静かな序章
病院施設に併設されているカフェのテラス席にとても大きな態度でふん反り返っているジャクソンは俺の顔を認めるとふてぶてしく口を開いた。
「で?何があった?」
「お前....開口一番にそれか?」
「そっちの都合に合わせてやったんだから俺の話したいことが最初に決まってるだろ」
「なんだよそのルールは」
自分のコーヒーをテーブルに置いた。ジャクソンの手元には水の入ったグラスのみだ。
「あれ?なにも頼んでないの?」
「たかがコーヒーに300リールも払えるかよ。水で十分だ」
「酒にならいいのかよ?夜な夜な現れる酒場常連の牧師がセゾニエールの名物になっているらしいって司祭が嘆いてたぞ。あと子供達も酔って道端で寝てるお前の回収をするのは恥ずかしいし大変だからもう止めてほしいって」
「おま、何、いつの間にガキ共とも仲良くなってんだよ....!やめろよ!」
「照れるなって」
「照れてねえ!!」
「まさかお前が牧師になってたとはな」
ジャクソンは唇を尖らせ「別にぃ。他にやりたい仕事もなかったしぃ」と目を反らした。
「ふっ」
「なに笑ってんだ!やめろその顔!」
大好きな司祭の力になりたくて選択したのだろう。分かりやす過ぎて透けて見えるほどだ。
「司祭は嬉しかったと思うよ」
「.....ふん」
牧師の黒服を身に纏った幼馴染みは話の区切りをつけるように鼻を鳴らした。
「チッ。言いたくないことがあるとお前はすぐ話を反らす。なぁ、お前ら兄弟、なんかおかしくなってねぇか?前とはなんかこう、雰囲気が変わった感じがする」
「前って、子供の頃だろ?何年も経ってるんだ…変わるさ」
「そうじゃねえだろ。そういう類いのもんじゃねえってことくらい、俺にだって分かるぜ」
「.....ごめん、言いたくないんだ。俺しか話さなかったら、どう話しても片寄りがでるだろ」
「俺がお前だけの味方をするとでも?」
「そうじゃない、そうじゃないけど、なんか、嫌なんだ。あいつがいないところで話すのは」
ジャクソンは口をへの字に曲げ、空に向かって鼻から深く息を吐いた。
「なんでもそつなくこなすくせに、変なところで不器用だよな。あと、弟のことになるとお前誰だ?ってくらい、臆病者になる」
「俺もこういう自分がいるって最近知ったよ」
ジャクソンは舌打ちを一つ鳴らし、「分かったよ」と不満そうに言った。
「アリを悲しませるなよな」
「え?なにお前、まだ好きなの?」
「ちっげぇよ!!今は幼馴染みとして心配してんだよ!お前ら全員、面倒くさいから!!」
「お前が単純なんだよ」
「はぁ!?」
「あれ、ハオラン。休憩か?」
米神に青筋を浮かべたジャクソンの後ろに立っている存在に片手を上げた。
「おう。えらく賑やかな牧師さんだな」
細い目に好奇心を浮かべたハオランはトレーに載せたコーヒー二つの内一つをジャクソンの前に置き、同じテーブルに座った。
「牧師さん初めまして。俺はリーフの同僚のハオランっていうもんだ。よろしく」
「お、おう?ジャクソンだ。.....なあ、このコーヒー貰っていいのか?」
「もちろん」
「なに!?お前良い奴だな!」
「なんだよ、飲みたかったんじゃないか」
「ふん」
ジャクソンはずずーっと音をたててコーヒーをすすった。
「ドクターハオラン?」
「ああ。医者だ」
ジャクソンに聞かれたハオランは身に付けている白衣の胸元をひらひらとやった。
ジャクソンはふうん、と相槌を打つとおもむろにこちらへ人差し指を向けた。
「こいつは俺の幼馴染みです」
「指差すな」
「へえ。幼馴染みか、いいな」
指を掴み、横に反らす。ハオランは俺達を楽しそうに眺めていた。
「こいつはこの街じゃ天才だ人徳者だ言われてますがね、実際のところは自分の感情にえらく鈍いんですね。なんでかって言うと、他人にも自分にもよく見られたいからなんですよ」
「ほお」
「なに言ってんだよ」
胸が跳ねた。まさか、当てずっぽうだろ?なんで動揺してるんだ。
「出来た人間じゃないといけないと思い込どるんですわ。父親や母親に隙を見せたら取り込まれるって怯えてる。未だに必死に逃れようとあがいてる.......もうそんな心配いらないのに。まだ小さいガキがこいつの中にいるんです」
「.........」
「だから言ってやってくださいよ。お前の世界はもうあの家だけじゃない。俺達や弟を信じられないのかって」
言葉を切るとジャクソンは立ち上がり、コーヒーを一息に飲み干してテーブルの上に勢いよく置くと、真っ赤な耳を隠すように背を向け走り出した。
「じゃあな!バーカ!!」
小さくなっていく黒服を呆然と見送り、脱力してテーブルへ両腕を預けた。
「いくつだあいつは....」
「いやいや、牧師の方が案外大人かもな?」
「ええ?.......うーん.......」
コーヒーを飲みながら口角を上げるハオランは楽しそうだった。
春の陽気が午後の空気をまどろませる。
心地よく道を歩く人々を眺めながらジャクソンの言っていたことを反芻した。
そうだよ。とはとても言えない。でも、そんなわけないだろと一蹴することもできない。
心の手前が霞んでいて、目をこらして靄を振り払いたいけれど、躊躇してしまう。
ハオランは何も言わず、すっかり冷めたコーヒーを時おりすすりながら、同じように通行人を眺めていた。
ジャクソンの言葉を、ハオランの優しさを理解できるようになったのはそれから何十年も経ってからだった。
あてがわれた書庫室で彼からの最期の手紙を繰り返し眺めては、深い後悔に苛まれる。
あの頃、不安定に揺れていた精神に気付かず、気丈に振る舞っていた。
彼らは分かっていたのかもしれない。
ずっと側にいてくれたこと。
それがどれほど自分を救っていたのか。
こんな歳になって、ようやく。
もう彼に感謝を伝えることはできないというのに。
仕事に勉強に追われ、目まぐるしく現在は過去へ。未来は現在へ。
ようやく一息つけると思った時には、俺は父の後を継ぎ、セントラル病院の院長となっていた。
院長の仕事は病院の運営に患者の診察と治療、関係施設との打ち合わせ、交流、それに王家専属の医者としての業務が加わる。
あまりに多忙で院長になってからは勉強会に参加することができなくなってしまったが、ハオランが中心となって活動を続けてくれている。
父はどうやって日々こなしてきたのだろうかと考えたが、彼は病院患者への対応はすべて病院勤務の医者に任せていたのだったなと思い当たった。
ハオランにお前もそうしたら、と一度言われたが、それでは俺が医者になった意味がないと返すと、呆れたように笑っていた。
王家直属の医者となった日、着任の挨拶の為に城の謁見の間で王が現れるのを頭を下げ待っていた。
やがて、よく通る、穏やかな声が響いた。
威圧感のない、まるで近所の知り合いのような親しみの込められた話し方にこの声が王のものなのだと認識するのに一瞬遅れた。
「貴方が、リーフ・シュナイダー殿か。ずっとお会いしたかった」
王は玉座から立ち上がり、階段下で片膝を付いている俺の前に降りたった。
「膝を上げてください」
「......」
戸惑いつつも立ち上がる。
目の前には微笑む男がいた。
目尻と口周りに沿った皺から、歳はおよそ四十代くらいと想定された。
青みがかった黒髪にはところどころ白い毛が混ざっていたが、髭も髪も清潔に整えられている。
澱みのない瞳が俺の目に合わされた。
広大で、それでいて悠然とした海に包まれたように、彼の瞳に見つめられると、王の前だというのにあり得ないことだと思いながらも、逆らえない安心感が俺を包み込んだ。
「貴方の噂は聞こえていた。ずっと感謝を伝えたかった」
「.........えっ」
王は深く頭を下げていた。
「ありがとう。セントラル病院の門戸を広げてくれて。ずっと方法を模索していた。現場を変える方法を。だが、王家直属の病院といえど、運営者は国民であり、方針を変えさせる権限が私にはない。.....現場から、立ち上がってくれる人間を待つより他なかった。君のような人が現れてくれて、本当によかった。君のおかげで、この国の民は、.....まだ、金銭の面から平等と言うにはほど遠いが、......以前よりももっと高度な治療を....医療を受けられる機会は増えただろう」
「お、王様、私などに、そんな」
慌てて周りを見渡すが、王の側近や使用人達は誰一人として動揺していなかった。
むしろ誇らしそうに微笑みすら浮かべて王を見つめていた。
彼は顔を上げると、「いや失敬。名を名乗っていなかった」と肩をすくませた。
そしてあまりにもまっすぐな笑顔と共に、この国で知らぬ者はいないその名を口にした。
「イースト・サンライズ国国王。ライリー・スターチスと申す。リーフ殿。私にできることがあれば遠慮なく仰ってください。この国の医療の発展の為に、どうか力を貸してください」
彼の全身からみなぎる周りを照らす明るいエネルギー、そうか、これが聖の力を受け継ぐ王家の.....。
いや、きっとそれだけじゃない。
王が持つ、この国を想う意志の強さが、俺を圧倒していた。
びりびりと手が震える。この人が、この国の、王。
力強く握られた手を放心して眺めているリーフを冷ややかな二つの視線が観察していた。
一人はくるくるとした癖毛を鬱陶しそうに払った徴税官ヘンリー・スターノ。
そしてもう一人はこちらもリーフと同じように若くして父の跡を継いだ事で当時は相当な話題をさらった人物。
教皇ジークバルト・ガイストリヒ。
若き才能が自分達の糧となるか、はたまた障壁となるのか、二人は注意深く息を潜めていた。
この日を境に俺の人生は大きくうねり、翻弄されることとなる。
そして問われ続ける。
医者としての覚悟。
人としての、在り方を。
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