スタンピード
「まさかスタンピードが起こるなんて……」
エティオは冒険者ギルドの中で、ただ呆然と立ち尽くしていた。
ときは遡り、エティオがイノシッシ狩りのクエストを受注して、逃げるように冒険者ギルドをあとにしてすぐのこと。彼はイノシッシ狩りに合わせて、ハルバートを取りに一旦自宅に戻っていた。
ハルバートは槍と斧との良いとこ取りをしたような武器で、長い柄の付いた槍の穂先に斧のような形の刃物を備え、その反対側には獲物を引っかけるための突起が取り付けられている。
ビッグイノシッシのような突進を得意とする大型の害獣に対して、長柄の武器はリーチという安全マージンを取りやすく、その突進に槍を合わせればイノシッシ自身の力がその身に返り、簡単に致命的な一撃を与えることができる。
かつ斧のような刃をハルバート自体の重量を活かして叩きつければ、その巨体にも有効な一撃を与えることができる。そして首を落として血抜きをする際にも、後ろ足を縛った所に突起を引っかけ、テコの原理で持ち上げてやれば大した力を使わずに効率良く作業ができるのだ。
肉体活性を使えないとは言え、破術を極めたエティオはあらゆる武器を使いこなすことができる。大型の獣であろうと、最短で最適な場所に身体を動かし、相手の弱いところに武器を当てさえすれば、それで事は済む。魔法というイレギュラーを引き起こす要素もない。
こうやって彼我の戦闘力を分析し、最適な戦略を練り、それに必要な準備を整えてから戦いに赴くことは、魔法を使えないエティオにとっての生命線だった。
”無理せずできることをしっかり頑張る”ということは、彼にとっては頭を使うことと同義だったのだ。
大した時間もかけずに家での準備を終えたエティオは、王都近郊の街道にほど近い森の中にいた。レベル2のクエストは駆除が主であり、よほど大規模なものにならなければパーティーを組む必要はないため、彼はこれまでずっとソロでやってきた。
そのため狩りの方法は単純明快。獣即斬。見付けたら殺る。
大まかに気配を感じた方向に進み、それが濃厚になってきた辺りで餌となる血の滴る肉を振り回し、向かってきた獲物に武器を的確に当てる。
獲物がクエスト達成条件の一部とお肉になったら、お肉は食べる用と次の狩り用とに分け、食べる用はライラの顔を思い浮かべつつ、丁寧に処理をしてから、なんとかお金を貯めてようやく手に入れた魔法の収納袋(小)に入れる。
なお収納袋は収納力によって値段が指数関数的に上がっていくが、小であってもエティオには目が飛び出るほどの値段であり、それを買おうと決心してからも店の前を小一時間ほどうろうろして、ようやく購入したのは内緒の話。
そんな大事な大事な、とても大事なマイ収納袋に食べる用の肉をしまったのち、狩り用の肉を次の餌に使って、また獣即斬。
このループを条件達成か日暮れまえまで繰り返し、僅かな日銭を頂戴するのだ。
生きるということはとても難しい、という事実は前世のときに嫌というほど味わっているので、大変ではあっても辛いとは思わなかった。いつもと同じことを繰り返せば、また一日をちゃんと越えることができると分かっていたのだから。
しかし、その日はいつもとはなにかが違うような気がしていた。
確かにいつもよりも狩りのペースが早く、昼過ぎだと言うのに、もう普段の一日分の獲物を狩ることができていた。ライラとの約束も守れそうだし、何より依頼を早目に達成できたので、まだ日も高い内に帰って家でゆっくりすることもできる。
良いことなんだから早く帰れば、と内心では自信を説得しつつ、けれども何故か違和感を拭いきれない気持ちの悪さから、エティオはその疑念を振り払うように依頼達成後も狩りを続け、結局王都に入ったときにはいつもと同じ時間になっていた。
いつもよりも多く狩ったので疲れており、依頼達成の報告をライラにしてから、家に帰ってゆっくりストレッチでもして、少しだけお酒を飲んでから寝ようかと考えつつ、窓口の列に並んでいた。
ちなみにオルビスでは一六歳から成人であり、お酒や冒険者登録、結婚などはそれ以降に個人の権利として認められている。もちろん権利が付与されれば当然課されるのが義務であり、納税もこれ以降求められるのは、どこの世界でも変わりはない。
そうして自分の番となり、期待を込めた眼差しで結果を聞いてくるライラに上々だったと首尾を伝え、満面の笑みで予定の日程調整を迫られたところまでは最高の一日だった。
その直後から急激な温度の低下と殺伐とした空気の充満という事態に飲まれ、徐々に暗雲が立ち込めていったが、今思えばそれはまだまだぬるいものだった。
一連のやり取りを終え、朝に続く戦略的撤退を図ろうとして出口へと足早に向かっていたとき、一人のボロボロになった中級冒険者がギルドへ倒れ込むように入ってきた。
「スタンピードだ! スタンピードが起きた!」