魔力と覇王術
オーランドは諸問題の解決にあたり、まずは魔力について考えた。肉体の性能は才能の差こそあれ、人間という種の限界に至っても魔物や魔族には決して及ばない。なれば鍛錬で強化できる余剰は多寡が知れている。それならば魔力を利用してみればどうか、と。
そもそも魔力とは、このオルビスに遍く存在する不可視のエネルギーであり、この世界に生きるものは例外なく魔力を体内に保持している。オルビスの魔力がどこから来るのかは未知の部分が多いが、これまで魔力が枯渇したという記録はないので、どこからか湧いてきているのだろう。
生物としての個体の最大魔力許容量は総魔力量という言葉で語られるが、これは生まれ持った量からそう大きくは変動しないものだ。理由としては諸説あるが、有力とされている説は以下の仮定で語られることが多い。
総魔力量はワインを入れる革袋、魔力はワインとした場合、魔法の行使によって魔力=ワインを消費した場合、世界に遍在する魔力が自然と体内=革袋に補充され、すなわち魔力が時間とともに自然回復する。この際、革袋=総魔力量は一杯となり元の状態に戻ることになるが、それ以上ワインを注がれてもワインは溢れるだけで、革袋を押し広げることはない。魔力を沢山消費して革袋の内容量がほぼなくなった状態から、自然回復やマナポーションの使用によって満杯の状態まで戻ることを繰り返すことにより、注がれるワインの重みによって革袋は少しだけ広げられることもあるが、その量はそう多くはないのだ。
なお一杯になったワインが溢れるように魔力が無意識下で体外へと放出される現象は、一般的に空気漏れ、と呼ばれている。人は空気漏れがないと、人の体には収まりきらない量の魔力が詰まっていくことになり、風船が破裂するように魔力暴走が起こり最終的には死んでしまうのだ。過去の犯罪者を使った人体実験で証明されていることであり、のちにこの実験は非人道的だとして禁止された過去がある。
なるほど、まあ理解できなくはない、とオーランドは思った。ここまでは動かし難い事実として一旦受け止めよう、と。しかし彼が考えているのは魔力を使用した肉体の性能向上であり、総魔力量がさして増えないのであれば諦める、ということにはならない。もし総魔力量が増やせないのであれば、限りある魔力をより効率的に使用することで、戦闘中にずっと使い続けられるような運用方法を確立できないだろうかと、彼は思考を魔法の行使に移す。
魔法とは体内にある魔力を呼び水として、詠唱やイメージを元に世界に遍在する魔力の一部を連鎖的に反応させることで、その発動が可能となる。一度魔法の発動を意図して体内の魔力を呼び水として使用すれば、その魔力は消費されてなくなってしまう。また魔法は自分の魔力と、自身の周囲にある世界の魔力を利用して発動するという性質上、いかなるものも同時に並行発動することはできない。自分の魔力および周囲の魔力を仕切りのようなもので区切って、別々に運用することなどできないためだ。ここまでは魔術理論において、概ね実証された部分である。
では魔力を使用して肉体を強化するとどうなるのか。先達の開発した支援魔法に、肉体強化の術式があった。これは現在、欠陥魔法としてしようされていない。なぜならば、その魔法を使用すると短時間、運動性能と神経伝達および思考速度の劇的な向上が見られるが、直後に動けなくなるほどの激痛に襲われるという理由による。身体の耐えうる限界を超えた領域での作動を強制された結果による、肉体損傷が原因であった。
もちろん回復魔法により復帰は可能だが、どんなに早くとも瞬間的な回復は不可能だ。激しい戦闘中に一時的な動作の停止など行えば、結果はどうなるか火を見るより明らかだろう。
それならば、とオーランドは考えた。先ほどの欠陥魔法を改良してみてはどうかと。
まず肉体強化の程度を下げる。これにより瞬間的な出力は下がるものの、行動不能状態に陥る可能性は減らすことができる。そもそも肉体を限界まで鍛えておけば、魔法による強化量を減らすことができるし、戦闘不能に陥るほどの肉体損傷にもある程度の耐性を得ることができるだろう。
また肉体強化の量を減らした部分を、限界を超えた動作により傷付く肉体の常時回復に充てたらどうだろうか。これで上手くバランスを取れれば自傷によるダメージは相殺できるし、回復魔法の特徴である、世界の魔力を自身の身体に取り込んで作用させ傷の回復を早めるという部分を、魔力の自然回復の促進作用として継続適用することにより、総魔力量を変化させずに、より長時間の運用が可能となる。
もし完璧に運用できれば、制限時間はなくなるのではないか。欠陥魔法ではあるが、基礎研究を元にした新魔法の開発はゼロからの出発よりもやりやすいだろう。なによりも、足踏みしている時間が勿体ない。
そうしてオーランドは失敗を繰り返しながら肉体の鍛錬と魔法の開発に勤しみ、あらたな戦闘術を完成させるに至った。長年の努力は確かな実となり、運用時間の無制限化と、さらには神業のような緻密な魔力操作の結果捻出した余剰魔力により、武器や防具にも魔力を纏わせることでそれを強化することを可能としていた。結果として、彼は上位の魔物や魔族を打倒しうるようになり、最終的に当時人間世界を脅かしていた最上位魔族の討伐に成功し、一時的とはいえ人類が待望した平和の実現を達成した。
またこのオーランドが開発した魔法は、支援魔法や回復魔法の枠組みを超えた、肉体活性としての新たな魔法の創造という大偉業となったのだが、これは後年魔法研究学者が定めたもので、当時のオーランドにそんな大それたことを成し遂げたという認識はなく、平和のために力を欲し、それを実現したという充実感しか持っていなかった。
しかし当然世間の認識は異なり、彼を大英雄として祭り上げ、ときの王により彼は初代覇王の称号とその座を得ることになった。またその覇王が創始した戦闘術は、覇王術と呼ばれることとなった。
その後、多くの者が肉体活性を含めた覇王術を学ぼうとした。オーランドは世界のさらなる安寧のためにその知識や技術を広く開放し、一切秘匿することなく道を示した。だがオーランド以外で覇王術を真に極められた者はおらず、彼の後任として覇王の座に就いた者も、発動時間の無制限化と武器強化まで至ることはなかった。彼の持つ最上位の武器に対して、祝福や他者からの支援魔法などを受けて闘いに臨むことで、加齢により衰退したオーランドに対して満身創痍となりながらも辛うじて一本をとった結果、覇王と認められたのだった。
勝負ののち、平然と佇む元覇王オーランドと、ボロボロになった現覇王の姿はどちらが真の勝利者かを雄弁に物語ってはいたものの、後進の育成という意味において覇王の継承は必要不可欠であった。オーランドは立場が人をつくるという考えも持っていたので、現覇王にとって今回の勝利は、成功体験としての自信の形成と、より一層の精進の必要性の両面をもつ。そうして継承はオーランドの望むとおり、なるべくしてなされたのではないか、という噂話がちらほらと聞かれたが、真実からそう遠く外れてはいないであろう。いずれにせよ現覇王が習得しきれないほどに、覇王術の完全習得の困難さは際立っていた。そのすべては、その魔力操作の難易度が尋常ではないことに起因する。
単なる武器戦闘技術としての覇王術であるならば、誰しもが学べるように多くの都市にその道場がある。これは街道にも魔物が出現することがあるため、自衛の為にと多くの人が戦う術を欲した結果だ。
また時間制限のある不完全な肉体活性ならば、数年から十数年の修練により習得することが可能だ。ここまで至れば、道場を開くことが許可されるようになる。しかし完全なる肉体活性は、薄氷の上で魔物と切り結び、なおかつその氷を踏み抜かないまま有効打を与えて相手を打倒するというような、繊細さと力強さを兼ね備えた魔力操作を高次元で両立させ、戦闘中それを維持することにほかならない。
神業のような、という言葉は適切ではなく、正に神業なのだ。結果としてこれまで、オーランド以外に真なる覇王術の使い手は現れなかった。
さてそんな覇王術ではあるが、多くの人に学ばれることとなった結果、初心者から中級者への教導方法は体系化され、洗練されていった。広く普及させるためには、誰もが理解しやすい理論が必要であり、それらは教本として纏められた。また戦闘時に頻出する動作を型として身体に覚えさせることで、思考を排除した反応で状況に即応できるような工夫もなされた。
かくして誰もが取り組みやすい形で普及した戦闘技術としての覇王術は、天才であったオーランド以外の凡人にも扱いやすい形で再整理され、オーランドの創始した覇王術とはやや異なる体系を持った亜流として認識されるに至った。それはオリジナルの覇王術と区別し、破術という名で呼ばれることとなったことを言い添えておく。