5話 ギルド登録と市場
俺は、商売をするために必要な登録をするために、商業ギルドへ向かった。手っ取り早く稼がないと、手持ちの金が底を突く。
宿屋のアザレアの話では、肉体労働でも稼げると言うが、長年PCに向かってデスクワークをしていた俺に、そんな力仕事が出来るはずない。
せいぜい、家庭菜園で畑を耕すぐらいなのだ。
教えられた場所にやって来た。目の前にあるのは、白い石造りで3階建ての建物。石には模様が刻まれており、かなり豪奢な造りで、窓には全部ガラスがはめ込まれている。
「ここか……」
立派なドアを開けて、中に足を踏み入れる。窓にガラスがあるせいか、中も明るく広く感じる。
正面にはカウンターがあって、受付嬢が座っているのだが、あちこちにカウンターがあるので、部署によって分かれているようだ。
立ったまま様子をうかがっていると、商売の相談やら貸付なども行なっているらしい。とりあえず、正面のカウンターへ行く。
受付嬢は白い服を着て、まるで看護師のように見えるが、これがここの制服なのか――頭には長四角の帽子を被っており、それがまた看護師風なのに拍車を掛けている。
「あの~」
「はい、今日はどのようなご用件でしょうか?」
「ギルドへの登録をお願いします」
「承知いたしました。登録料は銀貨1枚になります。それと、この紙にご記入下さい」
差し出されたのは手書きの書類だが、まだ印刷技術が無いのだろう。項目は、氏名や年齢その他――出身地の欄もあるが、この都市ダリアで良いだろう。
他の地名なんて知らないしな。その右側には、数字の問題が――多分、これがテストなのだろう。
3桁の足し算が3つ、2桁の掛け算が2つ――こんなのがテストとは拍子抜けだ。
まだ昨日の今日で、文字についてはあやふやなところがある。アイテムBOXを開き、アンチョコの表示を出してカンニングするのだが、他の人には当然見えていない。
全て書き込んで、受付に差し出すと、OKが出た。
しばし椅子に座って待つ……受付嬢が持ってきたのは、上部に穴が開いている細い棒状の金属。これは――あの若い商人が首から下げていた物か。
これが、ギルドの証なんだな。商売をする時には、見える所にこれを掲げないとダメらしいので、普通の商人達は首から下げているようだ。
登録は無事に済んだし、これで商売しても問題無し。隣の帝国という国には売上の何割かを毎月納める税金のような物があるそうだが、ここには無い。
――次は、市場調査だな。
ギルドで市場の位置を教えてもらい、外へ出た。ギルドの人の話では、通りに出て人の流れに付いていけば市場へ行けると言っていたが――。
本当にその通りに到着した。乱雑で人で溢れる賑やかな場所――並んでいる店は殆どが露店で、屋根が付いている物付いていない物、色々ある。
販売されている品物も区分けはされておらず、刃物や石、果物や野菜などの生鮮食料品が、ごちゃ混ぜに所狭しと並べて売られている。
商人たちも、結構アバウトに客とタメ口だ。身分が高い連中が相手でなければ、敬語は使わないらしい。
紙も見つけた。ちょっと茶色な紙が1枚銅貨1枚(1000円)だ。こりゃ、紙を売っても儲かるかもな。後は……食器かな? シャングリ・ラで売っているような白い無地な皿が小四角銀貨1枚(5000円)以上で売られているのが目につく。
柄が入ると値段が跳ね上がるが、あまり売れている印象は無い。この市場にやってくるのは、一般の街の人間ばかりで、値段の高い物は中々買えないのだろう。
何箇所か見たところ、刃物も結構高く、粗末なナイフが1本銀貨1(5万円)枚以上する。シャングリ・ラなら5000~6000円ぐらいで、結構いいのが売っているからな。
あれなら、銀貨2枚(10万)で売れるかもしれない。
でも、錆びないステンレス鋼とかは大丈夫かね。青紙やら炭素鋼を使った刃物は滅茶高いし。
売ったとしても、いきなり気づかれる事もないだろうが、ヤバくなったら他の都市へ逃げるしかないな。
それに、金さえあれば、シャングリ・ラを使って何処でも暮らせるわけだし。
アザレアが言っていた灯油も見つけたが、凄くサラサラで元世界の灯油に近い。だが、臭いが違う――何か、魚臭い。
売っている店員に話を聞くと、海にいる海獣の脂らしい。へぇ~、所変われば品変わるってやつだな。
ここは海に近いので海獣の脂が手に入るが、もっと内陸の国では、植物から取った油を灯油として使っているという話だ。
「海が近いって話だが――さすがに、海産物は無いな……」
海産物どころか、生の魚すら無いが――まぁ、保存が利かないからな。アイテムBOXがあれば、海の魚をそのまま持ってくる事も可能だろうけど。
「果物を食ってみたいな」
シャングリ・ラでも野菜と果物の詰め合わせが2500~3000円程で売っている。だが、この世界にしか無い珍しい果物等は、当然ながらここでしか手に入らない。
「おじさん~買っていかない?」
果物を積んでいる女に声を掛けられる。笊に積まれている果物は10個で銅貨1枚(1000円)らしい。
銅貨の下にも小四角銅貨があり1枚100円相当なのだが、計算が面倒なのか、細かい商品は、まとめ売りが殆どを占めている。
「う~ん……色んなのが食いたいんだが、3種類3個ずつで銅貨1枚にならない?」
「いいよ」
なんだOKなのか、言ってみるもんだな。買ったのは赤、緑、黄色の果物だが、リンゴっぽい赤い実を1個残して、その他は全部アイテムBOXへ入れた。
アイテムBOXの表示は――【リンカー】【リンヨ】【リンズ】となっている。なるほど、この赤いのが、アザレアが言っていたリンカーか。
一口食ってみる――甘酸っぱくて、美味い。見た目はリンゴっぽいけど――味は、桃とリンゴを合わせたような風味だな。
こりゃ、この世界でしか食えねぇ。
「ねぇ旦那。今、買った物をアイテムBOXへ入れた?」
果物を売っていた女が、俺のやったことを目ざとく見ていたようだ。
「ああ、そうだ」
「いいなぁ、便利でしょ?」
「小さいけどな。凄い便利だぞ」
女との会話を聞いていたのか――角刈りのような頭をした、体格の良いマッチョな男が話しかけてきた。
「旦那、アイテムBOX持ってるんだって?」
「まぁ、小さいがな」
「ちょっとデカい買い物をしちまってよ。運ぶのを手伝ってもらえねぇか?」
「あんたは、随分力持ちそうに見えるがな。まぁ、金による」
「銅貨1枚でどうだ?」
時給1000円か――ちょっと少ないな。
「それじゃ、ちょっとな。人を雇ったって、もっと取られるだろ?」
「頼むよ、金が無いんだよ。銅貨2枚でどうだ?」
「知り合いにでも頼んで、酒でも奢れば喜んでやってくれるぞ?」
「そんな金があったら、俺が飲むに決まってるだろ? それじゃ、銅貨3枚だ!」
随分と必死のようだが、一体何を買ったんだろう。このムキムキで運べないとは……時給3000円か、まぁ、ちょっとしたバイトなら良い稼ぎだろ。
「解ったよ。それじゃ銅貨3枚で運んでやっても良いが――何を買ったか知らないけど、アイテムBOXへ入らなかったら、諦めてくれよ」
「よっしゃ、そうこなくっちゃな」
話していても悪意は感じないし、怪しい感じもしない。本当に何か運んでほしいだけなんだろう。
男の後に付いて、買った物が置いてあるという場所へ行く事になった。男と並んで話していると、後ろから別の男に話しかけられた。
「よぉよぉ旦那。アイテムBOX持ってるんだって? 美味しい話があるんだが、一つ乗らないか?」
話し掛けてきたのは、顔色の悪い卑屈そうな顔をした、少々猫背の男だった。う~ん、こいつは、見るからに怪しい。
しかし、美味しい話ってのはロクな物がないからな。美しい花には刺がある。美味い話にゃ罠がある。
俺の仕事でも、美味しい話に飛びついたのはいいが、支払いが遅れた挙句、取引先が飛んだり手形が飛んだり……思い出しても、ロクな事がない。
話を聞けば、海から海産物、山や氷穴から氷を運ぶ仕事だと言う。
「いい金になるぜ?」
「確かに高い物になるだろうな。そんな物を買う奴がいるのか?」
「へへ、貴族様だよ」
「ああ、悪いが貴族には関わり合いになりたくない」
聞いていたマッチョが、話に割り込んできた。
「止めとけよ旦那。貴族なんぞロクなもんじゃねえ。散々こき使って、いらなくなれば、つまらねぇケチを付けてコレだぜ?」
男は、手刀を自分の首に当てる。普通に首を刎ねられるという意味だろう――冗談じゃねぇ。
「そうだな」
「それによ、デカいアイテムBOX持ってる奴なんて、戦場まで引っ張られて、こき使われるみたいだぜ」
「戦場? 武器でも運ぶのか?」
「それもあるけどよ。貴族様のために食料を運ぶのよ。そうすりゃ、戦場でも贅沢な食事を楽しめるって寸法さ」
「本当にろくでもないな」
「だろ?」
男は手を広げて、首を振っている。
「――というわけだ。貴族様にゃ、関わりたくないから、お断りする」
「こ、後悔するなよ!」
捨て台詞を残すと、猫背の男は小走りにその場を去った。やはり、このアイテムBOXという便利な物があると、拘束されたりするようだ。
こういう世界で、王侯貴族ってのは絶対権力者だからな。逆らったらヤバいだろう。
「触らぬ神に祟り無し、君子危うきに近寄らず、臭いと解って嗅ぎに行く奴は愚か者ってな」
「旦那、学があるねぇ」
「なに、かじった程度さ」
道がてら、男に森のことを聞いてみた。
「森に黒い獣がいたんだが……知ってるか?」
「黒い? 猫か?」
「いや、犬――というか狼みたいだったが」
「そりゃ、黒狼だな。街道沿いに出るとは聞いたことが無いが」
やはり狼なのか。場所によっては、魔狼と呼んでいる地域もあるらしい。
「いや、森の中だ」
「なんで森の中なんかに――ははぁ、近道でもしようとしたんだろ?」
「まぁ、そんなところだ。迷った挙句、襲われて食われるところだったよ」
「森の中には入らない方がいいぜ。同じ光景が延々と続くんで、どこに向かっているのか解らなくなるって話さ」
本当にそんな感じだったな。進めど進めど針葉樹が延々と立ってるだけ……。俺は方位磁石を持っているので、迷わなかったが。
俺の地元でも、山菜採りなんかで遭難するやつがいたな。山の中に入ってしまうと目印がなくて、どこにいるのか解らなくなるんだ。
知り合いなんて、歩き続けて山の反対側の隣町へ出てしまったという、笑い話もあった。
男と一緒に目的地に到着した。見たところ、道具屋――だな。
「買ったのはコレさ」
男が指さしたのは、大きなベッド――いわゆる、ダブルベッドだ。この世界に合板など無いので、全部無垢の木。
ちょっと端を持ち上げてみたが、かなり重たい。おそらくは50kg以上あると思う。これじゃ確かに、1人では無理だな。
「こんな大きなベッドを買うって事は結婚したのか、それとも、これからするのか?」
「へへへ」
デカい男が、頭を掻いて赤くなっている。
「――という事は、コイツの運搬を頼むと、銅貨3枚以上掛かるって事か」
「そうなんだよ。だからさ、タダか安く手伝ってくれる知り合いを探してたんだが……」
「そこで偶然、俺に会ったってわけか。しかし、めでたい事だ。なんとか運んでやりたいが」
このぐらいなら余裕でアイテムBOXに入るはずだが、容量が小さいという話にしているので、失敗したらゴメンな――と断りを入れる。
「よっと」
ダブルベッドが、アイテムBOXの中へ吸い込まれ、【ダブルベッド(中古)】と表示が追加された。
「おお、すげぇ。これがアイテムBOXか」
「上手くいってよかったな。それじゃ、あんたの家へ行こうぜ」
男の家は街の外れ、城壁のすぐ側にあった――木造の小さな家で、壁は鎧張り。中は居間と寝室の2部屋で、居間に台所が付いている。
元世界で昔に流行った、文化住宅を彷彿させるな。
「それじゃ、部屋に入れるか」
だが、寝室にはすでにベッドがある。これを運び出さないと、ダブルベッドは入れられない。
その前に――。
「おい、これって、玄関と寝室のドアが狭すぎて、ダブルベッドを運び込むなんて出来ないぞ?」
「あ……」
男も気がついたようである。一応分解は出来るようだが、木槌等の道具が無いと、ちょっと大変そうだ。
「まぁ、俺に任せろ」
先ずは、持ってきたダブルベッドを外に出す。そして、寝室のベッドもアイテムBOXに入れて、外へ出す。
そして、アイテムBOXにダブルベッドを入れて寝室で出せば――設置完了だ。
アイテムBOXの容量はベッド2つぐらい余裕で入るのだが、容量が少ないと言ってる手前、こんな回りくどい事をしなければならない。
「ありがてぇ! 恩に着るよ」
「この今まで使ってたベッドはどうするんだ?」
「旦那にやるよ。アイテムBOXに入れて持っていってくれ」
「いいのか? 売れば金になるぞ?」
「運ぶのに、また旦那に頼まないとダメになるからなぁ。それに、部屋の中を片付けないとな」
まぁ、嫁さんがくるなら色々と揃えるものがあるし、ベッドの処理どころじゃないのだろう。
それに、俺が首から商業ギルドの証を下げてるから、商人だと彼も解ってるはずだが……。
「俺がベッドを売ってしまっても良いのか?」
「もちろんだ。旦那じゃなきゃ――他の奴に頼んでベッドを運んできても、部屋に入れられなくて途方に暮れてるところだぜ」
男は苦笑いをしているが、その通りだろう。そこまで頭が回らなかったらしい。
「それじゃ、運び賃はこのベッドで良いよ」
「それでいいのかい?」
「ああ」
試しに、目の前のベッドを買い取りの所へ入れてみると――すぐに結果が出た。【査定結果】【ベッドシングル(中古)買い取り値段20,000円】
じゃあ、上手くいけば、3~4万円には、なるって事か。でも、ちょっと貰いすぎだな。
俺は、シャングリ・ラの画面を出すと、麻のダブルシーツを検索した。ノーブランド物が4000円で売っていたので、そいつを購入。
綿なら2000円ぐらいであるのだが、宿屋のシーツが麻だったので、こちらを選んでみた。【購入】のボタンを押すと、ダブルのシーツが目の前に落ちてくる。
「新婚祝に、シーツをやるよ。まだ買ってないだろ?」
「本当に、ありがてぇ! 旦那、人が良すぎるぜ」
ムキムキの男が、なんだか涙目なのだが――俺はベッドを貰って、損はしてないからな。あまり感謝されると、良心が痛む。
だが今度、あのダブルベッドを外へ運び出す時には、一旦分解しないとだめだろうな。
ベッドの男に別れを告げると、市場をぐるりと回り――商人に金を少々渡したりして、聞き込みもしてみる。情報収集は大切だ。
そして、日が暮れ始める前に宿屋に帰ったのだが、時間が時間なので沢山の客が訪れて食堂が賑わっている。
「おかえりなさい」
「おう、ただいま。これ、おみやげだ」
アザレアにアイテムBOXから取り出した、リンカーを1個渡した。
「リンカーだ! ありがとう、これ甘くて大好き。ギルドに登録出来たの?」
「ああ」
彼女に金属製の細い棒――ギルドの証を見せる。
「やったね」
さすがに夕飯時で忙しそうなので、会話もそこそこに俺の部屋へ戻る。仕事の邪魔しちゃ悪いだろう。
腹も減ったので、市場で買った果物を食べてみようか。リンカーは食ったので、次は緑色のリンヨに挑戦。
果物ナイフを1000円で購入して、緑色の皮を剥くと、クルクルと渦を巻く。
「すっぺぇぇぇ!」
シャリシャリとして甘みもあるのだが、物凄く酸っぱい。これは、干して梅干しみたいにしたら、美味いかもな。
続けて、黄色のリンズを食ってみる。
「うん、甘い」
酸味は全くなくて、実の固いマンゴーのような味だな。こいつもいけるな。市場にはまだ買ってない果物が沢山あるので、楽しみだ。
シャングリ・ラで紐を購入――100円だ。証に紐を通して、首から下げる事にした。
市場を見ても、そのスタイルが一番多かったのでそれに従う――郷に入れば郷に従えってな。
さて、市場の感じも解ったし、明日から、ちょっと商売の準備を始めてみるかな。だが、儲けなくても、そこそこで良いのだ。
飯を食えるぐらい稼げば、必要な物はシャングリ・ラから物を買えるからな。
とりあえずの目標は、3000円投資で1万円の売上。
目指すのは、異世界でのスローライフ。果たして成功するのか。