ランク外冒険者任命
楽しかったデートの翌日、エティオはしっかり寝坊した。昨日は肉体的にはそれほどでもなかったが、精神的にはひどく疲れていた。そんな日の夜に、長時間ベッドの上で身悶えしていたせいで入眠時間がいつもより遅くなり、翌朝すっきりと起きることなどできなかった。おまけに頼みの綱のマアトはまったく起こそうとしてくれないばかりか、起きたあともずっと口をきいてくれていない。
女心に疎いエティオでも、さすがにこれはヤキモチを妬いているのだろうとわかった。だが彼にできるのはそこまでで、その収めかたはまだ修めていない。エティオは途方に暮れそうになったが、できることをしっかり頑張ろうと思いなおす。昨日ライラにしたように、一生懸命マアトの喜ぶことはなにかと考えながら、マアトに色々と話題を振り、その気持ちをなだめようとした。その結果、なんの話題がマアトの琴線に触れたのかエティオにはわからなかったが、マアトは機嫌をなおしてくれたようだった。
結局その日は冒険者ギルドでクエストを受けるのは諦め、鍛錬に費やすことにした。先日の失敗は記憶に新しい。それを踏まえ、型の発展は一朝一夕でどうにかなる問題でもないのでひとまず脇に置いておくとして、武器を破壊しないように力加減をすることと、武器強化の応用で強い足場を作ることを目標に掲げる。そのどちらもマアトによる魔力操作によるものだが、先ほど機嫌をなおしてくれたマアトは、エティオに頼られるといつもどおり喜んで事にあたってくれた。
マアトの学習能力は予想どおり非常に高く、その日は最初からほぼ問題ない結果を出すことができていた。しかしマアトは納得がいかないのか、より効率の高い魔力運用を模索し、鍛錬は日が暮れる直前まで続けられた。それにより最終的にはマアトの求めるレベルでの運用が実現され、エティオは全力での戦闘時にも、武器を壊さないように、その限界まで性能を引き出すことができるようになったのだった。
デートの翌々日、エティオは討伐系のクエストを受けようとギルドへ向かった。この日は寝坊することもなく、彼が冒険者ギルドへ通い慣れた、いつもの朝方の時間だった。彼自身はこの数日ほどで、驚くほど環境の変化を経験していたが、王都はなにも変わらぬ様相を呈していたことが彼を安堵させる。
「あら、エティオじゃない。今日はいつにもまして格好いいわね。ここんとこ見なかったけど、体調でも崩してたの?」
「ああ、バジルさん。まあ色々とあったんだけど、なんとか無事だよ。心配してくれてありがとう。なにかひとつ美味しそうなのもらえる?」
「…えーと、エティオ、よね?」
「ええっ! なにを疑われているかはわからないけど、オレだよ」
「は~、ちょっと見ないあいだに、随分と…まあ、いいわ。うん、そっちのほうがいいから、気にしないで。
それじゃ、今日は特別に、うんとおまけしてあげる。ふたつで銅貨十枚でいいわよ」
「いや、なにを言ってるかよくわからないんだけど。ただおまけしてくれるのは嬉しいよ。バジルさんの果物はおいしいからね。いつもありがとう。
はい、銅貨十枚」
「あぁ、これは! っダメよ、私には夫と子供が…うーん、これは気を抜くとまずいわね。エティオ、これから仕事だろうけど、あんまり無闇に人に声かけないようにね。特に、若い女の子には!」
「ますます言ってることがよくわからない…ただ、一応気をつけておくよ。
それじゃ、いってきます。バジルさんも、仕事頑張って」
「言ってるそばから! はぁ、もう今日は仕事やめて帰ろうかしら」
「お店の準備終えたばかりで、やめちゃダメだから!」
いつもと同じ掛け合いのはずが、大分調子の狂う出だしとなったのであった。しかしその後はこれまで同様、エティオは半ば習慣化したとおりに、果物をかじりながら冒険者ギルドへと入っていく。そこにはまた、いつもと変わらぬ光景があった。彼はレベル2のボードからヒュージラビット狩りの依頼を見つけると、ほくほくした顔でその紙を剥がして列に並ぼうとした。しかしちらっと見回しても、受付にライラの姿はない。今日は休みなのかと考え、人の少ない列に並ぼうとしていたところで、ライラが階段を降りてきたのか、クエストボードの裏手から受付のフロアに姿を現した。
「あ…エティオさん、おはようございます。申し訳ありませんが、今から少しお時間よろしいでしょうか? 二階の個室で、お話させていただきたいことがありますので」
「……ぐっ! わかった。じゃあ、すぐに行こう!」
「あ、エティオさん、あの…」
「ほら! ライラ、ぐずぐずしている場合じゃない!!」
エティオの顔を見た瞬間、少しだけ照れたような顔で俯きかけたライラだったが、そこはさすがにプロであった。一瞬で公私の区別をつけ、受付嬢としての顔と口調に切り替える。しかしそれがむしろ普段と少し異なっていることに、彼女を普段からよく見知っている、というか観察して目の保養にしている冒険者達はすぐ気がついた。あえてエティオに一歩距離をとった話し方をするだけなら、彼らからすれば喜ばしいことであっただろう。しかしそれが、一瞬のはにかみののちに行われたものだったという事実が、彼らに状況が最悪のものに近いことを想像させる。そしてそれは間髪入れず、エティオに対する強い妬みに端を発する、殺意の波動として叩きつけられた。
エティオのほうはといえば、ライラほど公私の区別をつけることができず、当初はただ照れてしまって対応がうまくできないでいた。しかし恐ろしいほどの殺気が自身に降り掛かってきたことを迅速に察知し、すぐに緊急避難行動をとる。照れている場合ではないと、ライラの手を取り、二階へと引っ張っていこうとした。
エティオに手を引かれたライラが、嫌がる素振りを見せるでもなく、一瞬で顔を赤くしつつ、困ったような照れ笑いを浮かべながら、彼の後ろについていくさまを見せつけられた冒険者達は、その殺意を爆発させるように増大させる。そしてそれがエティオをさらに刺激し、彼に状況の原因を探らせる余裕を失わさせ、ライラを引く手の力と歩幅の増加に繋がる。
こうして事態は、完全に負のスパイラルに陥った。混沌と化した受付フロアでは、冒険者達の並々ならぬ殺気にあてられた受付嬢たちが、悲鳴をあげながら倒れるという事態にまで発展してしまっていたが、早々に離脱を敢行したエティオに、後ろを振り返る勇気はなかった。