意識高い系になろう
意識高い系になろう、と彼は思った。前回の人生は、気付いたときには色々とすべてが手遅れだった。物心ついたときには施設で生活していて、両親の顔も名前もまったく知らなかった。天秤という名字は施設の園長先生からもらい、大輔はこれまた園長先生が、尊敬している人から一文字もらった名前を付けてくれたそうだ。そんな園長先生のお陰もあってか、施設はとても住みやすいところだった。
しかし、施設にずっと住むことはできない。訳ありの子供というのは決して少なくなく、ある程度成長して普通に生活できるようになった子供たちは、大抵里親に引き取られてそれぞれの家庭で暮らしていくことになる。そう、大抵は。中には彼のように、引取先が見付からない子もいるのだ。そうした場合でも、ある程度自活できるようになったら、施設から出て働いて生活していかなければならない。そこでいつまでも甘えている訳にはいかないのだ。
さりとて義務教育を終えただけの施設出身者が、余裕を持って生活できるような仕事に就けるわけもなく、必然的にギリギリ生きていける生活を維持するのに全力を傾けなくてはならない。だから何か興味のあることを勉強し、そしてそれを活かして生活を豊かにしていくことはできなかったし、もっと言えばそんなことを考える余裕はまったくなかった。
気付いたときには、色々とすべてが手遅れだったのだ。
しかし今回は違う。
まず生まれた時点で前世での二十二年間の人生経験があり、前世の失敗を踏まえた対処ができる。これは大きい。
そして神様と会った際に、この世界には魔法があるということを聞いている。魔法がどういうものかは分からないが、魔法は魔力を元に発動する。魔力は使えば使うほど増えていく。この真理も当然知っている。これもすごく大きい。
最後に今回はある程度大きくなるまで、両親に庇護してもらえる。今彼が見ている母親らしい綺麗な女性が身につけている衣服を見るに、結構良い家柄のように思われる。これは非常に大きいだろう。
よし、今回は高い意識を持って生きて、絶対に成功してリア充になってやる! と強い意思を彼が固めた所で、先ほどの女性が「エティオちゃん、ご飯よ~」と言いつつ、赤いおくるみに包まれた彼を胸にかき抱いてきた。
(へ~、僕の名前はエティオというのか。格好良さそうな名前だし、これも結構大きいかな??)
などと適当なことを思ったりして、意図的に意識を遠ざけていたが、やはり見て見ぬ振りはできなかった。
なぜなら今目の前にある、彼のご飯を出してくれる所が、圧倒的に大きかったからだ。
そうして彼ははじめて得た両親からの惜しみない愛情を受けつつ、新たな人生を歩み始めた。父親の名前はアルフレッドで、子爵として小さな領地を運営していた。決して裕福な地ではないが、アルフレッドの実直な人柄が領民に愛されており、多少貧乏暮らしでも、不自由なく暮らしていける土地であった。
そして先ほどの圧倒的な戦闘力を誇る、彼が敬愛する母親はエルザという。これはエティオがのちになって知ったことだが、エルザは元々アルフレッドとともに暮らすことができるような身分ではなかったそうだ。二人は紆余曲折を経た末に、なんとかそれを乗り越えたらしい。それを知ったときのエティオは、駆け落ちだったのだろうか、などといろいろ妄想を膨らませたこともあったのだが、最終的には二人が今幸せならば何ら問題なかろうと考え、それ以上無粋な詮索をすることはしていない。アルフレッドが元々どういう立場の人間であったとしても、エティオの父親としての彼は、子爵として領民に愛される実直な人間である。この誇らしい事実さえあれば、それ以上何を求めることがあろうというのか。
話がいくらか逸れてしまったが、エティオにはさらに両親のほかに二人の兄が居た。長男のイーサンは五歳年上で、次男のアーロウは三歳年上だった。どちらの兄も彼のことを可愛がってくれて、特にイーサンは普段領主の仕事で忙しい父の代わりと言わんばかりに、彼の面倒をとてもよくみてくれた。時々エルザの代わりに、オシメの交換をしてくれるほどに。
エティオは常々イーサンに対し、介護でもないのに同性の下の世話をするという業を背負わせてしまったことを、本当に申し訳ないと考えていた。
さて、そんな子爵としては裕福ではない家柄であったとしても、貴族は貴族だ。家には多少の書物が置いてあり、彼が高い意識と熱意をもって必死に文字や文法を独学で習得してからは、この世界の歴史や常識、そして魔法についての知識などを学んでいった。
魔法と魔力の関係については、本で学んだところによれば、やはり魔法を多く使用して魔力を枯渇寸前まで使った方が、魔力総量は増えると書いてあった。しかし真理とは少し異なり、増える量はあくまでも微量であり、結局は才能に左右されることが大きいとされていた。これは彼にとって若干残念ではあったものの、微量でも増えるのであれば努力しておく価値はあると考え、初歩の初歩である光源の魔法を常に使い続けておくことにした。
本はなぜ読めたのか。
喋れないのに、魔法書に長々と書かれていた光源の呪文詠唱はどうしたのか。
そもそも魔力は操作できたのか?
当然アルフレッドやエルザに頼んだ。目的の本を呼んでくれるまで泣き叫ぶという、非常に効率的な意思伝達方法は標準装備されていた。
無詠唱でも明確なイメージを元に魔法は発動した。
そして魔力感知はそれこそ異世界人の標準装備だった。
そう、彼はただの赤ん坊とは違ったのだ、ただの赤ん坊とは。
こうして生まれたばかりのうちから魔力を使い続けた結果、三歳になる頃には結構な魔力総量を獲得することができていた。彼は本に書いてあることを信じずに、努力を続けて本当に良かったと思っている。努力が報われるというのはこんなにも嬉しいことなのだと、二十五年の人生経験の中ではじめて知ったのだった。
しかしいくら魔力総量が増えようと、所詮は三歳児である。チートとしてもらった次元魔法の必要魔力量には、まったくもってお話にもならいほど、足りていなかった。
もちろんその程度ことなど当然予想の範疇だったので、彼はまったく焦ってはいない。神様にも言われていた。必要なのは努力と少しの才能だと。
才能のほどは分からないが、チートとしてもらった以上、まったく使えないということはないだろうと思っている。ならばあと必要なのは努力だけだ、と彼は自分に言い聞かせつつ、魔力枯渇によるものであろう倦怠感や体の不調に目を瞑り、今日も飽きずに魔力を消費していくのであった。