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オーバーラック  作者: 餅月 きなこ
第一幕 動乱の首都編
7/22

月下の獣


 修学旅行の夜。それは学生達にとってはかけがえのない思い出に残る一幕に他ならない。


 就寝確認をしにやってくる教師の目を掻い潜り、友人とゲームをしたり、恋話をしたり、こっそり彼女と密会したり、告白したり、外出してみたり。


 特別な環境下において人は程度にもよるが高揚感を覚える。それは常からは逸脱したものでありルールを破る事への背徳感が神経を刺激しているのか、はたまた集団心理が働いてそうなっているのかは分からないがーーー。


 現在、異世界の宿屋に泊まっている蒼蓮(そうれん)も例外は無く、修学旅行の夜のような高揚感に襲われ、寝付けずにいる事早一時間。


「羊が一匹、二匹、三匹………あ〜駄目だ、こんなんで寝れるか!」


 古典的な睡眠法を実践する自分にツッコミを入れるという痴態を晒して蒼蓮(そうれん)の意識は真夜中にも関わらず昼間のように覚醒してしまった。厳密に言うならば元より覚醒しっぱなしだった。


 眠ろうとして目を瞑ると暗幕をよぎるのは今日起こった沢山の予期せぬ出来事だった。


 彼女、雪見(ゆきみ) 真白(ましろ)によりビルの屋上から突き落とされた無理心中。

 暇な神(オティオースス)を名乗る、目には見えない概念と接触し、異世界に飛ばされたこと。

 山吹(やまぶき) 涼人(りょうと)と出会い、和解はしたが殺されかけたこと。

 人族にしか扱えない神賜武具(ファンタズム)のこと。

 人王が統治する国の首都エリュンシュタッド、そこで出会ったクラリス・マルティネスのこと。


 これらの事、更にはこれからの事が頭の中を延々と巡った。


「駄目だ、気分転換にトイレ行くか」


 今日はもう寝れない事を悟りトイレに向かおうとした蒼蓮(そうれん)はふと思い出す。『ここのトイレは離れにありますので』 と言った宿主の言葉を。


 流石にウォシュレット付きの洋式トイレは無いだろうがせめて宿内にトイレを設けてくれと内心で愚痴をこぼす蒼蓮(そうれん)は宿を出て、十分程歩いた先にあるトイレを目指した。


「異世界でも月と太陽は変わらないんだな」


 静まり返った深夜の街を、夜空を見渡しながらトイレに向かう蒼蓮(そうれん)は、吹き抜ける北風に身震いしながら独白を漏らす。

 月光が照らす西洋の街並みは少し幻想染みていて散歩もたまには良いものだと思わせてくれる。


 そんな夜中ならではの明媚を愛でる散歩も折り返しとなった時だった。(ひな)びたトイレから出た蒼蓮(そうれん)は地面で()()が光っている事に気付いた。


「なんだこれ。文字? もしかして魔法陣か」


 その光は直径二メートル程の真円であり、内には理解不能な象形文字に似た何かが無数に刻まれていた。


 光を増す魔法陣に少しの恐怖を抱き茂みに隠れた蒼蓮(そうれん)は観察を続ける。


 明滅を繰り返す事数十秒。

一際眩い光量を放った魔法陣は蒼蓮(そうれん)の視界を埋め尽くした。


「ッ!?……なんだよ………アレ」


 再び視界が鮮明になると魔法陣上に怪物がいた。

二メートル以上はある屈強な体躯、全身が漆黒の表皮に覆われていて黄色の双眼は怪しく輝く。人によく似た形こそしているが、ソレは紛れも無い人外の化け物だ。


「悪魔だ」


 血の気の引いた蒼白な表情で呟く蒼蓮(そうれん)は必死に呼吸を最小限に抑え、やけに煩わしい脈動を感じつつ、物音を立てないようにその場を後ずさろうとした。


 生きるか死ぬか、危急存亡(ききゅうそんぼう)(とき)を悟った故の無意識下での行動だったが悪魔ばかりに気を取られたせいか足元が疎かになっていた。


 パキッ


 この状況下において絶望的な失態を犯してしまった。不可知論の権化がその音を聞き逃す筈もなく、黄色の双眼は蒼蓮(そうれん)に照準を定めた。


「く、来るな、来るな来るな来るな来るなァ!」


 心なしか愉悦に満ちた表情を見せる悪魔はその場に力無くへたり込んだ蒼蓮(そうれん)の元へ一歩、また一歩と距離を縮める。


 蒼蓮(そうれん)は何とか逃げようとするも恐怖で体が震えて思うように四肢を動かせずにいた。ただただ、恐ろしい存在が近づくのを見ているしか出来ないのはどれだけ惨めで滑稽で恐ろしい事なのだろうか。


 ヴゥゥゥゥゥ


 低い唸り声を漏らす悪魔はついに蒼蓮(そうれん)の目の前にやって来た。舐め回すような黄色い眼光を一身に浴びた蒼蓮(そうれん)は声も出せずにただ硬直し、鮮明な死を予兆した。


 悪魔の黒い指が蒼蓮(そうれん)の細首を握り、持ち上げた。


 ギリギリギリギリギリギリギリギリ


 首を絞める指に徐々に力を入れる悪魔の口が歪む。紛れも無くこの悪魔は苦しむ様を見て愉しんでいる。


 身体的な生命の危機を感じてようやく四肢に力が入る様になった蒼蓮(そうれん)はあまりに遅すぎた抵抗をする。


 ーーー首を絞める手に爪を立てる。

  硬すぎて爪が割れた。


 ーーー胴体に蹴りを入れる。

  (いわお)の様にビクともしない。


 ーーー叫んで助けを呼ぼうとした。

  声が出ない。



 その些細な抵抗を邪気に満ちた歪む顔で見る悪魔は蒼蓮(そうれん)を地面に叩きつけ、蹴り飛ばした。


「グハッ、ウッ、ウゥゥ」


 壁に激突した蒼蓮(そうれん)は血反吐を吐き、(うずくま)る。

内臓が掻き回されてるのかと思うくらいに気持ち悪い。だが、よろめきながら立ち上がる蒼蓮(そうれん)の瞳はまだ死んではいない。


「はぁっ、はあっ、はぁっ…………ふぅ。 やる、、しか、ないか」


 なんとか呼吸を整える蒼蓮(そうれん)は生きる覚悟を決めた。それはこの悪魔と戦う事を意味する。

 逃してはくれないだろう事は一目瞭然だ、ならば生きるには戦うしかない、殺すしかない。過去の過ちと向き合わなければならない。


 蛮勇なんてらしくないと感じる蒼蓮(そうれん)は痛みを振り切り。一定リズムの呼吸法で悪魔に向かって構えをとる。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け。 焦り、恐怖、闘争は底に沈めろ。 冷静になれ)


 大きく一呼吸の後、蒼蓮(そうれん)の纏う雰囲気が変わり、焦りや恐怖はなりを潜めた。

 それは何かを極めたものが纏う独特な空気、達人に近い何かだった。


 人間は不意に襲われる時、パニック状態に陥り急激に思考が低下する傾向にある。

 思考低下に陥らない様にするにはあらゆる場面を想定して身体と心を慣らす為の鍛錬をするしかない。


 混乱状態に陥らなければ人間は大抵の事に対処できる。しかし、それは難しい事であり冷静を保つ事は自信を積み重ねて、己の実力を良い意味で過信するしかない。


 グルアァァァァァァ


 絶望に染まらない蒼蓮(そうれん)を見て、悪魔は苛立つ様に蒼蓮(そうれん)に迫る。


 悪魔が人外の膂力を持て余した拳を突き出す様に蒼蓮(そうれん)にぶつける。

 衝撃と共に砂煙が舞い上がった。


 悪魔は首を(かし)げる。

感触が無い、悲鳴が無い、赤色の飛沫が無い。


 やがて砂煙が晴れるとその場には五体満足の蒼蓮(そうれん)が立っていた。


 その光景を見た悪魔は不服だと言わんばかりに再び拳を突き出す。

 そしてなぜ蒼蓮(そうれん)が生きているのか分かった。


 相手の攻撃をいなす()()。その武術を駆使した蒼蓮(そうれん)は拳が当たる直前に、力で対抗するのではなく、円の動きで攻撃をいなしていた。


 それでも人外の膂力を捌ききるのは難しく、蒼蓮(そうれん)は苦悶の表情を浮かべる。

 それもそのはずだ。蒼蓮(そうれん)が扱った武術は対人間用であり、対化物など想定されていない、そもそもそんな武術は存在しない。


 グオオオォォォォ


 二度も攻撃を防がれた悪魔は怒り狂った雄叫びを上げ、直情的に拳を振り下ろす。


 このままいなしていてもジリ貧だと冷静に状況を分析した蒼蓮(そうれん)は一か八か、反撃に転じる覚悟を決めた。


 振り下ろされた拳は苛立ちの体現か絶大な威力を誇ったがそこには欠損した地面しかなく、黄色の双眼はギョロギョロと蒼蓮(そうれん)を捉える為に(せわ)しなく動く。


「ここだ」


 ()()。相手の死角に入り込み、反撃に転じる武術を駆使した蒼蓮(そうれん)は悪魔の腹部に渾身の掌底をねじ込んだ。

 人がくらえば間違いなく臓物が壊れる一撃だ。その危険性ゆえに蒼蓮(そうれん)は複合武術()()()()を望んで封印していたのだが。


 グウウゥゥ


 よろめく悪魔は二三歩後退し膝をつく。醜い表情は痛みによるものなのか、下を向いていて読み取れる情報量はさして無いが蒼蓮(そうれん)には一矢報いた確信、手応えがあった。


 会心の一撃、急所を捉えた致命打、必殺。蒼蓮(そうれん)が放った一撃はそう呼ばれるに相応しいだろう。


 ………ただし、人間相手ならば、の話だが。


 ゲェッゲッ、ゲ


 鼓膜を震わす地鳴りの様な低い凶声は嘲笑を含んだ悪意の(ほとばし)る凶笑へと変わった。


 ゆっくりと、何事も無かったかの様に立ち上がる悪魔。その黄色い双眼は己にとって矮小な存在である蒼蓮(そうれん)に再び絶望を与える。


「ッ。 嘘だろ。加減無しだぞ」


 苦々しい表情を浮かべる蒼蓮(そうれん)は必死に生存ルートを暗中模索する。

 転換(てんかん)で相手の攻撃をいなすには限度がある。

本気で放った掌底は意味をなさなかった。

逃げる選択肢を選べばその綻びを悪魔は逃さない。


 八方塞がりだ。

 一歩、また一歩とゆっくり歩を進める悪魔は恐怖を煽る様に魔力で編まれた禍々しい槍を携えていた。

 それは月明かりを拒絶するかの様にドス黒く、光の反射しない漆黒。生身の人間相手に使うにはあまりにも過分すぎる力の現出。


 整えた呼吸は乱れ、もはや平静を保つ事は無理だった。

武術システマを扱うには呼吸を整える事、リラックスする事、平静を保つ事は必要不可欠の要素だ。それを満たさなければ技の質は格段に落ちる。


 事実、蒼蓮(そうれん)の死は確定した。


 漆黒の槍を振りかざす悪魔の口の端は吊り上がっていた。人間は弱者であると、そう言われた気がした蒼蓮(そうれん)の胸の内から悔しさが込み上げる。


 ーーーまたか、またなのか。理不尽に死ぬのはもう嫌だ。


 心の叫びは誰にも届かず漆黒の槍は無情にも振り下ろされた。


「………楽しそうなことぉ、しちょるのお」


 漆黒の槍を振り下ろす悪魔の右腕が月下に舞う。損傷箇所からは黒い魔力が漏れ出す。


「ワシも混ぜろや」


 月明かりがその場に佇む不確定要素を照らす。

 そこにいたのは和服姿の青年だった。美しい白い刀身を(ひっさ)げ、悪魔を前に悠々と対峙するその立ち姿は蒼蓮(そうれん)にとっては英雄的(ヒロイック)に映った。


読んでいただきありがとうございます。

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