…。そして、私はゲイリーへも同じ想いを持ってしまっている」


ゲイリー様を今も変わらず愛している、と仰っているのだろうか。

話の流れに違和感を感じ、「ゲイリー王子へも、」と繰り返した。

王は両の手を強く握りしめ、しばらく黙り込んだ後、重々しく口を開いた。


「……これは決して他言しないことを誓ってほしい」


ただ事ではない話の切出しに眉をひそめ、戸惑いつつも頷いた。


「……はい」

「あの日、ゲイリーが襲われた日に立ち会った城騎士がいただろう」

「ええ、覚えています」


バルコニーで王子を治療するのを手伝ってもらった。たしか四人ほどいただろうか。


「昨日、ヘンリーを乗せた馬車が夜襲に遭った。同乗していたヘンリーの息子二人は無事だったが、ヘンリーと、馬車を護衛していた城騎士が複数名殺された」


すっと身体の芯を冷たいものが通る。


「、っ、ヘンリー様が、殺された?」


会えば必ず嫌味を言うが、その口調はどこか照れの混ざったような、決して憎めない人だった。

王子へ血を分けた後の彼の沈んだ横顔が、あれが最後に見る彼だったなんて。

王は驚きで二の句が続けられない医者の動揺が収まるのを待つことなく続けた。


「殺された城騎士達の中には、あの日立会った四人もいた」


ひゅっと息が凍った。肺の内側を氷が滑り落ちていくようだった。

ヘンリー様を護衛していたのが、偶然事件の夜にバルコニーにいた城騎士四人で、さらに偶然にもゲイリー王子の出生の秘密を知った者達が夜襲に遭い殺された?

こんな偶然、あるわけない。

誰かが仕組んだのだ。

ヘンリー様を馬車に乗せ、その騎士達が護衛に当たるようにし、夜襲を手配した。

高位のヘンリー様を指示することが、誰にできる?

そんな動機が、誰にある?

許さない、と吐き捨てた王子の顔が脳裏に浮かんで、警報のように瞬く。


王はどうするつもりなのだろう。

息子とはいえ、罪を犯したのだ。

法の下では王家も、一般の国民も同じ立場だ。

それが民主主義だろう?

それが、俺が信じてきたライリー様だろう?

胸が騒がしい。祈るようにライリー様を凝視する俺の耳では先程の彼の言葉が反響していた。

エリザベス様を問い詰めることができないと言った彼は、こうも言ったのだ。



「私はゲイリーへも同じ想いを持ってしまっている」





「……ライリー様…」

「………そんな瞳で、私を見ないでくれ…。第一、証拠がないのだ」

「調べたのですか?あなたなら、夜襲の犯人も、突き止められるのではないですか。その者から、辿り着く存在があるのではないですか」

「……警察の調査は済んだ。正体不明の夜襲による不幸な事件で、この件は終わった」


膝の上で握りしめた拳が震えている。

俺が信じてきたものはなんだったのか。

正しい道を決して誤るはずのない彼だったからこそ、俺は王家直属の医師として、役に立てたらと思っていたのに。

この人のようになりたいと、尊敬すら抱いていたのに。

彼と初めて対面した時の高揚、穏やかな談笑の時間。

すべてがくすんだ灰色に変わっていく。

腕が嫌に重く、長い溜息を吐きそうだった。


「権力を持つ者が力を行使するのは、国民の為でなくてはならない。そうでなければ、民主主義ではなくなる……法の下の平等が、平等でなくなってしまえば、それは、権力による支配です。あなたは先程、王の務めは国民を守ることだと、そう仰ってくださりました。この件が曖昧に終わって、一番傷つくのは誰ですか?ヘンリー様の、それに騎士達の子供達、ご家族ではないでしょうか?」


冷静さを欠いた発言に俺を知る人はらしくないと呆れるだろう。

言わない選択肢もあった。選ぶ思考も備えていた。

それでも彼に言葉を向けたのは、分かって欲しかったからだ。

あなたは間違っている、と。

今からでも道を選び直すことはできるはずだ、と。


王の瞳は厚い雲が空を覆い尽くした日の海のように光がなかった。


「……あなたは愛を知らないのだ。愛は人を強くもするが、ひどく弱くもする。……あなたは誰のことも愛したことがないだろう?失うものがないから、理想を貫くことができるのだ」

「……人を愛した結果が、この現状なのであれば…私は…愛を知りたいと思いません」


もう、彼に期待することは無意味だと悟った。


「……午後からのアストライアの調査で何も見つからなければ、どうされるのですか」

「…これを依頼する為に、今日はあなたを呼んだのだ」


失望はしたが、俺は城付きの医者で彼の従者でもある。

頷き、先を聞く為に姿勢を正した。


「アストライアの調査で何の進展もなかった場合、その時はあなたに調査を依頼したい。内通者を突き止めてほしい」

「私、がですか…?私は闇の言望葉使いに関しての知識は」

「あなたにしか頼めないのだ」


そう言い、彼は外の景色を遮断してしまっている雨へ目を向けた。


「あなたしか、信用できる者がいないのだ」


王と同じように窓を見た。

どこへも行けないこの人が、この国で一番不自由なのかもしれないと、ふと思った。











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