72話 子爵様がやって来た
俺の家にまた来客だ。
マロウさんと爺さん、そして白い立派な馬車から降りてきたのは、子爵夫人と、少々小太りの男。
夫人と一緒にいるという事は、この男がユーパトリウム子爵だと思われる。
子爵様の護衛に、前に来た女の魔導師と若い男の騎士がいる。黒狼に齧られた、金髪の小僧はいないらしい――クビになったかな?
相手が貴族となれば、出迎えないわけにはいかんだろう。その男の下へ向かう。
「よくぞ、このような所までお越しいただきました。ここの長をやっております、商人のケンイチと申します」
「まだ、商人だと言い張るのか?」
夫人から物言いが付いたのだが、マジで一応商人だし。
「本当に商人でございますから」
「ガラム・ド・ユーパトリウム子爵です」
青い服を着て短い茶色の頭をした小太りの男性が胸を張る。
「お目にかかれて光栄で御座います」
「うむ」
さすがに、貴族らしい上等な服を着ているのだが、凄~い普通そうな人だ。
歳は俺より、ちょっと上ぐらいだな……多分、服装を変えたら貴族だって解らないかもしれない。
子爵に事情を話し、外にテーブルを出す。椅子は――どうしようか。子爵にいつものスツールとかは拙いよな。
シャングリ・ラを検索、木製のダイニングチェア2脚セットが売っていたので、こいつを購入してみた――7800円である。
テーブルに子爵と夫人、そしてマロウさんと爺さんが座り、プリムラは俺の後ろに立つ。
子爵の横には騎士と魔導師の護衛が立っているのだが、その後ろには何やら荷物を持った男がいる。
「今日は皆様お揃いで、どのようなご用件で?」
「ケンイチ殿! 私は、前に食べた柔らかくて甘いのが食したいのだがの!」
「はいはい、プリンですね」
「子爵様は、甘い物はいかがですか?」
「いや、私は甘い物は……ちょっと苦手なのですが」
そうなのか――ぱっと見、好きそうな感じなのだが……。それじゃ子爵様には茶碗蒸しを出そう。
最近、リクエストが多いので、作り溜めをしてあるのだ。どうせ蒸し器を使うなら大量に作った方がいいしな。
蒸し器を縦に積み重ねれば、蒸す量も増やせるし。
皆に、カスタードプリンと、フルーツ牛乳を出す。
「おおっ! これだ! この味だ!」
「ケンイチさん、これは? 今まで食べたことがない食感だ。官能的ですらある」
「お義父さん、息子なのですから呼び捨てで構いませんよ。それは卵を牛乳で溶いて、蒸して固めた物です」
「ほほう、ゆで卵や卵焼きを甘くして固めたような物か。誰もが考えつきそうなのだが、誰も作っておらんかったの」
長く生きて、あちこちに顔が利く爺さんも食べた事がないって事は、プリンに似た食べ物はこの辺には無いって事になるか。
「こ、これは! 確かに甘くないし、食べたこともない料理です。しかも絶品……」
子爵様が、茶碗蒸しを食べたまま固まっている。
「子爵様の物は牛乳ではなく、スープで溶いて蒸して固めた物で御座います」
「そして、中には数々の具材が入ってるようですが」
「中身は、鳥肉、魚のすり身を加工したもの、木の実、キノコで御座います」
「よくもまぁ、この器の中にこれだけの物を詰め込んだものですね……まるで、この世界を圧縮したような……」
「家人も似たような事を申しておりました」
「カナンが賢者と申すのもあながち間違いではないというわけですね」
「賢者じゃと?」
子爵の言葉を聞いた爺さんが、スプーンを咥えて俺の方を見る。
「ははは、爺さん。皆が俺の事を賢者だと言うんだよ」
「確かにお前さんの、その知識量には舌を巻くが……」
「そんな事はないさ、知らない事は沢山あるぞ。田舎育ちだから、この王国の各都市の事は全く知らないし」
「カナンの話では、ケンイチ殿はチーズの作り方もご存知だったとか」
「何? チーズじゃと?!」
爺さんがプリンを吐き出しそうになる。
「ケンイチ殿の製法でチーズが作れるのを確認いたしましたので、マロウ商会と組んでアストランティアの大きな産業にしようという話なのですよ」
「その通りです」
「なんとまぁ、信じられぬわい」
子爵とマロウさんとの間で、そこまで決まっているようだ。
まぁ、俺はマロウさんの義理の息子だ、息子が発明した物なら気兼ねなく使えるって事だろう。
ここら辺の話がでて、マロウさんとプリムラの言い争いになったのかもしれないな。
「おい、荷物をこちらに」
「ははっ」
子爵の言葉に、供の者が持っていた荷物が開けられる。
そして、子爵に渡されたのは本らしき物――それって、わら半紙みたいな。
「この本の販売経路を探ったところ、出処がプリムラ嬢の店と解りましたが、ケンイチ殿が作った物ですか?」
子爵が見せてきたのは、俺が作り、プリムラが街で売った本『森のエルフ』。
「ええ、まぁ」
「これは、文章も絵もペンで書いた物ではありませんし、版画でもありません。いったい、どうやってこのような物を?」
子爵に話を聞くと、彼は物語や絵を描いたりするのが好きな――所謂、こっち側の人間。
領の経営そっちのけで、そんな事ばかりをやっていたようで、全部を人任せにしていたため、財務が傾いてしまったらしい。
少し悩んだが、それほどオーバーテクノロジーでもないので、ガリ版刷りのセットをアイテムBOXから出してみた。
「これは蝋を染み込ませた紙です。そして黒いのはインク。蝋が塗ってあれば、当然インクは染み込みませんが、紙を硬い物で引っ掻いて傷を付けると――」
「ほう! 傷を付けた所だけ、インクが通り抜けて紙につく――という事じゃな?」
年の功、一番初めに爺さんが、ガリ版刷りのカラクリに気がついた。
実際に、俺が描いた『森のエルフ』の原版を出して、紙に印刷をするデモンストレーションをしてみせた。
「これは凄い! これがあれば、同じ本を安価に製作する事が可能に……」
子爵が印刷されたわら半紙を手に持ち、興奮している。
「さすがにペンで書いたものには、美しさでは敵いませんが」
「それでも金持ちの王侯貴族でなければ、読めるなら安い物でいいという奴らは多いじゃろ?」
「爺さん、これを売った時に、卑猥本の要望が多かったみたいだが」
「ほほ、まぁそうじゃろうな。王侯貴族でもそうじゃよ」
爺さんが、ヒゲを撫でながら呆れている。
「そうなんですか? 子爵夫人」
「ええ? それを、私に振るのか?」
夫人は今日は大人しいな。そりゃ、夫である子爵様の前で、はっちゃけるわけにはいかないだろうからな。
「私の――私の書いた作品を、沢山の人に読んでもらいたいのです!」
子爵が力説しているのだが、いくら自作小説を書いたとしても、誰にも読んでもらえないのでは、そりゃモチベーションが上がらないだろう。
この世界でも、紙を作る技術はそれなりにあるっぽいからな。本を作るのには問題はないようだ。
「それに、安価で本を作れるとなると、他の人も本を書き始めるかもしれませんね」
「そうだ! それが私の願いなのです。本というと、淫猥な物という風潮を改めたい」
「それは、いいですねぇ」
「解ってくれますか?」
「ええ、解りますとも」
子爵は、自分の意見に賛同者がいたのが嬉しいらしい。
「う~ん、ケンイチ。これは画期的な発明だよ」
「勿論、マロウ商会で扱ってもよろしいですよ、お義父さん。そうなると――また、マロウ商会の名声が高まってしまいますねぇ」
「ふふふ、そうだな」
「このままいけば、王都への進出も叶うのでは?」
「う~ん――まだまだ、それは取らぬ獣の皮算用というものだ」
この世界にはタヌキがいないらしい。意外と、マロウさんは慎重派らしいな。だが、そこまで視野に入れているだろう。
とりあえず、俺からガリ版刷りの機材のサンプルを買って、子爵領とマロウ商会で研究するらしい。
この世界にあるもので、再現しなくてはならないからな。そんなに特殊な物は使ってないので、問題ないとは思うが。
「あの――ケンイチ。そこで困った問題が持ち上がっているのです」
プリムラが俺の後ろから話しかけてきた。
「困った事?」
彼女の話では、マロウ商会がアストランティアへ進出してきた事で、地元の商会が反発していると言う。
そりゃそうだろうが、子爵様が決めた事なら、言うことを聞くしかないのでは?
「不正や誤魔化しばかりして子爵領を食い物にしてきた商人達を、子爵様が切るって話なんだから、強制排除でいいのでは?」
「それが、我が領には戦力が無くて……」
子爵が言うには――予算が苦しいということで、一番金がかかる軍事費を削減していて、この領には騎士団も無いらしい。
だが、なんとか領の運営をやってこれたのも、その判断が功を奏したようだ。
野盗の襲撃や、大型の魔物に襲われる事もなく、なんとか乗り切ったらしいが――運が良かっただけとも言える。
まぁ、運も実力の内か。だが皆が一斉に俺を見ているので、なんとなく察した。
「あ~はいはい。俺にやらせようっていうのか? 要は、その反発している商人達の筆頭を潰せばいいんだろ? なんていう商人だ?」
「ソガラムという商人だ……」
え~? そいつって、プリムラの店に嫌がらせをしてた商人だろ?
無頼を沢山雇っているらしいからな、それなりの戦力を持っているのだろう。
子爵領が戦力を持っていないために、そいつ等を当てにする事も多かったようだ。
プリムラの店に嫌がらせをした連中に、処分が甘かったのが不満だったが――そういうカラクリがあったのか。
つまり、処分したくても出来なかったわけだ。
まさしく、持ちつ持たれつの蜜月の関係だったらしいが、ハネムーンは終了した。
役目が終わった役者が、出ずっぱりでは劇が進まない、そろそろ退場の時間。
そして、その時はきた。
「ああ――解った。それなら引き受けよう」
ソガラムって奴にはムカついていたが、騒ぎを起こすと色々と面倒――どさくさ紛れの闇打ちでもしてやろうかと、あれこれ考えていたのだが、子爵様の許可があるなら遠慮する必要はないよな。
たっぷりとお礼をしてやる事にして、街の事情に詳しいニャメナから情報を仕入れる。
「へへ――旦那ぁ、やっぱりやるのかい?」
「子爵様から、やっていいって許可を貰ったからな」
「ウチも行くにゃー!」
「私も!」
「おいおい、魔法の出番は無いぞ。街の中で魔法を使ったりすれば、大惨事になってしまう」
「む~」
アネモネは不満そうだが、憤怒の炎では火事になるし、爆裂魔法では周囲に被害が出てしまう。
江戸時代の日本のように、木造家屋ばかりではないので大火になる事はないが、消火技術が未発達だ。
被害が大きくなるのが目に見えている。それでは子爵に批判が集まってしまうだろう。
「あの、お手柔らかに頼むよ……」
子爵様直々にそう言われてしまった。
まぁ、あえて人死を出す必要もない。コ○ツさんで店を更地にするぐらいで許してやるつもりだ。
だが、子爵を初めマロウさんと爺さんも俺のコ○ツさんを見たいと言う。
子爵夫人とプリムラから、それぞれ聞き及んでいて実物を見てみたいのだろう。
「コ○ツさん召喚!」
地響きを立てて、黄色い巨体が地鳴りと共に落ちてくる。
「「「おおおっ!」」」
「これが、そうか!? 用水路の普請をあっという間に終わらせたという」
子爵が驚いているのだが、近くまで寄って鋼鉄の車体をぺたぺたと触っている。中々好奇心に溢れている御仁だ。
「その通りで御座います」
俺は、コ○ツさんの運転席に乗り込んでエンジンを始動させた。車体を身震いさせて咆哮と一緒に黒い煙を吐き出す。
レバーを操作すると付近の土を一掬いした。デモンストレーションの度に穴を掘るので、後で埋め戻したりと色々と大変である。
「「「おおおっ!」」」
「まさしく、この力強さ! カナンから聞いた通り、素晴らしい!」
「シャガの時に、お前さんが使った召喚獣より、倍以上大きいのう……」
俺は、エンジンを止めると下へ降りてきた。
「これがあれば魔物や帝国軍でさえも蹴散らせるのでは?」
なんだか子爵様が物騒な事を言い始めた。
「まぁ、そう考えるのが妥当じゃろうが……」
「爺さん、こいつは、シャガの所で使った召喚獣より4倍の油を食うんだぞ」
「なに? お前さんは、あの馬なしの車の時も、同じ事を言っておったの」
「ああ、こいつを1日動かすと、あの小屋一杯分ぐらいの油を食う」
俺は、ニャメナが暮らしている小屋を指さした。
「やはりのう……」
「それでは、油代だけで破産をしてしまうではないか」
「子爵様――例えば、調教師の私がドラゴンを飼い馴らしたとします。そりゃ、凄い戦力になるでしょう。どんな大軍であろうと、炎のブレスで全て黒焦げに」
「そりゃ、そうじゃが」
爺さんが、コ○ツさんを見上げながら、白いヒゲを撫でる。
「しかし、ドラゴンを飼うための餌代はどうします? もしかしたら、1日100頭の家畜を食べるかもしれません」
「この鉄の召喚獣も同じという事ですか?」
「その通りで御座います、子爵様」
「まぁ何事にも対価が必要という事じゃよ。そんな都合の良い物があるはずもない」
やろうと思えば国家予算を突っ込み、シャングリ・ラからトラックを沢山出して、この世界で機械化歩兵師団を作る事も、重機を並べて機甲師団を作る事も可能だろう。
トラックや重機の運転も、教えりゃ出来るだろう。そうすれば、この世界の統一も可能かもしれない。
だが、それだけの金貨をシャングリ・ラに入れたら、この国から金貨が無くなってしまう。
そうなれば、統一した後の経済活動に影響が出るものと予想される。
藩札のような紙幣や、代替硬貨の導入も考えられるが、そうなればインフレは加速するだろうなぁ。
その時、国民にそっぽを向かれた国がどうなるか? 想像に難くない。
難しい話はおいといて、とりあえずは街にいるソガラムって奴に、プリムラとお店の女の子達を虐めた仕返しをさせてもらうとしよう。
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子爵は夫人と同様に――崖にある足場を登り、上から湖の眺望を楽しんだ後、アストランティアへ戻る事になった。
アイテムBOXからラ○クルプ○ドを出して、皆を乗せる。勿論、森猫も一緒だ。
街へ行くので、彼女には銀の鑑札も付けた。そして、俺の助手席には子爵が乗っている。
俺の後ろの席にはいつもはプリムラが乗っていたのだが、今日は子爵夫人が乗り込んでいる。
どうしても乗りたいと言い出して譲らなかったので、やむを得ず乗せたのだが、ソガラムの所へ行くのなら、夫妻を揃って証人として乗せた方が良いだろう。
そのために、プリムラと代わってもらい、彼女はマロウさんと爺さんと一緒に、馬車でアストランティアへ向かう。
車を発進させて、川を渡る。
水深50㎝程だが、こいつのはシュノーケルが付いているので、1mぐらいの水深でも平気だ。
「おおっ! 本当に馬なしで動いておる!」
子爵が車に乗って感動しているのだが、俺の後ろに乗っている夫人が何やらブツブツと呟いている。
「ここには橋を架けねばな」
「カナン様、勘弁してくださいよ。あまり人に訪れてほしくないんですけど」
「私が友人の下を訪れるのに、何の不都合があるのだ。橋がダメなら、あの怪物で森を切り開けばいい」
「今日の話を聞いていましたでしょ? 油を大量に食うんですよ、あの召喚獣は。大体、私に利点が全くないのですが……」
「ならば、やはり橋だの!」
全く話を聞いちゃいねぇ。
「そんな事より、財務を立て直すのに、やる事が大量にあるでしょう」
「それは――そうであるが……そんなものはマロウ殿に任せればよいではないか」
「義理の父は信用できる人間ではありますが、子爵様側でも確認をしていただかないと、欲に目がくらんだ者が出るかもしれません」
「いや、その通りだケンイチ殿。私も心を入れ替えて、父から受け継いだこの領を立て直したいと思っております」
夫人は相変わらずだが、子爵は固い決意を示す。
今までは――嫌なことから現実逃避、そして子爵領が傾き始めた事から目を背けたくて、さらに現実逃避――という負のサイクルに嵌っていたようだ。
そして懸案だった、頭上のたんこぶであるソガラムという商人も排除されようとしている。
心機一転やる気を出したのかもしれない。だが結局、全部人任せのような……本当に大丈夫かね。
それでも、マロウさんが人材をダリアから引っ張ってきたお陰で、少なくとも財務はまともになると思う。
「子爵様、一つお聞きしたい事があるのですが?」
「はい、何でしょうか?」
「私が謝礼に頂いた魔導書なのですが、どういう経緯で子爵領にあった物なのでしょう?」
「ああ、先代――つまり亡き父が、旅の魔導師から手に入れた物らしいのですが、詳しくは知りません。誰も使う事ができず死蔵されていたのですが、子爵領を助けるために役に立ったのです。父も天で喜んでおられるでしょう」
なるほどな。その魔導師ってのが、アネモネのお母さんなのか?
そんな話をしているうちに、街が近づいてきた。