きょうだい
ソファに深く腰掛け、額と額に乗せた手の甲の隙間から見えるカレンダーをため息混じりに眺めた。
「.....はあ...」
今頃ローレンツとアリの結婚式が行われていることだろう。
「馬鹿だな俺は....休みなんかとって」
もしかしたらと当日まで期待を捨てられなかった。結局、やはり、招待状は届かなかった。
「……あーあ。はー……」
何もする気がおきず、ソファに寝そべり天井を見上げた。
テーブルの上の携帯電話が振動している。着信のようだ。
表示された番号に首を傾げつつ、電話を耳に当てた。
「はい」
「馬鹿!」
「.......は?」
男の声だった。いたずら電話か?切ろうとして、「お前も、父親もなにやってんだ!弟のせっかくの晴れ舞台だってのに!」と荒く続いた声に動きを止めた。
「......ジャクソン?」
「他に誰がいんだよ」
「ジャクソン!」
「うるせえな!」
「久しぶりじゃないか!声がだいぶ変わっているから気付かなかった!」
「変わってるに決まってんだろボケナス!ってんな場合じゃねえ。お前今どこにいるんだ?式が始まってるってのに、兄もいねえ、父親もいねえんじゃローレンツが可哀想だ。さっさと来いよ!」
「.....いや、でも」
「はあ?なんだよお前らしくもねえ。いいから来い!!どうせ今日は休みなんだろ?」
「いや、だけど.......」
こちらの話も聞かずに通話を切られ、呆然と手のひらの電話を見下ろす。
「....まったく...こっちの事情も知らないで。来てほしくないのに、来られたら迷惑じゃないか....。........それにしてもあいつ全然変わってないな」
少年の頃からまったく変化の見られない彼らしいぶっきらぼうな話し方が妙に嬉しく、胸を明るくさせた。
小さく笑みをこぼしたところで、あ、と思い付いた。
「結婚式の挨拶....!あいつ、父さんにしてもらう予定だったんじゃないか!?」
そうだ。結婚式には新郎新婦の家族からの挨拶みたいなものがなかっただろうか?
自分には縁がないものだから全く思い及ばなかった。
急いで父に電話をかける。運の良いことに、相手はすぐに出た。
「....どうした」
「もしかしてローレンツから、結婚式の挨拶を頼まれていませんか?」
「なんだいきなり。.....結婚式の挨拶?頼まれたが、それがどうした?」
やはりそうだった。
「ローレンツはあなたが今日、式に来ないことを知っているのですか?」
数秒の沈黙の後、父は「アレに向かわせたから大丈夫だろう。とりあえず家族の誰かが参加していれば体面は保てる」といかにも面倒そうに言い放った。
電話の向こうで息を長く吐く音が聞こえる。
葉巻を吸っているのだろう。
アレとは、間違いなく母のことを指している。
「母さんが代わりに挨拶を?」
「まさか。女がでしゃばる姿ほどみっともないものはない。アレには大人しくシュナイダー家らしく振る舞うよう言い聞かせた。元よりアレもそのつもりだったらしい。女はやはりそうでなくてはならんな。シュナイダーを名乗るのであれば、なおいっそう。その点、あの洋食屋の娘はどうなるか....あまり悪目立ちするようであれば早いうちに代わりを」
「あなた達はローレンツやアリを何だと思っているんだ!!」
これ以上聞いていられず、通話を切った。
ハンガーに掛けていた礼服に急いで着替え、ドアノブへ手を伸ばした。
"兄さんを見ていると、自分が惨めで仕方ないんだ"
下を向いて決して目を合わせなかったローレンツの声が動きを止めた。
".....頼むから、距離を置かせてくれよ"
「.........」
手の力が抜け、俯いた。
車道を走る車やバイクの音がかすかに聞こえる部屋の中で、久しぶりに磨かれた靴だけが前のめりに浮いていて、エゴの固まりに見えた。
「.....父さんが来ない?」
披露宴も兼ねている式では、洋食屋の料理長である新婦の父親が腕によりをかけて作った料理が振る舞われていた。
それらの品々を口にする余裕などあるわけがなく、ローレンツはジャクソンが母から預かったという伝言に愕然と耳を疑った。
「ああ、お前の母親は確かにそう言っていた」
ローレンツは母の方へ目をやった。
後からきっとやって来ると思われていた父の姿は未だに見えず、彼女は一人静かに食事を口にしている。
「.....ローレンツ...大丈夫?」
アリの手が腕に触れ、呆然としていた意識が戻る。
「あ、ああ」
「式の最後の挨拶だが、どうする?」
眉をしかめているジャクソンは怒っているようにも見えるが、声は優しく、ローレンツを気遣っていた。
ローレンツは「そうだ、挨拶、」と呻いた。
「....アリのお父さんの挨拶もあるのに....どうしよう....」
額を手のひらで覆い項垂れる姿にアリは唇を噛んだ。
あの人達は、この事が原因でローレンツが私の家族にどう見られるようになるか、その可能性を少しでも意識しなかったのだろうか。
そして、席を回って料理を配る両親の喜びに満ちた笑顔を伝う光る汗に胸が締め付けられた。
家族をこれほどこけにされて、腹が立たないわけがない。
アリはぐっとドレスを握りしめた。
「.....アリ」
ローレンツは沈んだ表情でアリを見ていた。
いつから見られていたのだろう。
「.....ごめん....」
アリは顔をしかめて思いきり首を振った。
「あなたは何も悪くない。でも、この場合...お義母様が代わりに?」
「いや、何も用意してないと思う」
「そうみたいだな」
すでに母から聞いていたのだろう。ジャクソンはローレンツの言葉に頷いた。
視線を下げ、しばらく考えたローレンツは横に立つジャクソンを見上げた。
「僕が代わりに挨拶を」
「新郎のお前が?おいおい....。あ、俺が代わりに」
「それこそおかしいじゃないか」
「....ま、そうだよな。あー...新郎でも全然いいと思うけど....向こうはアリの父親が代表だろ?他に」
「いないよ。他に代わりができる人なんて」
逃れるように顔をうつ向けた姿にジャクソンは困惑した。
こいつら、どうなってんだ?
兄は姿を現さないし、弟は頑なに兄の名前を出さない。
「.....分かったよ」
ジャクソンは二人の席から離れ、会場である中庭に背を向けた。教会に入ると乱暴に頭をかきむしり喚いた。
「うああああああ~!!もやもやする!!」
「ジャクソンまた暴れてる~」
「馬鹿じゃないの。遊んでないで手伝ってよ」
「ガキ共....教えといてやるよ。大人になると色々と面倒な事が増えるようだ」
教会の孤児院で預かっている子供達は呆れたようにジャクソンを横目で流し、「はいはい。大変だね」と酒やパンを会場に運ぶべく去ってしまった。
一人残されたジャクソンは扉へ片頬を上げた。
「.....ふっ。ガキだな」
ジャクソンはステンドグラスをはめこんだ窓へ舌打ちをぶつけた。
「早く来いってんだ、馬鹿野郎、」
「....えー...、この度は、お忙しい中、この晴れの日にお集まりくださり、誠にありがとうございます。.......まさか商店街の小さな洋食屋の娘が、この国一番の医者の家系の息子さんとご縁が結ばれるとは、恐縮でもあり、ですが、こう言っては親バカに思われるかもしれませんが、こう、並んでいるとぴったりお似合いの姿に感慨深いものもあり....」
新婦の父親の挨拶が始まった。緊張しているのだろう、身体の前で組んだ手をそわそわと組み直している。
席に座っている新婦の横に立つ母親は旦那の背中を後ろからはらはらと見守りながら、そっと娘に話しかけた。
「お父さん、ものすごく緊張してるわ。昨日なんてずーっと練習してたのよ」
面映ゆそうにはにかんだ娘へ、母は慈しみを込めて笑い返し、ふと新郎側の家族の席へ目をやった。
そこには新郎の母親が一人、行儀良く椅子に腰かけているのみであった。
「.....ローレンツさんのご家族は、この結婚に反対だったのかね」
「反対なんて」
「じゃあ、どうして....。家族同士の挨拶を一度したきり、連絡をしても一向に返事は返ってこないし、うちとは違って忙しいんだろうと我慢してきたけど……こんな大事な日に母親が一人ってどういことだい?向こうにはお兄さんもいるはずだろう?来られない事情があるなら、こっちにも何か説明の一つくらい....」
娘の顔が曇るのに母親は慌てて「いや、お父さんもお兄さんもお医者さんだものね。やっぱり忙しいのよね」と取り繕った。
アリが曖昧に頷いたところで拍手が鳴り響いた。父のスピーチが終わったのだ。
進行役のジャクソンが拍手をしながら後を引き継ぐ。
「ありがとうございました。まさか料理長がこれほどに話せる人だとは思っておりませんでした」
「お前もそんな言葉遣いができたんだな。皆さん!今はこいつ牧師なんかやって大人っぽくなりましたがねえ、昔は本当手のつけられないガキで有名だったんですよ。ねえ司祭!」
「司祭!何も言わなくていいからな!」
二人のやりとりにどっと会場が沸いたが、ローレンツは必死に挨拶の内容を組み立てていてそれどころではなかった。
アリは心配そうにその様子を見守っている。
顔を真っ赤にしたジャクソンは気を取り直してマイクを持ち、ローレンツをちらと見た。
「.....えー...、それでは、最後に新郎側の挨拶を頂きましょう。シュナイダー家の代表は.....」
そこで言葉を切り、止まってしまった司会者に会場がさわさわとざわめき始めた。
声をかけようとアリはジャクソンを見上げ、戸惑った。ジャクソンが笑っている。
「.....おせぇよ」
ジャクソンの視線の先を追ったアリの瞳が徐々に潤みを帯びていく。
敷地の広い中庭を汗を浮かべ、懸命に走ってくる姿を見てもらいたくて、アリはローレンツの手を握り、顔を上げさせた。
その人物を捉えたローレンツは信じられない思いで呟いた。
「.....な、んで....」
ジャクソンはにやりと口角を上げ、咳払いをした。
「おほんっ。えー、代表のスピーチは仕事の用事でかなり遅れてきた新郎側の兄、リーフ・シュナイダーが務めます!」
一瞬驚いたように目を見開いたが、リーフは頷き、ようやく来賓席に辿り着いた頃には肩で荒い息をしていた。汗で濡れた前髪は額に張り付いてしまっている。
ローレンツは顔を強張らせこちらを見つめていた。
ごめん。
リーフは心の中で謝ると、ジャクソンが示すマイクの前を目指した。
「.....みっともない」
口元をハンカチで抑えた母がこちらを見上げ、吐き捨てた。
「........」
何も返さず、そのまま来賓席の間を進んでいく。
新郎新婦の席まで辿り着くと、まず二人へ。次にアリの両親、そしてアリの親族席へ頭を下げた。
「遅れて申し訳ありません。この度は、本当におめでとうございます」
アリは微笑み、「ありがとう、リーフ」と潤んだ瞳のまま右手を胸に当てた。
ローレンツは静かに俯き、こちらを見ようとしなかった。
アリに軽く頷いたリーフはハンカチで汗を拭ってからマイクの前に立った。
「.....新郎の兄のリーフ・シュナイダーと申します。このような日に遅れてしまい、誠に申し訳ありません。父は急な仕事が入ってしまい、来られませんが、この記念すべき二人の門出に立ち会えないことを非常に残念がっておりました。代わりというには力不足かもしれませんが、一家を代表して本日いらしてくださった皆様へ感謝の言葉と....」
「良い式でしたねえ」
「ええ、新郎のお兄さんのスピーチも素敵だったわ」
会場を去っていく人々の背中を見送り、そっと芝生に座り込んだリーフの視線の先でアリとアリの両親が抱き締めあっていた。
これから別々の生活を送るのだ。離れがたいのは当然だろう。
ネクタイを緩め、穏やかな夕焼けの照らす芝生を眺め、深く息を吐いた。
「.....なんで、来たんだ」
「........ローレンツ」
「この前言ったじゃないか、もう顔も見たくないんだって、なんでこんなことするんだよ!」
「........仕方ないじゃないか」
眉を寄せ唇を戦慄かせながらこちらを見下ろす弟の姿にリーフはふてくされたような顔をした。
そんな兄の表情を初めて見た弟は虚を突かれて次の言葉を口にすることができなかった。
「あの時、凄くムカついたし、なんだよコイツって思った。お前がそんな風に思っていたなんてショックだった。俺だって、傷つくし、怒るよ。お前なんか知るか、って思った」
「.........」
「....でも、お前が傷ついているかもしれないって思うと平気じゃいられない。……なんでなんだろうな」
呆然と兄を見つめたまま何も言わない弟の様子に気まずそうに額を掻いたリーフは立ち上がり、尻に付いた草を払って、言った。
「........おめでとう」
軽く口角を上げ、リーフは中庭を抜けていった。
ローレンツは眩しそうに目をこらし、じっと夕日の中を進んでいく兄の背中を見送っていた。
「きっと嬉しかったはずよ」
携帯電話から聞こえる声にリーフは首を傾けた。
「そうかな?」
「ええ。....今は確かに、距離を置いた方がいいかも....。彼も、彼で自分の心をもて余しているのかも」
「.....君と一緒にいれば、ローレンツは大丈夫なんだろうな…。頼んだよ」
「一緒にいるわよ。夫婦だもの」
通話を切ったアリはそっと夫の部屋の扉を開いた。
ソファーに浅く腰かけているローレンツは組んだ手の甲に額を預け、じっと床を見つめていた。
「.....あなたが痛いと、自分も痛いのでしょうね。....兄弟って、不思議ね」
いつか聞いたような言葉だった。
ローレンツは唇を噛み締め、嗚咽の漏れそうになる喉を動かさないように息を止めたが、床に落ちた滴には気づかれてしまったようだ。
そっと隣に座った妻の体温にローレンツは鼻をすすった。
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