盤上の彼等
文字がぼやけて見える。目を細め、距離を離すと若干読み取りやすくなる気がする。
「……老眼……か?…………ついにか……」
腕を伸ばして届いた手紙を苦労して読む。もう四十を超えたし仕方ないとはいえ、……ショックだ。老眼鏡、買った方がいいかな。
差出人はハオランだ。
母国へ戻った彼は苦労が耐えないらしい。
インフラ設備の整ったイースト・サンライズ国が懐かしいと冗談を混じえながらの近況報告は、それでも充実している様子が伺えた。
国へ帰った彼はさっそく島に病院を建てたいと国王に直談判したが、予算が無いと跳ね除けられてしまったらしい。
しかし、ここで諦めないのがハオランという男だ。だったら自分で建ててやると一人で木材を引きずり、島を横断していたそうだ。
物珍しく見物していた島民の噂話は島中を駆け巡り、ハオランに賛同した人々が力を貸してくれた。
もうすぐで完成しそうだ。
屋根と壁、それにドアさえあれば、あとはなんとでもなる。
島の連中は驚いてるよ。
この国から医者になった奴がいるなんてってな。
冷めた目をしていた子供達が、俺の存在を知り、将来について口にするようになった。
それだけでもここに帰ってきた意味があると思える。
まあ、これで終わらせる気などさらさらないがな。
道はまだ遠い。
でもやってやる。
この国を俺が発展させてやる。
平和な恵まれた国を知った俺だから出来ることを、この国で全てやってやる。
「いつも強気だな」
ハオランが弱音を吐くのを聞いたことがない。
そんな彼が側にいてくれたからこそ、俺はくじけずにやってこれたのだと思う。
手紙にはまだ続きがあった。
追伸。
子供を拾った。
女の子だ。年頃は十前後。
島の浜辺で倒れていたのをカンナが見つけて、家に運んだ。
冬だってのによれよれの薄手のタンクトップとズボンだけを身に着けていて、船から海に落ちたのか?泳いできたのか?まさかな。とにかくびしょ濡れだった。
そして、背中を銃で撃たれていた。
小さな背中に七発も。
もちろん、すぐに治療にかかったが、生きているのが奇跡としか言いようがなかった。
ひどく痩せていて、飢餓状態。
どんな環境にいればこうなるんだ?
島の子でないことは確かだ。
落ち着くまで、しばらくうちで療養させるつもりだ。
子供か……。
カンナは口に出さないが、子供がほしいようだ。見ていれば分かる。
お前は自分が親になる姿を想像したことがあるか?
俺は結婚してからようやく考えるようになった。
お前なら良い父親になれそうだ。いや、その前にまず恋人か。
お前の食事をしっかり監視してくれる人が現れることを期待してるよ。
「残念ながら、まったく予定なし、だ。……お前の素うどんが懐かしいよ」
手紙を丁寧に折りたたみ、封筒にしまった。
俺はこれまで結婚したいと思ったことがないように思う。
幸福な家庭というものをまったく想像できないのだ。
そして、恐れてもいる。
「あの人のような父親にならないとは、言い切れない」
俺があの人の子供だというのは事実なのだ。
もしかしたら、素質を受け継いでいるかもしれない。……家族を不幸にする素質。
あの頃の俺達と同じような思いを子供にさせない自信がないのだろうな。
世襲制にも疑問をもっていたし、跡継ぎがいないのも余計な火種を生まずにすんで良いかもしれない。
これに関してはローレンツとよく相談しなければいけないが。
「ローレンツ……」
結婚式以来顔を合わせていない。
あれから十年以上経ってもローレンツとの距離は縮まらなかった。
「君の弟の評判は良く耳に入る。街医者としてずいぶん成功しているようだ。治療の腕の良さは、さすがシュナイダーと言ったところか?」
「ヘンリー様」
ヘンリー様は何故か時々、院長室へお茶を飲みに来る。彼の胃腸炎の治療でお屋敷へ伺った日を境に、彼の俺への態度は徐々に軟化していったように思う。
何がきっかけかは分からない。
「コーヒーにしますか?」
俺がポットに近づくとヘンリー様はすかさず猫でも払うように手を振った。
「いい、いい。自分でやる。飲み物を飲んでさらに喉が渇くのはお前のコーヒーくらいのものだ」
「そうですか?」
ヘンリー様はコーヒーを口にすると眉を寄せた。
「…不味い。やはり挽きたての方がいい」
「インスタントでも、選べばそれなりに美味しいものもありますよ」
「お前に味の違いが分かるのか?結局砂糖味になるんだろう」
「分かりますよ。やっぱりメーカーによって全然違います。砂糖に合うものと、そうでないものが」
「あーもういい」
諫めるような少し荒れた声の調子に仕方なく口を閉じた。
「お前と話していると毒気が抜かれる」
「はあ…。良い意味でしょうか」
「どうだかな」
ヘンリー様はコーヒーを一口飲み、また不味いと呟いた。
「そろそろアンデレに継がせる準備を始めようかと考えている」
「大学をご卒業されたのでしたね。おめでとうございます」
「ふん。今年で二十三だ…まだまだ若い。徴税官の役職は荷が重いだろう。まずは私の側近としてしばらく仕事を見せるつもりだ」
「それは大変勉強になるでしょうね」
「ああ。……それに、私の方でも整理しなければならない事がある。アンデレにまで続かないように」
「……?」
仕事の話、だよな?
ヘンリー様はまたコーヒーに不味いとこぼし、立ち上がると「お前には、毒気を抜かれる」と呆れたように笑った。
月のない夜だった。
闇に紛れるようにローブで身を隠し、ある部屋へ入った男は先に到着していた男へ頭を下げた。
ヘンリーの話を頬杖を付きながら聞いている男はチェス盤の駒の位置が定まらないのか、指で挟んだルークをふらふらと置いてはつまみ上げ、置いてはまた別の位置へ置くのを繰り返している。
「……そうか」
「申し訳ありません。私はもう、ご協力できません。徴税官として、もう……これ以上は……」
「……そうか。分かった」
「………」
「意外か?君もよく手伝ってくれた。これまでのこと、感謝しているよ」
「………勿体無いお言葉です。…………あの、一つ、お伺いしたいのですが…」
ヘンリーは言いにくそうに視線を下げた。
「キノズでいつも、何をされているのですか?……先月の子供が行方不明になった事件とは、関係ない……ですよね?」
「……キノズに教会を建てる予定で下見に行っているだけだ。あそこには教会がないのでな。君にこれまで協力してもらったのも全ては布教の為だ」
「……そう、ですよね。申し訳ございません。大変失礼な事を。キノズは以前より女性や子供の失踪がたびたびある街ですから、一度調査してみる必要がありますね」
「……君は、変わったな」
「……ええ。……いえ、在るべき道に戻っただけなのかもしれません」
ヘンリーを見つめる男は微笑みを浮かべていた。しかしその瞳の奥の表情はまったくの別物であることをヘンリーは知っていた。
「これまでの事は、誰にも他言いたしません。決して」
「君は信頼できる男だ。今更そんな心配はしていないよ」
「………」
男の真意を知りたかったが、簡単に教えてくれる相手ではない。
気掛かりではあるものの、これ以上この場にいて相手の機嫌を損ねることになるのは避けたい。ヘンリーは部屋を去ることにした。
「……では、失礼いたします」
「おやすみ。良い夢を」
部屋に残った男はルークの駒を躊躇なくゴミ箱に捨てた。
「残り少ない幸福な夜を、大事に過ごすといい」
男は棚から新しいチェス盤を取り出し、艶のあるルークの駒を机に置いた。
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