挫折
十年もの歳月をかけて真剣に取り組み、そしてその努力がまったく実らないと感じた時の挫折感は、エティオの忍耐をもってしても筆舌に尽くし難いものだった。しかし破術の試合で優勝した神童の若様、という幻想を懐き続けている領民たちから向けられる、期待を込めた眼差しは、当時から色褪せる気配はなかった。
模擬戦は非公開なのだ。負け続ける情けない姿は衆目に晒されることなく、それに応えたいと訓練を続け、結果を出せないことで焦り、自己嫌悪に陥るけれども、周囲にはそれが弛まぬ努力と受け止められてさらに期待を込めた眼差しで見られるという、正に負のスパイラル。完全に詰んでいたのだ。
もう耐えられない、と彼は思った。
神童などいないのだ。
オレはでき損ないなんだ。
そんな期待を込めた目でオレを見ないで欲しい、と。
そして、彼は逃げた。
余すことなく愛情を注いでくれた、家族たちから。
全然進歩しなくても変わらずに教え導いてくれた、師匠から。
こんなでき損ないに対してずっと期待し続けて声をかけてくれていた、領民たちから。
裕福ではなかったけれど、それまで慣れ親しんだ、愛すべき故郷の、領地から。
そしてできることをしっかり頑張り続けた、一生懸命だった、辛くても常に前を向いてきた、でも結果を残せなかった不甲斐ない、情けない、格好悪い、大嫌いな、自分から。
一七歳の誕生日を迎える前日、エティオは密かに領地を抜け、王都へと渡った。机の上に、これまでの生活に対する感謝と謝罪、そして自分の気持ちを綴った手紙を残して。その最後には、探さないで欲しいと書き添えられていた。
彼が一人称を僕からオレへと変えたのも、このときだった。そうやってこれまでの自分との決別を図ろうとしたのだろう。王都で冒険者としてやっていくために、舐められないようにとか、そっちの方がモテそうだとか、そういった気持も嘘ではなかったが、本音はそんなところだ。情けない僕は、領地に捨ててきたつもりだった。
――
王都は人の多い場所だ。色々と事情を抱えた人間たちも多くいる。そんな訳ありな人間の大半は、ひとまず冒険者になることが多い。ギルドに行って登録を済ませ冒険者になれば、ステータスマークがもらえるからだ。
ステータスは魔法によって本人だけが呼び出せる自身のプロパティのようなものであり、それを偽ることはできないとされている。まあここら辺の詳しい解説は割愛し、真理先生に仕事をしてもらいたいと思う。
とにかくステータスはそういった感じだが、ステータスマークは、自分のステータスを冒険者ギルドのデータベースに登録し、その情報を魔法により自動的にアップデートすることで、強さを総合的に勘案し登録者全体の中での絶対的な自分のレベルの目安を対外的に表示するようなものだ。普段は冒険者であることを示すように左手の手首に0から00の数字を象った文様として浮き出ている。
0が最も弱く、最下位から九パーセントまで、1は十パーセントから一九パーセントまで、と徐々に強くなっていき、最強は00であるそうだ。これは恐らく百パーセントであり、冒険者ギルドのグランドマスターが保持しているようだが、当然実際に見たことはないし、そしてなぜ十ではないのかも分からない。もしオーランドや現覇王が冒険者登録すれば話は変わるのだろうが、あくまでも全冒険者の中での序列なので、それは詮無きことか。
ちなみに文様は多くの場合が左手の手首というだけで、左手がない人は右手だったり、首元だったり、場所自体はどこでも良いようだ。恐らく本人の意志によらず、どこか見える場所にしっかりと表示されるように魔法が設定されているのだろう。
話が脱線してしまったが、ステータスマークを持つ者は冒険者ギルドの所属だという身分証明になり、王都の出入りにいちいち税を払わなくて良くなるため、訳ありな人間や食い詰めている者はそれを欲しがるのだ。
もっとも通行税を払わない分、ギルドのクエスト報酬から税金が差っ引かれるのだが、天引きされており払った気がしないからなのか、皆得をした気分で過ごしているのはご愛嬌だろう。そこまで学がある者がいないのは、この世界の教育の水準としては仕方のない事だろう。
とにかくエティオも無事に冒険者ギルドへ登録を済ませ、2のマークをもらった。肉体活性は使えないが、破術の技倆には絶対の自信を持っておりかなり不本意だったが、高度な魔法を使える者や戦闘向きのスキルを持つ者も多く、彼はまだまだ弱いということを客観的な事実として思い知らされた。
そう言えば、次元魔法はどうなったのだろうか?
エティオの総魔力量は次元魔法を使うのに不足ないほど増大していたが、次元魔法が単純に難しすぎた。彼は次元魔法が、人間の脳が処理できる代物ではないと見切りをつけていた。
魔法は術式の構成に様々な情報を必要とするが、要は対象であったり発動する場所や時間などを設定する必要がある。次元魔法はそれが意味不明なのだ。
発動する次元の絶対座標指定しかり。その揺らぎ補正のパラメータしかり。密度、臨界、変換、相転移、同時存在……
理解できないことが理解できた。エティオは次元魔法の必要魔力量を確保して研究を開始した直後に、その存在を記憶ごと、それこそ次元の彼方に放り投げた。自分には覇王術がある、と。その覇王術も破術としての完成をもって進歩が止まり、今の彼に劣等感を与え続けるだけのこれまた封印したいものの筆頭ではあるが。
そんな持っていても使えないものは、どこか遠くに忘れてきてしまった方が精神衛生上よろしいので、ほかにも何かあったような気がするが、彼はあえて気にしないようにしていた。
ともかく、そうしてエティオはレベル2の冒険者となった。ご想像のとおりレベルはステータスマークと同等であり、これにより受けられるクエストのランクが決まる。
レベルが上っていけば受けられるクエストのランクも上がっていく。レベル0なら掃除やらペットの捜索やら買い物やら、王都民の日常生活の不足を補うものが多く、レベル1からは近場とは言え採集など王都の外での仕事が始まる。そしてレベル2からは害獣や魔物の駆除が許可されるようになる。
討伐ではなく駆除なのは、まだまだ弱いと見做されているからだろう。雑魚と呼ばれる、一匹一匹は弱いがその数が多く、放っておくと街道の往来に支障が出るような害獣および魔物の処理。それが彼の仕事であり、日々の糧の源泉である。
今日も今日とてせっせとヒュージラビットを狩り、その肉と報酬とで食いつないでいる。その日を凌ぐのに精一杯だった前世の生活と同じになってきているのはなぜなのか、とエティオは思わなくもないが、それでも生きていくためには余計なことを考える暇などない。間もなくやってくる十八歳の誕生日などすっかり忘れたまま、彼は延々と向かってくるヒュージラビットを狩り続けていくのであった。