それはひみつ
となりの席のかおりちゃんが話しかけてきた。
「どうして、ゆいちゃんはいつもズボンなの?」
かおりちゃんの足のほうに目を向けると、スカートをはいていた。
赤くて、とても可愛らしい。
「どうしてって言われても……」
「ねえ、どうしてなの?」
そうやって、かおりちゃんは何度も聞いてきた。私は目を逸らしたり「うーん」と言ってみたりしたが、かおりちゃんはずっと私のそばにいた。すると、
「おい、ゆい! 黒板早く消せよ!」
と大きな声を出し、かおりを押しのけてたくやが表れた。
「たくや、今私がゆい話してるんだけど」
「そんなの関係ねえ!」
かおりちゃんは少しムスッとした表情を見せて、廊下に出て行ってしまった。
「で、ゆい! どうなんだよ!」
「今日はたくやがやる日でしょ。私は日誌担当よ」
私は机の上に置いていた学級日誌を、たくやの顔に近づけた。
「あれ? そうだった?」
「そうよ。昨日そう話したでしょ」
「あー……」
そう言い残して、たくやは黒板に書いてある文字を消し始めた。私も今日の出来事を思い出しながら日誌を書こうとした。
「スカートか……」
私はポツリと呟いていた。
「ただいまー」
「おかえり、ゆい。どうしたの? 元気ないわね」
お母さんは夕飯の準備をしていた。私はランドセルを部屋の隅において、いつも座っている場所に座った。
「今日ね、同じクラスのかおりちゃんに『どういていつもズボンなの?』って聞かれたんだー」
「ゆいは何て言ったの?」
「なんて言えばいいのかよく分からなくてさ……」
「そうなんだ……あ!」
「どうしたの、お母さん?」
「醤油切らしてたの忘れてた! ゆい、悪いんだけど買ってきてくれるかしら? 好きなお菓子買ってもいいからね」
お母さんはイタズラに笑って私を見た。
「えー、これから宿題やろうと思ったのに」
「でもね、お母さん、手離せないのよ。もし今買い物に出たら、今日の晩御飯の味はどうなるか私にも分からないわ」
「……うん、分かった。行ってくるよ」
「そこにお財布あるから、よろしくね」
私はお母さんのサイフを手にとり、学校から帰ってきた格好のまま外に出た。
次の日もかおりちゃんに何度もスカートの話を聞かされた。スカートの良いところやどこに売っているか、そんな話を休み時間になると何度も聞かされた。その度にたくやが割り込んできて、私たちの会話はそこで終わったのだけど。
「ただいまー」
「おかえりー」
私はランドセルをいつもの場所に置いてリビングに行くと、机の上に白い箱が一つ置いてあった。
「お母さん、これなに?」台所で炒め物をするお母さんに話しかけた。
「それ? ああ。それはね、妹があなたにって送ってきたのよ」
「そうなんだ。開けていい?」
「いいわよ」
お母さんがこっちを見てニコッと笑った。
箱を開けると、そこにはピンクのスカートがきれいに畳んで入っていた。
その瞬間、周りの音が聞こえなくなった。机の周りにあるものも見えなくなった。
私は両手で優しくスカートの両端をもち、ゆっくりと持ち上げる。
「お、お母さん! は、はいてもいい?」
「いいわよー」
私はズボンを脱いで、足をスカートに通した。締められていたものがなくなって、なんだか自由になった気分だ。そしてすぐに、膝の辺りにぬるい風が通り過ぎていくのを感じた。少し飛び跳ねると、スカートの裾がふわっと浮いて、元の位置に戻る。フフフッ、と声が出てしまった。
「楽しそうなところ申し訳ないんだけど、お砂糖を買ってきてもらえるかしら?」
「うん! 分かった!」
私はお母さんのサイフを胸に抱え、玄関に急いで向かった。踵も直さずに靴を履いて、乱暴に玄関を開けて飛び出した。玄関が閉まる音が遠くで小さく聞こえた。
買い物に行く途中、スキップをしてみたりクルンと回ってみたり、足取りがとても軽かった。スーパーに向かう途中がこんなに楽しいなんて。
「あれ? ゆいじゃん!」
公園の前で、サッカーボールを抱えているたくやと出くわした。
「たくや、どうしたの?」
「俺はこれから公園でサッカーするんだ! お前も来るか?」
「私はお使いだからさ」
「そんなのいいから少しぐらい……って、あれ?」
たくやの視線が、私の足辺りを見ていた。そうだ、今私はスカートをはいてたんだ。
「ふふーん、これもらったんだ」お話の中のお姫様みたいにスカートの裾をほんの少しあげた。
「へ、へえー。そうなのか。よかったな」
たくやは視線を公園のほうに向けていた。「ねえねえ、どうしたの?」と言って目を見ようとしても、たくやは視線を合わせてはくれなかった。
「気づいてもらったお礼に、少しサッカーしようかな?」
「い、いいよ別に! 早くお使い行けよ! じゃあな!」
たくやはそう言って公園へと走っていってしまった。
どうして、たくやは私を見ないで公園を見ていたんだろう?
楽しそうに遊ぶたくやを、私は眺めていた。
「ゆいちゃん、またズボンなの?」
かおりちゃんが残念そうにしていた。少しその反応が大げさすぎるのではないかとも感じた。
「う、うん」
「ねえ、今度一緒にスカート見に行こうよ!」
「え、えーっと……」
「おい、ゆい! 黒板消すの手伝えよ!」
私が返事に困っていると、かおりちゃんを掻き分けて、たくやが両手に黒板消しを持って表れた。
「ご、ごめんね、かおりちゃん! ちょっと手伝ってくる」
私はたくやと一緒に黒板の前に立ち、上から下へと文字を消していった。
「お前、今日はズボンなんだな」たくやが手を止めて話しかけてきた。
「う、うん」私も手を止めた。
「スカート、はかないのか?」
「昨日はいてみたけど、なんか違うかなって」
「そうか」
その後、たくやが何かを言った。だけど、周りが騒がしくて、私には何を言っているのか聞き取れなかった。
「ねえ、今なんて言ったの?」
「何も言ってねえよ!」
「ウソだ!」
「ホントだよ!」
確かにたくやの口が動いたはずなんだけど。
「今日、放課後サッカーするか?」
「あ、いいよー。何も無いし」
「じゃあ、あの公園でな」
「うん、分かった」
私たちはそこから、何も言わずに黒板を消し始めた。
読んでいただき、ありがとうございました。