1人の転生から
「ーーーあ、」
「おぉ? うん? なんか言ったぁ?」
微睡みの中で溺れかけている時、急に何かに気づいて意識が覚醒する。
「あ、いや、えぇっとなんだっけ?」
目の前にはドアップの、見知らぬ女の顔があった。ピンクの髪と恐ろしく整った容姿の彼女だが、だらしがなく口を半開きにしていて台無しだ。
その彼女がこちらの顔を覗き込んでいるようだった。
周りを確認する。彼女の顔の向こうに広がる天井はむき身の土で出来ていて、ここはどこかの洞窟の中だという事がわかる。俺は平らな所に作られた藁のベッドに寝かされているらしい。
つかこの女、顔近いなおい。
「きゃはっ、ええっとぉ、べびたんにご飯をあげてたらぁ、べびたんが喋り始めた所だよっ☆」
なるほど、この一瞬で悟った。俺は今赤ん坊で、この目の前のだらしなさそうなビッチギャルが今回の俺のママンという事か。
俺が一瞬でわかったのには理由がある。俺にはこれに似た体験を経験したことがあるのだ。
どうやらまた、転生したらしい。
3年前、俺は妹と一緒に現代日本から、突然違う世界に召喚された。その世界は剣と魔法の世界で、そこで俺は勇者としての役目を授かり、平和のために奮闘、ついに魔王を倒す。ーーーたはいいが、魔王が死に際にした攻撃を不幸にも胸に食らってしまい、そこまでしか覚えていないのは、どうやらまた死んで転生したようだ。前回は召喚だったが、今回は赤ちゃんに転生したらしい。
そこまで思い出して、俺は1つの疑問にぶつかる。
ちょっとまて、その後世界はどうなった? ジュリスや他の仲間達は? というか同じ世界なのか?
突然襲った顔への感触に思考を中断させられる。このビッチママが俺に急にキスをしてきたのである。しかも、軽い方ではない。舌と舌がプロレスし合う方だ。
なんだこの状況! おい離せ! やだ、でも、すごい上手・・・。
俺は抵抗しようとするが、体が赤ん坊だからか力が入らない。
「ぶぁはっ! はーーー、はーーー」
たっぷり3分後。俺はやっと解放された。
「なにすゆんだぁ、おやこらのにぃ・・・。 おれのはじめてのきす・・・」
俺はやっと自由になった口でビッチママを非難する。
「きゃは、何言ってるの? 初めてはお母さんになるって決まってんじゃん☆」
「え? らんで? きんしんそうかん?」
「きんちんちんちん・・・? ニャハ☆ 難しいのは分からないけどぉ、お母さんからキスでご飯貰わないと、子供は死んじゃうよ☆ サキュバスの子供はぁ、みんな初めてがお母さんでしょっ」
「え・・・? ええ・・・? おかあさんはサキュバスなの!?」
「そのママから生まれたんだから、べびたんもだよっ! お揃いだねっ☆」
「えぇーーーっ!?」
そう言って、目の前の女性は大きい片目をウインクさせた。その格好はいかにも物語の中のサキュバスと言った格好で、露出の高い水着のような黒い布と、背中には黒い翼とピンクの髪だ。
サキュバス、淫魔とは人間の精力を糧に生きる魔物である。どうやら俺は淫魔として生まれ変わってしまったらしい。
そういえばさっきのキスの最中に、ビッチママから魔力が口を経由して流れて来たのを感じていた。つまり子供の淫魔は親が捕食した精気をキスでもらい成長するらしい。知らなかった、淫魔の子育ての秘密。
俺はこれから、淫魔として人間の性力を糧に生活をしていかなければならないのか。なんてことだ。最悪である。つまりはこの目の前の美女と何度も毎日キスをしなければならないのだ。前途多難だな、やれやれ困った、まったく。でも生きるために仕方ないもんな。
「ねぇねぇ、おかあさんのなまえは?」
「アミちゃん? アミちゃんはアミちゃんだよっ。アミちゃんって呼んでね☆」
謎のポーズをとるアミちゃん。だらしなく笑う口も手の形も動くたびにぴょんぴょんハネるアホ毛も、さいっこーに頭悪そうだ。
「ういっ! アミたん! べびたん、おなかすいちゃったっ☆」
「んふ、りょっ! べびたん、愛してるよ。 はい、あーんっ」
そして俺たちはキスを再開した。うむ、郷に入っては郷に従え。腹が減っては戦も出来ぬ。やむなし。
◇
それから3年が経ち、俺は無事4歳になっていた。俺の意識が戻った時に既に生まれてから1年くらい経っていたらしいから、正確には約4歳だと思う。因みに四季を感じるので、1巡したら1年くらいかなという感じで数えている。
「愛してるよっ☆」
「俺も愛してるよっ☆」
そしてキスをする。
一年後、俺は相変わらず実の母親と口づけを交わしている。もう慣れたものだ。キスの前の挨拶も。
アミたんはキスの前に必ず俺に気持ちを伝えてくる。最初、あまりにも恥ずかしくて茶化したことがあるが、叱られてしまった。アミたんの教育は基本超ゆるゆるで怒られたことなど一度もなかったのだが、ここは譲れないらしい。
「んー、アミたんありがとうっ☆ お腹いっぱいになったよっ」
「はいっ、お粗末様でしたっ☆」
「アミたんの唾液はなんだか甘くって、とっても美味しいっ☆」
「やんやんっ! べびたんったらアミちゃん口説いてるぅ? だめだよ親子なのにっ」
一年経って俺は、相変わらず実の母親と口づけを交わしながら、頭の悪い会話をしていた。無事にインキュバスとして成長しつつある。
「アミたんアミたん、ちょっと聞きたい事あるんだけど、いい?」
「んー、アミちゃんおバカだから、あんまりムズイのは無理っしょっ?」
「アミたんは可愛いから、いいんだよそのままでっ」
「きゅんっ♡ やだっ、胸きゅん警報発令ですっ、避難せよ避難せよ!どん!どん!どん!」
と言いながら、俺をハグしてそのまま身を低くするアミたん。やべえ、話進まね。どんどんって何?・・・ってああ敵襲を知らせるドラか。
俺はひそひそ声で続ける。
「じゃあ、アミたんそのまま聞いて? なんで、アミたんは俺の事いまだに『べびたん』呼びなの? 俺もうベビーっていうには無理あるぐらい大きくなってきてるけど。」
「ひあっ、アミたんお耳弱いのに……ダメなのに感じちゃう……。ん? 『べびたん』は『べびたん』だからだよ?」
「え? それは、えまさか俺の名前まじでべびたんなの!?」
ぞっとした。アミたんは頭は強くは無いけど、親って感じでも……まぁ無いんだけど、でもご飯くれるし楽しいし、この人生初めての同居人としては悪くない。って思ってたけど、こんな所に弊害があったか。
最悪だ。まだ10歳くらいまでは良いが、30歳40歳と歳を重ねて、たぶん子供とか孫とか出来て、それで呼ばれるわけだ『べびたんおじいちゃん』なんだそれ。
「それって、やばくない!? 名前べびたんて、やばくないっ!?」
「いや、名前がべびたんって決めたわけでもないけど、でもべびたんはべびたんだからそれでよくない?」
アミたんはそう言いながら、俺の小さい手の中に人差し指を入れてくる。俺がそれを握り返してやると、アミたんは「爪ちっちゃぁーいっ」と嬉しそうにだらしなく笑った。
「確定ではないのか。それならセーフか。じゃあ名前あった方が便利くない?」
「えなんで? 別に困ってないよ?」
「今良くても、ゆくゆくは、ほら俺が大人になっても『べびたん』だと変だし、それに、もし俺の弟とか妹が出来た時に、その子らも『べびたん』になっちゃうよ?」
「ぐーー。ぐーーー。」
「アミたん寝ないでっ!」
「んもうっ! べびたんの話難しすぎっ!! もっとわかりやすく言って!」
今のは最高に簡潔で具体的な話だった気がするが、そうか。
「つまり、名前が必要って事っ」
「それならわかるっ! えーっとぉ、わかったよ。じゃあ考えるね」
アミたんはんーんー悩みながら俺の頭から指を這わせる。ほっぺたから首を通って乳首をくるくるっとした。ちなみに、今は暖かい季節なので、俺は上半身裸だ。
まあ子供だから何にも感じないぞ。
「じゃぁあー、乳首陥没太ろ・・・。」
「ナオヤっていう名前はどうかなっ!?」
「ナオヤ? ナオヤって不思議な響き。・・・んでも聞いた事ある気がする・・・。うん、でもいいんじゃない? なんかべびたんらしくてっ! かっこいいよっ! でもなんでその名前なの?」
「ああ、実は前世がその名前だったんだ」
「へー、べびたんって前世あるんだ?」
「ええっ!? 知らなかったの? だって、こんなにペラペラ喋る赤ちゃんいないでしょ?」
「えっ!? そうなの!? ヤバイそう言われればそんな気がして来たっ! 前見た赤ちゃんは喋らなかった気がするっ! じゃあ、べびたんすごーーいんだねぇ!」
「すごいって受け止め早いな。あと、ナオヤなっ☆」
「うんっ☆ ナオヤっ。んふふふふふ。おりゃーーーーっ!」
とんでもねえ名前になるところだった危機を華麗に回避しつつ、俺の名前はまたナオヤになった。前世でもその前の前世でも結局おんなじ名前だ。しまった。咄嗟に言っちゃったけど、もっとカッコいい名前にすれば良かったかな? スパークサンダーとか。大吟唱乱れ桜龍吾郎とか。
アミちゃんは、俺に被さるようにハグしてくる。「あったかしあわしぇー」とだらしなく開いた口で呟きながら。よだれたらすなよ。
俺とこの愉快なサキュバスの生活4年目は概ねこんな感じだ。アミたんはたまにどこかに出かけて行き、多分どこかでご飯を引っ掛けてきて、魔力をくれる。俺はのんびりとアミたんの唇と会話を楽しみながら過ごす。
わかったことも少しある。アミたんとの会話はすこしコツがいるから、本当に少しだけどね。
例えば、俺が転生したこの世界は、2度目の人生の世界、つまり俺が魔王を殺した世界と同じ世界だ。アミたんが同じ大陸の名前を言っていたのを聞いたことがあるし、なにせアミたんという、サキュバスという存在が、この世界が俺の最初の世界、現代日本ではない事を証明している。
そして5年目がくる。新たな出会いと、わかれの。