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泣き虫少女と無神経少年  作者: 柳 晴日
第4章
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兄の誓い




アリを家まで送り、自転車を引き家を目指していた。ジャクソンは頭の後ろで腕を組み、ぶらぶらと隣を歩いている。


「見送りか?柄じゃないんじゃない?チビ達の世話しないと司祭が困るだろ」

「はあ?俺が見送り?するかよ。.....散歩だよ!」


歩道の縁石に乗り、ジャクソンは照れくさいのか仄かな橙色の灯る街灯へ視線をやった。


「今日くらいいいだろ。そんな野暮な人じゃねえ」


普段は寝癖のままの爆発頭も今日ばかりは整えられていた。親代わりの司祭にやってもらったのだろう。

これを言ったらジャクソンは否定するだろうが、彼は司祭の愛情を心から信頼していた。

どんなに言うことを聞かなくとも父親代わりのあの人が絶対に自分を見放さないと分かっているのだ。


本当の親子になることに血の繋がりは関係ないことを知った。


だからか、ジャクソンは人を受け入れることに抵抗がない。

飾るそぶりもない率直な言葉を使う彼とは喧嘩ばかりだったが、居心地がよかった。


商店街を抜け、エテ通りまで来た所で立ち止まった。


「ここまででいいよ」

「........」

「....意外だな」

「なにが」


ジャクソンのことだから、あっさり「じゃあな」とでも言って別れるものだと思っていた。

言いたいことがまとまらないのか、口元をもごもごと動かす様子に胸がくすぐったくなった。


いつから友達になったのか。

正直なところ覚えていない。

気がついたら、いつの間にかよく一緒にいるようになっていた。


「落ち着いたらまた絶対に会いに来るよ」

「.....ふん!」


握手を求め伸ばした手をジャクソンに手刀で叩き落とされた。


「いって!なにすんだよ!」

「ムカつくからだよ!」

「はあ!?」

「ちくしょー!俺だってなんかやってやる!!お前ばっかりにカッコつけさせてたまるかってんだ!!」


ジャクソンの拳が遠慮なく左胸を打った。


「うっ」

「頼んだぞ」

「ああ。きっと良い方向に行く。諦めなければ、変えられないことなんてないさ。」

「理想屋だな、お前は。結局恵まれた場所にいるんだ、だから口にできる」

「......」

「でも、そんなお前にしかできないことがある。言えないことがある。くじけんなよ。骨は拾ってやっから」


ぶっきらぼうな言葉が、つり上がり気味の瞳が俺の背中を押す。

ああ。くじけないよ。

自転車に跨がり、坂道を漕ぎ始めた。

長い登り坂だ。


「またな!」








家の扉を開けた瞬間、壁に頭を打ち付け、次に左頬が熱くなった。

目の前には目を剥いて右腕を振りかざす父親。ダイニングルームの扉から母親が顔を半分つき出しこちらを覗いていた。


「リーフ....試験を抜け出してこんな時間までどこへ行っていた!?」


こうなることは予想していた。眼鏡も帽子もせずに街中を通っていたし、どこかで見られたか、誰かが父に伝えたかのかもしれない。

父が早く帰っていたことは知らなかったが、どうでもよかった。

母が今日は出掛ける予定のないことを知っていたからだ。

葬儀に参加できさえすれば、これまでの事が両親に露見しようと構わなかった。


「葬儀に参加していました」


平坦な心に連動するように、声の波も落ち着いていた。


「葬儀だと?」

「はい。プランタン図書館のトレニア・オルコットさんの葬儀です」

「.....誰だ。いや、それよりも、なぜ葬儀に。どうやって知り合った」

「知りませんか」

「なに?」

「知りませんか」


あなたの病院で門前払いをされた人ですよ。


「あなたが対応されたわけではないのかもしれない。でも、長の姿勢というものは周囲に浸透するものです。病院の、たとえ一医者の判断とは言っても、それはあなたの判断でもあるのです」


再び頬を殴られ、視界に稲妻のような閃光が散った。つられてもつれそうになる脚を踏みしめ、父を見上げた。


「父親に向かって何を青い子供が分かったような口を!!」


もう一発。口内で血の味が広がる。


「兄さん!!」


ローレンツがくしゃくしゃに泣きながら、駆け寄ろうとするのを父がその腕を引き、廊下の奥に投げた。

華奢な肩が鈍い音と共に壁にぶつかり、ローレンツはうずくまった。

瞬間、脳天が真っ赤になり、父に掴みかかりそうになる、が、過った人々の顔が俺に冷静さを取り戻させた。


トレニアさん。

アリ。

ジャクソン。

司祭に孤児院の子供達。

プランタン商店街の友達。

そして、小説の登場人物達。


俺はこの人とは違う。

本当の愛を、優しさを俺は教えてもらったから。


「試験はどうしたんだ!!」

「受けましたよ。全て解きました」

「なに?」

「大丈夫です。俺は医者になりますから。心配いりませんよ」


父は拳を下げ、俺の胸元を掴み爛々と鈍く光る目で睨み付けた。

人よりも多い心力と、頭脳はこの人の中でまだ秤にかける価値があるようだ。


「.....この場限りの虚言であったら許さんぞ」


乱暴な手つきで解放されると、詰まっていた息が喉をすうっと通った。

何か思い当たった様子の父は目を細め、俺の部屋のある方向を見た。


「......図書館....なるほどな」

「......?」


ダイニングルームへ向かう父の背中を母が恭しく追いかけて行った。

床にぐったりと座り込む弟を置いて。

細い肩に手を添え、「痛いか?」と涙の跡の残る頬を親指で拭った。弟は顔を背け、ぎこちなく頷いた。


「......うん」

「兄さんの部屋においで。打撲なら俺でも治せるから」

「.........」


弟の背中が強張る。


「どうした?」

「...........うっ、にいさ、」

「.....ほら、立って。おいで」


ぼろぼろと泣き始めたローレンツの様子に困惑しつつもなんとか立ち上がらせ、自室の扉を開け、真っ先に飛び込んだ光景に息が止まった。


床に散らばったノートの紙片。

俺の書きかけの小説。いや、もう、形は失われてしまったが。

その中にノートのそれとは違う紙質の破片を見つけ、膝を付きその一片を拾い上げた。


「、..........」


少し歪んだ線。擦れたインクの跡。

トレニアさんがくれた図書館カードはばらばらに、ぞんざいに、床に打ち捨てられていた。

呆然とカードの破片を凝視していると、嗚咽をこらえる音がした。


「.....ごめ、ごめんね、兄さん、」


よく見るとローレンツの白い頬が紫に変色していた。痛々しい痣の上を透明な粒が流れ落ちていく。


「っ、....っ、とめ、られなかっ、た.....っ」

「ローレンツ」


感情が心を刺激する前に、涙がこぼれた。

弟をかき抱き、細い肩に顔を埋めた。


「ごめん、ごめんな....!.....俺は平気だ、お前のおかげで、ちっとも痛くない...!怖かっただろう?痛かっただろう......!ごめんな....っ」

「に、兄さんの、大切なものだったのに....っ」

「お前が傷つく方が、俺は嫌だよ....!」


ひく、とローレンツがしゃくりあげた。


「.....また、お前に守られた」


心が色を失いそうになる時、お前はいつもその豊かな優しさで色を足してくれるんだ。


「兄さんも頑張るよ。父さんも、母さんも、何も言えなくなるくらいに。兄さんが、頑張る。兄さんがお前を守るから」


明かりもつけていないままの暗い部屋で、兄弟の流す涙を照らしたのは、弟に誓った固い覚悟だけだった。






試験の回答用紙に採点をしていた年若い教師が指をパチンと鳴らし、呻いた。


「あー!惜しい!」


その声に反応した隣の席に座る古老の教師が彼の手元を覗きこんだ。


「どうしたんだ?」

「これ、これです。リーフ・シュナイダーの多言語の回答。あと一歩で全科目満点だったのに。ん、いやまあ、それでも首席ですけどね?いやあ、でも惜しいなあ。なんだってこんな答え書いたんだか。ねえ?」

「どれどれ」


古老の教師は長いこと採点で下を向いていた為、ずれていた眼鏡のつるの位置を戻しつつ、件の問題を目で追った。


[世界共通語以外に言語を習得する意義とは何か。百文字以内で記しなさい。]


「なるほどねえ。模範解答は?」

「そりゃ、医者志望の子達ですから、どんな種族、国の人々でも命は平等であり、また、最善の治療を施すよう尽力することが医者の務めだからである、とかですねえ。とにかく医療と繋げて回答することが正しいでしょう」

「試験ならそれが正しいね」


しげしげと老年の教師は綺麗な文字で短く書かれている回答に目を細めた。


「言語を理解することは国やその国で生きる人を理解するのに最も適した手段だよねえ。.......ああ....だから彼はこう書いたのかな」


若い教師は定年間際の教師の呟きに首を傾げ、「とは言っても、世界共通語以外を使えなくてもそうそう困りませんけどね」とボールペンの蓋を閉めた。

老年の教師は「そうかな?彼がどこでこの視点を養ったかは分からないが....、これは真理だよ」と顔を綻ばせた。


「本当に一体、どこで得たのかな。あの学歴至上主義の家系から生まれるものではないね。うん、きっと彼は良い医者になるね。.....いやあ、本当にどこで教わったんだろう?うん、そうだよねえ。そうだよねえ」


年若い教師はなかなか回答用紙を返してくれない先輩の教師に「歴史の先生は変り者が多い……」と苦笑し、「僕の机にちゃんと戻しておいてくださいよ」とコーヒーを入れる為に席を外した。

その声が聞こえているのか、いないのか、老年の教師は食い入るようにリーフの文字を見つめている。

皺の刻まれた人差し指でとんとん、と叩かれた文字が老年の教師には光を伴っているように見えた。


“人と人は、言葉を介して理解し合える。世界は繋がっているから、理解しようと努力する必要があるのだと考えます。”


文字からは、そう例えば、図書館にいる時に時おり鼻を通るあの匂い。本を開いた瞬間に香る匂いがした。













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