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雑談する3人

「明日ナオと性交渉をするのだが――」


 クロがそう切り出すと、瞬時に室内に二柱の噴水が立ち上がった。アキとジュリスが、飲んでいた紅茶を噴き出したからだ。

 宙に舞い上がった無数の水滴は、窓から入ってくる太陽光を受けキラキラと輝き、またその光を屈折させ小ぶりな虹を形作る。

 その美しい虹の向こうでは、黒髪に同色の猫耳が特徴的な少女、クロが、そのいつでも眠たげな眼をかろうじて視覚可能なほど見開いた。

 その美しい光の向こうでは、赤茶の髪を雑に二つにまとめ、使い込まれたメガネと白衣を着ている、アキと、美しい金髪と高貴な雰囲気を纏う少女、ジュリスが、身を一杯まで屈めて、誤って器官に入ってしまった液体を取りのぞこうと、一生懸命咳き込んでいる。


「なに言ってんだっ!?」「何をおっしゃっているのですかっ!?」


 ひとしきり咳き込んだ後、アキとジュリスが同じタイミングで言った内容は、図らずとも同じ内容だった。

 二人はクロに掴みかかると矢継ぎ早に質問を繰り出す。


「性交渉ってあの性交渉かっ!?」

「二人はもうそういう関係なのですかっ!?」

「ちょ――」

「どうやって兄貴を落としたっ!?」

「いつからそんな関係だったのですかっ!?」

「ちょっとま――」

「隠してたのかぁっ!?」

「私も参加できますかぁっ!?」


 ダンッ、と机を叩いたのはクロの持つ分厚い魔術書だった。開かれたページの魔方陣の一つに人差し指を当てると、瞬時に魔術光が散り魔術が実行される。

 あばっ、というような二つの声を最後に室内に静寂が帰ってくる。クロの雷魔術が二人を焼いたからだった。


「人の部屋で一度口に入れた飲み物をまき散らさないで。とても汚い。掃除して」

「「……はい」」


 表情があまり変わらないクロは、口調もいつも通りの平坦な物だ。しかし、静電気で逆立つ髪の毛が怒りを表現しているように見える。


「それで、どうやってあのナオヤ様を落としたのですか? 羨ましい。というかいつから恋人同士だったのです?」


 ジュリスのいつも通り、上品な口調ではあるが、床に這いつくばって布で床を拭きながらのセリフだ。そしてこの王国では、なかなかショッキングな光景だ。普段王城で彼女に仕えている者達が見たら失神では済まない可能性まである。

 クロは表情を変えずに答えた。


「恋人同士になったのは、ずっと前」

「そっそんなに前から……ですか」


 聞いた答えに落ち込むジュリス。高貴な者が地面に四つん這いになって首を垂れている。

 お次はアキの質問だ。こちらも床を拭いている。

 彼女特有のぶっきらぼうな男言葉が部屋に響いた。


「明日するってどーゆー事? 明日デートでもする約束でもしてんの?」

「いや、約束は何もしていない」

「……ん? じゃあどうやって……。えと、兄貴とエッチするって約束は、したんだよな?」

「約束はしていない。というかナオは何も知らない」

「……ん?」「……へ?」「……なに?」


 三人は話の食い違いを感じてお互いに視線を合わせる。

 ジュリスが一度止まった空気を動かした。


「えーと、それにしても全然知りませんでした。いつの間にデートや逢瀬を重ねていたのですか?」

「デートも逢瀬も、した事はない」

「……ん?」「……へ?」

「変な顔」


 床を磨き終わった二人は、乱れた衣服を直しながら、それぞれ元いた席に戻った。淹れてあった少し冷めた紅茶に口をつけて、尋問を再開する。

 口を開いたのはアキだ。


「えと、クロは兄貴と付き合ってるんだよな?」

「恋人同士の要項は満たしている」


 およそ恋人関係を表すのに相応しくない言葉を聞いて戸惑うふたり。ジュリスが再確認を行う。


「要項……? お付き合いの申し入れをして、例えば愛の告白をして、それが受け入れられたという事ですよね?」

「あ、あい、あい、の……それはしてない」

「は? じゃあ、付き合ってねーじゃん」


 アキの言葉を聞いてクロは、なぜだか自慢げに、はんっと小さく鼻で笑った。


「告白しなくても恋人同士の要項は満たせる」


 なぜか達成者のような雰囲気を匂わすクロに、他の二人はますます怪訝な表情だ。

 クロは続ける。


「恋人の概念を調べた事がある。その本によると恋人同士は、あ、あ、あい、愛を伝え合うらしい。ナオはよく私に、あ、愛している、と言う」

「それは私達にも言ってくださいます。ナオヤ様のお母様の教えみたいですね、愛を伝えるのは。ステキな教えです」

「もちろんそれだけじゃない。もう一つ。口づけをすると恋人同士になる、とあった」


 持ちかけた二人の希望を潰してしまう言葉がクロの口から放たれる。

 ナオヤという男は、愛しているとは言ってくれるが、キスは拒み続ける男だからだ。


「そ、そんな……き、きす……? キス、したのか……」

「うん。ゴブリンをひねるくらい簡単だった。ナオヤが寝ている時にした」

「……いや、付き合ってねーじゃんっ!!」


 言葉の読解が得意ではないクロと一緒に、なるべく細かくかみ砕いて、恋人同士の要項とやらを再確認する。

 数分後、説明が終わったとき、クロの表情はいつも通りの無表情だった。しかし、手が震えている。


「そん……な、まさ……か……」

「人の性を糧に生きる淫魔になった兄貴が、一番その辺の事情を気にしてんのに、ほいほい簡単に抱いてもらえる訳ねーだろ!」

「そんな……では、どうやって明日性交渉すればいいっ?」

「こっちが知りてーよっ!」


 どんなに願っても彼を納得させるのは一筋縄ではいかない。ナオヤという男は女性からの自分への好意は全てが己の魔術によって生み出された幻なのだと、強く信じているのだ。それを利用してしまうのは強姦のような物だと信じているのだ。


「ったく、馬鹿兄貴は。おとなしく勇者チーレムやってりゃいいのにインキュバスなんて厄介なもんに転生しやがってよー」

「あら、私は嫌いではありませんよ。性欲に振り回されそうになるナオヤ様を見るのは……すこし……すごく……興奮します」

「変態姫殿下はおだまり遊ばせ」

「変態なんておっしゃらないで……下着が濡れてしまいます」

「お願いだからお黙り遊ばせ」


 ジュリスがその清楚な見た目には到底似合わない言葉を口にするが、他の二人は慣れた様に受け流した。


 会話に空白が生まれる。

 空いていた窓から風が入って来て、三人の髪の毛を少し動かした。

 窓の外を見る。現代日本では考えられないほどのどかな風景が広がっている。


 静かな時間が流れている。

 いつもこうだ。本人がいなくても、いつも彼のことを考えているのだ。

 その気持ちを三人は言葉もなく、共有していた。


 アキは思う。兄弟二人で現代から、突然この世界に召喚されてから、本当に色々な事があったのだ。何度も死にそうな目に遭い、ナオなど実際に一度死に、それでもまたこうして同じ時を過ごしている。それはなんだか、沢山の選択肢から一つすくい上げられた途方もない奇跡の様に感じる。


「今頃ナオヤ様は……」


 ジュリスは穏やかな表情で、その薄く上品な唇を開く。


「またうっかりお腹が空いて、股間をモッコリさせているのでしょうか……」

「最低だな」

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